ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年6月2日の授業への質問・回答


チベットに蛇はいないのではないかと思います。標高が高いので。ネパールの絵師が描くマンダラにこそ、蛇が登場するのかなと考えました。
チベットにも蛇はいるのではないかと思います。チベットでもそれほど標高が高くないところもありますし、蛇によっては標高が高くても生息できる種類のものもいるのではないでしょうか。前に配布した小野田先生の資料でも、転生ラマを意味する「トゥルク」というのが、蛇が脱皮するという言葉と関係するとありました。蛇のようなものとして龍もいます。これはインドのナーガにも、中国の龍にも関係あるようです。前回のマンダラに出てきた蛇は、頭がふたつあって、変でしたね。ヨーロッパでは尻尾の先を口でくわえたウロボロスというのがいます。これとは関係ないと思いますが。

マンダラを見ていて、本当にきれいだなと思いました。円の形や配置など、計算し尽くされた構図のようで感動しました。「ゴル寺のマンダラ集 第7」の色合いもきれいで、万華鏡をのぞいているみたいです。実物を見たら、きっとすごい迫力なんだろうなと思いました。
授業で紹介したゴル寺のマンダラは、私も論文を書くときに実際に本物を見ました。それまで、チベットの絵画にあまり親しみを感じていませんでしたが、この作品には感動しました。この作品を展示した「チベット密教美術展」は、東京の池袋、山口市、千葉市の3カ所で開催され、そのすべての会場で見ています。はじめの池袋(今はなき東武美術館)では単なる見学者だったのですが、つぎの山口市で開催中に、この作品について研究発表をすることになり、急遽、山口県立美術館まで行って、調査をさせてもらいました。そのときには、閉館後の収蔵庫で、写真撮影をさせていただいたのですが、細部まで拡大しても、少しも筆が乱れることなく、丁寧に描かれていることに驚きました。手元にはそのときの写真が今でも残っていて、その後、いくつかの著作や論文で使用しています(たとえば『マンダラの密教儀礼』の表紙)。そして、千葉美市立美術館では、会期中にその研究発表をしました(美術史学会の例会)。もう10年以上前のことですが、思い出深い作品です。しかし、14番以外の作品は私も実見したことがなく、写真でしか見たことがありません。私が博物館の学芸員で、チベット美術の展覧会の監修ができたら、あちこちの博物館などに散らばっている現存の8点を、すべて一堂に会した展覧会をしてみたいです。

ゴル寺のマンダラの話で、マンダラは多くて42、少なくて26ということですが、少なくてとはどういう意味でしょうか。初歩的ですが・・・。秘密集会の手前の仏の首もとに赤と白の顔がありますが、何か意味があるのでしょうか。気になります。
ゴル寺のマンダラについては、説明を放棄したので、不満が残ったと思います。多い、少ないというのは、基本となる26種類があり、その中の一部のマンダラについて、中尊を入れ替えたり、マンダラの仏の数を変えたり、あるいは、同じ経典に説かれている別のマンダラも加えるなどによって種類を増やし、それらを合計すると42種類になるということです。それでもよくわからないかもしれませんが・・・。秘密集会の赤や白の顔が気になったという人も多くいました。うっかり、説明し忘れましたが、これも胴体につながっている顔です。秘密集会阿しゅく金剛も、その妻(触金剛女といいます)も、顔が三つあります。腕は6本で、このような形を三面六臂といいます。顔の色は中心が胴体と同じ色、左右は赤と白ときまっています。触金剛女は、主尊、すなわち阿しゅく金剛と同じ特徴を持つと、文献で規定されているのですが、横顔で表されているため、左右の顔が下にきてしまいます。立体的な構造を平面に表す工夫で、私は慣れてしまっているので、それが自然なように見るのですが、知らない人にはたしかに、謎の顔ですね。

マンダラの数え方が理解できません。あと、祖師とは、その宗派を開いた人を指すのに、サキャ派の祖師図は異なる人物が何人か描かれているのはどうしてですか。本で見ると、その表情や構成がよくわかりますね。神秘的な感じや、独特の迫力が伝わってきてすごいと思った。ぜひ生で見てみたいです。
マンダラについては、やはり、わからないと気持ちが悪いと思いますので、今回、資料を配布します。一般向けに書いたものですから、丁寧に読めば理解できるはずです。ついでに、所収の『インド後期密教』も入手してもらえるといいですね(私のところに在庫があります)。インドの後期密教は研究があまり進んでいない分野で、世界でも類のない解説書です。祖師については若干、誤解があるようで、開祖はひとりですが、祖師はその宗派に属するいにしえの高僧たち一般を指します。浄土真宗でいえば、親鸞が開祖ですが、蓮如は祖師になります。あまり日本では用いられない言葉ですが・・・。生で見ると迫力が違うというのはその通りです。前回から関係する本を持ってくるようにしています。授業の開始までは前に置いておきますので、自由に見て下さい。生にはかないませんが、なるべくいい写真が含まれているのを持ってきます。

秘密集会がいまいちよくわからないのですが、どういう意味なのですか。そういう集会があって、その際に飾るものを秘密集会マンダラと呼ぶのですか。図の秘密集会の秘密集会阿しゅくの絵では、ふたりは接吻しようとしているのですか。それとも抱擁しているだけですか。
秘密集会を取り上げると、何の集会ですかという質問がよくあります。後期密教のマンダラの名称は、中尊となる仏の名前が用いられることが多く、ヘーヴァジュラマンダラ、サンヴァラマンダラ、カーラチャクラマンダラなどはいずれもそれにあたります。それと同時に、そのマンダラを説く経典の名称も、これに一致します。すなわち『ヘーヴァジュラタントラ』『サンヴァラタントラ』『カーラチャクラタントラ』です(タントラというのが「経典」に相当します)。秘密集会の場合も同様なのですが、もともとは『秘密集会タントラ』(サンスクリットでは「秘密集会」は「グヒヤサマージャ」)という経典に説かれています。この経典は後期密教の中でも成立が早いため、すでにそれまでから知られていた仏を中心にマンダラを作っています。そのときの中尊が阿?あるいは文殊です。いずれも大乗仏教の時代から信仰されていた仏です。その後、経典名とマンダラの名称、そしてその中尊の名称が同じであるケースが増えてくると、中尊を阿?とか文殊と呼ばずに「秘密集会」と呼ぶようになったのです。もともと「秘密集会」が何を意味していたかは、経典自体につぎのように説明されています。「身語心の三種が秘密であり、一切仏が集合したのが集会である」。密教的な表現ですが、『インド後期密教』の中で、松長有慶先生は「行者の身語心の三業と仏の身語心の三密が、一体としての集合にいたる行法を説くタントラ」と説明されています。なお、秘密集会とその触金剛女は、抱擁もしていますし、接吻もしていますし、交接もしています。後期密教では男性原理と女性原理によって方便と般若を象徴させ、その両者が結びつくことによって解脱が可能になると考えました。仏の姿はその教えを体現したものです。

後醍醐天皇も信じた立川流は、誰が日本へ伝えたものでしょうか。現在でも立川流は存続していますが、布教組織もあるのですか。立川流と無上瑜伽の教えは関係ないのでしょうか。
立川流と無上瑜伽タントラは、しばしば、関係あるといわれるのですが、実際にそれを検証した研究者はいないようです。立川流は後醍醐天皇以前にも、平安時代末に興り、かなり浸透したようです。その後、密教の中では邪教として弾劾され、ほとんどその生きた伝統は残っていません。そういう意味では、存続していませんし、特定の宗教団体を形成していることもありません。最近、日本史や日本文学では立川流はかなり人気のあるテーマなので、多くの研究があります。神奈川にある金沢文庫には、立川流の文書が多数、残されていることも知られています。私も、昨年度の後期、仏教文化論の授業の中で立川流をあつかったことがありますが、むずかしかったです。そのうち、インドやチベットとの関係も含め、本腰を入れて調べたいと思っています。

仏の顔は正面を向いているのに対し、祖師の顔は横向きに描かれていると思いました。どうしてそのような違いがあるのですか。ちなみに、昔のヨーロッパではキリストは正面画を描けるが、キリスト以外の人物は正面から描いてはいけなかったらしいです。神以外は正面から描いてはいけないというのは、世界共通だったのでしょうか。
おもしろい指摘ですが、チベットでは祖師も正面向きの顔で描かれます。以前に紹介したダライラマ五世やツォンカパ、パドマサンバヴァなどいずれもそうです。授業であつかった祖師像が横を向いているのは、ふたり並んでいるからではないでしょうか。彼らは師弟の関係にあるので、たがいに相手に視線を向けているという状態を、斜め向きの姿勢で表したのではないかと思います。来週取り上げる予定の歴代パンチェンラマの肖像画も、多くは斜め向きです。これは、斜め向きの方が躍動感があるという表現上の理由と、左右に並べるため、右と左で向かい合うようになるという配置上の理由があります。そのため、中心に置かれるタンカ(ツォタンといいます)は正面向きです。なお、ヨーロッパのキリスト教美術で、正面向きがキリストのみというのは、専門ではないのでわかりませんが、必ずしもそうではないような気がします。「昔のヨーロッパ」がいつのことかわかりませんが、たとえば、ローマのカタコンベの壁画には、正面向きの天使や使徒の絵があったような記憶があります。神の礼拝像に、われわれと直面する正面向きの形式がふさわしいのはたしかだとは思いますが。

先週のレジュメの写真22番は、マンダラの一種になりますか。マンダラに使われる形の要素は、円と四角が重要で、なぜ三角がないのかなと以前から思っていたので気になりました。マンダラには円が重要な要素だと思うのですが、円が欠けていてもマンダラと呼ばれたりもするのでしょうか。
22番の絵はマンダラではありません。ネパールでは77歳の誕生日に、長寿を祝って仏頂尊勝の絵を描いてもらって、お寺に納める習慣がありました。これもその絵のようです。仏頂尊勝は仏塔の中に描かれるというきまりがあり、ネパールではとくに無数の仏塔を描いて、その中心の仏塔の中に仏頂尊勝を描きました。塔をたくさん描くのは、日本の百万塔陀羅尼と同じ発想で、それによって仏教が広がることを示したのです。仏頂尊勝も代表的な陀羅尼の仏で、その陀羅尼はアジア各地で信奉されました。マンダラの形ですが、三角のものもありますが、全体は丸で囲まれています。丸は宇宙全体を表すので、どのマンダラでも共通なのです。


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