仏教の空間論

2006年5月28日の授業への質問・回答


ストーリーの流れが、ひとつの画面の中ですら、上下左右に動いているという複雑さに驚きました。美術作品としてはすごいですが、仏伝をよく理解していないと何が描かれているのか、まったくわからないのではないでしょうか。作った人たちは、見る人すべてが仏伝を理解できることを前提に作ったのですか?それとも美術作品として、理解を求めたわけではないということですか?
授業で紹介したような仏伝やジャータカの浮彫を見ていると、たしかに、当時の人々がこれらを正しく理解していたか疑問を覚えます。それは、われわれも同様です。同じ作品が、研究者によって異なる場面に比定されることもありますし、現在でも、何の場面であるかわからない作品がいくつもあります。あるいは、解説書を読んだり、説明を聞かなければ、ほとんどの人は、何が描かれているのかわかりません。当時の人々でも、理解の度合いはさまざまだったでしょう。仏伝などに関する知識をそなえた僧侶は理解できていたかもしれませんが、参拝に来ていた一般の信者にはわからなかったと思います。作品を解説する専門の僧侶がいたという説もあります。そのときに空間の配置やストーリーがどのように語られていたか、興味深いところです。美術作品はそれ自体に価値があるとともに、どのように受容されたかも重要になります。何のために作られ、どのような機能を持っていたかも含めて、作品の存在意義を考える必要があります。

以前のマンダラの授業でも、下から上に向かって修験者が移動する様子をひとつのマンダラにしたものがあったような気がするのですが、それを思い出しました。
昨年度、マンダラの授業でとりあげた熊野参詣曼荼羅のことですね。参詣曼荼羅は神社仏閣の景観を描き、そこにさまざまなエピソードを添えて、おもに参拝者誘致のために作られた、日本独自のマンダラです。その成立の背景には、高僧絵伝や縁起絵巻があります。ストーリーを持った絵巻物が、一幅の絵画に仕立てられているのです。参詣曼荼羅で、画面の下にその聖域の入り口があり、そこから順次、上に向かって視点が移動するような仕掛けになっているのも、特徴です。寺院の本堂や神社の本殿、あるいは立山曼荼羅のように、重要な霊場が、画面の上部に置かれることが多いため、下から上へという方向が求められるのでしょう。それとともに、絵巻物を掛軸の形式にする場合、ストーリーが下から上に進むように、構成されます。このような形式の原型が、インドの説話図に求められると考える研究者もいます。

六牙象本生図は、インドの空間と時間認識に対するひとつの表相ととらえてもいいんでしょうか。
六牙象本生のストーリーやその図像に、空間や時間への言及があるわけではありません。そこに、われわれが時間や空間を読み取るということです。前回の授業でも言いましたが、哲学的な文献には、空間とは何か、時間とは何か、という言明が見いだされます。それを見つけて、解釈することで、そのテキストを作った人々の時間や空間についての考え方がわかります。しかし、壁画や浮彫には、どこにもそのような「定義」はありません。あくまでも、われわれがそれをどうとらえるかです。しかし、空間はこのような具体的な事例にこそ、現れていると考えられます。このあとで取り上げる、建築や世界観なども同様です。なお、私は「表象」という言葉が好きなので、そのような空間の具体的な現れ方を「空間表象」と呼んでいます。

釈迦を象徴的に表すところがおもしろかった。とくに、足跡で表してるところは、かなり大きな足として描かれていたのが印象的だった。本当に透明人間みたいです。
釈迦の象徴的表現は、インドの初期の仏教美術の重要な特徴です。教養の授業では、これをテーマに1回分の講義をおこなっています。そこでは、一般に宗教芸術は具象的な表現を拒絶する傾向があるという立場で、当時のインド仏教徒の考え方を考察しています。学部の特殊講義では、象徴的表現はすでに当然のこととしてお話ししているので、慣れていない人には、説明不足かもしれません。また、これまでの研究ではあまり取り上げられませんでしたが、釈迦を表すためにどのようなシンボルが用いられるのかも、重要であると思います。たとえば、足跡は、何らかの動きを表すときに好まれるようです。前回の作例では、出家踰城と三道宝階降下でした。そのほか、仏塔は涅槃、法輪は説法などはわかりやすい例です。菩提樹は礼拝の対象のことが多いですね。釈迦の象徴的な表現を含め、「聖なるもの」をどのように表すかは、昨年度刊行した『仏のイメージを読む』でも取り上げていますし、近々刊行予定の本でも取り上げる予定です。

紀元前後の初期仏教美術の表現は、当然、稚拙なものがあります。その分、仏教の根源・本質的なものを伝えていると思えます。図で見る限りは、私たちの今の感覚とは、ずいぶん違うように考えられます。当時の考えは、どのような形で残っているのでしょうか。
たしかに、われわれの目には稚拙にうつるものもあります。しかし、稚拙であるから必ずしも価値が劣るというわけではありません。あるいは、現代的な感覚で写実的と思われる作品が、つねにすぐれた作品であるわけではありません。初期の仏教美術の持つ素朴さは、むしろ生命力や躍動性を感じさせることがあります。そういう点で、仏教の根源・本質的なものを伝えているという指摘も正しいと思いますし、仏教に限らず、インドの人々の息吹を感じることもできます。「当時の考え」が具体的に何を指しているのかわかりませんが、初期仏教の思想であれば、パーリ語の文献などが、比較的古い仏教の教えを伝えています。岩波文庫などに翻訳がありますし(代表的なものに『ブッダのことば』)、南伝大蔵経という叢書は、パーリ語聖典の翻訳が網羅されています(本館の暁烏文庫にそろっています)。

天台宗は最澄のころすでに密教だったのでしょうか。
天台宗の位置づけは難しいですが、基本的には中国の天台の教えと、その根本経典である『法華経』の教えがもっとも重要です。しかし、それと同時に最澄は中国で密教の教えを受け、その伝統を伝えています。しかし、最澄が学んだ密教は、密教の伝統の中ではかなり亜流の密教だったために、帰国後は空海から正純な密教を学ぼうとします(結局、それが両者の決別につながります)。円仁や円珍をはじめとする最澄の後継者たちは、空海の真言宗に対して、何とか巻き返しを図るために、積極的に中国に出かけて、正統的な密教や、真言宗が伝えていない密教を導入しようとします。こうして、天台宗の密教化が起こります。天台宗から鎌倉新仏教の祖師たちが輩出し、真言宗からはほとんどでなかったのは、このようなそれぞれの宗派の事情が大きかったでしょう。空海で完成し、それ以降、目立った発展のなかった真言宗と、最澄では未完成で、その後継者たちがさまざまな要素を取り込んでいく天台宗という対比です。それと同時に、天台宗が根本経典とした『法華経』が、さまざまな要素を含む特異な経典であったことも関係があるでしょう。平安時代の仏教は、法華経信仰と密教、そして少し遅れて浄土教が中心でした。

まず、絵それぞれに物語があることに驚きました。空間的な絵がうまく書けるようになったら、空間的な発想もしやすくなる気がします。と思って、前の人の絵を描いてみたら、全然うまく書けませんでした。絵の勉強をしたくなりました・・・。今さらですが、建築の材料は何ですか?石っぽく見えるけれど、あんなに細かく掘っているのはすごいです。今さらですが・・・。
初期の仏教美術は、このような説話的な内容を持った作品と、ヤクシャやナーガ、マカラ、蓮華などの民間信仰的なモチーフが中心です。説話的な内容は、インドでは次第に人気を失い、グプタ朝頃からは、礼拝像が中心になります。いわゆる仏像です。しかし、説話図が消えてしまうわけではなく、今回取り上げるアジャンタのように、壮大なスケールでそれが描かれることもあります。また、その流れは、中央アジアや中国を経由して、日本にも伝わっています。インドネシアのボロブドゥールのような例もあります。空間的な発想ができることと、空間的な絵が描けることとは、おそらく別でしょう。空間的な発想は三次元的な空間を、頭の中でシュミレーションすることで、絵を描くのはそのような空間を平面に置き換えることです。もちろん、その両者をおこなうことができる人もたくさんいると思いますが・・・。バールフットもサーンチーも、欄順やトーラナの素材は石です。バールフットの作品は、現在では博物館に収蔵されていますが、サーンチーでは現地で復元されているので、当時の雰囲気を知ることができます。雨ざらしになっていて、保存という点では、少し心配になりますが・・・。

異時同景図法は、日本でも「伴大納言絵巻」などで見られる手法ですが、それはインドから伝えられた方法なのでしょうか。
直接影響を与えたというよりは、説話的な内容を表現するときに、人類が共通して持っている表現方法でしょう。キリスト教の絵画にもしばしば登場します。絵巻物の場合、異時同景図を用いない方が少ないくらいで、「粉河寺縁起絵巻」や「信貴山縁起絵巻」などは異時同景図の代表的な例としてよく紹介されます。このほか、場面の転換に「かすみ」を用いるのも、絵巻物の常套手段ですが、これに相当するものがインドの場合、建造物や山岳風景です。これは今回取り上げます。

紀元前に文献を工夫を凝らして彫刻するなどということができたと思うと、技術や知識が進んでいたんだとあらためて感じました。インドは世界の考え方がとても広大だというのに、図像に表されると、面いっぱいに像が詰め込まれて、狭苦しく感じました。もっと、スペースを空けて広々と表されていると思っていました。
紀元前でも、われわれと同じ人間なので、絵画や彫刻の技術はあまり変わらないと思います。人類の進歩や進化は、2千年程度ではそれほど進みません。科学技術が進んだからといって、個々人の絵を描く技術が飛躍的に向上するということはないでしょう。インドが広大なスペースを持っていながら、何もない空間が図像表現では現れないという指摘はおもしろいですね。私は、画面の余白を樹木や人物で埋めるということが気になりましたが、日本であれば広々とした景観や余白で残すところを、インドでは埋めてしまっているということも、たしかに空間の表現の方法として注目すべきところですね。このことは、今回の授業にも反映させたいと思います。


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