仏教の空間論

2006年7月9日の授業への質問・回答


・熊野観心十界図で鳥居がまるで円を描くかのように配置されているが、これはやはり意図的なものなのか。
・なぜ十界図などは女性が聴衆として期待されたのか。やはり男性に比べ、女性の方が信仰生活の多くを担っていたのだろうか。
・日本では「世界を理解するためには時間が介在」とあったが、どういう意味なのかがよくわからない。時間が必要もしくは時間がかかるということではないのだろうとは思うのだが・・・。必ず時間軸が含まれるということなのか。
・修験はなぜ女人禁制なのだろう。女性の胎から出てくるのは、女性も男性も同じはずなのに。女性はどうして擬似再生観法を男性と同じように体験できないのか。山そのものを神聖なものとし、女性を不浄と考えるからなのか。
 
鳥居の配置が円を描くのが意図的かどうかは、わかりません。十界を画面に並べるときには、いろいろな方法が可能でしょう。心という文字の中に入れた作品では、完全に円でした。しかし、画面を均等に区切ったものも見たことがありますが、その場合は円にはなりません。どちらかというと、これは中国の仏教絵画の影響のような気がします(自信はありません)。観心十界図が山という自然の景観を背景にするようになったことが、円のような配置になったことと関係があるかもしれません。観心十界図の作品を、時代順に見ると何か言えるかもしれません。
 女性が聴衆として期待されていると授業で言いましたが、それは一面的で、男性も同じ程度期待されていたでしょう。妻や母などの供養をするのは、男性だったでしょうから。このような問題は、当時の女性観、女性の社会的な役割や、家族の形態がどのようであったか、「イエ」のあり方、などが関係する難しい問題ですね。死者のために残された家族が供養をするということも、時代によると思います。
 「世界を理解するためには時間が介在」というのは、はじめのころにあつかった「一念三千」とか、ヴァイシェーシカ学派のカテゴリー論を意識したものです。ヴァイシェーシカ学派では世界は構造的にとらえられ、時間よりも空間が優位におかれていました。それに対し、天台教学では、世界は観念的に分類され、それを「一念」という時間の観念でとらえ直しています(圧縮しているような感じで)。そのことと、十界図の発展形である地獄図に、六道輪廻図のような均等な区画で世界を分けるのではなく、時間の流れを含む景観図のような形式が好まれたことと、何か関係があるのではないかと考えたからです。
 女人禁制もいろいろな問題を含みます。本来の修験のイメージが、男性中心の宗教であるというのは、おそらく正しいでしょうが、まったく女性が排除されているというわけではないようです。高野山は修験ではなく、密教ですが、やはり女人禁制が明治までは続いていました。しかし、山全体に女性が入れないのではなく、山上の聖域のみが女人禁制です。実際、高野山には高野七口と称する七つの入り口があるのですが、そのすべてに、女人堂といって、女性のためのお堂が準備されていました。また、高野山を一周する女人道という道もあります。男性と女性で差異化を図ることで、聖域の意識を高めたのでしょう(それでも女性差別であるのはたしかですが)。修験や密教とは異なりますが、「山の神」とよばれるものが女性としてイメージされることも多いようです。その場合、山の神が女性であるが故に、女性が入ることを拒むという説明もなされます(どちらかというと、私は逆で、女人禁制と山の神を結びつける根拠として、あとから持ち出されたような気がしますが)。なお、現在では、女性のための修験の修行がちゃんとあります。高野山に行くと、老若男女を問わず、山伏姿の修験者が町の中を歩いています(不思議なところですね)。

時間を圧縮するというのと、時間が流れる世界観の関連性にやや違和感を覚えたのですが・・・。十界図や参詣曼荼羅に出てくる人物は、課題にあったように「空間を体験する」ための要素なのかなと思いました。
たしかに、天台教学と六道絵や地獄絵を同じ時間というだけで、そのあり方が異なるものを強引に結びつけた気がしないでもないです。しかし、天台教学に出てくる十界そのものは、六道絵や地獄図の中にも登場するので、まったく別のものではないでしょう。「圧縮する」ことと「流れる」のは別なのは確かですね。一念三千を図像的に表現することはもちろん、何らかのイメージや構造としてとらえることは不可能なので、しょうがないという気もします。

一心十界図は、心がすべてを示すことはわかりますが、「心」という文字を使って、そのまま「心」を表すというのが少し浮いた感じがしました。心も何か、それを象徴する具体的なものによって表されるということはなかったのでしょうか。
「心」という文字をデザインとして用い、そこに十界を描き込んだ絵は、おそらくかなり新しいもので、江戸時代の製作でしょう。このような文字をデザインとして用いるのは、江戸時代にはあちこちで見られ、浮世絵や錦絵などにもいろいろな作例があります。漢字は表意文字なので、それだけで意味を表すことができて便利ということもあるでしょう。日本ではあるものを何か別のもので象徴的に表すという表現があまり好まれなかったような気がします。せいぜい家紋くらいでしょうか。その一方で、文字の形に対するこだわりは、他の国よりも強いのかもしれません。今でも、パソコンの書体にこれほど多くの種類があるのは、その流れをくむのでしょう。

資料の2頁目で祭火について書かれていましたが、真っ先に思い出したのは、ゾロアスター教でした。こうしたように火を神聖なものとしてあつかうことはあるようですが、仏教においてはどうなのでしょうか。今までの感じだと、火は地獄絵で多く(ほとんどに)描かれていて、恐ろしいものの象徴になっているように思いました。
資料であつかっているのは、古代インドのアーリア人の儀礼で、火を用いて神々に供物を捧げる儀礼です。ゾロアスター教も、アーリア人と同じインド=ヨーロッパ語族の流れをくむ人々の宗教なので、その起源は共通しているようですが、儀式そのものはずいぶん違うようです。仏教では、密教の時代になると、ヒンドゥー教と同じように火を用いた儀礼を行います。護摩です。しかし、釈迦やそのあとの時代には、ほとんどこのような儀式は行われていません。むしろ、火を用いた儀礼を行うものを、改宗させた物語(カーシャパ兄弟の毒龍調伏)がよく知られていて、火をとくに神聖視しなかったことがわかります。地獄絵については、インドには作例がないので、よくわかりません。

質問・回答の「行って帰ってくる」ということ、そしてそれによって「生まれ変わる」、行って帰ってきたものにとって、もとの世界が「別の世界になる」というお話にはなるほどと思いました。山に行く話ではありませんが、海幸山幸の話を思い出しました。山幸彦が釣り針を探して海宮?(異界)に入り、そこで潮盈珠と潮乾珠を得て(これを成長ととることもできると思います)戻り、海幸彦を降伏させるという話は、天孫民族と隼人族との争いを表すといわれていますが、異界の「行って帰ってくる」という話に似ていて、興味深かったです。
海幸山幸の話は、いろいろな解釈が可能なようで、たまたま最近、読んでいた『外法と愛法の中世』(田中貴子、平凡社)では、舎利の信仰との関係で言及されていました。舎利を守る場所が竜宮で、それが女性を介して地上にもたらされ、王権の根拠となることなどが指摘されています。浦島太郎が竜宮城に行って帰ってくるのも、「異界探訪」の物語ですが、その結末に、地上では時間がずっと早く進んでいたというのは、ヨーロッパの冥界巡りで、死者の国に行って戻ったものにもしばしば起こります。昔話や神話にはさまざまな要素が圧縮されて込められているのでしょう。

インドの寺院が、コスモスを再現しているというのはなるほどと納得しました。それなら、キリスト教の教会や、ギリシャの神殿などはどうなのでしょうか。ぼくは教会が聖なる空間だとは思いますが、コスモスを象徴しているとは思えません。授業とは関係ありませんが、不動明王の八大童子は、衿羯羅と制多伽しか図像で見たことがありません。アノクタやエキ、エコウらの図像作品はないのでしょうか。
キリスト教の教会もギリシャの神殿も、意外に思うかもしれませんが、コスモスを再現したものであることが多いようです。教会は「神の国」や「神の家」であり、天上世界が地上に出現したものです。その一方で、神の身体を教会に投影したという解釈もあり、これもインドのヒンドゥー教寺院と共通する考え方です。ギリシャのパルテノン神殿などはよくわかりませんが、その形態は「黄金比」とよばれるコスミックな構造をベースにしているという説もあり、その場合もやはり、宇宙全体の秩序となっている構造が反映されているようです。不動明王の八大童子はいくつか作例がありますが、もっとも有名なものは高野山の不動堂にあった八大童子像で、鎌倉初期の運慶の作です(国宝)。八体の像のうち、2体は後補ですが、残りは当時のものです。国宝にも指定されていて、たしか恵喜童子は切手のデザインにもなっています(350円?)。ほかにも奈良博に画像の作例が、また、白描のものが個人蔵で何例か伝えられています。不動の眷属には三十六童子というのもいます。


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