密教美術の世界
2006年6月7日の授業への質問・回答
イメージの画一化というのがあったけど、私は信仰にはまず個性を殺す傾向があるのだと思う。とくに、信仰の対象となる絶対的な存在には、人間的な個性とかはじゃまになりうるだろうし、多くの信者を集めるには、とくに「一般化」が必要なのではないかと思った。
まさにそのとおりです。宗教の本質にかかわる、たいへんよい指摘だと思います。「イメージの画一化」については、授業では仏像のレベルの話に終始しましたが、最後にあげた「コントロールのしやすさ」というのは、指摘してくれたようなことも視野に入れていました。現実世界で画一化されたイメージを持つものは、いずれも厳しい規律のもとでの集団生活を送っています。学生、軍隊、受刑者、いずれもそうです。軍隊を例に取れば、そこでは上官の命令が絶対であり、個々の兵士は自分勝手に行動することなど許されていません。兵士みんなが思い思いの行動を取れば、軍隊全体が崩壊してしまいます。そのときに、個性や自己主張を剥奪するもっとも効果的な方法が、外見、すなわち髪型や服装を画一化することです。宗教もそれと似たところがあります。神や仏の教え、あるいはそれを伝える教祖や先師の教えは絶対的です。自分の好きな方法で修行をしたり、自分の都合のいいように教えを解釈したりすることは、認められません。僧侶が同じ袈裟を着て、頭を丸めているのは、偶然ではないのです。とくに修道院や僧院のような、共同生活を送る場合はそれがより厳格です。その一方で、信者や修行者にとって、このような個性や自己主張の放棄は、ある意味、とても楽なことです。神や仏などの絶対者の前での自分の卑小さや無力感を知ることで、そのような存在にすべてをゆだねることができるからです。人間が宗教を求めるのは、現実世界は矛盾や非合理に満ち、それを自分ではどうしようもないときなのです。
仏が大量生産されるとありがたみが無くなる気が・・・。でも、日本の場合、一体一体ちゃんと作っているみたいですが、日本でも大量生産された仏はなかったのか謎です。
「仏の大量生産」というのは譬えの表現で、実際に仏像が大量生産されたわけではありません。仏教の経典の中で、三世三千仏のように無数の仏が現れたり、宇宙に満ちあふれるさまざまな仏国土に、ひとりずつ仏がいたり、あるいは前々回取り上げたように、仏の世界に菩薩や天、女尊など、さまざまな仏が現るようになったことを「大量生産」と呼びました。そのときに、文献の中では名称をあらたに考えさえすれば、いくらでも仏が生み出されるのに対し、現実世界では、さまざまな制約があり、それに見合ったあらたな「聖なるイメージ」を生み出すことができません。実際、作品として作られた仏の種類は、ごく限られていて、しかも、同一グループの中では、同じような姿をとる傾向が顕著になるということです。日本での仏像の大量生産ということであれば、京都の三十三間堂の千手観音などが連想されますが、あれはかなり特殊なものです。木版画のような印刷物で、おなじ仏画が大量に作られることもあります。
仏の瞑想や、その像の大量生産にシンボルが重要な役割を果たすことがわかりました。画一化が仏のコントロールにつながるという話がおもしろかった(例もわかりやすかった)ですが、リアルに瞑想をするというときには、そのものがごちゃごちゃいろいろな特徴をしていると、イメージしにくいと思うし、何か一番よい(と思われる)ものを思い浮かべるんじゃないかと思う。日本の明王が全然違うという点では、日本がそこにイメージのしやすさでなく、見た目の良さを重視したものと思う。
「仏をコントロールする」ことについては、その理由がわからないというコメントも多くいただきました。たしかに、わかりにくいと思いますが、これについては、マンダラのところで説明する予定です(今回は取り上げません)。それで、忘れてしまうといけないので、簡単にふれておくと、密教の実践法では僧侶が仏をその場に生み出し、仏に対して供養や礼拝をおこなうことが一般的です。その上で、その仏と自分自身が一体となるという瞑想をおこないます。さらに、特定の儀礼では、その場に生み出した仏を自在に操ったり、その仏を他の儀礼参加者の中に導き入れたりします。そうすると、その儀礼参加者も自分自身が仏と同一になったことを実感します。「仏となる」あるいは「仏とする」ということが、密教では可能であり、しかもそれが瞑想や儀礼において求められるのです。明王のイメージが画一化していないというのは、見た目の良さもあるかもしれませんが、むしろ、日本に伝わった段階では、まだ画一化が進んでいなかったことによるでしょう。日本ではマンダラに描かれた仏をのぞき、インドほどはイメージの画一化が進んでいません。明王も瞑想の対象となり、とくに不動明王の場合は、十九相観といって、19の段階をふんで瞑想することが広くおこなわれました。
マンダラの中で仏の姿を描かないで、シンボルで表しているのが印象的でした。真言宗で梵字を見て瞑想するというのを、何かで読んだ気がするのですが、それも仏を表しているシンボルなのかなと思いました。
真言宗でおこなう梵字の瞑想法は、「阿字観」(あじかん)といって、大日如来を象徴する「阿」(悉曇といわれる書体で書きます)を前にして、瞑想をおこない、自分自身(とくに自分の心)と大日如来との合一感を体験します。マンダラにも仏の姿を描かずに、梵字だけで描いたものがあります。このようなマンダラを「種子曼荼羅」と言います。「種子」というのは、このような文字が仏を生み出すためのもとのようなものだからです。実際、密教の瞑想法では、文字やシンボルをはじめに生み出し、それをもとにして仏の姿を生み出します。文字にしろ、シンボルにしろ、シンプルなものが用いられるのは、それがわかりやすいからでしょう。ちょうど、道路標識のように、見た瞬間にそれが理解される必要があるからです。瞑想やそれによって生まれる神秘体験とは、一種の条件反射なのです。「止まれ」の標識が、他の標識と紛らわしかったり、あるいは、くどくどと説明文が書いてあったりしたら、止まるということがわからず、交通事故になってしまいますよね。
仏の表現が歴史をたどると円環している。モノにイメージを託したところから、人の姿をとり、そしてモノに還っていく。やはり精神/信仰の表現に人の姿は適しないのだろうか。人の姿は不完全さや時の流れから逃れえない存在であるという事実をも喚起させるのかもしれないと思った。しかし、始まりの頃のモノに仏を託したのは、偶像崇拝に対する抵抗からだったが、後世、モノに仏のイメージを託したことは、一面、人間の想像の限界であり、他方そうした限界ゆえの仏の完成とも言えるのかもしれないと思った。
インドの密教美術において、初期の仏教美術の象徴的表現に似たものが現れることを、どのように解釈するかという問題ですね。象徴表現の復活と見るか、あらたな方法の発見と見るかは、見るものの視点によって異なります。私はどちらかというと「象徴表現の復活」と考えるのですが、「人間の想像の限界」というのも妥当だと思いますし、「限界ゆえの仏の完成」というのも、理解できます(表現そのものは矛盾しているような気がしますが)。想像することは創造することでもあり、あらたなイメージを作り出すことでもあるのですが、そのイメージのムダな部分(共通する部分)を可能な限り、そぎ落とすと、象徴になるという感じでしょうか。
仏を表すためには、仏そのものよりも、シンボルを用いた方が適しているということは、どうして言えるのですか。仏の数がたくさんあるからですか。はじめは仏そのものだったのに、途中から持ち物だけで違いを表すのは、めんどくさがりというか、けどとてもおもしろいと感じました。また、スライドはとても楽しかったです。とてもわかりやすく、先生の教科書もこれくらい簡単な文だったらよかったのに・・・と思ってしまいました。イメージが画一化することはおもしろくないと思っていましたが、安定化するといったよい面もあるのだなぁと気付かされました。
シンボルを用いるようになった理由は、違いをはっきり示すことや、儀礼や瞑想において、シンボルがしばしば用いられたこと、もともと、インドの宗教美術は、シンボルを用いた表現が好まれたことなどをあげることができます。最後の点は、初期の仏教美術と結びつけて考えましたが、ヒンドゥー教などの他の宗教美術でも同様で、ヤントラなどと呼ばれる図形では、神々の姿はやはり簡単なシンボルに置き換えられます。それが神を招くための「よりしろ」として機能するのも、密教の場合と同様です。スライドショー「仏像ふしぎ発見」がおもしろかったというコメントは、ほかにも多く見られました。仏像や仏教美術のなかで、おもしろそうなトピックを選んだものですが、それなりに授業で取り上げているテーマも盛り込まれています(三十二相や観音の性、宇宙と大仏など)。これにくらべて教科書が難しいというのは、「すみません」というしかないのですが、それなりに一般向けに書いたものなので、がんばって読んでください。同業の研究者の人たちには「難しい内容なのに平易に書いてある」という感想が多いのですが、まったくの初心者には難しいかもしれません。編集を担当された方も、本を作っている段階で、内容はかなり専門的ですねという感想をもらしていました。わかりにくいときは、繰り返して読んでみてください。
さまざまな仏が生まれても、最後には結局初期のシンボルだけのものになっていておもしろかった。それだけ個々のイメージが定着したからできたことだと思うけど、ただ単に描き表すのが面倒だからこうなったのかもしれませんね。今日のオープンキャンパスのスライドはおもしろかったです。あらためて見ると、仏像の違いがはっきりしていたことがわかりました。地獄めぐりの方も見てみたいです。授業の最初で「宇宙観」の話がありましたが、当時のインド人はすでに宇宙というものを知っていたのでしょうか。そうなると、西洋よりもインドの方が進んでいた(?)のですね。インドが「ゼロの概念」を生み出したのも、この仏教の宇宙観と何か関係があるんでしょうか。
宇宙論については今回の授業から取り上げます。ただし、この場合の宇宙は、現代のわれわれがイメージする宇宙と同じものではありませんし、西洋の近代的な宇宙論や、科学的な宇宙の構造などに一致するものではありません(根底ではつながっているのですが)。むしろ「世界」や「全体」といった方が適切です。そのようなものに対する思考は、人類が文化を持つようになったときから、普遍的に見られます。授業ではそれと同時に、世界とわれわれ自身との関係も考えていきたいと思います。
キリスト教のイエスは神の子として信仰されています。イスラム教のマホメットも「預言者」です。このふたつの宗教は、イエスやマホメットの他として「神様」がいます。けれど、仏教は仏様以外に「神様」という存在は聞かないような気がします。仏様を救ってくれる神様のような存在として信仰しています。この点は仏教が神様というものをいくぶん近くに感じさせるのでしょうか。
神や仏に関するキリスト教やイスラム教(そしてユダヤ教も)と、仏教との大きな違いは、その数よりも、われわれとどのような関係にあるかでしょう。キリスト教やイスラム教の場合、われわれは神になることはありません。神によって救済されること、神の国で永遠に幸せに暮らすことなどを人々は求めます。それに対して、仏教は仏になることが最大の目標です(そうは思っていない人も多いでしょうが)。仏教は「仏による教え」であると同時に、「仏になるための教え」なのです。悟りを開くことは、あらゆるものに可能ですし、それを実現させることが仏教、とくに大乗仏教の理想です。授業でときどき取り上げるインドの神様、つまりヒンドゥー教の神様は、仏教では天部というグループにまとめられて、護教神的な役割を果たします。もちろん、ヒンドゥー教内部ではこれらの神々は至上神であり、むしろ、ユダヤ、キリスト教的世界の神に近い存在です。
密教がシンボル(カギ、核)をたよりに、目の前に仏の姿を呼び出すというのが、具体的なイメージが浮かばなかった。イタコさんと同じような感じで、霊感などを使うのでしょうか。
基本はヨーガです。定められた姿勢を取り、呼吸を整え、深い精神集中をおこないます。そのときに、真言という神秘的な言葉を発声したり、両手で印を結んだりもします。そのとき、霊感が必要かどうかはよくわかりません。仏教的な立場からは、神懸かりになるような霊感は、かえって低レベルの神(あるいはもののけ)が憑いただけとして、排除されます。しかし、まったくそのような能力(霊能力?)がない場合、仏を呼び出すことや、その仏とコミュニケーションをとることは難しいかもしれません。このような瞑想法はシャーマニズムに似ているという研究者もいます。
資料22ページの最後の方に、画一化がもたらしたものとして、意味の機能の低下と書いてありますが、シンボルしか残らないのなら、逆にシンボルの持つ意味というのは重要になってくるのではないですか?
そのとおりですね。仏のイメージ全体の持つ意味が、シンボルに凝縮されるということでしょう。しかし、その場合、シンボル以外の共通部分は、個性的ではないということで、その仏の「意味」を表すというはたらきを失うのではないかと思います。私はイメージやシンボルの持つ意味は、単にその仏が誰であるかを表すだけではなく、ある種の「力」を持っていると考えています。そのような力が、個性を失い画一化することで、失われてしまうのではないかということです。その一方で、イメージをグループ全体で共有することで、イメージそのものは安定化するとも考えています。
出現した当時は強烈な個性を持っていた仁王や仏たちも、時がたてばそのグループ内で画一化が起こると理解した。降三世三昧耶会に見られるような仏を象徴化する試みは、そのような流れの中では当然のものだったのだろう。しかし、それはある意味では仏のイメージをないがしろにしているものではないだろうか。たしかに、イメージを抜き出せば、それが何を表すかは理解できる。ただ、それは同時に省かれた「本体」を表現する価値がないと切り捨てているように思われるのだが、
基本的には私もそのように思いますし、それを意味や力という言葉でとらえると、前の回答と同様になります。ただし、「本体」を切り捨てているかどうかは、わかりません。このようなシンボルを用いる場合も、仏そのもののイメージは明瞭である必要があったと思います。瞑想や儀礼でシンボルが用いられるのは、それがわかりやすくて機能的だったからではないかと思います。
私も2年前のオープンキャンパス覚えています!!今日のパワーポイントを見て、薄暗い教室で先生とお話ししたのを思い出しました。
それはうれしいです。オープンキャンパスでパワーポイントのスライドショーをするようになったのは、3年前からです。このスライドショーは比較文化コース(というか私自身)の自主企画で、文学部の他のコースは、わざわざこんなことはしていませんが、実際にそれを見た方たちがその内容を覚えていて、しかも入学してきてくれたのは、うれしい限りです(スライドショーを見たから、金沢大学を選んだわけではないとは思いますが)。薄暗い部屋なのは、スライドショーをするためのやむを得ない措置です。同じ部屋では、もう一方で「金沢大学所蔵の豪華本の展示」というのをやっていました。そちらもけっこう内容が濃いのですが、部屋が暗くてよく見えないので、若干、印象が薄いようですね。
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