浄土教美術の形成と展開

2008年1月7日の授業への質問・回答


六道の絵は今まで見てきた来迎図と比べ、真逆のような残酷さがあって、同じ宗教なのにこんなに異なる教えが存在知ることに驚いた。しかし、絵自体を見てみると、そこには来迎図と同様の景観が描かれている部分(木や川)があったり、最後が阿弥陀の来迎で締めくくられているところなどを見て、つながりを感じることができた。
六道図と来迎図が逆の関係にあるというのはおもしろい指摘です。図像上のつながりがあることは、授業の流れで当然意識していましたが、正負や正逆というとらえ方は、それを一歩進めているように思います。もともと、六道絵は源信の『往生要集』と深いつながりがあり、六道絵の中の多くのモチーフが、この文献を情報源としています。その一方で、源信は日本の浄土教のルーツのような存在ですから、来迎図も六道絵も同じ起源を持っているととらえることができます。両者は目指す方向が逆であっただけで、最終的には同じゴールにたどり着いているのでしょう。宗教に限らず、逆は真なりというのは、いろいろなところに当てはまりますが、この場合もそれにぴったりのような気がします。

地獄に門をもうけるのは、現世と区分するためだろうか。異界としての境界を表現しているにしては明確に分けている点がおもしろい。門を入るのを願う人はいないと思うので、逃げないための隔壁だとしても、越えるほどエリアーはあまり大きくはないのだろうか。地獄と極楽の面積を想像してみると、その対比はどうなのだろうか。
聖衆来迎寺の地獄の輻には、たしかに城壁と門があります。現世との境界は死出の山や三途の川がありますので、地獄の内部を区切るための設備と思われます。刑務所の壁を連想しますが、それよりも、地獄が十王の居城であるという中国的なイメージと関係するのではないでしょうか。地獄図には目連のエピソードが描かれることがありますが、その場合は、地獄に堕ちたわけではない目連は、城郭の中に入れず、その外で鬼と対面しているようなところもあります。なお、聖衆来迎寺本以外の六道絵には、あまり城壁や門は描かれません。これも、自然の景観の中に埋没した地獄には、都市のイメージである城壁や門は、すでに必要がなかったのかもしれません。地獄と極楽の面積は比べることができません。仏教のコスモロジーでは、地獄は娑婆世界の地下にありますが、極楽は阿弥陀の仏国土で、まったく別のところ(西方遙か彼方)にあります。我々の世界の上には極楽ではなく天があり、その面積は基本的に地獄と同じ広さです。

六道絵の中には同性愛(男色)で地獄に堕ちている亡者もいることについて、日本は男色におおらかというか、推奨するような風潮が昔からあったと記憶していたのですが、男色を禁とする時代もちゃんとあったのだなと思いました。
六道絵は『往生要集』やその他の仏教経典にもとづいているので、かならずしも日本の倫理観が反映されているわけではありません。男色のものが堕ちる地獄については、これらの文献の記述を絵画化したものです。インドや中国では同性愛はおそらくタブーだったでしょう。日本では同性愛、とくに男色に寛容であったという説は、しばしば目にしますが、実際はどうだったでしょう。寺院の内部のような特殊な空間では見られたかもしれませんが、やはり、社会全体では異端だったと思います。『好色一代男』の世之介が、女性ばかりではなく、和歌集とも数多く交わったことを自慢する場面がありますが、それもフィクションだからではないでしょうか。いつの時代にもホモセクシャルな思考を持つ人物がいるはずで、それが推奨された時代は、日本においてもおそらくなかったのではないかと思います。

迎講で仏像の中に人が入るとは、罰が当たりそうだが、観客の人々にとっては超現実的で印象深いものになったのだろう。山越阿弥陀において、山は仏と人々を遮るものと同時につなぐものと考えられるが、仏が遠い世界であるというよりは、むしろ逆に導かれれば到達できる世界というイメージを強く感じた。
迎講で阿弥陀如来の中に人が入るのは、最初からそのように作られた仏像なので、おそらく罰が当たるという意識はなかったと思います。二十五菩薩などに人々が扮するのと同様に、阿弥陀そのものも人間が演じることで、リアリティを生み出したのでしょう。この仏像は普通の仏像ではなく、とても薄く作られているので、それほどの重さはなく、中に人が入っても外が見える穴があったり、支える棒が中に渡してあったりして、工夫が凝らしてあります。超現実的であるとともに、そこに阿弥陀がいらっしゃるという現実感も生み出したでしょう。山のとらえ方はその通りだと思います。すぐに到達できる世界であり、さらに、この現実世界がすでに極楽ということになります。

今、京都国立博物館で山越阿弥陀の禅林寺本と京博本が出ているようなので、今週末、出かけることにしています。
京都国立博物館のHPで私も確認しました。確かにタイミングよく展示されています。来月の三日まで常設展の絵画のコーナーにあるようですので、じっくり見てきてください(これを読まれるときにはすでにご覧になっていますね)。私も2月1日に京都に行く予定なので、ぎりぎりですが見てこようと思います。

なぜ悟りの境地とかは月にたとえられるのでしょうか。山越も月ですし。月は満ち欠けがあるからですか。
月を悟りの境地と見なすのは、密教の中でも『金剛頂経』の伝統です。この経典の冒頭には、五相成身観という瞑想法があり、そこでは月の中に大日如来を瞑想します。月そのものが大日如来のシンボルにもなり「月輪観」という行法もあります。満ち欠けがあることも月の重要な要素ですが、これはむしろ女性や生殖と結びつけられることが多いようです。月の瞑想では満月のみで、三日月や半月は瞑想の対象とはなりません。五相成身観については私の『仏のイメージを読む』の大日如来の章で詳しく取り上げています。

赤ん坊はすぐ極楽に行けるのだろうか?生まれたばかりだと罪を犯すヒマもないと思うので、直接、極楽に行けそうなものなのだが。「蜘蛛の糸」でも仏(阿弥陀?)が蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを救おうとする有名なシーンがあるが、往生の際の五色の糸にとても似ているなと思う。来迎図でもそうだが、観音は来てはくれるが、結局、自力救済なのかもしれない(カンダタも自分で登らなきゃいけなかったし)。
赤ん坊は確かに罪は犯していないはずなのですが、「親よりも先に死ぬ不孝」を犯しています。もちろん、これは中国的な発想(とくに儒教の忠孝思想)が背景にあり、必ずしもインドまではさかのぼれませんが、賽の河原で石を積み、その不孝を償い、地蔵に救済されるというイメージは、日本人の間に浸透しています。「蜘蛛の糸」は阿弥陀ではなく、お釈迦さんです。蜘蛛の糸は極楽の蓮池にいる蜘蛛からとったもので、だいたい、極楽にお釈迦さんがいるのがおかしいですし、蜘蛛のような他の生物を捕食する生物もいるはずはありません。でも、芥川の「蜘蛛の糸」も日本人の極楽や地獄のイメージに大きな影響を与えているようです。読後感の後味の悪さは、さすがに芥川です。

存在がなくなることが一番恐ろしいというのは、日本だけではなく、仏教以外を信仰する人なら誰でも持っているのではないでしょうか。存在を残すために、墓を作ったり、さまざまな葬儀などを行うのだと思います。
たしかにそうですね。でも、輪廻を厭い解脱を求めるか、輪廻でもいいので存在し続けたいかは、かなりちがうような気もします。インドの悟りとは、やはり存在や輪廻とは相容れないものだと思います。墓や葬儀は死者の存在のためというよりも、残されたものの癒しの一種のような気もします。


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