浄土教美術の形成と展開
2007年12月17日の授業への質問・回答
来迎図は自然との関わりが密接だということを先生がおっしゃっていたが、今までの来迎図を見かえしてみると、菩薩たちのまわりには、山や森、有志八幡講の聖衆来迎図には紅葉が見られるなど、今まで菩薩たちの姿にしか目がいっていなかった分、異なる視点から見るとまた違った面白さがあった。
ご指摘のとおり、絵を見るおもしろさは、気がつかないところに気づくところにあるでしょう。西洋美術史において本格的な図像学を確立させたアビ・ワールブルクという研究者は、そのことを「神は細部に宿りたもう」という箴言として表しました。来迎図を見るときに周りの景観に注目するのは、私だけではありませんが、私の場合、とくに空間や自然、他界観などと結びつけて考えます。仏が現れるときに、そのまわりに描かれるものは、単に景色や景観ではなく、もっと重要なメッセージを含むものだと思います。自然の景観を描いているように見せながら、そこに日本人の「世界観」が現れるからです。今回取り上げる山越阿弥陀や六道絵は、さらにその延長線上にあります。
「むかしの人は左右対称に上手に描くなぁ」と思ってみていたら、型紙を使うと聞いて拍子抜けでした。左右の大きさの違いは、言われて意識してみても分かりませんでした。それは気づかれないくらいの違いって意味あるのかなーと思ってしまいました。近いものを小さく描く遠近法が理解できません。菩薩も笑うんですね!!
絵を描くときに型紙を使うのは、かなり広く行われていたようです。白描などを写すときに油紙を用いたことも知られています。ちょうど、トレーシングペーパーのような役割をしたようです。われわれは、絵画を見ると、画家が自分のオリジナルな描き方をしているような気がしますが、それは近代や現代のことで(場合によってはそれもごく限られているかもしれません)、それまでの絵画は多くが過去の作品を参考にしています。正統的な図像、権威ある図像に範を求めたのです。ただし、その一方で、画家であればオリジナルな図像を容易に描けたでしょうし、同じ図像を寸分違わずいくつも描くことも、難しくはなかったと思います。芸術家というよりも職人なのです。左右の大きさの違いについては、私も同じように思いました。むしろ、心理学の実験にあるような、実際は大きさが違っても同じように見えるように、大きさを変えたのではないかと思います。なお、近いものを小さく描くのは「逆遠近法」といいます。日本の絵巻物などに現れる手法で、たとえば室内の人物を描くときに、手前の人物よりも奥の人物を大きく描きます。奥にいる人物が重要な場合などに用いられます。遠近法には線遠近法以外にも、空気遠近法や色彩遠近法などさまざまなものがあります。ネットで検索するといろいろなサイトで説明されています。
来迎図を見て思ったのは、まず左右の観音の大きさの違い、そして模様の左右対称性は、日本らしい世界のとらえ方だと思う。日本では世界を時間とともにとらえる。来迎図に四季を描くことなど、絵は写真のようなある一部分の時を描いたのではなく、仏がやってくるという事象そのものを描いたのではないか。そして、逆遠近法は、仏の大きさを強調し、絵そのものの配置は空間遠近法的に来迎を引き立てる。仏教美術にある哲学を感じた。
絵が瞬間的な時間ではなく、継続的な時間を表すというのはその通りで、今回取り上げる六道絵、とくに地獄図でも重要になります。仏教美術に哲学があるというよりも、美術作品から当時の人々の考え方や、その背景となる固有の文化を読み取ることができるということでしょう。もちろんそれを哲学と呼んでもいいのですが。
人間にとっての異界は、山や海であるということを聞いて、そういえば昔話に「姥捨て山」という物語があったなぁとふと思い出した。死者にとって一番恐ろしいのは、存在がなくなることというのは、仏教らしい考えだと感じた。
姥捨て山はたしかに山中他界観と結びついた風習でしょう。海上他界観の代表としては、熊野などで行われた補陀洛渡海です。存在がなくなることが死者にとって一番恐ろしいというのは、私はむしろ仏教的よりも日本的な考え方のような気がします。仏教であれば、輪廻を繰り返す存在は、厭うべきものであり、それを超越することは悟りとなるからです。しかし、日本人は地獄であろうと、生を捨てないことの方が、それよりも親しみを覚えるようです。日本人というのは現世肯定主義的な民族で、インド人の苦行者の持つストイックな態度は、なかなか馴染めないようです。
山は異界、死者の国として考えられていた。ということでしたが、地獄とはどう区別されていたのか気になりました。
区別されていなかったようです。そのことを今回、地獄絵を手がかりに考えてみます。
今昔物語は、高校の時(もしかしたら中学の時)何度も教科書や問題集であつかったと思うのですが、こういう仏話のようなものに関する記憶が全然ありません。あえて扱っていなかったのでしょうか。今度、意識して今昔物語も読んでみたいと思いました。
私自身は、高校の古文などで今昔物語集を読んだ記憶がほとんどないのですが、最近の教科書などにはあるのですね。今昔物語集は岩波や新潮、小学館などの古典大系に必ず含まれていますし、それ以外にも訳がたくさん出ています。原文で読んでも、源氏などとは異なり、かなり容易に読めますので、ぜひ読んでみてください。荒唐無稽な話、恐ろしい話、エロチックな話など、さまざまなものがあります。
「火の車が見える」とか「金色の蓮華が・・・」などという姫君の発言が「・・・暗い中に風ばかり・・・」という風に変わっていくのは、地獄か極楽へ意識がさまよいながら、結局は暗闇の中に消えていってしまったようで、悲しい印象です。法師様は導きを間違えたわけではないのですか。あと、チベットの死者の書を彷彿としました。
「三の宮の姫君」は今昔物語集をベースに芥川が作った短編ですが、いかにも芥川らしい脚色の仕方です。地獄変、杜子春、蜘蛛の糸、芋粥などもそうですが、芥川の描く人間はどれもかなしいですね。チベットの死者の書はどちらかというと密教的な救済論がベースになっていますが、仏が現れて救済してくれるというのは、浄土教にも通じますね。私は以前チベットの死者の書についての短い解説を書いたことがありますが、そのときに、どうしてこのような文献が欧米で流行するのか理解できませんでした。
満仲の話を聞いて、今昔にある三修上人の話を思い出しました。上人は日頃熱心に念仏を唱えて見事往生したように思えたが、じつは仏に化けた天狗にだまされてたという話ですが、念仏だけ唱えてたんじゃ往生できないという趣旨の話で、やはり法華なども学ばないと往生できないんだなと思いました。
天狗がだまして往生させるという物語は、かなり広く知られていたようで、有名なものとしては「天狗草紙」があります。いずれも、たんなる天狗に化かされた話ではなく、当時の仏教界の勢力争いで、いわゆる旧仏教と新仏教との対立が背景にあります。明恵などが法然をはじめとする念仏者を攻撃したことはよく知られていますが、旧仏教側は理路整然とした批判の書を著すだけはなく、さまざまなメディアを使って、新勢力の攻撃を行ったのです。
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