仏教の空間論

2006年6月4日の授業への質問・回答


どの図像も人がずいぶん密集していますね。画面をびっしりと人やもので埋め尽くすことには、どのような意味があるのでしょう。また、埋め尽くしているさまざまな人やものは、それぞれ意味を持つのですか。
インドの仏教美術は、たしかに画面にほとんど余白がなく、人やもので埋め尽くされています。前回の質問・回答でもふれましたが、このような表現方法にも空間の表し方の特徴があるような気がします。インドには景観を大きく表したような作品はあまり見られません。中国の水墨画や、日本の洛中洛外図屏風、ヨーロッパの田園風景画などは、視点を対象からずっとはなれたところに置き、そこから俯瞰するような景色が描かれます。それに対して、インドでは物語のエピソードをクローズアップして、それを連続させたり、まとめたりして全体を表します。そこでは全体の背景となる景観は現れず、個々の場面に限定的な背景がわずかに描かれるに過ぎません。背景に人やものを密集させることで、このような背景すら、できるだけ少なくしているように見えます。異なる場面を連続させるためには、その両者が共有する背景が必要になりますが、背景を描かずにすませれば、そのような配慮も必要ありません。バールフットやサンチーではそれですんでいたようです。それに対して、アジャンターでは大画面を用いて、多くの場面を描かなくてはならいので、描くものの視点は少しはなれます。そのため、背景が現れるようになりますが、異なる場面どうしは建造物や岩山などの一種の舞台装置で区切られて、俯瞰的な景観は登場しません。壁画の画面構成が、時間の経過やストーリーの展開にしたがわず、空間を優先させていることが、インドの説話美術の特徴としてあげてきましたが、それはこのような空間の表現にも関係があるのかもしれません。同じ場面のできごとをまとめることで、背景の不連続を、少しでも緩和することができるからです。

一枚の絵の中に、マンガのように話が時間の流れごとにつめてあるものもあれば、1枚の絵の中に同時ではないにしろ、いろいろな話を詰め込んであるものもあった。これは現代の感覚からいえば、一枚の絵らしからぬものだと思った(見にくい!)。また、ひとつの作品の中で、背景だけ見るとワンシーンなのに、中の人々が移動して、時間の流れを作っているものもあっておもしろいと思った。片足あげているのが憂鬱なのはよいけれど、理由が象が自分の中に入ってきた夢が・・・というのは、そんなに夢が大事だったのかと驚いた。また、遠近法が用いられることで、空間的な奥行きができたことで、写実性が高まるのかと思いきや、時間の流れを表現するもののひとつだとなっている(なってました?)ところも、意外だった。
アジャンタにせよ、サーンチーにせよ、作品だけ見ていても、なかなかその内容はわかりません。当時の人々が、これらをどのように見て、どのように理解していたのかは、興味深いところです。解説専門の僧侶がいたとも考えられていますが、そのような僧侶ですら、あまり内容を理解していないことが、律の文献に伝えられています。作品を制作した人々は、誰の指示でこのような絵を描いたのでしょうね。指示した人々は、作品の内容を理解していたはずですが、壁画全体のプログラムや構図まで指示したのでしょうか。いずれもよくわからないことです。遠近法については、今回少しまとめて説明します。遠近法は基本的に三次元の空間を二次元の平面に置き換えるためのテクニックです。それが時間と関係するかどうかは、今回の授業で考えてみたいと思います。

授業の内容とははずれますが、インド仏教には七を聖数とする思想があったのでしょうか。古代中国にも七を聖数視する傾向が見られ、どうやらそれが西アジアからの影響らしいのですが・・・。
七については、以前『インド密教の仏たち』を書いたときに少し調べました。その第二章で取り上げていますが、完全性や王権と結びついています。神や仏との関係では、太陽と関係のあるもの(太陽神やヴィシュヌ、大日如来など)に、しばしば七のモチーフが出てきます。西アジアが起源かどうかはわかりませんが、かなり広い範囲で見られ、私の本の中では旧約聖書の創世記やギリシャ神話、中国の荘子などを例にあげました。読んでみてください。

・なぜ、アジャンターは手前から番号がふってあるのだろう。壁画を見るのであれば、時代順に見ていくのが妥当だと思うのだが、美術館などではないのでその限りではないのだろうか。
・仏教はキリスト教の説話とくらべると、明らかに動物を主体としたものが多いと思う。キリスト教は対象を人間に設定している一方、仏教は人間をとりまくすべての聖あるものに対象を設定している。その意味では、感覚的にだが、仏教のイメージする世界の方が、より立体的で生命感(躍動的)にあふれているような気がする。視野が広いとでもいうのだろうか。
石窟遺跡の窟番号は、時代順ではないことが多いようです。一般に、石窟の制作年代がわかるのは調査や研究がある程度進んだ段階ですし、場合によっては、研究者によって意見の分かれる石窟もあります。しかし、研究を進めるためには、まずそれぞれの窟に番号が付いていないと不都合です。また、研究者ひとりひとりで番号が違うと、研究者の間で会話が成り立ちません。そのため、石窟の調査のはじめにおこなうのは、各窟に番号を与えることになります。私の先生の宮治昭先生は、アフガニスタンのバーミヤンの調査をされたことで有名ですが、そのときも、まずはじめにすべての石窟に番号をふったそうです。バーミヤンの場合、何百もあるので、たいへんだったことをうかがいました。仏教の説話図に動物が現れるのは、そのとおりですね。とくにジャータカは主人公が動物であることが多いので、おのずと動物が中心になります。キリスト教の絵画の場合、典拠となる旧約や新約の聖書、あるいは外典などが人間を中心にした物語であるため、動物が少ないのでしょうが、ご指摘のように、そこから動物を含む世界のとらえ方がわかるのかもしれませんね。池上俊一『動物裁判』(講談社現代新書)も、そのような視点から中世のヨーロッパにおける世界観をあつかっています。また、ヨーロッパの絵画でも、寓意画などにはシンボル的な動物がしばしば現れます。動物の扱い方の違いから、文化の違いを見ることが可能かもしれません。

色が付いていたり、劇的な場面が多かったりするせいか、アジャンターの壁画は、これまでのものにくらべて、宗教的というよりは、芸術的な印象を強く受けました。
絵画と彫刻(浮彫)という違いは、たしかに対象をどのように描くかという点で、大きな違いがあるのでしょうね。一般にインドの宗教美術、とくに古代や中世の作品として、絵画はほとんど見られません。まったく作られていなかったわけではないのですが、ほとんど現在までは残っていないのです。その中で、アジャンターの壁画はきわめて貴重です。とくに第2窟や第17窟の大画面のジャータカ図は、画面の構成や表現方法などから、当時のインドの人々の持つイメージの世界を知ることができます。アジャンターの他には、ピタルコーラという遺跡にもまとまった量の壁画が残されています。ただ、技術的にはすぐれいていますが、説話図はほとんどなく、全体の量もアジャンターにくらべるときわめてわずかです。また、エローラやカーンヘリーの石窟にも、わずかに壁画が残されています。いずれもマハーラーシュトラという地域に集中しています。マハーラーシュトラ以外では、マドヤプラデーシュ州のバーグという遺跡に、アジャンターよりも古い壁画があります。

アジャンターくらいの頃になると、少し「型」のようなものができているように感じました。ひとつのキャンバスにいかに物語を詰め込むか、考え抜いた結果なのでしょうか。あと、以前から気になっていたのですが、どうして釈尊の生まれ変わりの前は、人間ではなくさまざまな動物なのですか。
アジャンタの「型」がどのようなもので、それが空間の表現とどのような関係にあるのかを、今回考えてみたいと思います。ジャータカの主人公が動物であるのは、もともとこれらの物語の多くが、釈迦の前世の物語ではなく、動物を主人公とした物語であったからでしょう。そうすると、どうしてインドでは動物を主人公とする物語が好まれたのかという問題になります。日本でもヨーロッパでも、動物が現れる物語はたくさんありますが、たいてい動物は脇役です。ところで、ジャータカはインド内部だけではなく、ガンダーラでも好まれた主題です。しかし、そこでは、選ばれる物語は限定的で、しかも、主人公が人間であるものがほとんどです。しかも、布施や自己犠牲など、特定のテーマが好まれる傾向があります。このような点からも、インドの説話図の特徴がわかるかもしれません。

残酷な場面は省かれることもあるということだったが、それがなくとも物語が伝わるという意味では、単純化、イコン化のひとつの契機になりうるのではと思った。
そうですね。説話図からの物語性の喪失が、イコン化の重要な要因であったのでしょう(その逆に、イコン化が進むことで、物語性が失われたと見ることもできます)。残酷な場面は描かないというのは、インドの宗教絵画の特徴でもあり、たとえば、釈迦苦行像のような凄惨なすがたの釈迦は、インド内部では作られませんでした。現在残されている釈迦苦行像は、いずれもガンダーラ出土で、ここにも地域性があるようです。


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