浄土教美術の形成と展開

2007年12月3日の授業への質問・回答


中将姫の絵巻を見て、女の人も仏教の勉強をしていたんだなと思って、少し意外でした。よく考えたら当然なのかもしれないけど、今まで男の人ばかりが登場していたので。
たしかに、男の人ばかりでしたね。日本に仏教が伝わった当初から、女性も何らかの形で仏教と関わりを持っていたはずですが、あまり表には出てきません。有名な僧侶がいずれも男性だったからでしょう。しかし、尼僧の集団もいたはずなので、女性に対する視点が欠けていたのでしょう。女性と仏教に対する関心は、この20年ほどの間で、フェミニズムや女性史の視点から、ずいぶん高まってきたようです。平安時代における女性と仏教という点では、法華経信仰が最も重要でしょう。この経典の中に、女性の救済を全面に出した部分があるからです。それまでの仏教では、女性は女性であるというだけで、悟りからは遠い存在となっていました。もともと法華経信仰は平安時代の仏教の最も重要なものですが、とくに貴族の女性たちの信仰の中心となっています。浄土教への信仰も女性と関係が深かったと思います。主人公が偉提希夫人という女性であることが大きかったでしょう。厳しい修行を必要としないことも女性にとっては大きなメリットです。中将姫自身は、説話の中の人物で、実在はしないようです。

曼荼羅は高校の日本史では主に密教をあつかっていたので、今回のような浄土教の変相図は、これまでの複雑なイメージと違い、奥行きのある立体的な構造だと感じた。
曼荼羅は本来、密教のもので正しいです。本来の密教の曼荼羅に、奥行きがないというのもそのとおりです。少なくともインドやチベットではそうです。中国でも同様でしょう。敦煌の浄土図は「観経変相図」とは呼ばれても、当麻曼荼羅とは呼ばれませんでした。日本の仏教美術の中にはマンダラ(曼荼羅)と呼ばれるものがたくさんありますが、そのほとんどが、日本独自の仏画で、インド以来の密教の曼荼羅とは異なります。日本では仏が複数現れる絵画であれば、簡単にマンダラと呼んだようです。浄土教の當麻曼荼羅などもその一つです。北陸には有名な立山曼荼羅がありますが、これは修験の曼荼羅で、その背景には名所絵や地獄図、来迎図、祭礼図などの要素が混在しています。曼荼羅は私の専門なので、昨年度の仏教学特殊講義は1年間かけていろいろな曼荼羅を見ました。そのうち、日本における曼荼羅の変容については、文章にまとめて発表しています(『点と線』第50号)。HPでも公開していますので、関心がある方はご覧下さい。

たしかに密教の曼荼羅と浄土教の曼荼羅とは、感じが異なるように思った。當麻寺の當麻曼荼羅の構成を見ると、とても複雑なものなんだなという感じがして、作成する際、どういうものを参考にしていくのか疑問に思った。
密教の曼荼羅は金剛界曼荼羅とか胎蔵界曼荼羅とかが基本です。上下左右がシンメトリーであるのが、一見してわかります。密教では別尊曼荼羅というグループが日本にありますが、その多くもこの2種の曼荼羅、とくに金剛界の形を踏襲しています。これに対し、浄土教の曼荼羅は、基本的に浄土図です。その形式は、すでに授業で取り上げたように、敦煌などに見られる浄土図(観経変相図)に由来します。おそらく、中原、すなわち長安あたりでもさかんに作られたのでしょうが、現在では残っていません。當麻曼荼羅の典拠となるのは、『観経』そのものではなく、善導による『観経』への注釈書『観経疏』です。日本では證空がそれを「発見」し、その後、證空が開いた西山派において當麻曼荼羅は重要な位置を占めるようになります。なお、當麻曼荼羅に限らず、このような仏画を描くときには、すでに存在している作品を参考にして描きます。典拠となる文献をいちいち参照して、内容を理解して描くわけではありません。

宝樹というものは、極楽浄土図の中では、どのような役割があるのでしょうか。
宝樹は『観経』の十三観のなかのひとつとして、詳しく説明されています。十三観の前半は極楽浄土の景観を瞑想することに重点が置かれていますが、その中で、水や地面と並んで、樹木が重要な要素になっているようです。七宝でできているとか、枝には宮殿がたわわしているとか、共鳴鳥という鳥がとまって鳴いているとか、葉っぱが風にそよいでいつも妙なる音を描かせるとか、視覚のみならず、聴覚などにも働きかけるものであることがわかります。でも、こんな樹木があっても、最初はすばらしいと思うかもしれませんが、すぐに飽きてしまうような気がするのは、私だけでしょうか。

曼荼羅の構図は形式的には同じものだけれど、遠近法を使うことで、だいぶ印象が異なってくると思った。個人的には三尊段がより近くに描かれる方がありがたみが増すような気がする。
はじめに紹介した浄土図の方のことと思いますが、同じように描いているようでも、視点の置き方や、画面の構成で、全体の雰囲気はずいぶん異なったものになります。並べてみると、さらによくわかるでしょう。近い方がありがたいというものわかりますが、全体を鳥瞰的に描いた方が、浄土の壮大さがわかるということもあるのではないでしょうか。

當麻曼荼羅縁起に「化尼」というのがでてきました。「化尼」とは今回初めてお目にかかった言葉です。手助けをした後の昇天図を見ると、菩薩などが化身したものでしょうか。
『當麻曼荼羅縁起絵巻』の詞書によると、化尼は「西方極楽の教主」すなわち阿弥陀如来で、當麻曼荼羅を一夜のうちに織り上げた化女は、その左脇侍である観音と説明されています。當麻寺の言い伝えでは、當麻曼荼羅は中将姫が一夜のうちに蓮糸で織り上げたことになっていますが、この絵巻では蓮糸の準備から化尼がかかわり、国家事業のような形で作業が進められ、織り上げたのも中将姫ではなく、化女です。阿弥陀が女性の姿をとって現れるのは、特異な感じがします。中将姫が出家した寺に現れるには、男性ではだめだったのかもしれません。観音が女性の化身となるのは、今昔物語集などでもときどきあるのですが・・・。『當麻曼荼羅縁起絵巻』については中公の「続 日本の絵巻シリーズ」所収の小松茂美氏による解説が詳しいです。簡単な説明は、昨年度の「大絵巻展」の図録にも掲載されています。



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