仏教の空間論

2006年7月2日の授業への質問・回答


地獄図では、インドの「クローズアップ」の話を思い出します。時間の流れは無視されているようにも感じました。
地獄図のそれぞれの場面は、すでに存在している地獄のイメージを、コラージュ風につなげたものです。聖衆来迎寺の六道絵は、そのいわば集大成のようなもので、それ以降の地獄絵に、多くのイメージを提供しました。インドのアジャンタの壁画にも、このような大画面があらわれましたが、大きな違いは、インドでは全体の背景となるものがないことだと思います。そのため、視点が一定しませんし、場面と場面を区切るために、岩山や建造物のモチーフが使われます。これに対し、日本の地獄絵は、全体を鳥瞰している視点が存在しますし、全体を納めるモチーフとして、山が用いられます。ここでの山は、場面の境界ではなく、背景なのです。地獄絵での時間の流れは、ひとつひとつの拷問や苦の場面の前後関係は、必ずしも明確ではないですが、全体では向かって右から左にゆるやかに流れています。長岳寺の六道絵では、それが顕著です。これに加え、上段に十王を横一列に並べることで、亡者がこれらの王の裁きを順に受けることをも明確に示しています。日本の地獄図の画面構成が直線的であるのは、時間の流れをそこに組み込んでいるからなのです。インドの六道輪廻図が、車輪をモチーフにして、それが上下左右で固定化され、構造的であることと、これは大きな違いだと考えています。

山が異界、それも「行って帰ってくる」異界(授業では通り抜けると言っていましたが、私的にはそう解釈した)だというのは、ちょっとはっとさせられた。異界なのは当然として、「行って帰ってくる」異界。たとえば「姥捨て山」では、捨てるのは姥だけで、男は帰る。「桃太郎」ではおじいさんは山へ芝刈りに行って、帰ってくる。全部が全部というわけではないが、そういう見方もあるのではないか。そもそも異界そのものが「行って帰ってくる場所」という概念をはらんでいるのかもだが。
「行って帰ってくる」という見方はおもしろいですね。長岳寺の六道絵では、最後に極楽浄土と阿弥陀の来迎が描かれているので、いわばそこがゴールに当たり、帰って来るという見方はしませんでしたが、異界という概念には、たしかに「戻る」ことも含むことが多いですね。例に出してくれたのが物語や昔話であることも示唆的です。子どものための物語の多くは、このようなパターンが多いからです。たとえば、ピーターラビットの物語では、ピーターがマクレガーさんの畑で冒険をして、危険を脱して母親のところに戻るというのがあらすじです。同じようなパターンは、古今東西の物語に繰り返しあらわれます。「はじめてのおつかい」では、はじめてひとりで買い物に行った女の子が、いろいろな試練をくぐり抜けて何とか買い物を済ませ、最後にやはりお母さんに迎えてもらいます。子どもが成長するためには、このような冒険をくぐり抜けることと、その都度、もとの世界に回帰することが必要なのです。「生まれ変わる」のであり、その場として山が日本では好まれたのです。今回紹介する修験の実践も、山を舞台にした生まれ変わりの儀式です。そこで人々は十界をくぐり抜けます。くぐり抜けたあとの世界は、元の世界ですが、生まれ変わったものには別の世界になっているのでしょう。

山を越えると地獄の入口になること、山が説話などにもたびたび登場することから、山は空間を区切る上や境界という意味で、重要なモチーフであるとわかった。地獄でも、より低いところまで落ちると次元が変わるし、「高さを保つ」ということは重要になってくるのだと思う。
山は垂直にそびえるから意味があるのでしょうが、地獄が山を背景にしているのは、マイナスの方向、つまり、下に落ちるという意味も含まれているという指摘はおもしろいですね。しかし、全体を見ると、日本の地獄絵の山は、素直方向は強調されず、水平に伸びたイメージの方が主という気もします。中国やインドに行くと、自然の景観が日本とまったく違うことに驚かされます。簡単に言うと、スケールが大きいということなのですが、山や谷は人間を完全に拒絶しているようです。それにくらべると、日本の山は人間が暮らすことが十分可能な世界で、われわれの世界の延長線上にあるという感じがします。垂直方向の意識が希薄であることも、それに関係があるのではないでしょうか。

日本人にとって山は特別なところです。授業でも人道苦相幅1や修験道に出てきました。柳田民俗学では、仏教が入ってくる前の姿がどうだったかを、ひとつのポイントにしています。その柳田は、先祖の霊は家のすぐ近くの裏山のあたりにいて、正月や盆に子孫のところに帰ってくると言っています。個人的にはこの考え方に親しみを覚えます。山としての空間、異界としての山など、仏教と比較して考えてみるのも、おもしろいかと思います。もはや、仏教が日本に入る以前のことは、考えられないかもしれませんが。
私も日本人や日本文化の空間に、山というのが決定的な役割を果たしていると考えています。仏教が入ってくる前の世界観がいかなるものであったかを知るのは、たしかにかなり難しいでしょう。山に対するこのような考え方が、仏教以前のものであるとも言い切れないでしょう。山岳信仰は密教と密接に結びついていますし、奈良時代の仏教の主流のひとつでした。修験道の成立も謎ですが、これらの仏教的な要素がかなり濃厚です。その一方で、お盆も仏教の中で生まれた風習です(成立は中国です)。先祖の霊がどこにあるかは、そのまま、異界の問題につながります。六道輪廻はそれをひとつのシステムに仕立てたもので、日本人もある面ではこれを信じてきたのですが、それと同時に、祖霊や祖先への信仰を持ち続けています。本来は矛盾するのですが(輪廻しているのであれば、すでに祖霊ではないのですから)、ほとんど意識されることはありません。不思議ですが、現実にはそうなのです。

修験は各地にあると思うのですが、たとえばその山だけをずっと歩くのですか。それとも、吉野に行ったり、羽黒に行ったりするものなのでしょうか。
いろいろなパターンがあったと思います。基本的には特定の山(山脈や山系)を中心に、修験の場が定められていたでしょうが、かなり広い範囲のものもあります。熊野修験は紀伊半島の熊野や吉野、大峰山などがその舞台となりますが、それだけでも広大です(以前、私は紀伊半島の高野山に住んでいて、熊野に行ったことがありますが、車で移動するだけでもたいへんでした)。しかし、熊野修験は天台系なので、滋賀県からここまでのルートもありました。その途中には大阪の金剛山などもあります。この北陸でも、立山や白山の修験が有名ですが、それも天台系です。福井、滋賀の山々をとおり、都に続くルートがありました。私が先週行った鳥取も同様です。当時の修験者たちにとって、山は生活の場であると同時に、大きなネットワークの中での移動の場でもあったのでしょう。

インドや中国にも山はたくさんあると思うのですが、日本の修験道のようなものはなかったのですか。山岳信仰と聞いて「もののけ姫」を思い出していました。
インドや中国でも山は特別な場所でしょう。インドでは山や森は苦行者の修行の場であったり、国を追われた王などが潜むところでした(たとえば、ラーマーヤナやヴェッサンタラ物語)。中国では神仙思想や道教が山と密接に結びついています。修験道もその延長線上にあるのかもしれません。「もののけ姫」は、私も日本の山岳信仰をよく表した作品だと思います。動物や神々もそうですが、巨大な製鉄の施設を持っていることも重要だと思います。山と言えば、木や植物のイメージが先に立ちますが、じつは、金属文化とも結びついています。鉄や銅などの鉱山は当然、山の中にありますし、それを精錬するために必要な燃料(木材、炭、石炭など)も山から手に入れます。修験道ではさまざまな金属製品が重要な道具として用いられています。

「山」が神仏として崇拝の対象となるのは、現代人の私でも何となくニュアンスでわかるけれど、「海」がそのような対象になっている例はありますか? より内へ内へ・・・という考えで山にこもって、大きな偉大な神と通じることができるのかとあらためて考えると、ちょっと矛盾?「海」は大きくて偉大です。でも、「普遍なもの」といったら、山っぽいです。自然の雄大なものといったら、「山」と「海」なので、こんなこと考えてみました・・・。
はるか古代に、ミクロネシアとかポリネシアから渡ってきた人々が、日本人の一部を形成しているともいわれます。その記憶がどこかに残っているのかもしれませんが、「海」も代表的な日本の他界です。海上他界観といって、海の先に死者の国があるという信仰が広く見られます。その代表的なものが、今回、那智参詣曼荼羅で紹介する熊野灘の補陀洛渡海です。授業で山をもっぱら取り上げ、海にあまり言及しないのは、海を表した仏教絵画があまりないからです。「空間をどのように表現したか」という問題に、海はあまり具体的なイメージを提供してくれません。もっとも、海の場合、そこに出かけていって戻ってくるのは、山以上に危険だったでしょう。「生まれ変わる」ことよりも「死者の国におもむく」というのが強いのです。


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