浄土教美術の形成と展開

2008年1月21日の授業への質問・回答


四門出遊のエピソードは、釈迦が僧となるきっかけだったと思っていたのですが、帝釈天や梵天によってわざとさせられたことだったというのが意外でした。まぁたしかに、門を出て人間の四つの苦しみに出会うとは、少し都合がよすぎると思いましたが。ということは、この話はあとから作られた伝承なのでしょうか。
おそらくそうなのでしょう。でも、釈迦の物語は基本的にすべてあとから作られた伝承です。本当の釈迦の生涯など、どこにもないのかもしれません。そもそも、歴史というのはそういうもので、史実というのはフィクションです。事実を後世にありのままに伝えることなど、不可能なのです。梵天と帝釈天は仏伝の常連です。このほかに四天王もよく現れます。ヒンドゥー教の神には、他にもいろいろいるのですが、登場しません。どうしてでしょうね。

二河白道図で、手前の河岸で釈迦如来が見送り、彼岸で阿弥陀如来が招くとあるが、この構図は、本当に「苦」とか「辛」というイメージが伝わってくるものだと思う。なぜ来迎図とは違い、二河白道図では、如来たちは応援し、招くのみで、一切、手を加えてあげないのかが疑問だった。
釈迦や阿弥陀が二河白道図の中で何もしていないのは、それすらも必要ないということでしょう。行者が勇気を持って白道に足を踏み出せば、速やかに浄土に往生できるのですから、あえて手を貸すこともないのです。むしろ、絶対他力を信じることの方が重要で、それだから、旧仏教の人々が呼び戻す姿も重要になります。仏教の伝統から見れば、圧倒的に旧仏教の方が正統的です。

二河白道図の表現しているものは、バランスだと思った。手前の河岸側に描かれているのは、生老病死で、生きる苦しみ、彼岸は極楽浄土であり、生と死を分けている川のようにも見えるが、二河白道というそれ自体が、困難でバランスをとらないといけないものであって、そこに踏み込まないものは苦しみ、踏み込み、しかもそり越えられたものだけが楽を得られる。人の生き方はかくあるべしということを表していると思いました。
二河白道図がバランスというのはおもしろい指摘です。はじめて私が二河白道図を見たときは、画面を区切る領域があまりに人工的で、絵画としてはかえって不自然なように感じました。中心の二河白道のところなど、わざとらしいとさえ思いました。二河白道図の中でも、上部の極楽浄土の部分が大きく描かれるようになったり、全体が斜め構図になって、景観のように描かれるのも、このような不自然さやわざとらしさを緩和するための方策だったのではないかと思います。その場合、バランスをとるという意図は、後ろの方に追いやられてしまっているようです。

四苦が四門出遊にもとづく話だというのは聞いたことがあるが、残りの四つの苦にはもとになる話などはあるのだろうか。
四門出遊にあたるような物語は、残りの四苦にはありません。ちなみに、残りの四苦は愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦です。六道絵の人道には、これらも絵画化されていますが、特定のエピソードがないため、愛別離苦は戦に出かける武将とその家族、怨憎会苦は戦場のシーンなどになっています。なお、生老病死のうちの生は、本来は生きること自体が苦しみなので、表現しづらいのですが、これを誕生と見なして、出産の苦しみとします。これは母親側の「産みの苦しみ」よりも、生まれる子供の苦しみが意図されています(実際の絵ではそうではありませんが)。出産のシーンは、六道絵以外にも、前回紹介した餓鬼草紙や、その他の絵巻物にしばしば描かれます(たとえば北野天神縁起絵巻)。四門出遊では老病死は同じですが、残りのひとつは生苦ではなく、出家者と会うということになっています。四門出遊の図像も同様です。

二河白道図はさまざまな典拠があることがわかった。それにしても、往生者が通るところに水のモチーフが使われるのはなぜだろうか。水は自分の姿が映るものだから、本来の自分の正体を自覚するという意味もあったのだろうか。
そのような解釈があるとおもしろいのですが、そうではないようです。二河白道図の水は実際は激しく打ち寄せる水と燃えさかる火で、いずれも表面に何かうつすような穏やかなものではありません。ただし、静かな水面に映る月などが、悟りの境地を表すことは、日本仏教では好まれた喩えなので、どこかつながりがあるのかもしれません。実際には火であるのに、河と呼んでいるのも気になります。なお、水が自分の正体を写すというのは、精神分析家のユングが好んで用いた考え方です。自分の正体は「ペルソナ」といわれます。

二河白道は真如中道のように、真ん中に道がある。それは、苦しみに挟まれる人生を表しているように見えた。とすれば、この世と浄土を区切っているのが二河となり、二河を人生と見るなら、浄土はこの世、私たちの生きる場所にはないということになるのだろう。独特な絵だと思った。
私は二河を死後の世界、とくに地獄と解釈しましたが、そのような見方も可能かもしれません。その場合、現実の苦の世界と浄土という二つの世界だけで構成されて、その間の移動が悟りや救済になります。死後の世界をたてると、両者の間に一種の緩衝地帯をもうけたことになります。二河白道図をどちらと見るかは、見る人の立場によって異なるのでしょう。もっとも、六道絵や地獄図で見たように、死後の世界が景観のように表現されること自体、現実の世界に置き換えられたからとみなすこともできるでしょう。

なぜ「火宅の喩え」がここで使用されるのだろう。四苦八苦でもよさそうなのに。ここで、「火宅の喩え」が描かれた理由がよくわからない。地獄絵と二河白道図は極楽往生という目的は同じだが、それを達成するまでのプロセスが、あまりに違う。方や自分の犯した罪に応じた責め苦を負わねば、極楽に行けず、方や、誘惑に耐え、白道から落ちなければセーフという、ある意味、雲泥の差だと思う。この二つは矛盾というか、お互いかみ合わないように思えるのだが、どうなっているんだろう。地獄絵の最後に河と橋を渡る描写があったが、二河白道図はそこに対応するのだろうか。
「火宅の喩え」については、法華経の挿絵としてよく知られていたことが重要でしょう。この世の苦しみを示す喩えとして、法華経を通じて人々に知られ、さらに、経典の挿絵としてイメージが浸透していたため、それを流用することのメリットが大きかったと思います。法華経信仰は平安時代以来、貴族の人々の仏教の根幹をなしていました。地獄絵と二河白道図の違いはその通りですね。最後の河と橋に対応するというのも、私の解釈と同じです。二河白道図の左右の苦しみは、地獄のエッセンスとして選ばれたものと思っています。地獄絵の中に道が現れたことや、迎講で来迎橋が用いられたことともつながりを感じます。

なぜ、二河白道図の左側は、殺されそうとする自分なのでしょうか。そのようなものを見せられたら、むしろまっすぐ進みたくなるような気がするのですが。
たしかにそうですね。こちら側は、無理やり引きずり込まれるという感じでしょうか。反対側は、うっかりそちらに魅せられると、足を踏み外すというイメージです。どちらも危険です。


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