浄土教美術の形成と展開

2008年1月28日の授業への質問・回答



終わりにあたって

 
浄土教の美術をテーマにした今期の授業も、無事、終了しました。いちおう、予定していた項目はすべて取り上げましたし、皆さんの出席率も良好でしたので、よかったと思います。ただ、はじめの予定では、最後にまとめとして1回分予定していたのですが、途中で1回遅れになったため、それができませんでした。最後に授業全体を見直すことは重要なので、残念なのですが、皆さん自身でふりかえってみてください。毎回配付した資料をざっとご覧になると、いろいろ思い出すことがあると思います。第一回の授業(オリエンテーションの次の回)で、これから取り上げる作品のハイライトをパワーポイントでお見せしたので、その資料だけでも見ておいてください。
 自己評価的に私自身も授業をふりかえってみると、全体を通して、インドから中央アジア、中国、日本へといたる浄土教の大きな流れと、とくに日本の浄土教美術の代表的な作品を紹介できたのはよかったと思います。また、浄土教の美術が単に仏教の特定の教えを示す絵画や彫刻ではなく、その国や時代の文化や信仰と強く結びついた表現形式であることも、くわしく見ることができました。日本においては、浄土が自然の景観と融合していくことなどは、その典型です。さらに、迎講や臨終行儀のような儀礼・儀式と、美術が密接な関係にあることも指摘しました。美術というのは、単に鑑賞したり、礼拝するだけのものではなく、もっと積極的に我々から働きかけるものなのです。
 その一方で、個々の作品をじっくり読み解くことや、その歴史的な背景にまで立ち入ることは、あまりできませんでした。これは、美術史研究の醍醐味なのですが、表面的な紹介にとどまったことは残念でした。また、浄土教の思想、とくに親鸞や法然の救済論は、日本の浄土教のもっとも重要な側面なのですが、これにもほとんどふれることができませんでした。さらに、最終回で取り上げた、浄土教美術と密教美術の不可分なところは、私自身、強い関心を持っているのですが、これについてもまったく不十分です。いずれも、将来の課題として、機会を見つけて論文や授業で取り上げようと思っています。
 最終回の質問や感想は、原則として全員の方のものを紹介しています。そのぶん、私のコメントは比較的短いものになっています。

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平等院には行ったことがないが、先生がおっしゃるようにイメージよりは小さい(迫力のない)ものなのだろうか。中尊寺は遠いので行くのは難しいが、平等院は一生に一度は見てみたい。写真のイメージはよく見えるのが常なのかもしれないが。
平等院は、ほんとうに簡単に行くことができますので、行ってみてください。中尊寺も観光地ですから、それほど不便ではないです。東北方面に行く機会があれば、ぜひどうぞ。金堂も「こんなに小さいんだ」という印象を受けるでしょう。

宇治平等院の写真を見て、意外と中が空間だらけですっからかんだったのが印象的だった。浄土の姿をそのまま表したということだからもっと、装飾やさまざまな物があってもいいのではないかと思った。
構造としては、浄土図に描かれた極楽の楼閣と同じです。でも、実際に見ると、極楽ってこの程度?という感じでしょうね。創建当時の人々にとっては、それなりのインパクトはあったはずですが。

平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩は、配置のバランスがバラバラで、なんでだろうと思いました。補作をいれるために無理にいれたのでしょうか?
どうなのでしょうね。私自身、もとの配置がよくわかっていないので・・・。置き方によっては、絶妙なバランスになるような気もしますが。

これまでは仏教美術、古寺めぐりというと仏像、建物、庭園などが中心でした。浄土教美術の授業により仏画、特に来迎図に興味を覚えました。来迎図の図像的な意味、変遷、その背景にあるものなどを学び、新しい楽しみが増えました。
美術は奥の深い学問です(たいていの学問は奥が深いですが)。それまで知らなかったことがわかると、同じ作品が違って見えてきます。ぜひ、いろいろ知っていただきたいです。

もしかすると、2月中に岩手に行くことになるかもしれないので、できれば中尊寺にも行ってみたいと思います。以前岩手に行った時は、平泉のパーキングエリアに停まっただけだったので。今回が駄目でもいつか行ってみたいです。平等院もいつか。何度も京都には行っていますが、確かに京都駅より南にはあまり行ったことはないですね。
ぜひどうぞ。

平等院鳳凰堂はさまざまな阿弥陀だけでなく、浄土教美術にあふれていて、まさに極楽浄土をあらわした建築物だと感じた。私は、この授業で初めて仏教について学んだのですが、単なる神秘的な世界ではなく様々な仏教の思想が反映されているし、また時代の移り変わりによって、仏教の思想も変化したり多様になっていくのが奥深かった。
そうですね。浄土教の建築を最後に取り上げたのは、建築というのが美術や思想、文化などの集大成的な存在だからです。また、平安時代の浄土教が、密教と密接に結びついた重層的、総合的な信仰形態であることも指摘したかったためです(上記のように、くわしくはお話しできませんでしたが)。

落書きの多さにおどろいた。昔はここまでたやすく入れる状態だったんだろう。礼拝しましたよ、とでも書いてあるのだろうか。
浄土教と密教の重層的な信仰とあったが、成仏するためにさまざまなことを必死でかき集めてやっているという印象を受けた。極楽往生に対する執念はすごい!
金色堂は金閣と同じくただの成金趣味かと思っていたのでびっくりした。建物込みで法を行なうという考えはなかったので、これからは金ピカでも不謹慎だなとは思いません(笑)
私は建築などの空間に関心があるので、美術作品があるときに、それが置かれた場所に興味を覚えます。頭の中でその空間を再現してみたりします。一般に儀礼研究では、次第、つまり順序が問題にされますが、私はそれにくわえて、どのような空間で行われたかも重要だと思っています。

中品下生の絵と後壁画の関係は興味深いと思った。密教と融合した浄土教美術もあるなんてとても幅広い。
そうですね。融合というよりも、浄土教を生み出した背景に密教もあったということかと思います。

平等院の九品来迎図は、単なる浄土教の寺院ではないということが驚いた。源信以下の天台浄土教の影響、いいかえれば源信の思想を反映し、「浄土」というものを「この世」に見出そうとした、自然との調和は、この平等院においてはもはや浄土を表すのだと思う。
後世の「浄土=自然」が、すでにここに見られるのかもしれません。

この講義で見た作品の中には、高校の資料集などで見たものも多かったのですが、高校での型にはまった説明と異なる、いろんな説明、見方があることを知って新鮮味を感じました。
それが大学の授業のおもしろいところです。それでも、私が授業で紹介したことの大部分は、この分野では定説になっているものです(最新の成果も紹介していますが)。皆さん自身でも、新たな発見ができるはずです。それによって、学問は進んでいきます。

たしか最初あたりの授業で雲中供養菩薩を見ましたが、壁についているとは思いませんでした。
私が平等院に行ったときは、鳳凰堂の内部には入れませんでした。一度、供養菩薩が懸けられた状態で見たいと思っています。

平等院鳳凰堂は私も行ったことがありますが、確かにその名前やイメージ(極楽浄土)というには物足りなかった印象でした。池に面して立てられている鳳凰堂はまるで極楽浄土への門のようにも見えると思いました。
門というのはそのままの印象でしょうね。奥行きがほとんど無いのも、特徴的です(尾廊は別にして)。

六地蔵がなんだか気持ち悪かったです。地蔵って小さいイメージだったので驚きました。
同じものが並んでいるのは、気持ち悪いかもしれません。六地蔵は六道輪廻の救済者であるからです。

4限で仏伝を聞いていると阿闍世王が成仏し、しかもそれをしたのがシャカだということにおどろきました。
阿闍世王が成仏するというのは、私もよく知りませんでした。しかし、浄土教ではひとつの重要な考え方のようです。最悪のものが救済されるという考え方は、ほかにもデーヴァダッタ(提婆)にも見られます。仏の全能性を示すために導入されたと見ることもできます。

阿弥陀如来坐像は中間レポートで調べたが、胎内の月輪についてはその意義がよく理解できなかったのであまり触れられなかった。阿弥陀像の中にこれを入れたのは、往生を願う人々がこの月輪のように乱れない心を持って臨終を迎えるように、との思いがこめられているのかもしれないと、本日の授業を聞いて思った。阿弥陀如来といえば浄土教的なものと思っていたが、その内部に月輪のような密教の要素が入っていることは、より好ましい往生を求める人々の真剣さが見えるような気がする。
おそらく、鳳凰堂の内部で密教の観法を実践していたのでしょう。鳳凰堂は外から見れば、極楽浄土、中に入れば修法の空間という、二重性をそなえているようです。

金色堂の金色が舎利をイメージしているというのが印象に残った。一度行ったときには正面に見える阿弥陀しか印象が強かったけれど、横から見ると柱などの細工も凝っていてよいと思った。清衝の曼荼羅が密教と関連しているのも驚いた。
清衡の曳覆曼荼羅については、私も関心を持ちました。遺体を曼荼羅で覆うという発想は、インドやチベットにはあまりありませんが、特定の曼荼羅を死者儀礼のために作ることがあります。荼毘の火の下に曼荼羅を描くこともあります。どこか共通するところがあるようです。

密教の要素が今日紹介された2つの寺院にある、というのが驚きだった。密教といえば派手な色彩表現をとる、という印象がある。金色というのも派手だと思われる。金色も密教的要素の一つだろうと思った。
密教で色彩が重要であることはそのとおりです。浄土教で用いられる色彩も、大部分は密教と共通しているのではないかと思っています。臨終行儀の五色の糸などもそうで、五智如来の色と一致します。

法成寺金堂は当時の人々の信仰が全て集合・集約されているものだとあったが、末法という世の中においては、何においても救われたいという民衆の思いもあって、それに答えたものだと思う。九品往生に差がないのも、それと同じことだと思う。
九品往生の図に差がないことは、授業では詳しく取り上げられませんでした。頼道をはじめとする貴族たちが、上品上生よりも中品や下品の往生を願ったため、それを豪華にして、差をつけなかったという説もあります。


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