仏教文化論 仏教の信仰と美術
弥勒・文殊・普賢

2006年12月7日の授業への質問・回答


五台山文殊を見て、何か西遊記や水戸黄門の旅の道中の様子を思い浮かべたのは、私ぐらいなものでしょうか。仏像も作られた当時は、鮮やかな彩色だったものがほとんどだと聞きますが、一度でいいから原色で見てみたいものですね・・・。
たしかに、五台山文殊の一団は旅する人々というイメージですね。じつは善財童子もそもそも求道の旅を続ける真摯な少年です。仏陀波利もインドと中国を一往復半した旅の僧です。そして、うてん王やライオンのような異国情緒のものたちにも囲まれた文殊は、彼らによって守られた異国からやってきた旅する少年なのでしょう。「旅するもの」のイメージは、他の仏教の仏にはほとんど見られません。なぜ、文殊やその眷属にはそれが与えられたのか、今回、少し考えてみます。醍醐寺の「渡海文殊」は、現存する仏教絵画の中では、制作当初の彩色が比較的よく残っている作品です。機会があれば現物をご覧ください。図録などでもかなり再現されています。もっともよい出版物は岩波書店から出ている『醍醐寺大観』所収のものだと思います。図書館の大型図書(開架)のところにありますから、ぜひどうぞ。

読書の時間のテキストの3行目にあるイコノグラフィーとは何ですか。
イコノグラフィー(iconography)は「イコンについての記述」という意味で、美術史における研究方法として知られています。初期の美術史の研究対象は、キリスト教などを中心とする宗教美術が中心でした。イコン(聖像)の研究です。ルネッサンスの美術も、ギリシャ、ローマの美術も、程度の差こそあれ、宗教的な主題が大半を占めています。イコンの研究はその内容を明らかにすることが第一歩ですが、そのためには作品の正確な記述を行うとともに、それらが表す意味を明らかにする必要があります。そのため、イコノグラフィーには、その背後にある図像の体系についての知識も必要です。現在ではイコノグラフィーは、むしろこの「図像の体系」をさす言葉として用いられることが多いようです。教育学部で美術史に関係している方はご存じだと思いますが、イコノロジーという言葉もあります。イコンについての考察(ロジーはロゴスから来ています)です。イコノグラフィーとイコノロジーについては、パノフスキーが方法論的な説明を『イコノロジー研究』などで行っていますが、現在ではあまり明確には区別されていないようです。この分野については、パノフスキーの他にも、ワールブルク、ザクスル、ゴンブリッチなどの著作がよく知られています。イタリアの歴史学者ギンズブルクにもすぐれた論考があります。

文殊は剣と経典を持つという特徴が、日本だけのものと前回聞き、外国からやってきた仏は日本風にアレンジされ、すっかり日本にもともといたかのように定着しているのかと思っていたのですが、眷属が異国風の特徴をとどめている点で、外国から来たことをまだ主張し続けているようなのがおもしろいと思いました。
文殊が剣と経典を持つのは、中国でも見られますので、日本だけではないのですが、インドにはほとんどないことはたしかです。インドでも後の時代の文殊に、剣と経典を持つ特徴や、獅子に乗るという特徴が見られますが、それらは別々の作品で、すべてをそなえたものはありません。もちろん、五台山文殊のような四人の眷属を従えた文殊もいません。「外国から来たことを主張し続けている」というのは、日本の五台山文殊の重要な特徴だと思います。観音や弥勒とは異なり、文殊は独自のイメージを保持していますし、そこには日本にはない要素が濃厚に見られます。五台山文殊が作られるようになった平安から鎌倉にかけての日本人に、このような異国趣味が好まれたのではないかと思います。そのような意味で、五台山文殊を日本の「オリエンタリズム」と呼んでみたのです(ちなみにオリエンタリズムはヨーロッパの東方趣味を指しますが、E. サイードが用いたことから一種の文明批判の用語として定着しています)。

私などはよく木を彫ることをするので、スライドを見ていると、よくもここまで細かい細工ができるなと感嘆する思いである。頭部の作りなど、繊維方向にはぜたりしなかったのだろうか。
この授業には教育学部の美術科教育関係の方もいらっしゃるようなので、ぜひ制作者の立場からも作品を鑑賞してください。私自身はまったく絵も彫刻もできませんが、たとえば先日まで東京国立博物館で開催されていた「仏像展」などを観覧すると、仏師がいかに苦労して仏像を作ったかに驚かされます。材料となる木によっても技法は異なりますし、一木作りか寄せ木造りかでも、出来上がりは異なります。それぞれの方法に適した道具がいろいろあったことも、この展覧会では紹介されていました。日本の仏像の歴史では、時代が後になるほど、より精緻な作品ができるというわけではなく、円空仏や木喰などのプリミティヴな仏像があらわれるのもおもしろいですね。

文殊にどこか女性っぽいイメージを抱いていたのは、モチーフの対象年齢が若々しい丸みのある少年であるからというのを知って納得した。中性的に見えていたのは、私だけの印象ではないのだなとほっとした。『陀羅尼』というのは、なぜそんなにも流行したのでしょうか。皆、内容に惹かれたというのは、学識の少ない人々にとってはむずかしいと思うので、何か他に特徴があったのでしょうか。
文殊をはじめとする少年神が、インドで好まれたことの背景に、インド人の理想的なイメージに少年(あるいは青年)があることを紹介しました。実際、インドでは主要な神や仏の像は、若い男性の姿で表されます。釈迦も悟りを開いたのは35歳で、80歳を過ぎるまで活動を続けていくうちにおじいさんになったはずですが、いつもかわらぬ若々しさです(当時の平均寿命から考えれば、35歳もすでに初老のおじさんかもしれません)。ただし、わたしは少年神への信仰は、単なる美の理想像だけではないとも考えています(前回配付した資料でもそのことはいろいろ書いています)。陀羅尼については、説明をほとんどしませんでしたので、大多数の方はよくわからなかったと思います。陀羅尼とは呪文の一種で、さまざまな霊験がそれを唱えることによって生み出されると考えられていました。実際の陀羅尼の文章はサンスクリットなので、普通の人たちにはまったく理解できませんでした。また、その内容が理解できても、意味のない言葉や、祈願や命令の言葉の羅列で、一貫した内容を持ったものではありません。尊勝陀羅尼については、今回少し補います。

授業内容でなくてすみません。授業前に流れていた地獄のスライドを見て、「火が好き」というところで少し思ったのですが、当時の人にとって、水とか土とかの窒息死系は怖くなかったのかなと思いました。単に画面上で赤が一番はえるからとか、そんな理由かもしれませんが・・・。あと、醍醐寺の文殊は朝青龍に似ていると思いました。ほんとうくだらなくてすみません。ボロブドゥールの善財童子が、ひものようなものを持っているように見えたのですが、あれは何でしょう。前に、童子や老人は神に近いというのを勉強したことがあるのですが、そこからイメージが取られたんでしょうね。あと、仁和寺の太子像はじめて見ました。衣紋がとても美しいです。
授業の前のスライドショーは、地獄絵の世界でしたが、隠されたテーマは日本人の他界観です。地獄絵で火が圧倒的に多いのは、たしかに絵としてもっとも効果的だったのでしょう。芥川龍之介の『地獄変』も、燃え上がる火の中で焼かれる女性のイメージが基調となっています(かなりサディスティックというか、倒錯した雰囲気ですが)。もっとも、地獄そのものに、火による責め苦を負わせる焦熱地獄があり、『往生要集』でも詳細に記述されていることにもよるでしょう。地獄の中ではレベルが低い(つまりあまり苦しくない)ところなのですが、イメージしやすいようです。ボロブドゥールの文殊のひもは、肩から懸けたひもで、インドの上位3階級(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ)の成人男子がつけています。菩薩のイメージはクシャトリアやバラモンなので、彼らもたいていつけます。善財童子もそれにならっています。善財童子が童子になるのも、中国からのようです。童子と老人が神に近いというのは、日本でしばしば見られ、宗教学では翁童信仰とも呼ばれます。五台山文殊と翁童信仰は、あまり結びつけて考えませんでしたが、どこかで関係するかもしれませんね。

醍醐寺の五台山文殊の図で、獅子の足の下に何かありますが、あれは何でしょう。花のようにも見えますが。そのつぎの彫刻の獅子も同様でした。22のスライドはインドネシアのものでしたが、今までの講義のスライドに、インドネシアのものは出てこなかったのですが、やはり地域によって神々の表情は違うのだなぁと思った(時代による影響もあると思いますが)。このインドネシアの像の表情は少し落ち着いた重々しい感じで、他のよりも見甲斐がある気がする。
獅子の足の下にあるのは蓮華です。このような蓮華をとくに「踏割蓮華」(ふみわりれんげ)と呼びます。獅子の背中にも、文殊用の踏割蓮華が載っていますが、文殊は結跏趺坐をしているので、使われていません。踏割蓮華はインドの彫刻や絵画にも見られ、それが伝えられたものです。変わったところでは、釈迦が生まれたときに7歩歩いたことを表すために、7つの踏割蓮華を並べたり、重ねたりした作品があります。ボロブドゥールの浮彫はいいですね。インドネシアのもっとも有名な遺跡で、ジョグジャカルタという町から行きます。機会があれば、現地にどうぞ。わたしも五年ほど前に行って、500枚ほど写真を撮りました。もちろん見甲斐はたっぷりありましたが、へとへとにもなりました。

文殊は弥勒とちがい、善財童子、うてん王、仏陀波利、大聖老人、そして獅子を伴って描かれていたり、彫刻が作られていたりするので、おもしろいし、特徴的だなと思いました。
たしかに、前にとりあげた弥勒とくらべると、同じ菩薩でもまったく文殊はイメージが違います。弥勒は眷属を連れることはありませんし、そのイメージも童子や少年とは異なります。やはり、菩薩の中の長子だけあって、孤高の存在といった感じです。観音もまた異なりますね。観音は十一面や千手、如意輪、馬頭など、いろいろな種類と、それに伴ったさまざまな姿がありますが、文殊や弥勒にはこのような「変化身」はありません。

聖徳太子も童子で、お付きの者も童子で、しかも二童子なんですね。不動明王も左右に童子がいますが、これも同じようなものと考えていいのでしょうか。「応徳涅槃図」の獅子は乗り物ではありません。
聖徳太子のお付きの童子については、私もよく知りません。不動の脇侍の童子は衿羯羅(こんがら)と制?迦(せいたか)といい、インドの奴卑や下僕に由来するといわれていますが、イメージそのものは日本の童子で、インド的ではありません。絵画や彫刻では、やんちゃな制?迦と、落ち着いた衿羯羅という対になるようにもなっています。涅槃図の獅子はたしかに乗り物ではありません。他にも、象がごろごろ転がっているのもあります。象も獅子もそれなりに悲しんでいるのでしょうが、ただ遊んでいるように見えなくもありません。

スライドを見ていて、獅子が大きく見えた。善財童子くらいはパクっと、食べれてしまいそうだし、まわりの大人の姿をとっている仏たちも小さく見えた。とくに日本製のもの。ここでは文殊も従者たちも、私たちと同じサイズととらえられているということなのだろうか。阿弥陀だと、絵画で山より大きいように描かれているのを見たことがある。
たしかに善財くらいは食べそうです。善財童子がふりかえっているのは、身の危険を感じているからかもしれません(うそです)。文殊院の文殊は全体の高さが7メートル近くもある巨像です。前に立つと怖いくらいです。阿弥陀が山より大きく描かれるのは、「山越阿弥陀図」といって、浄土教の重要な絵画のジャンルです。「もののけ姫」のだいだらぼっちみたいな感じです。

あまり今回の講義とは関係ないのですが、孔雀が「愛欲」に関係が深いという記述について。キリスト教の「七つの大罪」の概念では、「愛欲」に相当するLustを象徴する獣が孔雀であることが多いのですが、この同じ意味を持たされた孔雀には、何か理由があるのでしょうか。
孔雀が七つの大罪で愛欲と結びつくというのは、私も知りませんでした。たまたまそうであったのか、インドに起源があるのかはわかりません。手元にあった『世界シンボル辞典』(三省堂)の孔雀の項目には以下のような説明がありました。「愛をあらわす」という記述があります。
「孔雀は太陽に属し、<樹木>崇拝や<太陽>崇拝と結びつき、またシャクヤクと結びつく。孔雀は、不死、長寿、愛をあらわす。羽の斑点がおのずから空の星をあらわすところから、孔雀は神格化と不死の象徴とされる。孔雀は雨の降る前に落ち着きがなくなるので、嵐と結びつけられる。孔雀の雨踊りは螺旋と結びつく。世俗性、高慢、虚栄を孔雀の属性とするのは、比較的近代になってからのことである」(p. 206)


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