密教美術の世界

講義の終わりにあたって



 毎回、授業への質問や感想を書いてもらいましたが、最終回の前回の出席カードには、「学問の世界の広さを知った」「ものごとを見る視点がいろいろ可能であることがわかった」「これまで興味がなかったが、関心を持てるようになった」などのコメントがいくつもあって、よかったと思います。また、「終わるのが名残惜しい」「感動した」「驚いた」という感想も、授業に対するダイレクトな評価でうれしいです。もちろん、その一方で、「難しい話だった」「よくわからなかった」とういコメントもけっして少数ではありませんでしたが、「それでも、けっこう楽しめた」「少しは理解できた」という「なぐさめ」(?)もついていることがありました。授業の理解度は、それまでの基礎知識や、該当分野への関心の度合いでそれぞれ異なりますから、各自が自分なりに何か得るものがあれば、私はそれでいいと思っています。
 この授業のテーマは「密教美術の世界」でした。授業で紹介してきた作品は、ほとんどの出席者の方が、はじめて見るものだったと思いますが、半期の授業を通して、いくらか親しみが感じられるようになったのではないでしょうか。この授業ではインドの密教美術を、具体的なイメージを通して知ることを目指していましたので、それなりの効果があったと思っています。また、インドとの比較として日本の密教美術もできるだけ紹介してきました。インドの密教美術に結びつくような作品が、身近なところにもあることに驚いた方も多かったのではないでしょうか。
 前回の最後にお話ししたように、この分野では「より深く見ることの難しさ」と「イメージを追うことのおもしろさ」があります。知識が増えるにしたがって、同じように見ていながら、それまで見えなかったものが見えてくるということが実感されるはずです。作品は現に存在するのですから、それを見ているという行為は同じなのですが、背景となる知識にしたがって、見えるものが違ってくるのです。作品が変わるのではなく、私たちが変わるのです(そのようなコメントしてくれた方もいました)。
 マンダラを中心にまとめたところで、いろいろなトピックがつながりを持つことに気がついたという感想もありましたが、これも私の意図したところです。大学入学前の勉強では、問題と解答が一対一で対応しているのがあたりまえだったと思いますが、学問というのはそれほど単純なものではありません。問題設定や視点を変えることで、いくらでも答えを出すことが可能です。どの答えで満足するかは、問題を見つけるわれわれ自身が決めることなのです。
 この授業の科目名は「宗教学」で、副題も「仏教学」でしたが、はじめにお断りしたように、宗教学入門や仏教学概説という内容ではなく、密教美術といういささか特殊なテーマで講義をしました。これは私の専門分野でもあるのですが、教科書的な概論よりも、専門性の高いテーマから、学問の魅力を知っていただきたかったからです。まとめで示した大きな問題、たとえば「聖なるもののイメージ」とか「世界とは何か」というものは、そのような意図から出されたものです。これらの問題は、美術の分野よりも、宗教や思想、哲学など、人間の存在そのものを扱う学問にかかわります。そして、そのことを自覚してもらえるように、いくつかの問題を提起しました。たとえば、対象をありのままに表現するとはどういうことか、対象に最もふさわしい表現方法は何か、さらには、世界とはどのようなイメージでとらえられるか、「私」とは何か、私と世界はどのような関係にあるのか、生命とは何かなどです。


 授業では出席の確認もかねて、質問や感想を出してもらいました。自分や他の人の感想などを読んだり、それへのコメントを読むのを楽しみにしていた方も多かったようです。とくに、自分の質問が載るとうれしいという感想を、複数の人から聞きました。毎年のことですが、全般的に質問の内容も回をおうごとにレベルが上がっていきました。大学の授業でも教養教育の講義は、ほとんど一方通行で終わってしまうのですが、これによっていくらかは双方向のコミュニケーションができたと思っています。書いてもらった質問や感想をできるだけ紹介したかったのですが、10人程度が限界でした(それでも2時間は費やします)。出席者数がだいたい110人前後だったので、倍率はおよそ11倍となり、紹介できなかったものも多かったのですが、かならずすべて読んで、できるだけ授業に反映させるようにしていましたので、ご了承ください。
 「密教美術の世界は奥が深い」という感想はできるだけ避けてくださいとはじめにお願いしましたが、もちろん「密教美術の世界は奥が深い」です。そして、学問というのはすべて「奥が深い」ものです。「底が浅い」ような学問は、まだ掘り下げ方が不十分なのです。むしろ、どのような点について「奥が深い」のか、どことどこがつながることによって、「奥が深い」と感じるのかを、さらに考えてほしいと思います。実際、この授業は教養の授業なので、それほど立ち入った議論や、いろいろな考え方は紹介しませんでした。これらについては、学部や大学院の授業で取り上げています。私の所属学部である文学部や、他の文系学部の人たちは授業などを通じて、またお話しする機会もあるでしょう(文学部はもちろん、法経も卒業単位になりますし、教育学部向けに開講している授業もあります)。それ以外の学部の皆さんも、本や出版物などで、これからも接する機会があればと願っています。


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