仏教の空間論

2006年6月25日の授業への質問・回答


六道から逃れることを目標としているのに、描くのは固定されているなんて・・・。よくわかりません。あの鬼が、その気になればくるくる回しているのでしょうか。
六道輪廻図が車輪でできていることから、多くの人は、輪廻は車輪が回るようなものであると思っています。私もそうでしたが、六道輪廻図を説明する『根本説一切有部毘奈耶』を読んで、どうもそうではないと考えるようになりました。「上には良い世界、下には悪い世界」と上下関係が示されていて、それは変わることがありません。無常大鬼が抱えていることも、車輪のようには回らないことを暗示しているような気がします。日本人にとっての輪廻は、回転する車輪のような円環的なイメージなのですが、インドではそうではないのです。この授業で問題にしているのは、世界というわれわれのまわりにある空間は、どのように表されるかですが、インドの場合、輪廻する世界であっても時間の要素が入り込まないことが特徴になるのではないかと思います。絵に描いた車輪は回らないのです。そのあとに、日本の六道絵を取り上げるのは、そこに時間的な要素が顕著であるからです。日本では車輪タイプの六道絵は不思議なことにまったく現れません。

ブリューゲルの「死の勝利」を思い出した。ヨーロッパの地獄観と一致しているのか知らないが、日本の地獄絵と対比してみると面白い。責め苦をあてるのは、「死の勝利」ではガイコツというか亡者で、日本では鬼なわけだ。
ブリューゲルの「死の勝利」をこれまできちんと見たことがなかったので、見てみました。プラド美術館の所蔵で、ネットでも画像データがありました。なかなかすごい絵ですね。たしかにそこでは、ガイコツ姿の亡者が無数に描かれ、人間を次々と襲っています。人間はなすすべもなく、その手にかかって、死んでいくようです。ガイコツが人々を死と導くのは、ブリューゲルのアイディアではなく、もともとヨーロッパの死のイメージにあるからです。例えば、「ダンス・マカーブル」とよばれる絵がヨーロッパでは古くからありますが、これはガイコツがダンスをしながら、人々を死の世界に連れて行く様子を描いたものです。そこでは王侯貴族から聖職者、一般の人々、老いも若きも、すべて死へと導かれています。死は身分の上下や年齢にかかわらず、すべての人に訪れるからです。「死の勝利」はこのような「死へとみちびくガイコツ=死者」というイメージを、壮大なスケールで描いた絵のようですね。ヨーロッパなので、ペストの流行のイメージなども、込められているのでしょう。ちなみに、このガイコツのイメージが、黒マントをかぶった老人とひとつになって、ヨーロッパの死に神にイメージになります。大きな鎌を手にした死に神です。ガイコツが地獄絵の鬼に相当するかどうかはわかりませんが、死者の国や、死そのもののイメージとして、このような絵画と地獄絵を比較してみると面白いでしょう。なお「ダンス・マカーブル」は小池寿子さんの『死の舞踊』(小学館)が詳しいです。私の近著『生と死からはじめるマンダラ入門』でも取り上げています(生協にも入れておいてもらう予定です)。

地獄も輪廻の中の世界なのですよね。死ぬとつぎの世界へとは言いますが、地獄や天道には終わり(死)はあるのですか。あるならば、どのように終わるのですか。即死のような気もしますが。地獄の苦しみの中で、業はどのように積むのでしょうか。
地獄も輪廻の中の世界です。地獄も天も、必ず終わりはあります。しかし、その長さが、われわれの想像を絶するような、途方もない長さで、しかも、地獄の場合、下に行けば行くほど(つまり、拷問や責め苦が厳しい世界ほど)その長さは長くなります。これは、天と対応していて、上の天ほど、時間はゆっくり流れます。我々の感覚では、これは逆のような気もしますが(楽しい時間ほどはやく過ぎる)。どの地獄に行くかを決めるのが十王による裁きで、生前の業にしたがって、判断が下されます。もっとも、十王思想は中国で成立したものですから、インドではもっと簡単に、あるいは自動的に行く先の地獄が決められたのでしょう。

死後の世界観について、いろいろなことが昔から考えられていたが、その中で、日本では「正統的」な仏教死後世界観と、それ以前に起源がさかのぼる可能性のある死後世界観との、すりあわせの過程が存在していたということがわかった。
おそらく、そうなのでしょう。ただし、正統的な仏教の死後の世界観というのが、どこにどのような形で存在していたかは、明確ではないでしょう。インド仏教の死後の世界観も多様ですし、日本人にとっては中国の十王思想も正統的な死後の世界観だったと思います。日本固有の死後の世界が、どのようなものかもよくわかりません。今回取り上げるように、古くは山や海が死者の世界であったと言われますが、それが「古い起源」であるかどうかもわかりません。これらと結びつく宗教としては、修験道や山岳宗教、あるいは蓬莱思想などです。もともとこれらの宗教が日本にあり、それに仏教が重なったというイメージは、文化の形成としてはいささか簡略すぎるような気がします。いずれにせよ、その「すりあわせの過程」こそが、文化形成のダイナミズムを示すところだと思いますし、日本文化の独自性が表れるところだと思います。いろいろ調べてみて下さい。

六道巡りで滅罪を終えたあとに浄土に迎え入れられるという観念は、六道輪廻転生で死後報われない人たちのために作られたものではないかと思った。しかし、そういった場所は、はじめに六道が作られたときと根本的な「ずれ」が生じてしまうのではないかと思う。むしろそれもどうかと思う。
そのとおりで、地獄の最後に浄土が待っていることは、日本人的な安易な死後世界観だと思います。それは本来の六道と「ずれ」が生じるのも確かです。しかし、まさにそのズレこそが、日本文化の特徴です。「それもどうかと思う」という問いかけは、むしろ「なぜずれが生じたのか」「そのずれによって、日本人は死後の世界(さらにはこの現実の世界)をどのようにとらえたかったのか」という問いにしたほうが生産的です。最近の政治家は、何か問題があると「それはいかがかと思う」というようなコメントをよく発しますが、それは何も答えを出そうとしていないような印象を受けます。疑問に思ったときは、まちがっていてもいいので、ぜひ自分自身の答えを見つけて下さい。

子どものころ(彼岸の時?)地獄極楽の絵解きをみせられた。しばらくは恐怖感が残っていたと思う。子どもにとって、ナマハゲなども同様に思える。しかし、成長後には今の授業のような形で見せ、教えることも必要であろう。
私は地獄絵はあまり小さいときにみせるべきではないと思います。私自身、おぼろげな記憶ですが、ずいぶん小さいときに見て、とてもこわかったからです。それがトラウマになって、逆に仏教学などを専攻するようになったのかもしれませんので、なおさら、避けるべきでしょう(一般的な話として、仏教学を専攻しても、なかなか食べていけません)。成長後に見せるべきかどうかはよくわかりませんが、倫理観を植え付けるためには、何らかの効果はあるかもしれません。しかし、このような想像の世界よりも、現実の世界の方がはるかに地獄に近い気もします。広島、長崎の原爆やアウシュビッツ(最近のニュースでは「アウシュビッツ・ビルケナウムムナチスドイツ強制・絶滅収容所」を正式の名称にするそうです)のユダヤ人大量殺戮などは、まさにこの世の地獄でしょう。人間の行うことが、この世の何よりも凄惨で残虐なのです。「人間はこんなことまでする」ということを知ることで、人間としてよりよく生きるとはどのようなことかを考えるべきかと思います(少し話が飛躍していますが)。

地獄図を見ていると、鬼たちから一方的に拷問を受けている絵がほとんどをしめる中、刀葉樹は自らの欲望によって自らを傷つけるという点で、特殊なものだと思いました。
たしかにそうですね。他の場面に比べて、その分、刀葉樹は客観的に見ることができる場面かもしれません。そんな場面を見ても、自分だったら、そんなことにはならないという自信(余裕?)のようなものも感じられるからです。これは、地獄絵が単に地獄の恐ろしさを示すだけではなく、見る者たちをある意味、楽しませる絵画に変質したからかもしれません。時代と共に、地獄絵を見せるのは、年中行事となり、その対象も貴族から一般大衆へと移っていきます。そこでは、僧侶の絵解きを信者たちが見聞きする、一種の娯楽の要素となっていきました。みずからの身体を犠牲にしてまで、美女を求めるというのは、見せ物をとしても人を引きつけます。ましてや、それが男女逆転して、美男を求めて半裸の女性が刀葉樹をのぼるというような絵になれば、さらに見る者たちを喜ばせたでしょう(出光美術館の六道十王図など)。このほかにも、地獄絵には性や女性にかかわるモチーフが、後代になるほど頻出します。血の池地獄や石女(うまずめ)地獄、両婦(ふため)地獄などです(今回、紹介します)。いずれも鬼による責め苦ではなく、女性たちがひたすら自ら苦しんでいる地獄です(しかもいずれも女性が登場します)。地獄絵が厭離穢土を表すためのものではなく、その残虐性から脱却し、娯楽になったことのあらわれでしょう。それが、授業で考察する空間から時間への地獄の変質とどのように関わるかも考えてみたいと思います。

往生要集の中身というものはあまり知らなかったけど、こんなふうに地獄について詳しく書かれていると知ってびっくりした。今度読んでみたいと思う。現世の罪の内容が、地獄での苦しみに影響してくるのは、やはり罪を思い知らせるためなのだろうか。何度も生き返るのもこわいと思った。
授業でも紹介したように、往生要集は現代語訳が出ていますので、是非一度読んで下さい。日本の地獄のイメージ形成に決定的な役割を果たした文献です。それと同時に、往生要集といえば、この地獄ばかりが取り上げられますが、全体から見ればそれは冒頭の一部に過ぎず、むしろ、欣求浄土の部分と、それを求める方法としての念仏などの実践法があります。ここから、日本の浄土教が生まれました。法然の浄土宗も親鸞の浄土真宗も、往生要集のこの部分があったからこそ、その発展途上に出現したのです。それとともに、迎講や臨終行儀などの儀式や、あるいは来迎図や極楽浄土図などの浄土教の美術も、何らかの形で往生要集とつながりがあります。

お盆の起源をはじめて知った。六道において、地獄が多いのは、というか一般的にどの文化でも天国のイメージは貧困で、地獄のイメージはバリエーション豊富だとどこかで聞いたような・・・。もしかして森先生の講義(以前の)でしょうか。
お盆の起源は、けっこう知られていると思いますが、もし知らなければ『仏教文化事典』のような辞書を引いてみて下さい。釈迦の弟子である目蓮が主人公ですが、その成立は中国です。地獄絵の中にも目蓮の地獄めぐりは描かれていて、それが地獄を遍歴するわれわれの視点にも重なります。「天国のイメージは・・・」はたしかに私の授業で、以前紹介したものでしょう。あちこちで言っているので、どの授業だったかは覚えていないのですが・・・。


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