エロスとグロテスクの仏教美術
2007年12月13日の授業への質問・回答
火と水の関連・・・すごいですね。象系統の神々と孔雀系統の神々という図式もおもしろいと思いました。イメージの上では「火」と「死」という関連はないのでしょうか。これは火葬のイメージからきてるのかもしれませんが。今回のお話だと「生命」よりだったので。地獄の苦に水がないのは「火」より「死」のイメージが弱いからなのでしょうか。どちらにせよ、「死」と「生」のイメージは「火」と「水」くらいに複雑なようですね。
2回分の授業を使って、安産法に関連する仏や神を取り上げました。どちらかというと、象さん系の方に重点が置かれ、孔雀系はあまり詳しく述べられませんでした。これについては私の『インド密教の仏たち』の第3章をお読みください。文殊を中心に死と生に関わる仏たち(およびヒンドゥーの神々)を取り上げています。孔雀が愛欲に関係あることの説明もあります。生/性と死が隣り合わせという発想は、これを書いた頃からありました。火と死の結びつきは、私自身はあまり考えていませんでした。生命力は一種のエネルギーで、インドでは特に熱と結びつきやすいため、死とは逆のように思っていたからです。でも、反対の発想もおそらく可能だと思いますので、一度、いろいろ調べてみてください。
象徴性を取り上げると、二極性や二つセットのもの、凸凹のセットはすべて性的な合致に見えてくるようで、だんだんインド脳(?)になってきたように思います。また、六牙象の牙(命)を欲しがって取ってこさせるところを聞いて、サロメとヨカナーンの物語が思い浮かびました。ラテン語にもaquaとignis以外の「火」と「水」の単語があれば、ぜひ調べて、インドの語彙と照らし合わせてみたく思いました。
すべて性的な合致に見えるのは、なかなか、いい傾向ですね。インド脳かもしれませんが、心理学のフロイトなどもそうです。サロメとヨカナーンの物語は、はじめの頃にお見せしたヨーロッパ絵画の中にも、クリムトか誰かの作品を入れておきました。まさにエロスとグロテスクの世界です。リヒャルト=シュトラウスのオペラに「サロメ」がありますが、サロメにエロティックなイメージを持たせる演出もしばしば見られます。水と火の語彙の話は、風間喜代三『ことばの生活誌 インド・ヨーロッパ文化の原像へ?』(平凡社 1979)で知りました。インド=ヨーロッパ語族の豊富な例がのっていますので、ぜひ参照してください。それ以外の章もとてもおもしろいです。
孔雀や象のシンボル性がおもしろかった。普賢菩薩は専門の能の授業で、謡曲の中で象に乗って出現してきたので、この授業の話とリンクしてるなぁと思った。日本には象という動物はいなかったはずなので、インドから仏教が伝わってきたことが明らかに分かると思った。今のところ、謡曲に孔雀は出てこないので、今後もチェックしたいと思いました。
私は能や謡曲の知識がほとんどないので、象に乗った普賢の出てくる謡曲を知りません。そのうち教えてください。孔雀も探せばいるかもしれませんよ。別々の授業の内容が偶然リンクしているのを発見するのは楽しいことだと思います。他にもいろいろあるといいですね。象が日本にいなかったのは確かですが、象のイメージは古い時代からかなり正確に伝わっていました。耳の形が袋状になるなどの変形も見られますが、けっこう本物に近いイメージです。その点、獅子や麒麟などとは異なります。江戸時代には実物の象が南蛮船に乗ってつれられてきて、見せ物にもなったようで、そこではきわめて正確な象が描かれました。
象や孔雀、蛇など、それぞれの動物の示すシンボルの話がおもしろく感じました。私は象というものに対して、神の使い、神の乗り物といったイメージが強かったので、男根の象徴という考え方には驚きました。その反面で、清純を表すものであるという二面性があるように感じられました。蛇に関しても「清」と「エロス」といった、どこか対立したものを内包しているようにも思われ、興味深かったです。また、釈迦の誕生話では、釈迦が生まれた場所だけでなく、入胎したのも脇だというのが印象深かったです。普通に受胎したものだと思っていました。
動物のシンボリズムの話は、たしかにおもしろいですね。インドの神々や仏教の仏たちを見る場合にも、どのような動物と関係するかで、その性格や出自が分かることがあります。象と孔雀以外にも、ライオンや蛇なども重要な動物です。「対立したものを内包している」というのは、宗教をとらえるときに重要な視点となります。人間はものごとを二元的(善と悪、正と負、聖と俗など)にとらえる傾向があります。宗教もそうですが、さらにそれを解消する(哲学でいえば「止揚する」)ことで、別のレベルに移ることができます。両義性などはその典型です。
象や孔雀や蛇など、信仰されたり、よく出てきたりする動物は、見た目の特徴が顕著だと思った。孔雀も登場するのはオスだけだし、象も鼻が異常に長い。キリンがいたら、絶対普賢もキリンに乗っていただろう。たとえば、ビーバーとか地味な動物は、何があっても信仰の場には出てこないのでしょう。水と関係あるのですが。
たしかに、とりあげた動物には変わった姿のものが多いですね。キリンは想像上の動物として、中国では流行しましたが、インドにはいません。普賢はすでに象に乗っているので、別の菩薩の乗り物がいいと思います。ビーバーが地味かどうかは分かりませんが、もっと地味なネズミは、ガネーシャの乗り物になります。アフリカではセンザンコウという動物が「聖なる動物」見なされることがあるそうです。この動物は鱗状の皮膚を持っているそうで、異様な姿というよりも、両義的な存在であることが重要と考えられています。蛇も両義的な動物です。
象さんの下にいっぱいミニ象さんがいたのはかわいかったですね。この話を聞くと「もののけ姫」を連想しちゃうんですけど。あれは、シシガミが歩くたびに、足下から植物が生えてくるんですけど(でもあれは、命を吸い取っているんだっけ)。動物のイメージは洋の東西問わず、共通している部分が多いですね。
シシガミに言及してくれた方が、他にも数人いました。私もめずらしく「もののけ姫」は見ているのですが(他のジブリはほとんど見ていません)、宗教学的にもなかなかおもしろいですね。そうとう気持ち悪いという気がしますが。「命を吸い取っている」のと「命を与える」というのが同じというのも、なかなかするどいと思います。私の持論に「殺す神」と「産む神」は同じというのがあります。それが、この授業でもエロスとグロテスクを裏表の関係でとらえる基本的な考え方となっています。
神話の要点をかいつまんで説明してもらっているからかしれませんが、神話の登場人物の人間くささやありえなさが、コミカルだと感じてしまいます。むかしの人は「おもしろおかしい」と思ったりはしなかったでしょうか。また、今日のレジュメの孔雀明王の絵は、引き込まれますね。どことなく怪しい感じが魅力的でした。
神話は神話ですから、やはり本当は厳粛なものかもしれません。コミカルに感じられてしまうのは、私の紹介の仕方が悪いからとも思います。でも、厳粛なものであるからこそ、別の文脈で取り上げると、コミカルになることもあるようです。それはともかく、いろいろな意味で神話はおもしろいですから、関心を持って読んでみてください。私の紹介とは全然違うという印象を受けるかもしれません。それでも、だまされたとは思わないでください。
象の足跡から蓮華が生まれ、さらにまた象が生じるというイメージは、カーリーが戦った血のクローンのラクダビージャにも通じると思った。神話に登場する動物が特定の限られたものというのはおもしろいと思った。
ラクタビージャは私は忘れていましたが、興味深い指摘です。血と蓮華も、どこか通じるところがあるような気がします。安産法のイメージと、戦う母神のイメージが共通するのですね。
「密教」と聞くと、国家が容認できない、または民衆が政府に隠れて信仰する宗教みたいなのをイメージします。その「密教」で行われる加持祈祷が、政府(朝廷)の「仕事」として行われたというのを聞いて、少し違和感を覚えました。私は「密教」なるものを理解できていないのだと感じます。
おそらく、密教をオカルトや神秘思想ととらえているからだと思います。平安時代の初期に空海と最澄によってもたらされた密教は、国家の根幹的なところに関わる重要な宗教でした。鎮護国家という用語も聞いたことがあると思いますが、天皇を中心とする国家や王権が密教を必要としたのです。空海などはそのことを十分自覚して、唐にわたって真言密教を学んできたのです。今回も平安時代の密教を取り上げますが、そのようなイメージを持って、講義を聞いてもらうといいでしょう。
今日の資料の後ろのほう、象徴辞典(すみません。名前の記憶が曖昧で、正しくないと思います)は、非常に興味深かった。蛇はたくさんの意味を含んでいるのですね。蛇の姿(手足がなく、身をくねらせて移動する様子)や、何でも丸呑みにしてしまう様子を思うと、恐怖的(?)なイメージを起こさせる象徴である方が多いと思ったんですが、それのみでなく、性的な象徴にもなりうることに驚きました。あのくねくねした感じがそう思わせるのでしょうか。以前「夢に蛇が(白?)出てくると妊娠を意味する」と聞いたことがあります。今日のこの資料を読んで思い出しました。
シンボル関係の辞典はいくつか出ていますが、私の手元にも以下の3種があります。
クーパー、J.C. 1992 『世界シンボル事典』岩崎宗治・鈴木繁夫訳 三省堂。
シュヴァリエ、J.他 1996 『世界シンボル事典』大修館書店。
フリース、A.D. 1984 『イメージ・シンボル事典』山下主一郎他訳 大修館書店。
どれも読み物としてもおもしろいです。ただ、授業でも言いましたが、これらに載っていることは、あくまでも簡便な情報源であり、何かを論証する典拠とはならないことです。つまり、「ヘビは〜の象徴である。この「シンボル事典」に書いてあるから」という論証は、レポートや卒論ではできません。何かを調べるときの指針程度に使うといいでしょう。ヘビに性的な象徴を読み取ることは、かなり普遍的に見られるようです。夢と結びつくこともあるのでしょうね。
日本では普賢菩薩と遊女に深い結びつきのある作品が多くある(遊女が普賢菩薩になる)が、親しみやすい仏だったのだろうか。夏休みに京都で孔雀明王を見たが、すごい迫力だった。
普賢菩薩と遊女が結びつくのは、室町か江戸時代かと思います。西行伝説の「江口の君」がその典型です。象に乗った遊女の姿で描かれた江戸時代の絵画もあります(有名なものとして円山応挙の作品)。遊女と普賢の結びつきも、これまで見てきた象や普賢延命法と関係があるのではと思いますが、詳しくは分かりません(昨年度の同じ仏教文化論は弥勒、文殊、普賢がテーマで、このことも取り上げました)。
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