ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年6月30日の授業への質問・回答



レポートの資料を読んでいて、ネパールとチベットの関係が気になっていたので、いただいた資料をちゃんと読もうと思いました。スライドの資料をぱらぱらと見ていて思ったのですが、仏塔にある目の絵にはどういう意味があるのでしょうか。
チベットとネパールはごっちゃになるかもしれませんが、相互に強い影響関係を持ちつつも、それぞれが独自の文化を形成してきました。たとえば、ネワール仏教の特徴として、インドのサンスクリットの伝統をしっかり受け継いでいることがあげられます。インドで仏教が滅んだ後も、その伝統を守り続けてきたのです。インドの仏教の研究に、サンスクリットの文献は欠かせませんが、その写本が大量に残っているのがネパールなのです。カトマンドゥのヴァジュラーチャーリヤなどの僧侶たちは、これらの文献を自在に読むことができます(今はかなり少なくなっていますが)。これに対し、チベット仏教はインドの文献を翻訳して受容しました。いったん、自分の国の言葉に置き換えた上で、取り入れてきたのです。翻訳するというのは、たんに媒体となっている言葉が違うというだけではなく、その言葉を用いた思考体系に置き換えられることを意味します。仏塔の四方の目は、いろいろな説があります。一番妥当と思われるのは、仏塔そのものが象徴している仏の目です。仏塔は単なる建造物ではなく、宇宙全体を表す象徴的なモニュメントです。一方、大乗仏教や密教では、宇宙全体に相当する仏をたてます。法身(ほっしん)といいます。その仏以外は、すべて虚構であると考えられます。もっとも、法身そのものも「実在」するわけではありません。仏教の基本は空ですから、そのような仏も空でしかありませんし、空そのものも実体的なものではありません。そのような真理がひとつの姿を取ったのが法身なのです。その宇宙そのものに匹敵する仏が、宇宙を視野に納めているように、仏塔の四方につけられていることになります。

授業中に回されたDevimaahaatmya Paintingsという本の絵画作品の色づかいが鮮やかで、とてもきれいでした。物語の内容はよくわからなかったのですが、説話画なのでしょうか。人が血を流して倒れていたり、生々しい描写もあって驚きました。
この本は、今から10年ほど前に出したもので、懐かしい作品です。東京にあったユネスコアジア文化センターというところが出していた「アジア重要文献復刻シリーズ」という叢書のひとつです。ネパールの国立古文書館に所蔵されている絵画集で、ヒンドゥー教の神話を題材にしています。Deviimaahaatmyaは『マールカンデーヤプラーナ』というヒンドゥー教の聖典に含まれ、女神を主人公とした物語です。100枚以上で構成され、一種の紙芝居のような作品です。物語の全体は三つのエピソードからなっていますが、いずれも、神々の敵であるアスラ(阿修羅)をヒンドゥー教の神々倒すという筋書きです。とくに、第二と第三のエピソードが、女神が男性の神に変わってアスラを倒すことで有名で、ここから「水牛を殺す女神」(マヒシャースラマルディニー)や、七母神、カーリー、チャームンダーなどの女神たちが、ヒンドゥー教のパンテオンの重要な位置を占めるようになります。とくに、水牛を殺す女神は、後にドゥルガーとなって、インドやネパールの最も人気の高い女神となり、現在でも広く信仰されています。人が血を流して倒れているのは、戦闘の場面が多い物語のためで、そのようなシーンが頻出します。殺しているのはアスラだったり、アスラを殺す女神だったりします。インドの細密画の伝統を受け継ぎつつ、ネパールの絵画の特色も強い絵画で、独特の雰囲気があります。ただし、絵はあまり上手ではなく、ネパールのローカルな絵師の手になるものではないかと思っています。

マンダラは仏教だけのものかと思っていたけれど、ヒンドゥー教のマンダラもあったことを知った。ナラシンハとかだと、ヴィシュヌがマンダラに描かれると、仏っぽく見えてしまうと思った。
ネパールのヒンドゥー教のマンダラは、私も関心があるのですが、詳しく調べていません。インドではヒンドゥー教の神々を描いたマンダラはほとんど見たことがありません。マンダラに相当するヤントラの場合、神々の姿は描かずに、幾何学的な模様だけですませてしまうからです。わざわざそこに神々の姿を描くのは、ネパールに独特で、仏教の影響を受けたからではないかと思っています。マンダラを描いた絵師も、仏教のマンダラを描き慣れていたから、容易にそれをヒンドゥー教の神々に適用したのかもしれません。このようなヒンドゥー教のマンダラが、何のために作られたのかも興味深いところです。仏教の仏頂尊勝マンダラやグラハマートリカー・マンダラのように、人生儀礼のために作られたことに類するような、なにか特別な儀礼があったのかもしれません。

仏教美術と建築というか空間構造がおもしろいと思いました。構成の原理がわかっていれば、立体の方が平面である絵画よりもイメージがつかみやすいし、また、俗人である私たちにも肌身に感じられるのではないかと思いました。
建築構造に、仏教美術がどのように反映されるかは、私自身、以前から関心を持っているテーマです。そのときに、建築と美術をつなぐものがマンダラです。チベットの美術でも、西チベットのフィヤンやトゥンガルで、天井や壁面にマンダラを描くときに、その構造に柔軟に当てはめた例がありました。カトマンドゥのチュシュヤバハやムシュヤバハと呼ばれる寺院でも、建物の尊像配置に、マンダラの構造が意識されているのですが、それが、チベットのように単純ではなく、別の原理で変形されているようです。これについては、授業の最後で取り上げたのですが、今ひとつ、わかってもらえなかったようですので、今回のはじめに確認しておきます。立体と絵画で、どちらがわかりやすいかは、一概には言えないような気がします。中が見えない立体マンダラよりも、平面の絵画のマンダラの方が、情報量が多いからです。でも、建造物の場合、われわれがその中に入ることができ、自分を包む空間としてとらえられるので、たしかに身体的な感覚として、理解できるのでしょう。宗教体験として「空間を体験する」ということは、とても重要なことだと思います。

ヒンドゥー教のヤントラのように、三角形を組み合わせたような形式、星形のように見える形式は、これまであまり見ない形式のものだと思いました。
上向きの三角形と下向きの三角形を組み合わせた図形は、六芒星と呼ばれ、世界各地で見られます。とくに、ダビデの星として、ユダヤ人のシンボルマークとしても知られ、かつてはナチス・ドイツがユダヤ人を識別するために、服に付けさせたことでも知られています。ヒンドゥー教では上向きと下向きのふたつの図形を、相対立する原理を象徴するシンボルと見なし、その合一で、宗教的な絶対的境地(すなわち、解脱や悟り)を表します。とくに、トリプラスンダリーという女神のヤントラとして、これらを複雑に組み合わせた図形が有名で、授業で紹介したのもそれです。このヤントラについては、比較文化の島岩先生が専門の論文を書いておられます。実際に図形を描く方法と、そこに宿る神が誰であるかが、サンスクリットの原典を用いて紹介されています。

ネパールの説話画に言葉が入っていることはとても興味深いです。物語の説明でしょうか。また、スヴァヤンブーはインドでは「そこにあるが、姿が見えないご神体」とされるものなのですが、仏教のスヴァヤンブーも同様でしょうか。そもそも仏教でもヒンドゥー教でも同じ言葉を使用するとは知りませんでした。
ネパールの説話画が、具体的にどれを指しているのかわかりませんが、経典(聖典)の挿絵画として描かれている場合、テキストの部分が当然含まれます。上記の『デーヴィーマーハートミヤ』の絵画集は、ほとんど絵画だけで構成され、ごくわずかに書き込みの文字がある程度です。スヴァヤンブーとは、文字通りには「自ら生まれいずるもの」という意味で、神の別称です。とくに、ヴィシュヌの異名として知られています。神は誰かが作り出したものではなく、自ら生まれたものですし、われわれの世界も、そのような神が姿をとったものです。とくに、ネパールでは創世神話として『スヴァヤンブープラーナ』という文献があり、そのような創造神の名称としての「スヴァヤンブー」というのはよく知られた言葉でした。仏教とヒンドゥー教が同じ言葉を使うのは珍しいことではありません。とくにネパールでは、これらふたつの宗教の担い手が共通であったこともあります。われわれが思うほど、仏教とヒンドゥー教は、別々の宗教ではなかったのでしょう。



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