ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年6月16日の授業への質問・回答


新メンリ派の絵と、それまでの絵をくらべてみると、描かれている人たちに動きが見られるように感じました。そのため、仏=超越したものというよりは、もっと人の近くにある、親しみやすいものという印象を受けました。ツォクシンでは絵師は自分では直接見たことのない仏や、祖師を描くわけですが、そのときに過去の祖師像や代々伝えられてきている身体的特徴をもとに描くのですか。
新メンリ派の絵はそのとおりですね。チューインギャンツォ作と伝えられる絵は、いずれも登場人物が個性的で生き生きとしています。それまでの絵画が正面向きの動きのとぼしいイコンであったのに対し、彼の描いた歴代パンチェンラマなどは、ある瞬間を切り取ったようなダイナミックな表現です。背景が自然の景観であることや、その場面に最もふさわしい舞台となっているのも、演出効果を高めているのでしょう。おそらく、その変化をもたらしたものは、中国の絵画、とくに元や明の時代の絵画の影響と思われます。自然の景観のように見えるのも、実際は中国絵画の定型化した表現です。これまで取り上げた15世紀頃までの作品が、インドやネパールの影響を受けていたのに対し、その後の絵画は中国様式が顕著です。おそらく、当時の社会的、政治的状況から、インドよりも中国と、緊密な関係があったからでしょう。ツォクシンに描かれている人物像についてですが、チベットの高僧たちは、ある程度、実際の人物の個性をとどめているようです。しかし、その場合も、いったん形式が定まると、それを踏襲するのが一般的です。絵師が自分の裁量で自由に描ける要素というのは、きわめて限られているのです。インドや古代のチベットの人物像にいたっては、本物そのもののイメージが伝わっていませんから、ある時期に確立したイメージが、繰り返し再現されます。逆に、形式がきまっているので、見るものはそれが誰かわかります。イコンというのはそういうものです。

タシルンポ版ツォクシンは、天空に雲や植物などで構成されていて、仏教に特別な関係がない私にとっては、マンダラよりもこちらの方が世界観を感じやすい気がしました。まわりの人物が曲線的に並んでいるので、私から見るとただ人物を集めて描いたように思えるのですが、一応、規則的に並べてるものなんですね。しかも、ちゃんとひとりひとり描き分けてあって、すごいと思いましたが、信仰する人が描き、見るためのものならば、それが当然といえば当然なのでしょうね。
景観があるので世界観を感じるというのは、よい指摘です。マンダラが世界を表すという説明は、マンダラの解説書などでよく見られます。しかし、インドやチベットのマンダラを見ても、それが世界や宇宙であると思う人はほとんどいないでしょう。実際、マンダラを見てもそれが何であるかよくわかりません。それなので、世界や宇宙のイメージという説明も、わからないから「そういうものなんだ」と、無理に納得していまいます。これは、むしろわれわれ日本人にとっての「世界」が、マンダラを生み出したインド人とまったく違うことに、関係があると思います。われわれにとっての世界とは、なによりも自然なのです。自分の周りにあり、われわれを取り囲んでいる山や川、空や海といった、自然の景観が「世界」であると考えます。これは、じつはインド人には希薄な観念です。彼らにとっての「世界」とは、秩序だった空間で、むしろ人工的なまでに精緻な構造を持っています。代表的なものが須弥山を中心とした世界観です。マンダラもこれをベースにしています。マンダラは日本にも伝わり、真言宗などでは、インドのマンダラに近いものが作られています。しかし、その一方で、神道曼荼羅、浄土経曼荼羅、社寺参詣曼荼羅など、日本独自のマンダラも作られました。これらに共通して見られるのは、いずれも「自然の景観」をベースにしていることです。そこでは、インドに見られた幾何学的な世界のイメージはほとんど認められません。質問の後半にあるツォクシンの描き方についても、そのとおりですね。一見、無秩序に並んでいるようでありながら、じつは規則的な配列をしているのが、おもしろいです。それに気がつくと、絵そのものがまったく異なった様相を示すような気がします。このことと、ツォクシンの背景にある瞑想や実践との関係を考えるのが、前回の授業のポイントです。

マンダラやツォクシンのような精神世界を描いたものの中に描かれる仏が、どのツォクシンを見ても同じような姿をしていることに、少し矛盾を感じる。精神世界は人によって異なるはずなのに。
私もそこに着目したのです。人によって異なるはずの精神世界(瞑想の中のイメージ)があるにもかかわらず、それを描いたツォクシンが、既成のイメージの寄せ集めであることです。絵画の中のイメージと、瞑想の中のイメージが必ずしも一致せず、絵画は絵画の伝統の中で生み出されていることになります。今回取り上げる図像集も、このことに関係があります。仏や祖師が特定の文脈から切り離され、すべてが同一規格になって整理され、配列されたのが図像集です。これは絵画を実際に描くときのモチーフ集(デザインブックのようなもの)になったと思いますし、瞑想の時のイメージのソースにもなったでしょう。

仏教美術を見ていて、よくその想像力に驚かされる。仏教に限らず、宗教美術全般に言えるかもしれないが、神や仏の世界を絵画として描き出す想像力はすばらしいと思う。しかし、そこに描かれる仏が記号化され、どの美術品を見ても、似たような姿になってしまうのは、少し残念に思える。たしかに、記号化してしまった方が絵画の大量生産に便利とは思うが、誰もが自由に想像し、仏の世界を描き出した方が、多種多様な美術作品が生まれるのであろうと思う。
そのとおりなのですが、そこが宗教美術たるゆえんです。キリスト教でも仏教でも、神や仏の姿は、しばしば固定化されます。ギリシャ正教のイコンなどはその代表です。きまった形で描かれなければ、それはイコンとはみなされないのです。同じようなことは、日本の仏教でもあります。現在でも大きな宗派は、所属する寺院の仏像の形を厳密に定めています。どんな仏像でもまつっていいというわけではないのです。形式化は宗教美術の宿命のようなものでしょう。しかし、そのことは、宗教美術に限られたことではないでしょう。かつて、絵画というものは、画家のオリジナルな想像力の産物であるよりも、すでにあった優れた作品の再現であることが重視されました。これは、ちょうど、書道の世界で、過去のすぐれた書家や書風を模倣して、できるだけ忠実にそれを再現することに相当します。画家がオリジナルなイメージを追求するようになったのは、ごく最近のことですし、現代においてさえも、模倣やコピーがイメージの世界では主流かもしれません。たとえば、アニメや漫画の世界では、同じようなキャラクターが再生産され続けています。これも現代のイコンなのでしょう。

絵師たちと僧侶には、もともと特別な宗教的関係があったのでしょうか。絵師はそもそも僧侶に準じる階層だったのでしょうか。また、修行としてこれだけは絵師に任せられないものとかはあるのでしょうか。絵師の位置づけが混乱しています。また、今日、拝見した木版のタンカは、もともとは記録のために作られたものですか
チベットにおいて絵師がどのような存在であったかは、私もよくわかりません。チベットでは、とくに古い時代、絵師の名前はほとんど知られていませんでした。大半は専門の職人のような者たちだったと思われます。ネパールからチベットに壁画やタンカを描きに来た者たちも同様でしょう。しかし、チューインギャンツォなどは出家した僧侶だったことがわかっていますし、ほかにも有名な僧侶が画家であったことが伝えられています。これはチベットに限らず、日本でも過去において、密教の有名な絵師たちは僧侶たちでした。絵がうまい人は職業にかかわらずいたでしょうし、お坊さんの中にも同じ程度の割合でいたはずです。あるいは、壁画やタンカの形で図像を身近に見ることのできるお坊さんであれば、その割合はさらに高くなったのではないかと思います。密教の図像は、一種の秘密の情報であり、僧侶であってはじめて知ることのできる情報もいろいろあったと思います。木版のタンカは歴代パンチェンラマの方でしょうか、それとも図像集の方でしょうか。前者でしたら、一種の出版物で、同じ形式のタンカを大量に作るためのものだと思います。パンチェンラマのこのセットは、ゲルク派の寺院で、現在でもよく見ます。最近のものは印刷したものだと思いますが、かつては木版画に彩色して、それぞれの寺院で飾っていたのではないかと思います。ダライラマのセットもあるのですが、それよりも人気があったようです。絵がいいのでしょうね。図像集も木版画ですが、これについては今回詳しく取り上げます。


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