ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年5月26日の授業への質問・回答


パルナシャバリーさんの説明で「女神+病人→天然痘を意味する」とありましたが、何か関連づけるようなエピソードか何かがあるのですか。
パルナシャバリー(私は「さん」付けにはしません。悪しからず)は、チベットの作品ではなく、インド(現在はバングラデシュ)のもので、比較のための参考例にすぎないのですが、私はインドの密教美術も専門にしているので、つい、いろいろ説明を加えてしまいます。天然痘の神というのは、あくまでも私の推測です。南アジアの女神には天然痘関係の神様がいろいろいて、たとえばヒンドゥー教の神ではチャームンダーが有名です。天然痘は子どもがかかることが多く、そのため、子どもの守り神が天然痘の神であるという二面性を持ちます。仏教では鬼子母神がその代表です。鬼子母神はもとは子どもを食べる悪鬼で、仏教に改心して、子どもの守り神なるという物語があります。私はこれは逆で、子どもに生も死ももたらすことのできる神だからこそ、子どもの守り神になれると考えています。そして、生も死ももたらすことのできるのは「母」のイメージにもつながることから、母なる神として女神が信仰されたのです(くわしくは拙著『インド密教の仏たち』第7章参照)。バングラのパルナシャバリー像の場合、足の下に踏まれている人間に、天然痘のような症状が見られることから、病気をもたらす悪魔のようなものと考えています。これを踏みつけていることで、天然痘撲滅の神と解釈しました。ただし、パルナシャバリーは文献上は天然痘の神とはみなされていません。そもそも、この作品をパルナシャバリーに比定する根拠も、腰に着けた木の葉(パルナシャバリーは「木の葉を衣とするもの」の意)だけで、ひょっとすると知られざる女神かもしれません。いずれにしても、興味深い作品です。

アチャラの姿がおもしろくて笑えました。不動明王の絵を今まで見たことがなかったので、不動という名前からずっしりと座り込んだ姿を想像していました。アチャラは顔は怖いけど、今にも走り出しそうです。マハーカーラのタンカが、とてもかわいくお気に入りです。マハーカーラもパルナシャバリーも、足が短いと思いました。親と子の間で、宗教を継承することはめずらしいのですか?出家する・しないが関係しているのですか。
日本の不動明王の姿は、盤石の上にどっしりと座っています。名前からの想像のとおりです。有名なものでは、東寺講堂の不動明王像(五大明王の中尊で国宝です)、京都・青蓮院の青不動、高野山の赤不動などがあります。中には、空中に浮かんで立っている黄不動(滋賀・園城寺)や、逆巻く波を背景にする信海筆の不動画像などがあります(いずれも立像)。しかし、いずれもチベットのアチャラとは異なるイメージです。不動の起源はけっこうむずかしく、インドの奴婢や下僕と言われますが、具体的にどんなイメージをしていたかはよくわかりません。インドに残る不動の作例はごく限られていて、いずれもチベットと同様、走るポーズをしています。不動については、後期の仏教文化論で半期かけて詳しく講義する予定です。関心があれば、ぜひ受講してください。親子で宗教を継承するのは、めずらしいと言うよりも、仏教ではありえないことです。仏教は出家が原則で、出家するということは、子供を作らないということです(戒律で禁止されています)。サキャ派の黎明期に親子、あるいは叔父から甥に継承されたのは、ご指摘のとおり、出家しない僧がいたからです。初期のサキャ派は在野の(つまり僧院に属さない、在家の)密教行者が中心であったからです。「白衣」(びゃくえ)はその象徴です。なお、叔父から甥に相続される形式は、文化人類学ではよく知られた形態で、世界の広い地域で見られるそうです。チベットもそれに含まれます。

尊像の表現形式を変えるとき、基本的に変えていけない部分と、そうでない部分があると思うのですが、その基準は何にもとづいてい行うのでしょうか。それと、表現する場面の意図の解釈が大きな要素をしめると考えられますが、その範囲はまったく作者の自由に任せられるのでしょうか。
表現形式に変えていいところと変えてはいけないところがあるのでは、という指摘は重要です。変えてよい、あるいは変えてはいけないという規程や規則は、おそらくないでしょう。しかし、実際の作品にはそのようなところが現れます。むしろ、それがどのようなところであるかに着目することで、それを受け入れる側の文化のあり方がわかるのではないでしょうか。なぜ変わるのか(あるいは変わらないのか)ということを説明するためには、いろいろな視点や解釈が必要ですが、その考察の過程が重要なのです。「表現する場面の意図の解釈」というのは、少しわかりにくいのですが、作者の自由な裁量の部分として、形式と意味の両者があるということだと思います。これについても同様で、同じ形式であっても、その意味が異なる場合、それを説明するためには、作品を作る側の文化が重要な役割を果たします。

まず、中央にふたり並んでいるのはめずらしいなと感じました。あと、耳にピアス穴みたいなものが空いているのに、装飾品を着けていないのに疑問を感じました(中央のふたり)。上部には女性を踏む図があってドキッとしました。よくあるものだと聞きましたが、見慣れないものです。あと、上部右にある、おそらく男性と女性の色っぽい絵は何を表しているのかなと思いました。
ふたりの人物を左右に並べるのは、チベットの祖師図で好まれた形式です。日本ではあまり見ませんね。二人は師と弟子であることが多く、師子相承というチベットの仏教が重視する考え方を表しているのでしょう。日本の祖師図としては、たとえば真言八祖のように、単独で描いた絵画をセットにするものがあります。チベットでも、ダライラマやパンチェンラマの歴代を描いたタンカがそれに似ています。耳のピアス穴は仏にも見られます。それにならったものでしょう。菩薩の場合、大きな耳飾りを付けます。仏はもともと菩薩だったので、そのときにできたピアス穴が残っているのでしょう(もちろん、うそです)。女性を踏む像や男性と女性の色っぽい絵は、インドの行者たちです。女性を修行のパートナーとして、さまざまな実践を行ったのです。サキャ派の初期は在家の密教行者が中心と説明していますが、このような実践を行ったから、オーソドックスな僧院の中ではなく、その外でしか活動できなかったのです。日本では異端として弾圧された立川流も、同じようなものです。女性を踏む図がどれを指すかよくわからなかったのですが、このような行者のひとつに、女性を足の下に踏むものがあります。あるいは、サンヴァラの足の下に人物がいることでしたら、ヒンドゥー教の女神です。そうすると、少し別のものになります。

宗教は政治や権力、お金とは切っても切れないものなのですね。マハーカーラの黒い色や、丸い目、厚い唇は、どこかマンガのキャラクターで見たことがあるような気がします。もしかしたら、ここからヒントを得ているのかもしれませんね。あと、スライドで星をかたどったものがあったのですが、占星術とか、行われていたんでしょうか。
マハーカーラは人気ですね。チベットにはいろいろな姿のマハーカーラがあります。星をかたどったものは、ヴァジュラヴァーラーヒーのマンダラですね。上向きの三角と下向きの三角を組み合わせたいわゆる六芒星の形です。これは、ある種のマンダラにしばしば登場する形で、占星術ではありませんが、特定の呪術に関係します。また、この形はヒンドゥー教のヤントラでも好まれ、その場合、哲学的な意味も込められています。六芒星や五芒星(普通の星形)は、ご指摘のとおり、占星術に登場しますが、そもそも占星術が魔術や呪術と密接な関係があります。ヨーロッパの神秘主義や錬金術でも、これらは重要な役割を果たします。インドでも古くから占星術が発達し、中国や日本にも伝わりましたが、密教の一部として伝えられました。宿曜道(すくようどう)と呼ばれます。平安時代の呪術といえば、陰陽道が有名ですが、宿曜道は陰陽道にも影響を与えたといわれます。

情報量が多いです。日本の絵画は(イメージですが)線も色も少なめで、たくさんの色を使ったとしても何か法則性をもってまとまっていることが多いように思いますけど。チベットはそうじゃないですね。
日本の絵画にはたしかに水墨画のようにシンプルなものも多いのですが、一概にそうとは言えません。浮世絵なども、とても複雑な工程で作られ、用いられている色の種類も多いです。仏画に関しても、今ではくすんでしまって、あまり多くの色が見られないものもありますが、もともとは極彩色だったものもあります。絵のもつ情報量も同様で、曼荼羅や来迎図など、さまざまな意味が織り込まれているものがあります。絵を読み解くのはどこの国の作品でもおそらく可能でしょうし、そうすることによって、よりよく作品を理解することができるようになります。

雲気紋を私はずっと水紋だと思っていました。なぜ、水の表現が仏のバックに必要なのかなと思っていたので、気→雲→唐草紋のように見えるとわかって納得できました。雲気紋はどの仏や観音にも使用されるのでしょうか。あるレベル以上の仏のみでしょうか。また、蓮華の花弁の中でも唐草紋が見えるのですが、これも雲気門でしょうか。
授業で雲気紋と呼んだのは、わたしもはっきりそうかはわかりません。インドの美術を見ていると、装飾文様としてこのような文様が現れます。唐草紋と同じかもしれませんが、日本で唐草文様というのとは、少し違うような気がしますので、雲気紋と呼びました(誰かが使っているのですが、確認していません)。蔓草文様といってもいいかもしれませんが、インドでは、雲のような形をしていたり、鳥やマカラのような動物の尻尾が、このような紋様になって広がっていくのが見られることから、「雲」や「気」のようなイメージかと思っています。チベットの雲気紋は、インドからネパールに伝わり、ネパールの絵師が好んで用いたもののようです。ネパール様式が主流だった15世紀頃までのチベット絵画にしばしば見られます。特定の仏と結びついているわけではないようです。蓮台の中の紋様も似ていますが、背景の地にもちいられる形態よりも、巻き方が短いように思います。違う形式としてとらえていたのではないかと思います。ただし、紋様の世界はむずかしいので、私もあまり自信はありません。



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