ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年7月7日の授業への質問・回答



ボロブドゥールの物語を表した石像は、人の視線を気にせず、その世界をつかみにくいという点において、世界を表すことを意識したチベットの仏教美術とは違うと思いました。遠くから眺めれば、そこにひとつの世界があると感じられるのに、中に入ってしまうと、それがわからなくなるのは残念だと思いました。東南アジアはほとんどが像で、絵画は見られませんが、像の方が神聖なものとしてみられるなど、何か理由はありますか?
世界をどのように表現するかは、その文化を知る上で、とても重要な点だと思います。ボロブドゥールを設計した人は、階層的かつシンメトリカルな構造を持った巨大建造物で、それを表そうとしましたが、このような方法は、必ずしも普遍的なものではありません。日本にはシンメトリカルな建造物そのものがほとんど見られません(左右対称はもちろんありますが、四方すべてがという点で)。ボロブドゥールの構造はインド的世界観を表していると言われるので、インドににもありそうですが、ボロブドゥールの原型となるような建造物はありません。もっとシンプルなストゥーパなどになってしまいます。インドにおける世界観の表現は、インドネシアよりも象徴的で、隠喩的だと思います。日本はむしろ、そのような三次元的な建造物によって、世界を表すという発想すらなかったのではないかと思います。ボロブドゥールのような巨大建造物を前にすると、私はすぐに、その中を歩く人の視点が気になります。全体を設計する人には鳥瞰的な視点は必要ですが、参拝する人には、そのような視点はまったく関係ありません。チベットの仏教美術に、明代や清代になって鳥瞰的な視点が現れたと、以前の授業で紹介しましたが、そこでは、自然の景観によってそれを表現していました。これも、ボロブドゥールなどとは異なる種類のものでしょう。日本人の世界観はどちらかというと、こちらに近いと思います。絵画よりも彫刻というのは、紹介した作品が彫刻中心だったのですが、実際、この時代の絵画作品はほとんどありません。これはインドでも同様で、古い時代の絵画や壁画はきわめてわずかです。アジャンタの壁画などは、例外中の例外です。神の像を石や金属で表すのは、神の永遠性を示すこととして、むしろ好まれます。日本でも飛鳥時代や白鳳時代から、優れた金属製の仏像があります。日本では仏像といえば木彫作品が最初に思い浮かびますが、アジアの仏教美術全体から見れば、これは日本の特殊な状況なのです。

倚像の姿は仏像の姿としては見たことがないものだったので、新鮮に見えた。でも、あの姿勢で坐るのはあまり楽ではなさそうな気がするけど・・・。
倚像はたしかにこれまでの授業ではほとんど見ませんでしたが、けっして珍しいものではありません。はやくは、インドのマトゥラーの菩薩像に見られますし、説話図であれば、釈迦の父親や転輪王などに、椅子に座ったものがいくつも見られます。ガンダーラの説話図や大乗神変図などにも、しばしば見られます。半跏思惟像として知られるポーズも、ストゥールのようなものに腰掛けていますが、両足を床に付けて、正面向きで坐る倚像とは種類が異なると考えた方がよいようです。インドでは弥勒が倚像の姿で表されることが多く、東北インドからはブロンズ製の像がいくつも出土しています。この形式はチベットでも受け継がれました(授業では取り上げませんでしたが)。一方、半跏思惟はもともと観音系の菩薩がとることが多い姿勢だったのですが、中国、朝鮮半島で、弥勒の姿勢として好まれ、日本の広隆寺や中宮寺の弥勒半跏思惟像へとつながっていきます。倚像の姿勢が楽であるかないかはよくわかりませんが、私は結跏趺坐などよりも楽そうに見えます。もっとも、結跏趺坐は仏専用の座り方なので、菩薩には適用されません。

直接見たことはありませんが、平面図のシンメトリーや写真の壁の高さを見ていると、本当にどこを歩いているのかわからなくなりそうな造りをしていると思います。まったく関係ないのかもしれませんが、浮彫の密集具合を見ると、西洋のものと似ている気がしました。仏像は単体というイメージがあるので珍しいです。
浮彫に人物が密集しているのは、それが礼拝像ではなくて説話図だからです。物語のシーンを描いているため、登場人物がたくさん必要になりますし、むしろ、群衆がいる方が画面が生き生きとします。西洋のものも、おそらく物語や神話を背景とした絵画や浮彫に、そのような群衆を登場させることが多いのではないでしょうか。たとえば、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの絵画のように。あまり関係ないかもしれませんが、昔、はじめてオペラを見たとき、合唱の場面で、舞台にあふれるほど人が出てきて驚いたことがあります。もちろん、合唱に必要な人たちなのですが、その前後で、アリアの独唱など、ひとりやふたりの場面があると、そのコントラストが効果的にも思えました。さて、ボロブドゥールなどのインドネシアの浮彫は、直接は南インドの伝統を汲んだものです。インド南東部のタミルナードゥ州などには、ヒンドゥー教寺院の外壁に、このような浮彫を至るところで見ます。仏教の場合も、ナーガールジュナコンダという遺跡から出土した浮彫に、釈迦の物語を描いたものがありますが、そこでもやはり、群衆が現れます。ボロブドゥールのものは、これらをさらに洗練させたようなものです。インドネシアには、今回の授業で紹介するプランバナン地区のロロジョグランに、ラーマーヤナの物語を描いた同じような浮彫彫刻があります。これも、インドネシア美術の精華のひとつです。

毎回、授業のたびに思うことですが、仏教建築にしろ何にしろ、ただの芸術ではなく、深く複雑な仏教世界を示すためにも作られているのだなと思いました。仏像を見ていると、目を閉じたものばかりに思うのですが、これは仏像だから目を閉じたものを作らなければならないとか、何か理由があるのかなと思いました。たしかに、有名な建築家の建築って住みにくそうです。ガウディとかもすごいと思いますが、住みたいと思いません。
たしかに、ガウディには住みたくないですね(しばらく我慢すれば、慣れるかもしれませんが)。安藤忠雄氏の西田哲学館は、ガラス張りなのですが、雪の多い北陸には不向きです。安藤氏の設計ではありませんが、21世紀美術館も、もてなしドームも同様です。21世紀美術館も、行きたいところに全然行けないので、いらいらします(この建物も、何かの建築の賞を取っています)。金沢の人はどうして、こうも非実用的な建物が好きなのでしょうね。建築には「コンセプト」が必要らしいのですが、それが、機能や実用性を無視し始めると、実際に住む人や使う人には苦痛でしかありません。さて、仏像の目の表現はいろいろです。日本人にとっての仏像の目は、あまり大きく開けず、どちらかというと閉じ気味で、それによって深い精神性を表していると感じますが、インドの仏像の多くはぱっちりと見開いています。グプタ時代には伏し目がちな仏像も現れますが、どちらかというと少数派です。目というのは仏像に命を与えるようなところなので、作者も強く意識していたと思いますが、だからといって、同じようになるわけではないようです。インドネシアの場合、最後に紹介した般若波羅蜜は伏し目がちですが、その他の作品では、けっこう見開いていました。

ボロブドゥール出土の阿弥陀如来坐像はとてもシンプルですね。シンプルさが静謐さを醸し出していてきれいです。埋もれた遺跡ってロマンを感じますね。大きな遺跡がすべて埋まるなんてことはありえないと思うのですが、どうしてながらく誰にも発見されずにいたのですか。
ボロブドゥールは1814年にオランダ人によって発見されたのですが、そのときにはほとんど崩壊に近い状況だったそうです。土砂と樹木に埋もれていました。現在の遺構は、それを掘り出して、もう一度石材なども積み直したものです。ボロブドゥールが打ち捨てられてしまったのは、ジャワ島の政治や文化の中心が、中部ジャワから東部ジャワに移ってしまったのが大きかったでしょうが、ボロブドゥール自体が、現地の人々の信仰と密着に結びついた寺院ではなかったからでしょう。近所の人々が、毎日参拝に来たり、そこで儀式や法要をするような寺院であったら、それほど簡単には消えたりはしなかったはずです。なお、「隠れた基壇」と呼ばれる部分は、意図的に埋めたという説が有力です。そこに描かれていた世俗的な主題の浮彫が問題だったためです。

チベットとインドネシアの仏教美術の起源が、どちらもインドであることから、当時のインドがとても強い力を持っていたのだと思いました。政治的、軍事的パワーが美術にまで影響を与えるのかなと思いました。
ご指摘のとおり、美術はしばしば政治や経済の影響を受けます。南アジアや東南アジアにおいて、インドの存在は、われわれが想像する以上に大きかったですし、それは今でも、程度の差こそあれ、同じでしょう。ジャワ島の仏教美術を考えた場合、東北インドの仏教美術と、南インドのヒンドゥー教美術が重要な源泉となります。前回とりあげた仏教関係の彫刻、とくにブロンズ像は、ベンガルやオリッサの作品に酷似しています。おそらく、ベンガル湾を中心とした海上交易によって、もたらされたのでしょう。現在のミャンマーやタイ、カンボジアなどには、陸続きでも伝わったはずです。南インドの場合、スリランカも含めて、さらに大きなルートがありました。いわゆる海のシルクロードで、これを使って、中国に密教ももたらされました。ジャワの仏教美術やヒンドゥー教美術は、日本の仏教美術と無関係ではないのです。インド美術や日本美術を知るものにとって、ジャワの美術は「どこか似ていて、どこか違う」という不思議な存在です。

小さい頃、両親に連れられて東南アジア、おもにマレーシアやタイに何度か行ったことがあります。そのとき、寺院も見学したのですが、記憶に残っている限りでは、寝姿の仏像が多かった王に思います。だから、東南アジアの仏像≒寝姿のように思っていましたが、今回の資料で寝姿のものはひとつもありませんでした。私が見たものが少数派だったのでしょうか。それとも、マレーシア・タイ≒寝姿なんでしょうか。
あとの方です。寝姿の釈迦は涅槃像ですが、これは上座部仏教の礼拝像として一般的です。上座部仏教とは、スリランカや東南アジアに広がる仏教で、いわゆる小乗仏教ですが、この名称は、大乗仏教からの蔑称なので、使わない方がいいでしょう。パーリ語の聖典を用いたオーソドックス、かつ保守的な仏教です。われわれの知っている仏像の世界は、基本的に大乗仏教や密教のもので、それは上座部仏教にはほとんど現れません。わずかに観音菩薩が信仰されている程度です。上座部仏教の礼拝の対象は釈迦が中心で、そのなかで涅槃像はとくに礼拝像として広く用いられています。余談ですが、日本に真如苑という密教系の新宗教がありますが、そこも本尊として涅槃仏をまつっています。涅槃とは完全な悟りであり、仏教にとって理想とする状態です。それを造形化するのは、発想としてはきわめて自然でしょう。



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