ヒマラヤと東南アジアの仏教美術

2008年4月21日の授業への質問・回答


チベットについてほとんど知らなかったが、チベット仏教が世界に大きな影響力を持っていることや、中国と古代から紛争を繰り返していたことなどを知って、とても興味深いと感じた。
チベットについてほとんど知らなかったというコメントが、他にもたくさんありました。じつは私も大学に入ったときはそうでした。仏教を専門にすることは決めていたため、印度哲学研究室に自然に進学したのですが、そこでチベット仏教やチベット語の勉強をするとは、夢にも思いませんでした。そもそも、仏教で必要な言語といえば、サンスクリットかパーリ語でしょう。少なくとも、高校生や大学1年のレベルではそんなものです。チベットなんて、どこにあるのかもろくに知りませんでした(授業で地理を強調したのは、私自身の反省でもあるのです)。その後、チベット人の先生についてチベット語の会話を勉強したり、チベットのマンダラを研究のテーマにしたりするうちに、チベットにずいぶん深く関わるようになりました。それでも、私にとってチベットはどこか異質な世界で、インドや日本の仏教ほどには、どっぷりとその研究に浸ることがありませんでした。インドのラダック、あるいは青海省や四川省などの、チベットの周辺地域に、チベット仏教の調査で行ったことはあるのですが、本場のチベット自治区にまだ足を踏み入れていないのも、そのためです。授業で取り上げるのは、それを何とか克服して、チベット仏教の仏教美術を体系的にとらえたいという意図があります。半年間、おつきあいください。

チベット仏教の布教は日本以外では成功したということだったが、日本に来て布教しようとした人物はいなかったのだろうか。
いなくはなかったようです。たとえば、東京にはダライラマ東京事務所という機関があり、常時、チベットの僧侶がいて、さまざまな布教活動をしています。ここで行われる学習会や、瞑想などの実践に参加する日本人の方もたくさんいらっしゃいます。しかし、その規模はやはり微々たるものです。チベット仏教が日本で大きく広がらないのは、既存の伝統的な仏教がすでに存在すること、もっと実生活と近い教義をもつ新宗教(たとえば創価学会や生長の家)が存在することなどがあげられるでしょう。欧米に比べてチベット人亡命者をほとんど受け入れていないという政治的な理由も考えられます。外来の宗教が日本に広がらない例としては、キリスト教もあります。十分広がっているように思うかもしれませんが、お隣の韓国に比べれば、その差は歴然です。

文成公主の降嫁には、唐の力を見せつけるというか(上手くいえないのですが)そんな目的があったという話がありましたが、吐蕃側からすれば文成公主の存在をもとに、唐から書物や技術を得られそうな気がするのですが、そのようなことはなかったのでしょうか。
もちろん、そういうこともありました。当時の東アジアは中国を中心とした国際関係が確立していました(今でもそうかもしれません)。柵封体制といわれますね。唐の中核をなす正州を中心に、外藩国や朝貢国がそのまわりを囲んでいます。吐蕃はさらにその外に位置づけられ、対敵国になりますが、唐と良好な関係、あるいは対等の関係にあるときには、中国皇帝の子女の降嫁があり、政略的にわたりあいました。ウイグルや突厥、大食なども同じ位置にあります。手元にある世界史資料集(第一学習社)では「中国を中心とする世界帝国の理念は、中国と周辺の夷狄とを差別し分離する中華思想と、いったん分離した夷狄を皇帝の徳によって中国に再結合させる王化思想とが絡み合って成り立っていた」とあります。

ポタラ宮の写真がとってもきれいでした。独特の配色が美しいので、カラーでうれしかったです。
ポタラ宮はきれいですね。山の斜面に立てられているので、壮麗な感じもします。でも、山の斜面にあるというのは、後ろ側が上げ底のようになっているということでもあります。ダライラマ5世がその権力を誇示するためのモニュメントでもあったのです。なお、青い方の写真は松本栄一氏の撮影で、山口瑞鳳先生の『チベット』(下)東大出版のカバーから借用しています。

ダライラマ5世に影武者がいたことや、6世が詩人であったことなど、それぞれのダライラマの政治や人生は、たいへん興味深いと感じました。
ダライラマ5世は、チベット史上最も重要な人物で、徳川家康と聖徳太子と弘法大師を足して3で割ったような人物です(あまり意味のないたとえですが)。悲運のダライラマとして6世も人気があります。6世については今回配布する小野田先生の資料にも紹介されていますが、その詩集が最近翻訳されました。読みやすいきれいな本です。チベット語の原文もあげられているので、チベット語の勉強にもなります。
今枝由郎 2007 『ダライラマ6世恋愛彷徨詩集』(ダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャムツォ著)トランスビュー。

仏教の僧侶は政治や権力者を嫌って、山にこもって修行や説法をしているものだというイメージがあったので、チベットでは仏教の歴史がそのまま政治史になっているのを見て驚きました。
たしかにそうですね。チベットの歴史はそのままチベット仏教の歴史にもなります。宗派については、前回詳しく見られませんでしたが、宗派の勢力争いが、そのまま政権の抗争にもなります。しかし、政治と宗教が密接かつ不可分であるのは、世界の歴史でしばしば見られることで、日本でも奈良時代や平安時代は仏教なしには政治を語ることができません。そんな昔ではなくても、明治以降の国家神道や天皇制も、宗教以外の何ものでもありません。

チベットの歴史については、世界史で軽くふれた程度だった。多民族、多王朝の移り変わる複雑な中国史の一部としてしか認識していなかったが、その中で、高度な文化を発達させたチベット文化には興味がある。
私も高校では世界史をやっていましたが、上にも書いたように、チベットの歴史についての知識は皆無でした。あとで調べると、ソンツェンガンポやツォンカパ、ダライラマ程度は出ていたようですが、すぐに忘れてしまっていたようです。チベットが中国の影響を受けつつも、独自の文化を発展させたことはそのとおりで、授業ではそのうちの仏教美術を見ていくことになります。歴史も中国からではなくチベットから見れば、まったく異なる様相を示すでしょう。というよりも、歴史とはそういうものでしょう。

ダライラマ5世と13世はどうしてひげを生やしていたのだろうか。お坊さんといえば、つるつるのイメージがあるのだけれど・・・。他のダライラマたちがはやしていなかったということは、そのふたりは特異な存在だったのだろうか。
ひげの有無からだけではわかりませんが、特異な存在であったことはたしかです。チベットのお坊さんは一般的に髪やひげを剃りますし、それは日本の仏教でも同様です。日本仏教で、長い髪のお坊さんがいるのは、浄土真宗や浄土宗、日蓮宗など、鎌倉期に現れた新しい仏教の一部です(禅宗は剃ります)。戒律に規定されているからです。でも、暖かいインドならともかく、チベットのような寒い国では、髪の毛があった方が絶対暖かいはずなのですが。

チベットの仏教美術を学ぶ上での前提知識として、歴史の概要を知ることができてよかったです。吐蕃王朝の最初の王は、シャーマン的性格が強かったそうですが、チベット土着の宗教は、どのようなもので、仏教伝来後はどうなっていったのでしょうか。
チベット土着の宗教はポン教(ボン教)というのが有名です。仏教伝来前から人々のあいだで信仰されていたもので、現在でも残っています。しかし、現在のポン教は仏教の影響を受けた「組織化されたポン教」と呼ばれて、古代のポン教と区別されます。現在のポン教は、仏教とほとんど見分けが付かないほど、よく似ています。古い時代のポン教は死者儀礼や葬送儀礼を中心とした宗教であることが、敦煌文書などから断片的に知られていますが、その全体像はよくわかりません。チベットに仏教が伝来したときに、ポン教の神が怒って人々に災厄をもたらしたが、インドから来たパドマサンバヴァという霊能力を持った高僧が、それを鎮圧したという話もあります。ポン教はチベットの宗教や文化を語る上で、とても重要なのですが、まだほとんどわかっていません。なお、金沢大学では文学部を中心に「中国無形文化遺産」に関する大型のプロジェクトが動いていますが、その中で私はポン教の調査をすることになっています。神様の像の写真資料などを集めて、その一部はHPでも公開しています。

チベット仏教がインドにもともとあった仏教に近いというのが、とても気になりました。あと、国際的な広がりも気になります。たしかに、日本でチベット仏教の話はほとんど出ませんが・・・。あと、美術の面ではカラーリングが気になります。とても色鮮やかな(原色っぽいですよね)ものが多いのは、南アジアの地域性なのでしょうか。
日本でチベットが取り上げられないのは、中国との関係を配慮した政治的配慮であり、マスコミの「自主規制」でしょう。ダライラマが日本に来ても、ほとんど報道されません(先日の成田は例外的です)。コメントの後半について、チベット仏教美術を見る日本人が最初に感じるのが、その独特な色彩感覚でしょう。多くの日本人にとっては、これはきつすぎる色遣いに見えます。とくに、古色とか、わび、さびなどに慣れた日本人の目には、チベットの仏像や仏画はどぎつく感じられます。おもしろいのは、そのような宗教図像をおさめた寺院は、荒涼とした景観の中にあることです。外界の色彩は極めて乏しい中で、内部空間は原色で満たされているのです。これは、中央アジアの仏教遺跡などでも共通してみられることですが、砂漠のような単色の世界と、極彩色の仏教美術というのは、対になって現れるのかもしれません。日本の場合はその逆ですね。


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