密教美術の世界

2006年5月10日の授業への質問・回答


仏像が仏の姿を人間として描くに至った経緯はよくわかりました。ただ、仏の三十二相のように、人間の姿で描くことを認めながらも、ことこまかに姿を制限することで、形式主義的な傾向を残しているのではないかと考えたのですが。いかがでしょうか。
まさにそのとおりです。授業では「仏の象徴的表現」と「仏像の出現」を強調したのですが、その両者をつなぐ「形式主義としての三十二相」にふれるのを、うっかり忘れてしまいました。わざわざ「仏の三十二相」を読んでいただいたのは、そのためだったのですが・・・。三十二相というのは、人間の姿をとりながら、人間にはない「超人的」な特徴です。ありえない姿を与えることで、人間の姿に近い形で表すことを可能にしたのでしょう。もうひとつ、三十二相の重要な点は、この特徴をそなえているのが、仏と王のみであるという説明が、仏典にしばしば現れることです。この場合の王とは、理想的な帝王で「転輪聖王」(てんりんじょうおう)といいますが、授業で紹介した、「王か仏か」という選択肢の時にも必ず登場する名称です。具体的なイメージとして、三十二相が仏と王とをつないでいます。なお、三十二相は仏像の誕生にも重要な役割を果たしたのですが、仏を瞑想する「観仏」という実践とも関連します。すでに、仏がこの世にいない時代には、仏像を作るだけではなく、その姿をありありと思い浮かべ、あたかもそこに出現したかのように瞑想することも行われたようです。この伝統は、中央アジアや中国を経由して、日本にも伝わっています。

インドの美術作品もそうだが、日本の仏像などを見ると、私と同じ人間の手で作られたものだということが信じられないときがある。単に技術ではなくて、想像を絶する世界観とか、本当に見てきたように作られていることに驚く。まったく信仰心がない私が見ても、何か不思議な力を感じてしまうような作品を作った人々は、何を考え、どのような環境で生きていたのか、非常に興味がある。
私の関心もそのあたりにあります。仏像そのものも興味深いのですが、それを生み出した人々の心や考え方を知りたいと思います。それは同時に、時間を超えて、同じ人間であることを実感することでもあります。そのためには、別に信仰心の有無は問題ないはずです。「想像を絶する世界観」は、この先の「仏教の世界観」のところで詳しく見るつもりですので、お楽しみに。

仏は宗教世界の王であり、釈迦は王と同等という説明を聞き、前々からあった疑問が解けたように思える。私はシャカは生まれた直後に「天上天下唯我独尊」といったという話を昔聞いたけれど、世俗の欲を捨てて仏となるはずの釈迦にはそぐわない大きな欲を表したことばだと感じ、どうしてそんなことを言ったのか疑問に思っていた。しかし、釈迦が宗教世界の王になることを考えれば、納得のいくことばだと思えた。
王と仏の関係は、仏教をとらえる上で重要です。授業ではおもにイメージの世界での両者のつながりを取り上げましたが、それだけではなく、王権やイデオロギーの問題とも結びつきます。学期の終わりの方では、王の即位儀礼と密教の儀礼の関係を取り上げます。日本では、鎮護国家の儀礼において、密教が重要な役割を果たしますが、そのときにも王と仏は密接な関係を持ちます。日本史では「王法と仏法」という概念が重要になるのです。宗教と政治が結びつくのは、イスラム教やキリスト教を連想することが多く、あまり仏教は関係ないと考えるかもしれませんが、何千年も生き続け、アジア全域に広まった仏教が、政治と無関係に存在することなどありえないのです。

初期の仏教美術によって、人の形をした仏が生み出され、その後はそのスタイルが基本となっていますよね。そうすると、昔も今も人々が必死に信仰している仏というのは、人の心に生まれた俗世間的なものに過ぎないのではないですか。あと、普通の木や銅のかたまりを心のよりどころとする人間というものは、何か眼に見えるものに頼ってしまう性質を持っているものなのかなぁと思った。だから、鎖国時代も「踏み絵」が有効な手段として用いられたんだなぁ。
「人の形をした仏」というのは、仏教、とくに日本の仏像を見慣れているものには自然な感じかもしれませんが、宗教美術としてはけっして「あたりまえ」のものではありません。授業で紹介したイスラム教や、ユダヤ教も神の像を造りませんでしたし、キリスト教も初期にはやはり、人の形でイエスを表すことはありませんでした(これら三つの宗教は、歴史的にもきわめて近い存在です)。日本の神道でも、神社に人の形をした神様の像はありません。世界中の宗教を見回しても、人間の姿で神や超越的な存在を表す宗教はあまりないようです。授業でも強調したように、神や仏のような特別な存在、神々しく、この世にはありえない存在を、われわれと同じ姿で表すことの方が、異常なことと見ることもできます。そういう意味で、「あらゆる宗教は偶像崇拝を禁止したかったはずだ」と言ったのです。「われわれの姿と同じではない」ことを強調する手段として、人間離れしたイメージを与えるという方法があります。三十二相もそのような例と見ることができますし、先週の密教仏のスライドで何例かお見せした多面多臂(多くの顔や腕)をそなえた仏も、同様です。シンボルで表すのとは別の方法で、特別なイメージであることを表現しています。

はじめて、仏教は偶像崇拝が禁止されていると知って驚いた。それにしては、あまりに多くの仏像が作られすぎているし、家に仏壇があり、それにお参りするのはどういうことなのかと思った。でも、その答えには、何かを信仰するものの、それを大切にする気持ちから、ある一定のものをそばに置いておくという、複雑で矛盾した思いがあったということを知って、何となく納得した。気持ちはわかるけど、「仏の三十二相」はいろんなものを求めすぎだと思う。
私の説明不足ですが、仏教は偶像崇拝を禁止しているわけではありません。イスラム教がそれを厳格にテキスト(コーラン)の中で規定しているのに対し、仏教はそのような文献をもっていません。僧侶や在家信者の生活を規定した律(りつ)という文献にも、仏像を作ってはいけないとは、どこにも書いていません。それにもかかわらず、初期の仏教徒が仏像を作らなかったのは、「タブーだったから」とよく紹介されています。もちろん、それでも正しいのですが、「タブーだったから」という理由で片づけてしまうと、そこから思考が進みませんし、当時の人々の心を理解することも不可能です。宗教とは、コメントでも指摘してくれているように、「複雑で矛盾した思い」のかたまりです。それは、われわれ現代人でも同じであることに、気付いてほしいと思って、詳しく説明したのです。

なぜ、仏を法輪や菩提樹の形で表すのかということだが、現在の私たちが抱く感情に似たものを、当時の仏師たちももっていたのだろうか。それにしても、インドラやヴィシュヌ、カーリーといった仏以外の「神」は、同じように、象徴的に表されなかったのか。何らかの形で、仏と関わっている以上は、それらの神々も信仰の対象になるはずだが。
当時の仏教美術を生み出したのは、直接は仏師に当たるような職人だったでしょうが、そのテーマに何を選ぶか、それをどのように表現するかは、制作を依頼した人、具体的には僧侶や在家の信者(おそらく裕福な信者)たちもかかわっています。そのような人たちも含め、当時の仏教徒もわれわれと同じような感情を持っていたのではないかということを、授業では強調しました。しかし、その一方で、あまり自分に引き寄せて理解をしすぎると、そのような異文化を正しく理解できないこともあります。歴史的な状況に十分配慮して、その独自性を理解しつつ、われわれと共通する普遍的な文化のあり方を見たいと思っています。なお、インドラやヴィシュヌなどのインドの神々、とくにヒンドゥー教の神々は、仏教美術よりも少し遅れて、造形化がはじまったようです。意外に思うかもしれませんが、ヒンドゥー教では仏教以上に、神の姿を現すことに抵抗がありました。仏教よりも古い時代の宗教である、いわゆるバラモン教(この名称は専門家はあまり使いません)では、神々の像はまったく存在しません。

仏像は、インド発生のものだと、それは違いないかもですが、外来文化を授業したために発生したというのは新鮮でした。それにしてもヤクシャ(夜叉)などにしても、インド→中国→日本と旅をするうちに変化し、強調されたり、切り取られたりしていくキャラクターもしくは個性の変遷には興味がわきます。その源流はもちろんインドからでしょうが、インドの中でもそうして時代ごとに変化していく部分はあったのですね。
ヤクシャの作品をいくつか紹介しましたが、仏教美術といえば、仏像しか思い浮かばないのではないかと思い、その多様性を知ってもらいたかったからです。ストゥーパの時にも、このような仏教の周縁のイメージをいくつか取り上げるつもりです。蓮の花やマカラ、象、龍などです。このようなイメージが地域や時代を超えて、連綿と受け継がれ、その中で変容していくことに、私も強い興味を覚えます。

寺で仏像を見ていつも思うのだけど、どうして、作られた当時の状態に、たとえば、金色を塗るなどしないんだろう。当時の人たちは、金色の仏を見て、オォーとか思ったのに違いないのに。
中国やチベット、あるいは東南アジアでは、実際にそのように修復をします。しかし、多くの日本人、とくに現代の日本人には、そのような金ぴかの仏は、たいてい、ありがたく思えません。日本人にとっての仏像、あるいは「聖なるもの」のイメージには、どこかくすんだ、古色蒼然としたものが好まれるのです。仏の三十二相には「金色相」といって、全身が金色に輝いているという特徴があるのですから、金ぴかに塗るのが「正しい仏のイメージ」なのですが、それを忠実に再現することが、かならずしも「望ましい仏のイメージ」ではないのでしょう。「ありのままに表現すること」の限界が、ここにもあるのかもしれません。

世界史でサーンチーのストゥーパをならったときにストゥーパは日本語で「そとば」の語源になったと聞きました。実際は仏塔なのに、なんだか変だぁと思いました。また、インド美術における仏像は、カニシカ王によって大いに広がったと知り、なんだか新鮮な感じです。
ストゥーパが「卒塔婆」になったのはそのとおりです。ストゥーパという発音を漢字に置き換えたのが卒塔婆です。でも卒塔婆とストゥーパは形が全然、違いますね。卒塔婆は長細い板や角柱のイメージですが、よく見ると、その上の部分はでこぼこが作ってあります。これは五輪塔を模したもので、地水火風空という五輪(五つの元素)を表しています。実際は立方体や球、宝珠形などの石を積み上げて、五輪塔を作るのですが、それを木で代用したものです。五輪塔の五つの元素は、世界を構成する元素で、五輪塔全体が世界を表しているのです。五輪塔の形をした仏塔はインドにはありませんが、世界を表すという点ではストゥーパも同様です。これについては、仏塔の時にお話しします。仏像がカニシカ王によって広められたかは定かではありませんが、カニシカ王の時代に仏像が誕生したことは、授業で紹介した作品などで確認できます。

釈迦のお墓は世界にたくさんある。骨が納められているという場所もいっぱいあるが、骨をそんなに分けることは不可能である。それにもかかわらず、そういう施設があるのは、お釈迦様の存在は神性で、信仰の対象となっていて、人々の心の支えとなっていたんだと思う。
釈迦のお墓がストゥーパや仏塔で、日本でも舎利塔という形で、大小さまざまなものがあります。仏教を信仰するところには、必ず仏の骨である舎利をまつったこのような施設があるのはそのとおりです。その背景には釈迦に対する信仰があるのはもちろんですが、それだけではありません。無数にある舎利と、それをまつるストゥーパ(舎利塔)は、仏教とは何かを考える上で、重要な意味を持ちます。これについても授業で簡単に取り上げるつもりですが、詳しいことは、昨年出版した私の『仏のイメージを読む』の第4章で書きました。お読みください。

恋愛対象と信仰の対象を結びつけて考えたことがなかったので、新鮮だった。言われてみれば納得。写実主義が嫌いな宗教が、いつから仏や釈迦を像として表すようになったのか?釈迦の将来を予言した人はすごい。釈迦に本人の葬式の方法を聞くのは、少し無神経な感じがした。
初期の仏教美術の特徴である釈迦の象徴的表現を、宗教と恋愛と結びつけて説明するのは意外かもしれませんが、宗教も恋愛も人間の心の働きに関わるという点で、とても近いものだと思います。人間の心は合理的に説明できるものではありませんし、特定の宗教を信仰することも同様です。誰かを好きになることだって、同じだと思いませんか?「釈迦の将来の予言」や「釈迦の葬儀の方法」は、その話だけ聞くと、できすぎとか、無神経という印象を持ちますが、むしろ話は逆で、釈迦と転輪聖王、つまり仏と王とのイメージの共通性を強調するために、後世の仏教徒が創作したとしたら、むしろ自然でしょう。テキストができる背景には、その創作者たちの周到な意図があるのです。


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