仏教文化論 仏教の信仰と美術
弥勒・文殊・普賢
2006年11月30日の授業への質問・回答
大威徳明王は文殊の化身のようなものですか?ムルガンとスカンダの関係もよくわかりませんでした。スカンダ=カールティケーヤ=クマーラなんですか?スカンダがカールティケーヤになったり、クマーラになったりするのですか?インドのヴィシュヌがたくさん化身を持っているようなイメージでしょうか?
インドの神様の世界は複雑ですね。それだけでも半期分の授業が必要なほどです。大威徳明王は仏教内部では文殊の化身として位置づけられますが、本来はヒンドゥー教のヤマ神と関係を持つ忿怒形の仏です。チベットやネパールではヴァジュラバイラヴァというさらにグロテスクな仏に発展します。これらの神々をつなぐのが水牛です。ムルガンとスカンダは本来は別の神ですが、同一視されることもあります。ヒンドゥー教の神々は、特定の有力な神、たとえばシヴァやヴィシュヌ、ドゥルガーなどに、地方の神々が同一視されます。これを「大伝統と小伝統」ということばでとらえる研究者もいます。汎インド的な「大伝統」に、地方の「小伝統」が呑み込まれるのです。あるいは「小伝統」が「大伝統」と結びつくことによって、生き延びるのかもしれません。スカンダ、カールティケーヤ、クマーラはいずれも同じ神の別名です。カールティケーヤは「クリッテイカーの子ども」という意意味で、クマーラは「王子」という普通名詞です。神々が多くの別名を持つことも、インドの特徴ですが、これも慣れないとたいへんです。ヴィシュヌの化身には有名なものが10種ありますが、その中にはラーマやクリシュナなど、明らかに別の神だったものもいます。あるいは野猪、亀、獅子などの別の動物に姿をかえる場合もあります。これらは特定の神話を背景に持っています。文殊を中心とした神々の壮大な世界を、先週配布したプリントで理解してもらえればと思います。
インドではまったくなかった経、剣のイメージが、何でか定着して、日本ではまったく違ったイメージを持っているというのはおもしろかった。仏教では象とか今回の獅子、孔雀などが出てくるが、これらの動物に何か共通するものってあるのか?獅子に乗る、孔雀に乗るって普通、ありえないですよね。
獅子とか象なら乗れそうですが、たしかに孔雀は乗りにくいでしょうね。象や獅子はインドでも動物の王というイメージが強く、おそらく、文殊や普賢の持つ勇者的なイメージが関係するのでしょう。ただし、象については釈迦が母親の摩耶夫人の胎内に降下するときに、象の姿をとります。これは何か性的なメタファーがあるのではないかと考えています(根拠はあまりありませんが)。同じ動物でも、インドと日本では扱いが異なります。象も獅子も孔雀も、日本にはいない動物だからです。獅子はインドでも生息していないでしょうが、西アジアからそのイメージは早くから伝わり、アショーカ王柱などでかなり正確に表現されています。日本ではこれらの動物はほとんど想像の世界の聖獣で、むしろ異国情緒を感じさせる重要なイメージだったでしょう。これについては今回の五台山文殊で少しふれる予定です。
母親が「子どもの守り神」であるということ、つまり、子どもの命がコントロールすることができ、子どもを殺すことができる。だから守り神ということは衝撃だ。たしかにそうなのだろうが、守り神と聞くとやはり優しいというか、そういうこととは無関係、むしろ「守る」ということのみを行いそうに思う。「神」というのはやはり奥深いというか、見えない存在だ。
母神が子どもの命を守ることもあれば、奪うこともあるという説明には、多くの方がコメントをよせてくれました。たしかに日本人にとっては、なかなか理解できない神のイメージかもしれませんが、じつは日本でも神道の神々などは、おなじように「荒ぶる神」という性格をしばしば有していました。ヨーロッパでも、イスラムやユダヤ教の世界では、神は恐れられる存在でしょう。神に両義的な性格を認めるのは、人類に普遍的なのではないかと思います。私はこのような両義的な性格が実際の仏のイメージと関係することに興味を覚えることが多いので、配付資料などでもそれが基本的な考えとなっています。なお、天然痘にかかったときに、天然痘の神様が祈願されるのは、日本でも見られます。病気の神様だから、その病気から救ってくれるのです。
梵経と剣がどこから出てきたのか早く知りたいです。水牛の悪魔を殺すっていう話が気になりました。詳しく知りたいです。
梵経と剣のイメージの源泉は、じつは私自身もよくわかっていません。その周辺あたりを取り上げていきます。水牛の悪魔を殺す物語は、女神を主人公とするものは『デーヴィーマーハートミヤ』というインドの聖典に載っています。これは全訳が平凡社の東洋文庫から出ていて、先週の文献にあげておきました。簡単な紹介は私の『インド密教の仏たち』の第2章にもあげておきましたが、上村勝彦『インド神話』(東京書籍)、や立川武蔵他『ヒンドゥーの神々』(せりか書房)、立川武蔵『女神たちのインド』(同)などを参照してください。
母神を信仰するのは、子どもの守り神としてということで理解できる。でも、スカンダは信仰することで、どんなメリット?効果?があるのかよくわからない。スカンダ単独で信仰されることはあるのだろうか?それとも母神とセットで「子どもの守り神」なのだろうか。
スカンダのような少年神の信仰は、インドではかなり広く見られるようです。とくに南インドのムルガン信仰は有名です。先週、インド美術を専門とされる定金計次先生の研究発表が京大の人文研であったのですが、そのときお聞きした話で、インドでは16歳くらいの少年が神々を表すときの理想的なイメージとなるというのがありました。王侯や貴族の場合も同様です。たしかに年を取った神や王の姿はインドにはほとんどありません。少年神そのものの持つ意味については、今回、考察を加える予定です。
コンパクトに入っているのは弥勒ですが、開き方は観音開きです!(注・高山寺の鏡の弥勒のことです)
たしかにそうですね。でも、何で観音開きというのでしょう。観音堂の入り口の形態に、観音開きが多かったからでしょうかね。
他界観の左右と上下という視点はおもしろいなと思った。なんだか「上に天、下に地獄」と思いこんでいたフシがあるが、古来の日本人のそれは水平軸での空間割りであったというのが、はっとさせる事実に思えた。文殊のモチーフに関する検証はとても興味深い。交尾する蛇だとか、輪というのが、思いがけない発想でとてもおもしろいと思った。どこら辺の地域、時代のものまでが、梵経や剣を持っていたりしなかったりするのだろう。
日本人の他界観が水平であるというのは、浄土図や地獄図の説明にも有効なので、ときどき紹介します。弥勒信仰が日本では極楽や浄土の信仰ほどは根付かなかった理由としては、もっと綿密な考証が必要なのですが、仮説のひとつとして紹介しました。日本人の他界観は水平であると同時に、身近なところにある山や海のような景観でもあると思います。境界としての景観というとらえ方も可能です。文殊の話の中で紹介した交尾する蛇などは、配付資料でも少し詳しく述べていますが、わたしのオリジナルのアイディアではなく、ヘルシンキ大学のインド学者パルポーラ氏がその著作で述べているものです(注にあげてあります)。余談ですが、上記の京大の研究会で思いがけずパルポーラ氏にお会いしました。10年ぶりぐらいでした。
チベットには地面に仏典が埋まっていると聞いたのですが、法華経信仰の湧出する正法と何か関係があるのでしょうか。
チベットでも埋蔵経典があります。チベット語でテルマといいます。これは末法思想や法華経信仰とは少し異なります。チベットは9世紀頃に仏教が衰えた時代があり、そのとき、破仏を逃れ、後世に残すために仏典を地中に埋めたとされます。これが後世掘り出されて、埋蔵経典として珍重されました。とくに、古い時代に起源を持つと主張するニンマ派という宗派が、埋蔵経典を多く伝えています。チベット土着の宗教といわれるポン教も同様です。掘り出した人を「テルトゥン」といいます。ただし、実際は埋蔵経典と称して、新しく作った文献に権威を与えただけの場合も多かったようです。場合によっては、霊感によってそのような経典を知ったと言って、著述する場合もあります。これを「ゴンテル」といいます。
授業とは直接関係ないのですが、夏休み中、石川県立美術館に「信貴山縁起絵巻」を見に行きました。その二つ目に天皇の病気を回復する話があって、祈りの結果、剣を持った童子が天皇のもとへ飛んで来るというものだったと思うのですが、これも下生と言えるのでしょうか?見た感じでは先生の言うように水平に見えます。
石川県美の「信貴山縁起絵巻」は私も見に行きました。今年の春には京都国立博物館の「大絵巻展」でも「飛倉の巻」と「延喜加持の巻」を見ています。「信貴山縁起」はおもしろいですね。日本の絵巻物の中でも飛び抜けて有名ですし、石川県美ではこれが全部一度に見られたわけで、金沢に住んでいてよかったと思いました。信貴山の高僧命蓮にまつわるさまざまなエピソードが描かれていますが、そのうちの「延喜加持の巻」では、病気の醍醐帝の病気治癒のために、命蓮が信貴山で祈祷すると、宮中に護法童子が飛来し、それが病気平癒の証拠となります。このような病気のための加持祈祷は、平安時代の密教の重要な役割で、護法童子のような仏が現れるのも、その効験のひとつです。これは弥勒の下生とか、阿弥陀の来迎とかとは、本来性格が異なるものですが、別の世界からやってくるという点では共通するでしょう。護法童子が乗っている雲は、絵巻の他の場面ではまったく登場しないような鋭角的な雲です。来迎の場合も雲は描かれますが、このような形を取ることはありません。イメージの上でも区別されていたのでしょう。