ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年6月9日の授業への質問・回答


マンダラが解体されていくという話をお聞きしましたが、そのことを、当時の修行者はどういうふうに受け止めていたんでしょうか。何となく、伝統として受け継がれてきたものを壊してしまうのは、よくないことのように感じます。
「マンダラの解体」というのは、マンダラの形式の変化に対して、私が使った用語で、当時のチベットの仏教徒たちが考えたものではありません。「解体している」という意識はなかったでしょう。マンダラというのは、中身の仏たちも重要ですが、容れ物である四角や丸の構造も、意味があります。チベットでもそれは忠実に受け継がれ、現在に至るまでその伝統は続いています。そういう点では、チベットはマンダラを正しく受け継いだ国なのです。これは、中国や日本とくらべるとよくわかります。とくに日本では、胎蔵と金剛界の2種類のマンダラ(これを両界曼荼羅とか両部の曼荼羅と呼びます)を除き、他のマンダラはほとんど形態的には、インドのオリジナルからかけ離れたものになっています。さらに、神道曼荼羅、浄土教の曼荼羅、参詣曼荼羅など、さまざまなジャンルのマンダラを生み出しました。これらは本来の密教のマンダラとは異質のものです。これに対し、チベットではマンダラという用語を何にでも当てはめることはありませんでした。しかし、一部のタンカには、もともとマンダラとして描かれていた仏たちが、マンダラという容れ物から取り出されて、一定の法則で配列されています。その変化をたどると、チベットの絵画の構造の変化が読み取れるということです。なお、マンダラの仏を取り出すという発想は、もわずかですがインドの彫刻に見られ、その流れはチベットではじまったのではなく、インドにまでさかのぼれます。また、日本の独自の曼荼羅も、一種の「解体されたマンダラ」ととらえられますので、マンダラそのものがそのような変化を生み出す可能性を、もともとそなえていたとも考えられます。

地域によって、仏の表現方法もさまざまなのですね。日本とチベットで違うのはまだわかるのですが、チベット内での地域差は何によって生じるのですか。未開拓の分野の研究は、発見されることすべてが新鮮で、重要な感じがしておもしろそうですね。
チベットの絵画を丁寧に見ていくと、地域や時代によって大きな違いがあることに驚かされます。この授業では、皆さん自身の目でそれに気がついていただきたいというねらいがあります。このような様式の変化が何に起因するかはさまざまですが、チベットの場合、インド、ネパール、中国という、周辺諸国の影響が顕著でしょう。西チベットの場合、カシミールやイランなどの、西の地域も重要です。これらの強大な文化圏に接し、さらに、政治的、経済的にも密接な関係があることで、美術の様式にも変化が生まれます。15世紀頃から中央チベットで中国の影響が支配的になるのも、その頃のチベットの政治体制、すなわち、氏族教団からダライラマ政権という、中国とのつながりの中で展開するあり方が、その背景にあるでしょう。もちろん、チベットそのものの地域的な多様性や時代による嗜好の変化なども考慮すべきです。様式の変化はつねに、外来的要件と内在的要件の両者から起こります。いずれにしても、未開拓な分野の研究は、おっしゃるとおり、おもしろいですね。でも、どんな分野でも未開拓なところはいくらでもあります。重要なのは、いかにしてそれを見つけるかです。

タボのドゥカン壁画の菩薩が、台座から浮いているのを聞いて驚きました。言われるまで全然気づきませんでした。でも、よく見れば台座や背景と菩薩の描かれている角度が違いますね。天井にもマンダラが描かれているのは、おもしろい。
わたしもはじめは気がつきませんでした。わからないように描いているのは、画家の力量でしょうね。でも、そう思って見ると、何とも奇妙な絵に見えます。人体の表現からは視点の位置があまりわかりませんが、台座の表現方法ではそれが読み取りやすいので、これまでのラダックや中央チベットの作品でも注意してきました。タボや西チベットではそれがとくに特異なのです。タボをはじめ、15世紀頃の西チベットの絵画には、伝統的なラダックの様式と、中央チベットからおそらく伝わった様式が混在していて、おもしろいところです。天井にマンダラを描くのは、チベットではよく見られます。授業で紹介したトゥンガル遺跡の場合、階層的なドーム天井を立体的なマンダラに見立て、そこに当てはめるように、柔軟にマンダラそのものを変形させているところがおもしろいです。一般のチベットの寺院は木造建築なので、天井を碁盤目にくぎって、ひとつひとつの格子にマンダラを描いた例があります。この場合、マンダラは壁紙のような装飾品にすぎなくなってしまいます。天井に描く方法にもいろいろあります。ちなみに日本では、多宝塔の内部空間をマンダラに見立て、内部に安置する仏像と、柱、梁、扉、腰板などに描いた仏たちで、マンダラを作り上げることがしばしば見られます(高野山の金剛三昧院多宝塔、大分の富貴寺大塔など)。マンダラというのはもともと「家」なので、建造物に投影するのは容易なのです。

パドマジャーラで男性の方は四面仏だけど、女性の方は三面仏であるのはどうしてですか。顔の数はかならずしもふたりで一致することはないのですか。また、顔の数というのは、何か身分や地位のようなものを表すのですか。顔が多いほど偉いとかそういうのはありますか。3つめの目を縦に描くのにも理由はありますか。飲んでいる血は人間のものですか。
いろいろな質問があります。まず、顔の数ですが、男性と女性の仏で一致することもありますし、一致しないこともあります。もともとは別の仏なのですから、一致しないことの方が多いでしょう。秘密集会の場合、女尊の特徴が「男尊に同じ」と規定しているためですが、これは一種の手抜きで、他の仏の場合、個別に説明されます。顔の数が身分や地位を表すことはありません。守護尊と呼ばれる仏たちは、もともとは日本の明王と同じようなイメージで、多面多臂であることが普通です。新しい仏を生み出すときには、顔の数を変えることで、オリジナリティーを出そうとしたのでしょう。もともと、顔の数が多いことはインドの神のイメージとしてもよく見られます。仏教とヒンドゥー教との間で、イメージの伝播や交流がおこったのでしょう。三つ目を描くのも、シヴァなどに見られます(縦にする理由はあまり示されません)。血を飲む特徴は、カーリーという、やはりヒンドゥー教の女神に由来します。仏教の仏のイメージを知るには、これらのヒンドゥー教の図像学的な知識も必要なのです。

勝手なイメージかもしれませんが、仏と蓮の花はよくセットで見かけるような気がします。なぜ、蓮の花なのでしょうか(他の花ではなく)。蓮ってレンコンになるやつですよね。
そうです。レンコンの蓮です。インドの美術では、蓮は古くから好まれたモチーフです。仏像が誕生する前から、ストゥーパなどのまわりの装飾に現れます。一般に蓮は生命力や豊穣多産のイメージと結びついています。そのため、ヤクシャや女神、象、樹神など、同じような信仰と結びついたモチーフとともに現れます。仏教で仏たちが蓮の花の上に座るのも、このような古くからの蓮のイメージを背景に持っているのです。とくに、釈迦の場合、舎衛城の神変というエピソードで、釈迦が無数の蓮の花の上に化仏(化身の仏)を生み出すシーンがあり、これが蓮を台座にするイメージの基本にあるようです。無数の仏が蓮から生み出されるというのは、そのまま、蓮の持つ生命力を示す好例でしょう。その延長線上に、極楽の浄土図に登場する蓮華化生があります。

頭蓋骨で血を飲むというのにとても驚きました。やはり敬うためには恐れも必要なのかなと思いました。サンヴァラ・マンダラに限らず、マンダラは複雑なようであり、簡単な幾何学模様としてもとれるような感じで、しかし、層を重ねることによって、ひとつの世界を表しているようでもあります。その地の教徒たちには不可侵で尊い世界があるのだろうと思いました。マンダラの解体の過程で見られる変化(法則の移り変わり)が、おもしろいと思いました。
頭蓋骨で血を飲むのは、たしかに普通じゃないですね。インドやチベットの図像には時々現れるので、私は自然に感じてしまいますが、知らない人が聞いたら、とんでもないことです。「敬うためには恐れも必要」というのは、宗教の核心です。有名な宗教学者のオットーによる『聖なるもの』という本では、そのような畏れ(漢字は「恐れ」よりもこちらがいいでしょう)の感情が「ヌミノーゼ」と呼ばれています。「おどろおどろしいもの、ぞっとさせるもの、それでいて人を魅了するもの」です。マンダラの解体で見られる変化は、じつはこのあとの授業で取り上げるタンカの構造にも関係してきます。同じようなパターンが、マンダラ以外にも見られますので、関連づけて聞いて下さい。

マンダラで輪の形がたくさんありますが、これは卍を意味しますか?先日、古代インド建築で輪の話でも聞いたので・・・。
マンダラの四方にある凸というかたちのことですが、卍と関係があるという解釈をする研究者もいます。しかし、マンダラに関するインドの文献では確認できません。もともとこの部分は、建物の四方に開かれた門を示しています。古い時代のマンダラ(たとえば日本の胎蔵曼荼羅)では、もっと写実的な門が同じところに書かれています。金剛界曼荼羅ができた頃に、このような幾何学的な形態に変化したようです。日本の金剛界曼荼羅でも、一部に同じモチーフが現れます。マンダラの形の持つ意味を知ると、マンダラがさらによく理解できます。以前に授業で紹介した『マンダラ事典』(春秋社)でも説明しています。




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