ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年5月19日の授業への質問・回答


吐蕃期のところで、宗教はあくまで王家のものとおっしゃっていたと思うのですが、当時、民間には宗教はなかったということでしょうか。
王家のものと言ったのは、仏教のことで、一般の人々は独自の宗教を持っていたでしょう。そのようなもののひとつにポン教があり、しばしば「古代チベットの土着の宗教」と言われます。これと、現在のチベットに見られるポン教とは断絶があり、現在のものは仏教の影響を受けた「組織的なポン教」と呼ばれます。古代のポン教がいかなるものであったかは、あまりよくわかっていないのですが、葬送儀礼を中心とした死者のための宗教だったようです。なお、人類が宗教をまったく持たずに生きていくことは、おそらくないでしょう。宗教とは生と死、そして自己の存在を、人間がとらえるありかただからです。人間が生と死と自己を意識する限り、宗教は存在します。

肩からたすきがけにしているひもは、バラモンの人が身につけている聖なるひもですか。それとも別のただのそういうアクセサリーなのでしょうか。とすると、お釈迦さんはもちろんですが、宝生や阿弥陀などインドのバラモンの出身なのでしょうか。
聖なるひもです。このひもはバラモンだけではなく、インドの四階級(ヴァルナ)の上位三階級の人が、成人式(ウパナヤナ)のあとで身につけます。ちなみに、お釈迦さんはバラモン(ブラーマン)ではなく、王侯なのでクシャトリア出身です。仏は通常、出家した身なので、このような世俗的な飾りは必要なく、僧衣を身にまとっただけで表されます。日本人が一般に持っている仏像のイメージです。しかし、密教の時代には、仏の中でも別格の大日如来を、それ以外の仏と区別するために、菩薩のすがたをとらせることがあります。菩薩の基本的なイメージは、出家前のお釈迦さんなので、王侯にふさわしい豪華な衣装や装身具を身につけます。大日如来は金剛界マンダラでは五仏と呼ばれる五人の仏の中心となりますが、大日にあわせて他の四如来も菩薩形をとることがあります。前回紹介した宝生如来も、そのような五仏のタンカのセットのひとつなので、菩薩形で表されていました。なお、仏の体の色が異なることにコメントする人が多く見られましたが、この五仏の特徴として、身色がそれぞれ異なることもあります。白が大日、青が阿?、黄色が宝生、赤が阿弥陀、緑が不空成就です。白や黒はともかく、緑の仏って、かなりシュールだと思います。

着ている服が水着みたいでおもしろいなと思った。蓮の花は全然そのように見えなかった。彫刻では立体的だから、それっぽく見えたから、平面で色とりどりだったから、わかりにくかったんだと思う。
たしかに、肌に密着した衣は、スイミングスーツのように見えますね。このような衣装の表現は、インドではサールナートやマトゥラーなどのグプタ期の仏像に広く見られ、パーラ朝期でも受け継がれます。有名なサールナートの初転法輪の仏坐像などがその代表例です。日本人が見ると、薄衣をまとっただけなので、作品によってはほとんど裸のようにも見えるようです。これに対し、ガンダーラ地方の仏像は、厚手の衣で、襞をはっきり示す様式で、中央アジア、中国のいわゆるシルクロードを伝わっていきます。衣の表現は些細なことのように見えますが、仏像の伝播を知る上で、重要な指標になります。蓮の花の花弁がさまざまな色で塗られているのは、蓮の花が「さまざまな色の花弁を持つ」と、文献に規定されているからです。vi.zvapadmaと呼ばれます。遺伝学的にありえないでしょうけれども。

講義とは関係ないけど、メガネを買いました。スクリーンの図や写真がよく見えてよいですね。ポン教は仏教を強く意識していることが伝わってきたのですが、開かれた当時から、仏教の真似をしていたのですか。そうだとしたら、今で言うところのインチキ宗教みたいな感じがするのですが・・・。仏教画は色づかいが鮮やかで、見ていて楽しい。宝生の仏は異形の仏も見た目の恐ろしさとは対照的に、ほほえんでいるのが印象的でした。
ガネは大事です。ぜひ、この授業ではよく見えるメガネやコンタクトで臨んでください。ポン教については、上にも書いたとおりですが、宗教というのは、多かれ少なかれ、既存の宗教の影響を受けます。インチキ宗教というのは、おそらく新宗教(新興宗教)を指すのだと思いますが、どんな宗教も、生まれたときには新宗教です。仏教もすでにインドにあった思想や宗教を意識して生まれたものです。宗教の研究をするときに、それを産み育んだ文化を知ることが大事なのはそのためです。そもそも、宗教というのは基本的にインチキだと思います(もちろん、人によっては、ですが)。宝生の顔は不気味に見えるかもしれませんが、これも主観の問題で、当時のチベットやネパールの人は、これが崇高でありがたい顔だったはずです。私の個人的な印象では、来週取り上げる15世紀以降の仏の顔の方が、異形に見えます。

ディスクリプションした図の下部にいた六体の神様は、ガネーシャやドゥルガーだと思うのですが・・・このあたりにもインドとの強いつながりを感じます。
たしかにガネーシャはいますが、ドゥルガーはいないようです。一番左が毘沙門天、その隣がジャンバラと呼ばれる財宝神が二体、そして、象の頭のガネーシャが続きます。つぎの黒いのはおそらくマハーカーラで、一番右は女尊のようですが、よくわかりません。いずれも小さく尊名を表す文字が添えられているようなので、現物を見るとわかるのですが、写真図版では小さく潰れて読み取れません。ご指摘のようにインド起源の神様が大半で、その様式もインド、ネパール風です。このようなタンカの下の部分には、財宝神や護法尊などの位が下で、現世利益的な神様が描かれます。画面全体に一種のヒエラルキーがあるからです。後世のタンカでも、様式はチベット、中国風になりますが、同じ種類の仏や神が表されています。

仏画を描く専門の画工集団(工房)が存在したのか。どんな絵の具を使い、何に(紙、布、板、漆喰等)に描いたのか。
工房がありました。先週紹介したあたりの作品は、ネパールの絵師達が描いたものもあります。ネパールからチベットに来た絵師もいたでしょう。仕事があれば職人は喜んでやってきたはずです。タンカは綿布で作ったキャンバスが一般的です。絵の具は鉱物から作った顔料絵の具です。敦煌やハラホトなどの中国領内では、絹が使えたので、絹絵も多く見られます。紙は経典の写本に使われるので、そこに挿絵として描かれた絵画もあります。ただし、ネパールで写本に紙を使うようになるのは、14、15世紀頃からで、それまでは貝葉(palm-leaf)でした。壁画を描くときには、これらとはまったく異なる技法が必要だったでしょう。ヨーロッパのフレスコ画にも似た技法だったと思います。ただし、私も絵画の技法にはあまり詳しくありません。以下のような文献がありますから、参照してください。
小野田俊蔵 1997 「チベット仏画の色材」『チベット仏教図像研究:ペンコルチューデ仏塔(国立民族学博物館研究報告別冊 18号)』(立川武蔵・正木晃編)pp. 359-372。
小野田俊蔵 1999 「タンカの流派と描き方」『シリーズ密教 第2巻 チベット密教』春秋社、pp. 182-200.
ジャクソン、ディヴィッド 2006 『チベット絵画の歴史:偉大な絵師たちの絵画様式とその伝統』(瀬戸敦郎、田上操、小野田俊蔵訳)平川出版社。
ジャクソン、ディヴィッド 2008 『チベット絵画の技法と素材』(瀬戸敦郎、田上操、小野田俊蔵訳)佛教大学アジア宗教文化情報研究所。

私はポン教とはラダックやチベットの土着?(民間?)信仰かと思っていましたが、今日拝見して、チベット仏教美術とほとんど見分けがつきませんでした。もっと、全然違うものかと思っていたので。そもそもチベット系仏教と言うときは、インド系仏教とチベットの土着あるいは民間信仰が結びついたものなのでしょうか。その中で土着性や民間性が強いものがポン教なのでしょうか。
チベット仏教には民間信仰の要素も含まれますが、むしろ、インド仏教の正統的な伝統が、他のどの地域よりもよく残っている仏教です。日本仏教の方がはるかに土着的、民間的な仏教です。ポン教と仏教については上記のとおりですが、ポン教の美術と仏教の美術は、ほんとうに区別がつきません。しかし、よく見るとどこか違うところがありますし、名称も一致しません。ポン教徒は細心の注意を払って、仏教の美術からポン教の美術を生み出したようです。このことは以前、短い論文を書いたことがあります。
森 雅秀 2004 「チベットのポン教における聖なるものの形」頼富本宏編『聖なるものの形と場』法蔵館、pp. 423-451。
なお、ポン教の美術の展覧会が、現在、大阪に民族学博物館で企画されていて、今、準備中です。来年の7月頃開催予定です。私もそのために、ポン教についていろいろ調べています。

今日の宝生如来は、すごく東寺の両界曼荼羅の大日如来に似ている気がしますが、どうでしょうか。とくに連眉とか顔から首にかけてが似ているような気がしました。
東寺の両界曼荼羅は西院本のものですね(以前は伝真言院本とよばれていました)。現存する日本最古の彩色の両界曼荼羅で、国宝です。授業では子島曼荼羅を紹介しましたが、子島曼荼羅も、系統としては西院本につながります。西院本は顔全体が丸いので、輪郭は違うような印象を私は持っていますが、授業で連眉を強調したのは、西院本でも見られ、重要な特徴になっているからです。しかし、照り隈は西院本では見られますが、チベットではあまり用いられていません。丸い大きな耳飾りや豪華なネックレスなどは共通しますね。いずれにしても、よく知っている作品と比べることで、知らない作品の特徴に気がつくことも多いので、これからもいろいろ比較してください。


(c) MORI Masahide, All rights reserved.