密教美術の世界
2006年5月17日の授業への質問・回答
ガンダーラはあまり女性のことが好きではなかったというのが意外でした。何か差別的な要素や宗教的意味合いがあるのでしょうか。また、ふと思ったのですが、こういった人たち(宗教家?僧侶?)の人に、女性があまり見られないのにも何か理由があるのですか。
ガンダーラの降魔成道に女性がいないということに、簡単に触れましたが、たしかに気になりますね。別に差別的な意味はありません。降魔成道で釈迦によって降伏させられる悪魔たちをどのように描くかは、地域によって異なります。授業でも紹介したように、ガンダーラでは勇壮な武将の姿と、獣の顔や体のあちこちに顔があるようなグロテスクな姿がしばしば現れます。いずれも武器を手にして、武力によって釈迦の悟りのじゃまをしようとします。降魔成道の物語では、悪魔にはこのような武力に訴える者たちと、もう一方で、性的な誘惑を仕掛ける女性たち(悪魔の娘たち)がいます。ガンダーラでは後者があまり好まれません(全くないわけではありません)。これに対して、インド内部、たとえばサーンチーでは、マーラはゴブリン(頭の大きな悪魔)のような姿をして、勇壮というよりも、むしろグロテスクで滑稽な姿をし、女性を伴います。授業で示したマトゥラーの五相図では、3人の女性だけが登場します。これらの作品では、降魔成道の主要なモチーフに、女性が不可欠と考えられていたことがわかります。このような違いがある理由は、いろいろな点から考えなければなりませんが、基本にあるのは、ガンダーラにくらべ、インド内部では女性を造形表現することが好まれ、しかもそれが得意であるということでしょう。これは仏教美術に限らず、ヒンドゥー教の美術にも当てはまることで、むしろ仏教以上に女性を表現することに力を注ぎます。有名なカジュラホでは、肉体をあらわにした女性たちが、男性と戯れる姿がヒンドゥー教の寺院の壁面を埋め尽くしています(私の「アジア図像集成」のサイトでも公開していますhttp://air.w3.kanazawa-u.ac.jp/)。
ひとつの図にひとつのテーマがあるのではなく、ひとつの図には複数のテーマがあり、それらがストーリーを追うようにならべられているのが、普通の絵と違うなぁと思った。そして、ひとつひとつのテーマの中にもストーリーがあり、読んでみると、とても興味深いものだったし、読んでから図を見ると、その図にどのような意味が込められているかがよくわかりおもしろかった。
絵や彫刻などの美術作品を見る楽しさは、その形の美しさとともに、そこに表されているものが何であるかを知ることにもあります。意味を知ることで、さらに深く作品を鑑賞することができるのです。このような体験は、これからこの授業で何度もあると思います。じっくり楽しんでください。美術作品を単に漫然と眺めているだけでは、ほとんど何も見ていないのとかわりがありません。そこに描かれているものをより深く知ると、作品はまったく違った様相をわれわれの前に表します。それはとても感動的な体験です。質問の中にある「普通の絵」というのは、おそらくヨーロッパ美術の、それもきわめて狭い時代のもの(印象派とかルネッサンスとか)だと思います。ひとつの絵に複数のテーマがあることは、日本でも絵巻物でしばしば見られますし、ヨーロッパの絵画でもめずらしいことではありません。授業を通して、逆に「普通の絵」と思っていたものが、とても限定的な特殊な絵であることにも気付いていただきたいと思います。
仏像を見るとき、仏のまわりのものは仏のありがたみを強調するための背景としか考えていなかった。言われてみれば当然だが、まわりの人間や悪魔ひとりひとり意味があり、物語があることに驚いた。私が「仏様」や「神様」を想像するとき、単なる「像」であり、「人形」であり、霊的なものである。しかし、当時の人々は、「仏」は実際に存在するもので、その存在の背景に細かな物語性を持っていたことを、スライドを見て非常に強く感じた。
仏像のような宗教美術を考える場合、それを「生身の仏」であると感じることは、とても大切なことです。授業で紹介した説話美術の場合、それはとくに強く意識されていたでしょう。前回の授業で紹介した、仏を表すのに人の姿をとることがためらわれるという感覚も、それが「生きた仏」だからこそ、感じられるのだと思います。指摘されているように、そこに物語性があることも重要なのですが、その一方で、物語性のない礼拝像(授業の後半で取り上げたような作品)は、たんなる「像」としかとらえられていなかったかというと、そうも言い切れません。そこでは、別のレベルで、「生きた仏」という意識が働いていたと思います。同じ「生きた仏」であっても、説話的な表現を好むのか、礼拝像的な表現を好むのかは、さらに別の視点から見る必要があるでしょう。京都の清涼寺というお寺に、有名な釈迦像があり、古来より「生きた仏」というような像として崇拝されていました。これはけっして説話図ではなく、礼拝像ですが、そのような例もあります。ちなみに、この像には胎内に内蔵の模型が入っていることでも有名です。このような方法で「生きた仏」を表現することもあるのです。
今日だけでも多くの仏像をスライドで見てきましたが、そのどれもが同じもののように見えてしまいます。先生はそのすべての区別ができるのですか?変な質問ですみません。
区別できます。できるから授業をしています。でも、みなさんも、夏休み前にこの授業が終わることには、しっかり区別できるようになっていますから、安心してください(きちんと出席して、話を聞くことがもちろん必要ですが)。はじめは同じように見えるというのは、みんなそうです。あなた方も、はじめて大学に入ったときには、周りの人たちがみんな同じように見えたのではないですか?だんだん、知り合いが増えるにつれて、区別が付くようになったはずです。仏像も同じです。
酔象調伏で、象が時間の移り変わりを表すために、二体の象が一枚の絵に彫られているを見て、日本史の資料集で見た同じような技法が使われている絵巻物を思い出した。たしかそれは僧が二人描かれていたので、インドから伝わった美術技法なのかと考えた。インドでは最初、説話的な仏像だったのが、次第に礼拝目的に作られるようになった変化が大きすぎるので、間の徐々に移り変わる流れも見てみたいと思う。
1枚の絵の中に複数の時間帯を表すことは、前にも書いたように、説話的な図像作品の常套手段です。「異時同図」とか「異時同景図」といいます。日本の絵巻物は、たしかにその典型的なものですが、けっして、そこにのみ現れる特殊な技法ではありません。日本史の資料集で見たという作品は、おそらく有名なものですから「信貴山縁起絵巻」とかでしょう。その中では僧侶や尼僧、貴族など、重要な登場人物が時間の流れにしたがって、何度も登場します。授業ではあまりふれられませんが、インドにも同じような異時同景図がありますが、そこでは、時間の流れに厳密に沿っているわけではなく、別の原理も導入されます(くわしくは、現在文学部で行っている「仏教の空間論」という授業で取り上げています)。「最初、説話図だったのが、次第に礼拝目的に作られるようになった」という流れは、大まかに見れば正しいのですが、インド内部でもいろいろなケースがあります。パーラ時代の仏教美術に礼拝像が多いのは、その源流となるマトゥラーやサールナートで、もともと礼拝像を好む傾向があったからです。アジャンタなどでは、かなり遅くまで説話的な図像が好まれます。礼拝像の流行は、同時代のヒンドゥー教の彫刻でも顕著です。そのような要素も考慮に入れる必要があります。
私は仏伝図がとてもおもしろいと思いました。あのようなエピソードは、誰が考えたのですか?それとも実際にあったことを誰かが書き留めていたのでしょうか。形に表した人々は、知り合いではなかったと思うので、エピソードから同じような形が生まれたことは、とても不思議だと思いました。それとも、ひとつの仏伝図がもとになって、まねをしていたのでしょうか。とにかく、ひとつひとつのエピソードがとてもおもしろいと感じました。悪魔だけの図はなぜ必要だったのですか?不思議です・・・。あと、なぜ鹿が出てくるのですか?不思議です。
たくさんの疑問を出してくれて、いいですね。学問は不思議に思うことからはじまります。ここであげてもらったものも、簡単に答えられることもあれば、なかなかむずかしいものもあります。人によって答えが違ったり、文脈によって異なる答えが可能となることもあります。一部の質問にだけ、私なりの答えを出しておきます。前半の方の質問は、仏伝の図像作品はどのように現れたのか、そのときに、テキストはどのような役割を果たしたのか、と言い換えることができると思います。仏伝図のエピソードは、それを見たり聞いたりした人たちが伝えていったもので、その課程で作品が生まれたと考えるのが自然です。現存作例の年代から考えて、このような作品は、釈迦の時代よりも数百年遅れて現れます。したがって、目撃者の情報から作られたものではなく、その時代に流布していたテキスト(文字だけではなく、口承伝承もあります)に依拠していたでしょう。しかし、それだけで図像作品ができるわけではなく、当時の造像の技術、人々の嗜好、美的感覚、用いられた素材などにも左右されます。同じエピソードであるにもかかわらず、造形表現が大きく異なることもしばしばあります。しかし、その一方で、遠くはなれたふたつの地域で、同じような図像が現れることもあります。その背景には、テキストがそれを強く規定してる場合もありますし、図像の伝播が、その距離を超えて起こった場合もあります。そのときには、それぞれの固有の歴史的状況も考察する必要があります。この問題は、今回のテーマとも若干関係しますので、皆さん自身でも考えてください。
仏教説話とそれを表す仏伝図は、見ていておもしろかった。説話的要素があった方がわかりやすいし、私でも興味が持てたのに、それが消失していったのは、なんだかもったいないというか残念な気がしました。今日見た仏像の中では、14の観音立像が好きです。引き締まってくびれたウェストが、うらやましいです。あと、説明があったようにも思うのですが、観音像の左肩の上にあるのは、蓮の花でしょうか。
説話的な要素が失われたのがなぜかという質問が、他にも多くありました。教科書では、歴史的な釈迦から、普遍的な(歴史を超越した)大乗仏教の仏に変わっていったということで、説明をしています。マトゥラーやサールナートなどの中インドでは、もともと説話的な要素が少なく、礼拝像を好む傾向もあります。ほかにもいろいろ考えられると思いますし、どれが正解ということもありません。どの答えで納得できるかは、自分自身で決めるのです。学問とはそういうものです。授業でお見せする仏像の中で、どれが自分の好みかを考えるのも楽しいです。そのようなことを意識しながら、注意して見ると、記憶に残りますし、展覧会などで本物に出会うと、感激します。以前、同じ授業で、「私のお気に入りの仏像」として、スライドの中の1点を感想の欄に記入してもらったことがありますが、かなりのばらつきがあり、それぞれの嗜好があることがわかっておもしろかったです。観音の左肩の花は蓮の花で正しいです。われわれのイメージする蓮とは、かなり形態が異なりますが、これがインドでは一般的です。先日、京都国立博物館で『藤原道長展』を見てきましたが、そこに出品されていた子島曼荼羅という作品に、同じようなデザインの蓮がたくさん描かれていて、インドの伝統が忠実に伝わっていたことをあらためて感じました。
八相図での降魔成道で出現する多数の悪魔は、釈迦の心に巣くう醜い自身であると考えられるとあるが、だとしたら、人一倍、釈迦自身、葛藤に苦しんだということになるのだろうか。
これは少し言い過ぎですね。資料として配付した八相図の場面の説明文は、あまり中身を確認せずに出してきてしまいました。降魔成道のこのような説明は、私はあまり賛同しません。これは、仏教学でひところ流行した「仏伝の合理的説明」の影響を受けたものです。有名な中村元氏などがよく書いているのですが、釈迦であってもわれわれと同じ人間なのだから、神話的なできごとなどは、後世のでっちあげにすぎないという主張です。しかし、そのような要素を落としていったら、「等身大の人間である釈迦」が姿を現すかといえば、絶対にそんなことはありません。そこには何も残らないか、残ったとしてもいびつな姿の矮小な釈迦像でしかありません。2500年前に生きた人々を、われわれと同じ視線で釈迦を見ていたと思ってはいけないのです。というわけで、少し不適切な資料を提示してしまいました。この部分は削除してください。
イメージは多様なのに、どの像も何かしら統一感を持っているのはどうしてですか。
多様なイメージが画一化していくことについては、もう少し先の授業で取り上げます。
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