密教美術の世界

2006年7月19日の授業への質問・回答



ときどき、わからないこともあったけど、最後はぐんぐん知識が集まっていって、ギュインと発展していくのが楽しかった。

密教美術という限定されたテーマから、世界の宗教との対比や宇宙にまで話が広がっていくことに学問のおもしろさを感じた。また、仏教というか、宗教それ単一で存在するものではなく、他の宗教と結びつき、影響しあって存在しているのだと知れた。

授業でも言われていましたが、宇宙の話が終わった後は、授業が進むのが早かったです。解釈されて生まれた意味は教わりましたが、それでも再認識することはできなかったので、試験前に資料を見直して驚くような体験をしてみたいです。今日の授業では、踏まれていても、それが敵対しているわけではなく、支えているのだということが意外でおもしろかったと思います。

仏教において母と子の結びつきが強いのはなぜか不思議に思った。教科書を読んでおくと、先生の言っていることが何となくわかっておもしろいです。今日で授業が終わるのは、なんか寂しい感じがしますね。夏休みに機会があったら、仏像を見に行きたいです。

この授業で耳にするまで、ヒンドゥー教と仏教がこんなに密接に関係しているとは思いもよりませんでした。先日、甲斐の善光寺に行った際、文殊菩薩の像を見ましたが、京都や奈良で文殊を知らずに見ていたときと異なり、多生なりとも理解を持った上で見たときの方が、断然、感動や印象が大きいと感じました。

今日は授業最終日でした。すこし難しい科目だったけど、終わるのがさみしいです。今まで思っていた仏教に対してのかたいイメージが、すこしほぐれました。最初の方で、仏教とヒンドゥー教との相関図のようなものを見て、これほどのつながりがあるのかと思った。仏教もヒンドゥー教もお互いに他をよせつけないようにしていると思っていた。とくに、ヒンドゥー教は厳しいと思っていたけど、人々にとって見れば、信仰の対象とする神のイメージは似ているのかなと思った。

足に踏んでいるということが、出身母体を表すということに驚いた。

日本のイメージだと、足の下に踏むというものはよくないことだけれど、仏教内では従属が出身を表すというのに驚いた。

以前より、仏教や宗教の神仏について、断片的な知識は持っていたものの、今期の講義を通じて、それらがようやく線で結ばれた気がする。とても興味深い講義だった。

授業とても楽しかったです。いつか現地へ行って、実物を見てみたいなぁと思いました。テストがんばります。

本当に後半はあっという間でした。3ヶ月間どうもありがとうございました。

密教美術は宗教としてだけではなく、美術としてすばらしい作品を残していると思った。まさに美術です。これからは仏像をじっくり見ることができそうな気がします。

まだわからないことだらけだけど、テストにむけてしっかり勉強しておきたい。下から支える人も大切だとわかった。

足の下や座に置かれるものが敵対者ではないといっても、今の世の中でそんなことしたら、確実に敵対者だと思う。これから先、一度は仏像を見てみたいと思います。

来週のテストでは、自分の考えを述べられると思います。

自分の考えでは、足の下に人物が来た場合、踏みつけられるという悪いイメージしかないが、今回のスライドで見たように、従者を表していると知って意外だった。

先生が最後に言っていたように、たしかに、ただ漠然と見ていた最初とは違って、いろいろな部分を意識してみるようになりました。

この授業は変わった授業だったなと思います。板書はほとんどせず、スライドで美術品を見て、その後、教授からのお話、問いかけについて考える。なかなかすっきりはいかなかったですけれど。ひたすら板書する授業より難しい授業でした。でも嫌いでなかったです。

今まで仏像を見て来て、仏像に細かいきまりがあって、それに沿って作っているというのが一番の驚きでした。

講義の内容でないのですが、今日の暑さはかなりひどいものでした。踏みつけられている=しいたげられているというイメージがあるけれど、そうでなく、支えているという意味があるのが、意外でした。意味がわかると、形が違って見えるというのには、大いに納得できました。

マンダラの構造がよくわかりました。仏教はいろいろな別の宗教と結びついているなと思いました。昔の人が残した文献、仏像が、現在にまで伝わっていることに感動しました。マンダラの仏の世界を、本当にうまく表しているなぁと思いました。

今日はヒンドゥー教の神々を見て、足の下にあるものは「敵対者ではない」ということがよくわかりました。前、本で読んだときはよくわかりませんでしたが、実際の作品を見ると、ヒンドゥー教は出身など、身分を大切にしていることがわかった。マンダラも外から見るのと、内から見るのでは、世界観が全然変わってくると思った。

ものごとを考察するとき、その意味を知ったら、そのものごとに対する見方が変化するのと同じように、哲学をしっかり勉強したら、生き方もきっともっと変わると思った。それがよく生きるということかもしれないと思う。主題とそれてごめんなさい。

「征圧」ではなくて、踏まれている対象が下から支えているというのは、とても興味深かったです。後半は難しくてよくわかりませんでした。が、興味はわきました。

今までの講義の中で、この仏像はどんなイメージから作られているのか、シンボルは・・・といったことを考えてばかりでしたが、今日、それで終わりでなくて、何が密教美術を生んだかを考えてみて、密教美術の背景には人間がいることに気付きました。仏と人間はとても離れた位置にいると思っていましたが、案外、身近な存在なのかもしれないと感じました。

最初の方の授業では、「この仏はこういう意味を持っている」と言われると、なるほどと思い、すぐに納得していたけれども、最近は、そういうことを言われても、何か違和感があり、少し違うのではないかと感じることが多くあるようになった。それは、自分の考え方が全然違うのかなって思って不安だったけれど、再認識だということがわかって、安心した。

マンダラは、インドの視点ではまわりからも見ないといけない、というのは、なかなか興味深い。真ん中が一番大きく描かれ、目に付きやすいので、まわりはあまり気にかけなさそうだが、やはり、描かれている以上、無駄ではないということなのだろう。全体的に理解できたかと言われると、自分の感性と違ったりして、あまり自信はない。しかし、興味深い解釈だとか、内容だったので、楽しめた。

見えていても形と意味は異なっていて、解釈→再認識の作業は重要だったんだと思いました。

これまでの授業でたくさんの仏教の美術作品を見てきましたが、こんなに数多くあるとは知らなかったので、とても驚きでした。今までは、歴史の授業ですこし見るくらいだったので。また、この用紙を書くために、授業を聞きながら疑問に思うことを探すようになって、それが習慣になって、他の授業でも疑問点を探すようになったのは、よかったと思います。

仏教とヒンドゥー教、またその他の神々のイメージ等でつながっているんだなぁとあらためて思いました。また、踏まれているものは、必ずしも苦しんでいないことに驚きました。「踏まれている=しいたげられている」というイメージがあったので。思いこんでいてはいけないと思いました。思いこみはいけない、というか、別の見方も考えなければならないと、この授業を受けて思いました。

すごく流れが遅かったように感じた。

ヒンドゥー教と仏教には、共有するところがあるのが興味深いと思いました。やっぱり、大陸がつながっていたし、旅人や商人が行き来するうちに、お互いを認め合ったのかなぁと思いました。今でも宗教間の対立で、戦争が起こっているのに・・・って思いました。

ヒンドゥー教や仏教が密接につながっていることを知って、驚きました。おもしろいなぁ。人間って、とても深いなぁ。

仏教の世界はかなり入り組んだ関係になっていますが、その中で、設定上の矛盾は生まれなかったのかと思います。

自分の思考能力の低さか、もしくは素直さか、スライドを見ても、何も思えないことが、しばしばいらだたしかった。

前期の分のこの講義を取っていて、正直、あまり、インド密教に詳しくなれなかったと思う。けれど、けっこう楽しかったのでよかった。

踏まれていることが征圧を意味しているのではなく、上を支えていることに、仏教の世界観を感じました。最初の頃はよくわかりませんでしたが、途中から、仏像が表していることが見えるようになりました。

今までの講義を通して、仏教と密教には、共通点がいくつもあると思った。

神が神を支えているのが変だと思った。踏まれていやじゃない人間はいるはずがない。

別の授業でも「マンダラ」が出てきたことがあり、そのときに、すごく理解しやすかった。はじめはまったく意味がわからなかったけど、何度か見ているうちに、何となく前よりわかった気がすることがあった。再認識できてたと思う。

足の下に置かれたもの、踏みつけられているものは、敵対者ではなく、それぞれに意味があることがわかった。授業は全体を通して、自分には難しかった。とくに最後らへんは言っていることが理解できないものもあった。

踏まれているヤクシャが、じつは支えているなんて驚いた。無理やり踏まれているイメージしかなかったから、本当に手でささえられている像を見たときはびっくりした。これから、足の下にいる仏像を見る目が変わりそうです。

足の下に踏んづけられているのは征圧されていると思っていた。しかし、よく見ると苦しんだ表情をしていなくて、上のものを支えているんだとはじめて知った。これから、仏像を見る機会があったら、このような細部やその仏の背景にあるものを意識してみたいと思った。

神が別の神を踏みつけるというのは、インドの法則に従っていないと言っていましたが、取り壊す運動はなかったのかなあと思いました。

「意味から形が浮かび上がる」というのはなるほどと思った。思考というのは視覚も支配しているのだと思う(心理でやった気が・・・)。別に何か言いたいということはないけれど・・・。双方向なベクトルは理解できる。

仏教の仏とヒンドゥー教の神は、多くのイメージを共有していることに驚いた。この授業を受けて、全体的に内容が難しいと感じた。

美術館の絵画やその他の作品も、その作品の時代背景や作品の説明などを理解することで、たしかにその後に再度、同じ作品を見ると、はじめに自分が思い描いていたイメージとは違った、あらたなイメージが形成されると思う。音楽でも、時間をおいてまた聴いてみると、伝えたこととが違うように思えたりする。仏教だけでなく、ヒンドゥー教やその他のマイナーな宗教との関係を読み解くことでようやく理解できるのだろうかと思った。

マンダラの中にヒンドゥー教の神々が表されているとは驚きだ。

全授業、スライドを通して勉強したのが、今までにない新しい感じでよかった。名残惜しい感じがする。

今まで、仏像のことは全然わからなかったし、ふれることもなかったけれど、この授業を通して仏像に対して知識を得たり、感動したりできて、すこし世界が広がったように思う。半期間ありがとうございました(まだテストもありますが)。おつかれさまでした!!

なるほど、たしかにたとえば能や狂言なんかは、前提となる知識を持っていなければ、単なる踊りのようなものにしか見えないが、意味を知れば、そこからいろんなことがわかったり、まったく別の見方ができたりする。

はじめて密教美術にふれてから、今日までやってきて、その正体が少なからず見えたと思います。「全宇宙」=「人」(自分)には驚きました。

なんか自分がこの授業で理解したのか、理解していないのかもわからない状態で、最後になってしまったのですが、先生のうまさかどうかはわかりませんが、すこしは興味を持つことができました。これから今、授業するときは、今のままのスタイルで、十分、大丈夫だと思います。

最初の頃はむずかしい話で、興味を持つものがすこしむずかしかったが、仏教の宇宙観のあたりから、とてもおもしろく、授業にのめり込んでいった。試験は不安だが、この講義を受けてよかったと思う。

ヴィシュヌとかシヴァとかはインドだと人気の神と聞いたんですが・・・。感想というか何というか(半期の)。思ったより、木の仏像って、仏教美術全体から見ると、わりかし少ないなぁって。あと、もっと作品についてもっと掘り下げて語るものかと思っていたので。なんか、仏師の話をすこし期待していたので、あんまりなかったのが残念でした。

踏まれていると、どうしてもマイナスのイメージばかり出てきて、上に乗っているものを支えるとか、そこから上のものが生まれるというようには、とても考えることができない。今まで講義を受けてきて、そんなにわかった気がしないけど、最初の頃とくらべて、考え方が少し変わった気がしたのでよかったです。

仏教を美術の視点から見るということで、最初は別に美術に関しては興味がないと思ったのですが、わかりやすく、かつ広く学ぶことができたように思います。あと、寺とかに行ったときに仏像が何かわかるというのもいいですね。専門の方で、いくつか仏教関連の授業(古典学や中世史)を取っているので、役に立ちました。イメージするのに。

四月に最初にこの授業を受けたとき「こんな話ばっか聞いとったら、頭変になるわー」とか思っていましたが、密教的な視点で世界を観るのもいいなって思えるようになりました。形と意味の関係とか、むずかしい話はよくわかりません(スイマセン)が、自分の視野はすこし広がった気がします。ありがとうございました。

足の下や座に置かれるものは敵対者でないのが、本来の意味であったのに、左足(不浄)で顔を踏みつけるようになってしまったように、形が変わったということで、仏教そのものの意味が変わってしまったと、暗に表しているとわかり、人間は変化せずには生きていけないものだと感じました。「ものごとは、見るものの視点によって違って見える」そのことがこの授業を受けて一番学んだことです。

この授業全体を通しての感想は、ものすごくたくさんの仏像を見てきたなーという感じです。今までは、社会の資料集とかに載っている小さい写真しか見たことがなかったので、スライドで大きく見れてよかったです。

マンダラにヒンドゥー教の神がいるのがおもしろいと思いました。前に見たとき、まわりは宇宙を表していましたが、今回は神なので、まわりというのは重要なのかなぁと思いました。

足の下や座に置かれているのが、自分の弟子だったりしたのがおもしろいと思いました。

たくさんの仏像を見ていろいろな話を聞いたけど、ここで学んだことが他の場面でも使えるといいと思いました。

もともと興味がそんなになくて、しかも授業はわからないし困ったけど、何とか全出席をすることができた。また授業以外の場面で、興味を持てたらいいと思う。

足の下に踏みつけているのは、「敵対関係」だけだと思っていたが、「出自を表す」ことや、「支える」こともあるのだと聞いて、なぜかほっとしました。半期を通して、仏像というものにふれてみてきたわけだが、楽しかったが、とくに印象的だったのは、仏=宇宙=生命=私たち自身というところ。うまくは言えないが、ミクロがマクロ的な存在にとらえられるというのが新鮮だった。

前期を通して、密教美術について学んでみて思ったのは、やはり人間のすごさというか、不思議さとか、そういったものでした。最近のニュースや社会現象を見ていると、人間のいやな部分しかなかなか見て取れないのですが、こんなにすばらしいものを創造することができるのも、人間だからだと考えることができるようになって、よかったです。

「再認識」けっこうできたと思います。一度、何気なく見ていたものを、あるテーマで集めたものと一緒に再度見せられると、その仏像の意味(?)がわかったような気になりました。マンダラを一度生で見てみたいです。

最後の授業だったので真剣に聴いたけれども、やはりむずかしかった。でも、以前と比べると仏教について考えることが多くなり、仏像をよく見るようになりました。

昔、東大寺の四天王像を見て、邪鬼が踏まれていることに気づいたが、じつはそれはルール違反であることを知ってとても驚いた。

仏像は形ではなく、神話や象徴性などの意味を見るものだと、ようやくわかった。もっと早く気づけば、この講義をもっと楽しめたと思った。

仏像の中に、人などを踏みつけて立っている像があったが、私のイメージでは、悪いイメージがあったが、インド的には支えていて、その上の者が存在するという見方を聞いて、仏像に限らず、美術作品は、たくさんの角度から見て、作品を感じ取ることが必要だと思った。この授業を通して、今までほぼ興味がなかった仏像が、親近感がわくようになった。

たしかにひとつのものをつきつめて考えるのも大切だが、比較して相対化して考えることは、とても大切であると思った。その上で見えてくるものは多くあると思う。宗教学Bは正直、多少の好奇心でとった授業だったけど、すごく意義があったと思います。ありがとうございました。

シヴァとパールヴァティーを踏みつけている像の解釈、今までは占領や戒めのような意味しか目に映りませんでしたが、出自や所属を表していると聞いて、なるほどそうだなと思いました。この講義で使われたスライドには、今まで自分が趣味等で見たことがある図も多くありましたが、講義を受け、新しい解釈を学んだ後で、それまでは目に映ってはいたけど、見えていないものに気づかされることが多くありました。これからの自分の勉強にたいへん参考になっていくだろうと思います。ありがとうございました。

数多くの仏像を見て、さまざまなつながりや意味、シンボルなどを持っていることが、この授業を通して少しはわかりました。まだまだわからないことだらけですが、仏教に対する興味が、今までよりずっと強くなったので、これからも機会があれば、仏教にふれていきたいと思いました。

今日の講義で先生がおっしゃっていたように、今までなぜ仏教の像や絵はハスの花がいつも描いてあるんだろうと思っていたが、この宗教学Bの授業で、蓮の花の持つイメージを知り、蓮の花があることの作品における意味がわかるようになり、作品への思いが変わった。日本人である以上??、仏像と関わる場面は多くある以上、この授業でさまざまなことを知れて良かったと思った。

「意味がわかると違って見える」という言葉に、はっとさせられました。今日の5枚目のヤクシャのスライドを見たとき、踏みつけているようにしか見えなかった像が、「支えられている」という説明で、一気にそのような見方に変わりました。ちょうど、トリックアートで、二通りの見え方に気づいたときと同じ感覚でした。ひとつのものでも、二つ(あるいはそれ以上)の見方に気づけると、何か得した気分がします。世の中にあるものは、すべて本来はそういう仕組みになっているけど、今の自分はまだひとつしか気づいていないのかもしれない、という気がします。もっといろんなものを見て、考えて、意味に気づいていくことで、自分の世界を広げられたらいいと思いました。

意味を理解した後では、同じものが違って見えるという言葉にはっとしました。たしかに日常生活でも、そういった経験が少なからずありました。要はどう解釈するかなのだと思いました。

今までのを全部まとめると、曼荼羅についてが一番興味がわいた。

はじめの方の授業は、何を言っているのかさっぱりわからなかったけど、後半の授業でだんだん内容を理解できるようになったと思う。教科書を読んで、見覚えのある神の名前とかが出てきて、神々の相関図がけっこう理解できた。もう一度、はじめの方の授業のプリントを読み直せば、もっと理解できるようになると思う。

仏像といった「実体」とイメージといった「空想」。対極に位置する二つの性質を根幹に、密教、宗教は成り立っているのだろうと私は考えました。

密教美術はその宗教の象徴であるからして、その団体によって所有、管理されることを、真の価値を発揮するのだと思う。

それなりにおもしろかった。あと、マイクの電池がたびたび切れてしまう先生のユーモアさには感動でした。

私はずっと「仏教」は仏教の中、「ヒンドゥー教」はヒンドゥー教の中でといったように、閉じられた世界を想像していました。だから、この講義の最後の方で、「ヒンドゥー教の神々」がたくさん登場するのは、考えもしませんでした。本当にインドは不思議で魅力的な国だと思いました。

<今日の先生のコメント>宗教は人間の中に存在するんですね。人間とともにあって、人間とともに終わるから、人は生きている間中「人間とは何か(=宗教)」というものと向き合わねば行けないんだなぁ。難しい質問だと思いました。
<授業を終えての感想>最初はまったく意味がわからなくて、さすが密教だと思いました。だけど、話を聞いていくうちに、全体のアウトラインがぼんやりと見えてきた気がします。なかでもマンダラの話はちょっとおもしろかったです。しかし、ダライラマが仲間はずれにされているという事実には、悲しさを感じました。前期間、ありがとうございました。

授業で取り上げられるテーマが壮大だったり、説明の内容に専門的な言葉が多かったりで、わからない部分がいっぱいあったけれども、わかった部分も少しあったし、将来に役立つようなことも学べた(と思う)ので、よかった。

仏教とヒンドゥー教が意外なところで関わってることを知った。宗教って、それぞれが独立していると思っていたので驚きました。

もともと仏教に興味があったのでこの授業をとりました。正直、最初は日本の仏教の中でのさまざまな宗派について興味があり、それについての内容を期待していました。自分のイメージしていた授業とは違ったのですが、自分の中でまた新たな興味、関心が生まれたと思います。とくに、仏像がおもしろくもう少しいろいろなものを見てみたいと思いました。ありがとうございました。

こんなにたくさんの仏像を見る機会というのは、なかなかないのではないかと思うので、この授業を通して、個性豊かで魅力的な仏像に出会えてよかったです。仏の世界に関しての興味深い知識を得ることができたと思いますが、まだ理解し切れていない部分も多く、全体的な流れ(?)のようなものもよくわかっていないので、次回のテストまでに、今までのことを復習して理解したいです。

この授業は非常に興味深かったです。仏教、密教などを勉強する対象としたのは、当然、今回が初めてでした。多くの仏について、その成り立ちから行く末までを見通して、そこに付加されていく意味や失われていく性質、形など、さまざまな視点で「密教」というものを見ることができたのがよかったと思います。とくに、宇宙論や世界と「私」などを扱うあたりからがわくわくしたように思います。複雑すぎて、やっぱり理解のできない部分がありましたが、どこかで、それまでの授業内容がパズルのようにはまっていく様子に、ある種の美しさすら感じました。あと、最後の授業の問題提起で終わるところもいいと思います。

宗教において、「形」と「意味」の間の解釈と再認識は、宗教への理解をさらに深めるものとして、効果的だと思いました。また、このような曖昧なイメージを解釈、再認識の行為を行うことで、個人の中にはっきりしたイメージを作り出していく宗教画は、おもしろいと思います。

自分が授業の中で「再認識」できたか、というと、できなかったものの方が多い気がする。解釈の段階で止まっている。曼荼羅の見方はわかったが、仏の世界観は変わっていない。しかし、結局はそういうものだろうなとも思う。世界観など、さまざまで当然だ。しかし、そのさまざまなもののうちのひとつを知ったことで、何かしらの自分のかてになったのだろう。

最初の降三世明王のスライドは、完全に足の下の尊格を制圧しており、毘沙門天などは、下の尊格に支えてもらっているということだが、ぱっと見て二つに違いはあまりないと思う。そのため、意味によるイメージの認識が、差異を生み出すのに重要なのだろう。まったく同じ形(イメージ)でも、新しい意味、解釈の可能性が与えられると、また違った視点でとらえることができる。そのため、同じスライドを、生をまたがって何回も紹介したのではないかとも思いました。宗教学は「何が宗教美術を生み出したか」を考えると、背景には歴史、文化、地域など、人間に関わる多くのことが見えてくる。つまり「宗教学」とは、人間の生活を知ること、ひいては人間とは何か、といった、深い文化面へのアプローチを試みる学問だと知った。自分は経済学部なので、直接的に関わりのある科目とは言えないかもしれませんが、毎講義とてもおもしろかったです。3ヶ月間ありがとうございました。

「聖」この言葉ほど、今の僕や時代にないものはないと思います。「聖」の反対が「俗」ならば、それは日常だし、変わらないことだし、もっといえば、人間?「聖」を考えるって、しんどいんですよね。それは特別だし、変わることだし、時には自己犠牲を強いるから。でも、それを通過しなきゃ「人間の奥底」にはたどり着けないと思う。これからの僕たち、これからの日本の問題って、今までハレ物扱いしてきた「聖」なるものに、決着をつけることだと思いました。

インドでは踏むことが征服ではなく、踏まれる者が上に乗る者を支え、出自をあらわすのだと分かり、すっきりしました。単に征服されていることを表すより、この方が「意味を持つ像」という感じがします。最後にヒンドゥー教の神々の作品を見て、仏教の仏たちとの相違を知らされ、インドの思想、宇宙観など、多岐にわたる長い間、人々が生み出してきた考え方を振り返ることができました。

関係なさそうなものが、授業が進むにつれつながっていく過程が、とても聞いてて楽しかったです。今までの授業で一番好きなのは地獄めぐりでした。あの辺をもう少しやりたかったなぁ・・・。仏教の世界には、仏だけでなく、いろんな者が関わっていて、最後にはとても大きなものになっていたことに驚きました。ちょっと世界を見聞した気分です。仏像めぐりをしたくなりました。

今までの講義を振り返って思ったのは、月並みだけれど、奥が深いなぁ、密教美術の世界は広いなぁということです。一番だめな感想ですね。あえていうと、私は仏の世界像に興味を持った。同体だとか、イメージだとかがとてもおもしろい。支えている者、イメージの源流とかそういったところも、自主的にもっと調べてみたいと思った。長い年月をかけて、多くの人たちが、このような世界観を作り出したことになんか感動してしまいました。学んでいけば、私も悟れるのでしょうか・・・?(笑)

イメージの意味がわかると、同じものでも違って見えるというのは、納得しました。私は理由もなく、仏像が好きだったんですが、さらに興味を持つようになりました。

今までの授業を通しての印象も、教科書を読んでの印象にも、循環というものがあった。「学問に終わりがない」という言葉は、先週の人外学科の行動科学序論の発表で、○○コースの先輩も使っていました。「終わり」の話が出てくると、気になり出すのは「始まり」ですよね。学問の始まりもそうだけど、宗教や信仰の始まりっていうのも、どこなんだろうと思います。そもそもあるんでしょうかね。

授業の内容としておもしろいと思ったことは、仏教は独立しているわけではなく、ヒンドゥー教との関わりやアスラもあわせて、はじめて仏教の世界観がわかるという点でした。私は第3章が好きでしたが、こういったつながりがある点でおもしろかったです。シヴァやウマーは降三世明王に制圧されていないと好き勝手しそう(破壊神だし・・・)なので、多少そういった関係のある方が、パワーバランスが保たれているのではないかと思いました。

この講義を通して、密教(仏教)美術や、仏教全体に興味を持つことができました。インドの神々や仏様には、いろいろなつながりがあり、もっと仏教に関する伝説や神話を知りたくなりました。

ヒンドゥー教の神は仏教の神と深いつながりがあることがわかった。前回のスライドにあったシヴァを踏んでいるカーリーの像は、シヴァがカーリーを支えているということなんだろうか。降三世明王が大自在天を踏まなければならなかった理由は、何だろうか。大自在天たちが降三世明王におびえている様子を表すだけではだめだったのか・・・。というようなことが気になりました。自分で答えが出せなくてすみません。

最初はただ仏像を見るだけだと思ってたけど、回が進むごとに考えさせられることが多かった。とくに宇宙の回は感動しました。京都、奈良に行ったときは仏像めぐりに行ってきます。

今日で授業終わりましたね。お疲れ様でした。もともと、ルネッサンスなど、昔の絵画を見ることが好きだったので、たくさんの絵が見れて、得した気分です。あと、私の授業とまったく関係ない質問にも、あんなに丁寧に答えてくださって、ありがとうございました。

今日までこの講義を受けて、先生はこのスライドを全部自分で写真を撮りに行ってるのかなぁ・・・と思いました。そうだったらすごいですね。仏像やインドについて、あまり知識がないので、難しいなぁと感じる部分もありましたが、最初の講義の時とは、見方が変わってきているので、よかったなぁと思います。

前に課題として教科書をまとめたとき、あまり理解できずにむりやりまとめた感があったが、今までの話を総合的に考えてみると、何となくわかった気がする。とくにイメージと意味の関連(シンボルやモチーフの共通など)については、ちょっと深く認識できた気がする。

まず、今日の授業で、教科書の第7章の話が出てきてうれしかったです。足の下に置かれていても、敵対しているわけではなく、上の者を支えているという考えがとても気に入っています。私は、仏像自体に今まで興味がなかったけど、そこにこめられている意味などを知ったときが、一番楽しいと思えました。

最初、この授業を聞き始めたときに、疑問が浮かぶことが多くて(最後の方も多々ありましたが)、でも、日本やインドなどの仏像やマンダラについて、少し(全部とは言えないので・・)理解することができたのでよかったです。自分=宇宙の考え方は、自分を大きくした気がします。京都、奈良へ行きたいです。


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