仏教文化論 仏教の信仰と美術
弥勒・文殊・普賢
2007年1月18日の授業への質問・回答
以前読んだ本に、ゲーテの『神曲』を取り上げて、地獄篇は豊かな表現と想像力でもって、生き生きと描かれるのに対し、天国篇にはいるととたんに精彩を欠く。人間の想像力は恐ろしいものによく働くが、清く整ったものには貧弱だといった具合であったと思う。西洋における悪魔の立場について示した類の本だったが、今日の「普賢菩薩を観ずる 依報観」を読んで、普賢の描写の短さに、こういうことを言っていたのかと得心する思いがした。ただ菩薩のまわりがえらいことになっているのが気にかかるのだが。6本牙の象、増殖する象、もはやこれは化け物と呼ぶ以外に他なく。しかも、仏さん自身が異形のこともあるわけで、もう仏教の世界は天国と言うよりは、地獄の風情があるのではないだろうか。
前回は『観普賢経』の内容の紹介に意外に時間がかかりましたが、仏教経典中の仏のイメージの世界に、すこしふれられてよかったと思います。空中を浮かんでいる象が歩くたびに、無数の象が生まれて来るというイメージは、なかなか日本人には思いつかないものでしょう。「天国より地獄」「清く整ったものより醜く恐ろしいもの」というのはそのとおりだと思います。日本でも地獄絵は多彩で変化に富んでいますが、極楽の情景は極楽図としてきまったパターンでしかありません。そのためでしょうか、来迎絵といって、阿弥陀やその眷属をわれわれの世界に出てきてもらう情景の方が、絵画としてはさかんに作られるようになります。美術や宗教における「整ったもの」と「恐ろしいもの」は、いろいろな問題を含んでいます。たとえば「整ったもの」は、形式的になることが多く、マンネリ化します。「恐ろしいもの」は程度を越えるとかえって恐ろしさがそがれ、滑稽になることがあります。このことは以前に不動のイメージで考えたことがあります(『仏のイメージを読む』の第2章でくわしく述べています)。
インド仏教では当初、釈迦は絵や像では表せず、だから託胎霊夢も象というモチーフで表せたということを先回おっしゃっていましたが、この表現方法のせいでさまざまな仏に関するエピソードが生まれた、ということはないのでしょうか。あってもおかしくないかなーと思うのですが。
「あってもおかしくない」のですが、釈迦を象徴的に表現する初期の仏教美術の中で、釈迦を象で表すのは託胎霊夢の場面だけです。また、釈迦を菩提樹や法輪などの象徴で表す場面は、文献ではとくにそのような姿をとったと記されているわけではありませんが、託胎霊夢の場合は、六牙の白象になったと文献に明記されています。普賢が六牙の白象に乗って現れるイメージが、その後のエピソードを生み、普賢もそのひとつであるとは思うのですが、それだけではなく、象そのものがインドのイメージ世界で重要であったと思います。その例として、インドラの乗り物やガネーシャをあげてみたのです。そして、それらをつなぐものとして「男性原理」のようなものを想定しました。
象に対するイメージが変わりそうでした。今まで感じなかったけれど、仏とともに書かれているものや、持っているものは深い意味があることが、強く感じられました。遅いけど。
けっして遅くありません。自分で感じたり、わかったと思うことが重要です。私はとくに仏の小さな特徴が気になるのですが、これは密教美術の多くが、そのようなところに重要なポイントをもっているからです。ヨーロッパにおける美術史の泰斗ワールブルクも「神は細部に宿りたもう」という箴言で、同じようなことを言っています。
私が子どもの頃、大きな象の置きものを、子どもたちで引っぱって町中を歩くという行事がありました。ガネーシャを見てそんなことを思い出しました。
私の出身の町でもありました。釈迦の誕生日の花祭りの行事で、大きな張りぼての象の上にお釈迦さんの像(誕生仏)を置いて、練り歩きます。たしか、象の色はピンク色で、今から考えると、ずいぶんシュールでした。この行事は日本のあちこちにあるようですが、歴史は古く、中央アジアで行われていたことが『大唐西域記』にも記されているそうです。花祭りといえば、お釈迦さんに甘茶をかけること(産湯に相当します)がよく知られていますが、託胎霊夢にもとづくこのようなイメージを、誕生の重要なできごとと見ることもあったようです。託胎なので誕生よりもかなり前のできごとなのですが。
ギリシャ神話の主神ゼウスも、雷を支配する神で、しかも女好き、子だくさんで、生殖イメージがあります。何か共通するものがあるのでしょうか。
ギリシャ神話もインド神話も、おなじインド=ヨーロッパ語族(印欧語族)の神話なので、共通する要素がたくさんあります。神々の名前も、まったく同じではないものの、言語学的なつながりが確認できます。神話の構造やモチーフが共通するのは、北欧神話やイランの神話なども同様です。いずれも同じ祖先を持つ人々がユーラシア大陸に拡散していったからです。ゼウスとインドラももともとは同じ神格だったようです。北欧神話ではトールという神がそれに相当します。印欧語族の神話については、弥勒のときに紹介したデュメジルの三機能説が有名で、これらの神はその第二のグループ、戦闘身、武闘神の代表的な者たちです。
普賢も羅刹女や四天王を連れていることが多くて、文殊を思い出します。少年だった文殊にお供は保護者的な感じがしますが、普賢は少年ではないので、どうして連れているのかわかりにくいです。はべらしている?
おなじように眷族に囲まれながらも、文殊と普賢では少しイメージが異なるようです。私も「侍らせている」のが普賢の特徴で、クリシュナを紹介したのもそのためです。今回、もう一度全体をとらえなおしたいと思います。
アングリマーラが安産の呪として信仰されているとおっしゃってましたが、「呪として」とはどういう意味でしょうか。象がインドで生命のイメージで、動物は馬もよくそんなイメージを持つと聞きました。なぜ象や馬はそんな風に見られるのか。たとえばうさぎはそんなイメージないです。
アングリマーラと結びついた呪文があり、それが安産を祈願するものによって唱えられたということです。インドでは古くから言葉の持つ呪力に対して、強い信仰があり、仏教もそのような伝統を受け継いでいます。陀羅尼もそうですし、密教では真言がこれに相当します。真言宗の「真言」です。真言はサンスクリットではマントラといいますが、これは古代インドのヴェーダ祭式において、儀礼の中で唱えられる祭文を本来指しています。動物のシンボリズムはいろいろあっておもしろいですが、たしかにウサギには生命のイメージはあまりないですね。でも、たとえばピーターラビットやうさこちゃん(ミッフィー)は、現代の子どもの文化において重要なキャラクターです。キティちゃんはネコですが、うさこちゃんとそのイメージはあまり変わりません(サンリオは否定するでしょうが)。子どもが好む愛くるしさや「小さきもの」のイメージとして、ウサギは確固たる位置を占めています。ちなみに、ピーターラビットのイメージに、西洋美術のアレゴリーを探る研究書もあります。
スカンダがどうしてもバレリーナの格好をした志村けんさんに見えてきます。
私はあまりテレビを見ないので、「バレリーナの格好をした志村けんさん」の印象はあまりないのですが、スカンダを意識しているわけではないと思います。
象の描かれ方がおもしろかった。経典の中で足跡から七千頭が出てきたり(とてもにぎやかな感じで、想像すると楽しいです)、金剛界曼荼羅では羽が生えていたり、三面だったり・・・。普賢そのものが「生命力」の仏なのですか。それとも、インドの象=生命力の信仰から、象と結びついたことで「生命力」を司るようになったのですか。
そのどちらもだと思います。普賢そのものは金剛杵や雷から、象はインドラの乗り物や託胎霊夢からそのことを考えました。金剛界曼荼羅の羽の生えた象も、なかなかユニークなイメージです。ダンボですね。密教では象は阿しゅくの乗り物なのですが、もともとは普賢=金剛薩たと結びついていたから、その仏国土の教主である阿しゅくにも適用されたと見るべきようです。同じようなことが、金剛界曼荼羅の西に位置する文殊と阿弥陀にも言えます。この場合は孔雀です。
キリスト教ではたしかザクロは悪いものだと考えられていたように思いますが、日本では訶梨帝母の持つザクロは豊穣のシンボルというように、よいものだと考えられていることを知って驚きました。これはキリスト教と日本の信仰の性に対する概念のちがいの表れなのかもしれないと思いました。
「性に対する概念のちがい」はそのとおりだと思います。ただし、宗教的なイメージに「悪いもの」と「よいもの」という二分法は、適用できないことも多いでしょう。「悪いもの」は同時に魅力的なものであったりします。
大乗仏教の普賢像にある三人の化人と、延命像の三(四)頭の象は何かつながりがあるのでしょうか。どちらも仏具をもっている(鼻にのせてる)ようですが・・・。まったく話はそれるのですが、今日のスライドにあったクリシュナは、ヴィシュヌの化身といわれるということでした。それで、スライドのクリシュナの肌の色は青で、以前の講義のスライドで見たシヴァも、肌が青だった気がします。肌が青色というのは、何か意味があるのでしょうか。
三人の化人と三頭の象との関係はよくわかりません。普賢延命像がかなり人工的に作られたイメージなので、『観普賢経』の記述を参考にしているかもしれません。作品としては、普賢延命像の方が先行するような気がします。インドの神様の青い肌の色は重要なポイントで、インドで支配的なアーリア系ではなく、土着のドラヴィダ系の神が起源であると言われます。上記の印欧語族がアーリア人で、インドに入ってきて、ドラヴィダをはじめとする先住民族を支配するようになります。インドの神々の大半はアーリア系なのですが、一部に土着的な神がいます。クリシュナもそのひとりです。
今日の別の授業でも大元帥明王の話が出ていたのですが、大元帥明王の怨敵調伏の利益から、軍隊の一番偉い称号を元帥としたという話でした。この大元帥という字が当てられたのは中国でしょうが、これはサンスクリットからの音写でしょうか。それとも意味的な訳なのでしょうか。私は大元帥明王から将軍を元帥と呼ぶようになったという説はあまり信用ならないと思ったのですが、先生は逆のようにおっしゃっていました。将軍を元帥と呼ぶからアーターヴァカに元帥の名を付けたというのは、何か根拠がありますか?
『大漢和』によれば、元帥は軍隊の統率者の意で、『春秋左氏伝』『漢書』などに用例があるようです。もちろん元帥は中国語で、アーターヴァカを訳すときに意味から用いられたようです。「大元帥明王の名から、軍隊の統率者の称号が作られた」というのは、やはり反対でしょう。アーターヴァカそのものはヤクシャの固有名詞で、意味はよくわかりません。パーリ語では「アーラヴァカ」となり、アーラヴィという地名にちなんだ名前のようです。なお、大元帥は「たいげんすい」とにごらずに読むのが正しく、「大元帥法」は「たいげん(の)ほう」と読みます。これを「だいげんすい」とか「だいげんすいほう」と読む人は、この分野のことをあまりよく知らないという判断材料になります。
大元帥明王など、もともとは負の力、性質だったものが、正の性質を持たされて仏教に取り入れられるというのは興味深いです。ただし、これは私の考えですが、何かを守るためには何かを襲ってくる存在を殺す必要があるという発想もあるのかなぁと思います。出産の際、親にとって子はあくまで「痛み」として知覚されるので、子どもを食べる=痛みを食べる=痛みが和らぐ・・・みたいな。強引ですか。
なかなかおもしろい発想で、私には思いつきませんでした。考えてみたいと思います。