浄土教美術の形成と展開

2007年10月29日の授業への質問・回答

「西方の極楽世界」や「彼の国土」の表現だけ見ると、当時の西洋の国々を指しているように思える。浄土のイメージは、木がはえている森ではなく、庭と習ったが、いいかえると、木は人の手で加工されたということ、管理されたということであるから、観無量寿経における西のイメージが興味深いノというか、西洋にイメージを取っているのかもと思った。
浄土のイメージが西方起源にあるということは、これまでにもしばしば言われています。ただし、その場合の西方は西洋(ヨーロッパ)ではなく、インドのすぐ西のイランやトルコのあたりを指していたようです。実際、インドの文化はしばしば西からもたらされます。古代インドにおいて、アーリア人が侵入してきたのも西北インドからです。ガンダーラ地方もインドから見れば西北で、ヘレニズムの文化がここを経由してインドに入ってきています。しかし、浄土教や極楽浄土の起源がインドの西の国々にあるということを立証するのは、かなり困難です。浄土経典に見られる極楽のイメージはもっと複雑で、浄土三部経の中でも、『観経』とその他のふたつの経典では異なります。『観経』の場合、成立が中央アジアであったとすると、西の方角にあるのはインドそのものになります(ガンダーラやアフガニスタンあたり)。なお、庭や森の文化史的な研究に『庭のイングランド』『森のイングランド』(川崎和彦)があります。直接極楽には関係がありませんが、好著です。

観想の修行をしない人は、往生できないのでしょうか。釈尊は意外に厳しい条件を出したんだなと思いました。7は仏教でも縁起のいい数字だと初めて知りました。
観想とか瞑想は、初期の仏教から見られる修行方法ですが、それほど簡単なものではありません。瞑想の基本はヨーガで、ヨーガそのものも坐法や呼吸法など、さまざまな要素からなっています。浄土教が一般向けの教えであるというイメージが強いことから、浄土の観想も誰でもできたと思われがちなのですが、実際は瞑想や観想は「プロ」の修行法です。もともと仏教とは、出家した人々が集団でこのような修行を行っていた宗教で、その道のプロばかりのエリート集団でした。釈迦はその指導者だったのです。大乗仏教になると、そのようなエリート集団とは別のところから、「だれでも菩薩になって悟りを求めることができる」と考える人たちが出てきました。密教は大乗仏教から発展したと言われていますが、瞑想や観想を重視する立場を取り、その点では大乗仏教以前のエリート集団の宗教を再興させたようなものかもしれません。7という数が浄土教の経典にしばしば登場するのは面白いですね。7は完全とか全体を表すことが多い数で、そこから王権や支配者のイメージにも結びつけられます。ただし、基本的に、特定の数が縁起がいいとか悪いとかいうことは、仏教の場合、あまりありません。

蓮の座の表現はかならず蓮華化生と結びつくのでしょうか。蓮華化生の意図から離れて、デザインと化したような例はありますか?
蓮のモチーフの中で蓮華化生は特別な場合で、むしろ、単なる仏像の台であることが一般的です。日本でも多くの仏像は蓮華の座に乗っています。一般に蓮台とか蓮華座と呼ばれます。インドの仏像の場合、蓮台に乗るようになるのは、かなり後のことです。ガンダーラやマトゥラーの初期の仏像は乗っていません。釈迦が蓮の花にのる重要なテーマは、やはり舎衛城の神変でしょう。ストーリーそのものがそうなっているのですから、当然でしょう。この場面以外の仏像や、釈迦以外の仏が蓮台に乗るようになるのは、グプタ朝かパーラ朝になってからのようです。蓮そのものは初期の仏教美術から好まれたモチーフで、単独、あるいはヤクシャ、女神、象、壺などと一緒に表されます。生命が誕生する源のイメージが共通してみられます。舎衛城の神変もその流れを汲んでいますし、蓮華化生も同様です。

日没、水、氷の観想まではできるかもしれないけど、それ以降の宝石がちりばめられた世界の観想というのは、それまで考えていた仏教の世界観とかけ離れていると思った。あまり飾られていないのが仏教だと思っていたのだが、誤解していたのだろうか。
誤解です。仏教は派手です。とくに浄土教の中のイメージの世界は、想像の限りを尽くした派手な世界です。仏教が質素というのは、日本のお寺のイメージが強いからでしょう。とくに古寺などのひなびた感じが、仏教のイメージとなっています。しかし、仏教を生み出したインドでは、宗教施設はたいてい豪華絢爛です。中央アジアやチベットになりますと、さらにエスカレートして、極彩色の世界となります。外界の荒涼としたイメージと対極にあります。日本の仏教寺院が質素なのは、外界が十分、変化に富んだものだからかもしれません。もっとも、今ではひなびた寺院も、創建当初はインドなどと同じように豪華な外見を持っていたものもたくさんあります。とくに密教寺院はそうですし、学期の終わりに取り上げる予定の平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂も、極楽浄土を再現しただけあって、派手です。

観想の中で不浄観として白骨を観るということは、実際に実物を見て修行をしたのでしょうか。
そうらしいです。墓場を修行の場として、朽ちていく死体を前に、無常観を行ったようです。日本では九相詩絵巻という絵巻物に、死体の腐乱していく様子が克明に描かれていますが、それと同じようなイメージを、実際に観察したのです。インドでは密教の時代になりますと、墓場(屍林)を修行の場としてさらに活用して、そこで酒池肉林のような饗宴を行っていたと言われます。

さまざまな観想を見たが、宝石と水に関する描写は、非常に具体的で美しかった。水の観想がふたつあることから考えても、仏教では「水」を特に重要としているのかもしれないと思った。そういえば、蓮も水に生えるから、もしかしたら関係あるだろうか。かと思うと、人の死体なども、瞑想の対象となるなど、美醜の両極が共存しているようで面白いと思う。
水はたしかに重要ですね。極楽浄土の観想では、水の豊かな大地というイメージが基本です。極楽浄土の蓮池も、その水と関係あります。ユングは『観経』のこの部分を重視して、水こそペルソナであり、そこにわれわれの「自己」が出現するととらえています。ユングの解釈にはかなり無理があるのですが、水に注目した点はするどいと思います。美と醜はたしかに両極端の概念ですが、宗教美術では両者の区分は必ずしも明確ではありません。私の木曜日の授業は「エロスとグロテスクの仏教美術」というテーマなのですが、そこではしばしば美しいものがグロテスクなものに転換したり、その逆があったりします。宗教美術は非日常的な要素を含むことが多いのですが、美もグロテスクも、非日常的なものである点は共通しています。

トヨクにはいろいろな説法や物語があり、それを図にしてあって、当時の仏教の教えを凝縮してあると感じた。白骨は不浄なものとは限らないという概念が興味深かった。
トヨクの面白い点は、後世の浄土図(観経変)と同じテーマを扱いながら、僧侶による観想図が多く見られる点です。観仏経典は僧侶に観想を説くというのが基本的な内容なのですが、『観経』は偉提希夫人が観想することになっています。その中間的な存在として、僧侶による浄土の観想があることが予想されますが、まさにそれが壁画として残っているのです。『スマーガダー・アヴァダーナ』という説話にもとづいた絵は、観仏経典のひとつ『観仏三昧海経』と関連があるといわれています。これについては私もよく知らないので、時間があれば調べておきます。

仏が阿難と偉提希に語った観想法についてですが、さまざまなイメージを使うことに驚きました。現代の禅やその他の宗教的な瞑想も、このような手法を使うのでしょうか。
一言で「瞑想」といっても、その内容はさまざまです。日本では禅のイメージが強いので、瞑想するのは「無念無想」といって、何も対象を持たないような瞑想が一般的と思われているようです。しかし、これはむしろ特殊な瞑想で、インド仏教やチベット仏教の瞑想はもっとクリエィティヴです。とくに、仏のイメージを生み出す瞑想法は、観仏や見仏と呼ばれ、長い伝統があります。仏像が誕生した背景にも、このような実践法があったといわれています。三十二相八十種好という仏の身体的な特徴が、はじめに瞑想の中で重視され、それが作品に表されるようになったと考えられるからです。密教でも瞑想の中で仏を生み出す実践が重視されますが、これは観仏の伝統とは少し違うようです。


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