仏教文化論 仏教の信仰と美術
弥勒・文殊・普賢
2007年1月11日の授業への質問・回答
普賢は白象に乗った姿が仏の中でも好きなのですが、白象のように、もともと白じゃない動物が白くなるのはアルビノといって、体質的には弱いと聞いたことがあります。また、牙は6本あるのですが、仏でも腕や頭が多いものがいたり、今でもインドに奇形の子が生まれるとありがたがって祈りに来る人がいるようです。そういう生物的には欠けてるものが神格化されるのに不思議なところがあると思いました。
おもしろい指摘だと思います。たしかに身体的に問題のあるものが神格化されたり、信仰の対象となることは、広く見られます。グロテスクなイメージが、神や悪魔のすがたとして好まれることもしばしばあります。20世紀前半のドイツの有名な宗教学者ルドルフ・オットーは、名著『聖なるもの』の中で、宗教の本質を「ヌミノーゼ」という言葉で表し、その内容を「戦慄させるもの」「身の毛のよだつようなもの」それでいて「人々を魅せるもの」「惹きつけるもの」と説明しました。グロテスクなものは「聖なるもの」なのです。ただし、普賢の白象や6本の牙は、インド的なイメージの世界においては、あまり奇形やグロテスクといったイメージではなく、むしろ完全無欠な姿ととらえられます。多面多臂の神や仏も、日本人の目から見ると気持ちが悪いかもしれませんが、おそらくインドでは人間よりもすぐれた身体的な特徴ととらえられているようです。
象がわきから入っていくシーンに関して、読んでいてドギマギしたのですが、そうしたら先生が「セクシャルなイメージがありますね」とおっしゃったので、ほんとうにそういうイメージがあるのか!とびっくりしました。昔の神話などはセクシャルなことに関して露骨なものが多いのですが、清いイメージのある仏教もそうだとは意外な気もします。
授業で紹介した『ジャータカ』「ニダーナカター」の託胎霊夢の場面は、執筆者の意図はともかく、文面からはかなり卑猥な印象を受けます。象が雄叫びをあげながらわきの下から入ってくるなんて、それだけでいやらしいですよね(そんなことない?)。神話に性的なモチーフや描写がしばしば現れることは、そのとおりです。日本でも『古事記』の冒頭のイザナギとイザナミの国産みも、明らかに性行為ですし、その最後に火の神を生んでイザナミのホトが焼けて死んでしまうのも、鮮烈です。上記のように「グロテスクなもの」が「聖なるもの」であるのと同時に、「性なるもの」も「聖なるもの」にしばしば重なります。もっともこれはわれわれ現代人にとって「グロテスク」であったり「性的」であったりするだけで、むしろ、その本質は生命や死ととらえるべきことなのだと思います。宗教とは生と死に関わる文化のひとつのあらわれなのでしょう。来年度のことになりますが、このような視点から「エロスとグロテスクの仏教美術」という授業を予定しています(いたってまじめな内容の予定です)。
女性が従者として菩薩のまわりにいるというのは、女人禁制の部分が多い仏教としては珍しいことのような気がします。後の方にならないと羅刹女に関する資料が出てこないことから、新しく付け加えられた事項のように思えます。そもそも羅刹女というのは、もっともおどろおどろしい姿をし、邪悪なものであるというイメージがあるのですが。
女性をけがれた存在として排除するのは日本仏教に顕著で、インドではそれほどではありません(この場合のケガレは民俗学的な意味です)。出家した僧は女性との接触はかなり制限されていましたが、女性の出家者の集団も釈迦の時代からあり、女性は女性で悟りを求めるものとして認められていました。羅刹女が普賢菩薩の守護者として登場するのが、『法華経』の終わりの方なのはそのとおりなのですが、これは羅刹に対する信仰が後世のものであるのではなく、品名にもある「陀羅尼」が重要になるのが、『法華経』全体の中で遅れるからです。羅刹女は有名な「普門品」つまり観音の功徳を説く章にも登場し、ここでは南の島に漂着した商人たちを食べてしまう恐ろしい悪鬼として描かれています。まさに「おどろおどろしい姿をし、邪悪なもの」のイメージです。
法華経が仏を供養するよりも、経そのものを大切にするということは少し驚きました。
『法華経』の中で何度も登場する経典重視の立場は、じつは仏教の歴史においてきわめて重要な意味を持ちます。このような考え方が明瞭に現れたのは『般若経』と呼ばれる経典で、その中心的な教えは「空(くう)の思想」です。そこでは「すべてのものは、真の意味では存在しない」ということが、繰り返し強調されます。仏の体さえも、実体を持たない空なのです。そのような真理の教えこそが、最も優れたものであり、それを書き記した経が、仏の体よりも優位に置かれます。そして、経を読誦したり、書写することの功徳が繰り返し説かれます。
聞き間違い(勘違い)だったらすみません!羅刹女、ヤクシニーは夜叉なんですか?毘沙門天も夜叉でしたか?夜叉について詳しく調べたいと思いました。
羅刹女は羅刹(ラークシャス)の女性形で、ヤクシニーは夜叉(ヤクシャ)の女性形です。夜叉と羅刹は別の存在ですが、いずれも民間信仰の神々です。仏教にはいると、異教の神でありながら、改宗して仏教の守護神になります。ただし、これは一般の仏教書の説明で、実際はそれほど単純ではなく、仏教側としては、夜叉や羅刹の信仰をうまく仏教内部に組み込むことで、自分たちの信仰の世界をひろげたのでしょう。夜叉や羅刹が登場することで、釈迦の生涯やその前世の物語が、ずっと魅力的になります。仏教美術も彼らの存在を抜きにしては成立し得なかったでしょう。彼らこそ初期の仏教美術の主役だったのです。毘沙門天は四天王のうちの北方の守護神ですが、夜叉の王がその起源です。財宝神としての性格も持ちます。インドでは北方はガナと呼ばれる下級神のすむ国と信じられ、その王でもあります。ちなみに、インドで人気のある象頭の神ガナパティ(ガネーシャ)も、その名前は「ガナの王」という意味です。夜叉や羅刹はおもしろい研究テーマです。
託胎霊夢の場面で「ジャータカ全集」(ニダーナカター)で、「東を枕にして天上の寝床を設け」とありますが、出産の場面でも(今、何の経典だったか手元にないので確認できないのですが)、東の枝を取って右わきから出産という記述がありました。「右」だけでなく「東」も清い場所だったのでしょうか。やはり普賢との関わりが意識されたのでしょうか。普賢と六牙象のつながりは知らなかったので、いろいろと興味深かったです。
たしかにインドでは東は吉祥な方角になります。四方のはじめにあげられるのが東ですし、サンスクリットではプールヴァと言って、「前」と同じ言葉で表されます。ただし、東が四方のはじめにあげられるのは、太陽の昇る方角ということで、中国や日本、その他の地域でもしばしばあるでしょう。普賢が六牙象に乗って現れるイメージが、託胎霊夢と重なることは授業でも紹介したとおりですが、東という方角は気がつきませんでした。普賢が東から現れるのは、東の仏国土妙喜国が普賢がすむところという信仰によるのですが、たしかに釈迦との結びつきもその背景にあるのかもしれません。
託胎霊夢はたしかに仏教版受胎告知だなと思いました。それぞれの母が妊娠を告げられることはまるで同じだと思いました。その他の部分にもそれぞれのモチーフが隠されているとのことなので、おもしろいと思いました。他の部分でもふたつの共通点はあったりするのかなと思いました。
釈迦やキリストのような神や仏の出生(というか懐妊)に、男性がまったく関与しないことは共通しますが、具体的なあり方はずいぶん違うという印象を私は持っています。宗教における女性的なイメージを考える上で、マリアや摩耶夫人は重要な素材となるでしょう。キリスト教ではマリアがそれ自体、信仰の対象となり、時代や地域によってはキリストを上回ることさえありました。マリア信仰です。これに対し、仏教では仏伝のいくつかの場面、すなわち誕生や三道宝階降下、涅槃で、摩耶夫人が登場し、重要な役割を果たしますが、単独で信仰されることはなかったようです。それを埋めるように現れたのが、古くはヤクシニーのような女性の神であり、大乗仏教や密教ではターラーなどの女性の仏たちです。中国や日本では観音が女性的なイメージを持ちますが、これもその代替のような存在かもしれません。
『源氏物語』の紫の上も、日々写経書きためて法会を催していたような記憶があります。紫の上も法華経をうつしていたのかなと思いました。
平安時代の写経でもっとも重要な経典が『法華経』でしたから、おそらくそうでしょう(確認すればわかりますが、手元に源氏物語がありません)。日本における写経の歴史は古く、仏教伝来とともに始まり、奈良時代のものもかなり現存しています。写経は単に経典をコピーすることではなく、写経という行為そのものが重要な儀式にもなります。その一方で平安時代には装飾経が生まれ、美術的な価値が加わるようになります。その主役も法華経でした。3年ほど前に京都国立博物館で『写経』という特別展がありました。仏像などがほとんどなく、写経が延々と並んだ地味な展覧会でしたが、その文化的背景も詳しくわかるおもしろい展覧会でした。
・仏が現れるのは「受け身である」とおっしゃっていましたが、それは信仰している人、していない人、誰のものとにも現れるということなのでしょうか。それとも仏が現れることと、救われるということは別なのでしょうか。
・「受け身である」というのを聞いて、意外な感じでした。がんばった人を仏は救いに来るイメージがあったので。でも、がんばったら救いに来るというのは、その人を認めわざわざ来てくれる、なんだか権威が下がるようにも考えられます。人の力ではどうにもならない、人智を越えた偉大なものであることを「受け身であること」は表しているのではないかと思いつきました。
・このことは今回の普賢の影向に限らないことだと思いますが、前の弥勒にしろ、文殊にしろ、『更級日記』に見られるように、私たちが考える以上に、当時の人々にとっては、仏の像や絵が芸術や信仰といった抽象的なものよりも、現実的な意味合いをもっていたように思えました。つまり観るというより、使うといったイメージであるように思いました。
前回は仏が現れることについて、少しお話ししましたが、それについてのコメントがいくつかありましたので、まとめて紹介しました。いろいろ考えてくれてうれしいです。「受け身である」というのは、授業では「神と遭遇する」とか「自分に仏が宿る」といいった神秘体験を念頭に置いたものです。そこでは、人間の努力や作為を越えた次元であるという点で、2番目のコメントに近い考え方です。浄土宗の「絶対他力」という考え方にも通じます。1番目のコメントの「仏が現れる」ことと「救われること」の対比は、普賢像のような作品で重要な意味を持ちます。そこではまさに「現れること」そしてそれを「観ること」が、そのまま「救われること」を意味します。3番目のコメントで画像が鑑賞や礼拝の対象だけではなく、「使う」という視点も重要です。とくに「観ること」によって「救われる」ような状況にあるとき、いかにして観ることを実現させるかが、作品そのものの存在意義になります。