マンダラから見た日本の宗教

2007年1月29日の授業への質問・回答


 今期の仏教学特殊講義「マンダラから見た日本の宗教」も、無事、1月29日に終了しました。ごくろうさまでした。熱心に受講してくれた人も多く、出席率はよかったようです。半期を通して、いちおう、日本のおもだった「マンダラ」は取り上げることができたと思います。前期から継続して受講した方も、一部にいらっしゃいますが、その方たちはインドのマンダラと対比させて、日本のマンダラを見ることもできたのではないでしょうか。「マンダラ」という言葉は、現在の日本でかなり浸透しているようですが、実際の意味や具体的な作品については、ほとんど知られていないのが実状です。混沌としたものや、複雑なもの、場合によっては猥雑なものを「マンダラ」とよぶ傾向さえあります。授業ではできるだけ実際の作品を紹介して、マンダラの歴史的な展開を見てきました。その上で、なぜ日本ではマンダラが本来の密教のマンダラからかけ離れていったのかという問題を提起しました。私自身、その答えは模索中ですが、レポートの中での皆さんの考えを読むのも楽しみにしています。
 最後の授業では、これまでにとりあげた日本の曼荼羅の代表例を、もう一度お見せして、半期の授業をふりかえって、日本におけるマンダラの変化を確認してもらうつもりでした。前回の残りの立山曼荼羅に時間をかけたために(立山曼荼羅はおもしろいので、いろいろお話しすることができてしまいます)、そのための時間が十分とれなかったのが残念です。駆け足でスライドだけはお見せしました。パワーポイントの資料を見るなどして、それぞれでふりかえっておいてください。パソコンで大きく見たい方には、パワーポイントのファイルをおわけします。希望者はメモリースティックやCD、HDなどをもって私の研究室に来てください。
 以下はいつものとおりのQ&Aですが、最後なので、全員のものを掲載しました。そのため、私のコメントは比較的短めです。

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Q&Aを読んでいて毎回疑問に思うことは、なんでみんなそんなよく知ったような感じなんだろうということです。正直ちんぷんかんぷんなやりとりをしているQ&Aもあります。僕は仏教徒ですが、何というか、その儀礼的な部分はあまり理解できません。まあ、それは真宗教徒だからなのかも分かりませんが、仏教の言葉を借りた精神世界だけのお話では、何の意味もないのでは!?と思います。・・・・何とも言いたいことを言いあらわしにくいのですが、例えば、井上靖のふだらく渡海を否定するQがありましたが、これは一つの考えとしてはあるかも知れませんが、想像力が欠如しているのではないの!?と思います。昔の坊さんのこころの中を察する行為は、現実的には不可能に近い行為なのかもしれませんが、資料と、自分の心と、今まで見てきた聞いてきたことから想像すれば、多くのふだらく渡海僧が苦悩してきたのであろうと思います。坊さんであろうと人間ですもん。なんだかそういう視点(まあ、つまり自分に置き換えて考えられない中で)で、難しい言葉を頭の中に入れて、宗教の考え方などを理解しようとするのはどーなんかなー・・・・と思います。(でも本当は僕が想像する以上に、渡海への信仰はあつく、僧の苦労はあまりなかったのかも知れませんが。しかしそれでも「即身仏」「涅槃」という言葉に頼って、想像力を放棄するのはいかん!と思います。)
 以上、授業に大体出席してきての感想でした。先生の授業、金大文系の授業では指折りの親切さ、丁寧さでした。ありがとうございます。Q&Aもおもしろいです。というのは、学生間で何を考えているのかってよく分からないですから、「へえー意外とみんなまじめやな」とか「なんか違うくね?」とかいろいろ感じておもしろいです。こう書くのはためらわれますが、僕はもっと哲学的な話が好きなのか、マンダラの解説を聞いてもイマイチ想像しにくくてよく分かりません。「ふーん・・・」って感じです。マンダラには、宗教的興味よりも図像学的興味の方が湧きます。でも僕は絵は美術としての要素が第一だと思うので、図像学的関心もそう高くはありません。先生の関心(マンダラへの)の基がどこかはよく分かりませんが、宗教って絵よりももっと生々しいものなんじゃないかと思い増す。が、ちがうかもしれません。
長文で内容の濃いコメントをありがとうございます。「指折りの親切さ、丁寧さ」というお褒めの言葉は、ありがたく承ります。このQ&Aはすでに5年ほど続けていますが、私自身もいろいろ考えることができます。「学生間で何を考えているのかってよく分からない」というのは、私も講義で感じることです。皆さんにとっては、いちいち質問やコメントを考えなくてはならなくて面倒かもしれませんが、授業で強調したことや重要なことがぜんぜん伝わっていないことや、思いがけない理解(勘違いともいいます)をしていることがわかったりして、とても役に立ちます。もちろん、きちんと理解した上で、さらに斬新な意見や質問を出してくれることもしばしばあります。また、ご指摘のように宗教を学問としてあつかうのは、なかなかむずかしいのですが、いろいろな考え方が可能であるということを基本にしておけばいいのではないでしょうか。マンダラについても、それぞれの関心で興味を持ってもらえれば、授業のテーマとしてとりあげた甲斐があります。

毎回たくさんの曼荼羅をみせてもらって興味深かったです。勉強不足のせいで内容が難しいところもあったので、レポートでは自分なりに考えをまとめてみたいと思います。
むずかしいながらも、何か得るものがあればいいと思います。「自分なりの考え」というのが大事ですね。

富山県出身者で立山付近にも行ったことがあるが、布橋灌頂という儀式があるのはまったく知らなかった。それどころか、この講義ではじめて立山と曼荼羅の関係を知って興味を持った。
私も金沢に来るまで、立山曼荼羅や立山信仰のことはほとんど知りませんでした。立山曼荼羅を取り上げるのは、金沢大学の授業ならではなのですが、日本の曼荼羅の最終形態としても、最適です。

都会と富山はまったく反対の場所というイメージだが、最終的に「宮マンダラ」が山の風景画になるのがおもしろいと思った。
宮曼荼羅と社寺参詣曼荼羅の境界はかなりあいまいだと思います。宮曼荼羅の「宮」は必ずしも都会という意味ではなく、神社ということだと思います(熊野宮、北野天満宮、伊勢の内宮、外宮など)。

この講義を受け、いろいろな曼荼羅を見てきました。その中で一番のお気に入りは、当麻曼荼羅でした。いつか奈良に見に行きたいと思いました。
私も當麻寺の當麻曼荼羅(原本)は、まだ見たことがありません。當麻寺の迎講も見たいと思っています。

立山曼荼羅の一番古いものが加賀の芳春院や王泉院のものだということで、現在金沢にいる身としては、やはり金沢は古い歴史があるのだなと思った。閻魔堂というのが出てきましたが、たしか閻魔大王は道教や陰陽道で泰山府君という名で重要な位置づけがされていたと思うのですが、仏教でもそうだったのですか。
閻魔はもともとはインドの冥界の神で「ヤマ」といいます。閻魔はその発音から付けられた名称で、他にも「夜摩天」と訳されることもあります。道教の神である泰山府君は、たしかに地獄と密接な関係を持ち、歴史的には閻魔と同一視されることもあったようですが、基本的には別の神のようです。

地獄絵に描かれる拷問は、ずっと以前から行われてきた種類のものなのだろうか。描かれている絵において、より一層「罪を犯す」ことの恐怖が伝わってくるので、信仰強い当時では相当の犯罪防止効果があったと思える。
舌を抜かれるとか、体が切り刻まれるとか、ほんとうに地獄の責め苦は恐ろしいです。あまり小さいときに見ると、トラウマになります。

以前見た懐かしいスライドも多くて面白かったです。やっと卒論も終わって落ち着いてきたので、近々立山博物館に行ってこようと思います。この講義を通して、仏教や仏教美術に興味が出てきました。ほんの少し知識があるだけでこんなに面白く感じるのだと分かりました。
そうですね。何事も知れば知るほどおもしろくなります。

現在、「オニのパンツ」といえば、虎柄の腰巻きを巻いている姿を思い浮かべますが、立山曼荼羅などでは、その上からふんどしを巻いています。あの虎柄のものは何なのですか?
布橋灌頂で、閻魔のいる地獄から向かう先が奪衣姿では、あまり地獄から極楽への移動という二河白道図と合わない気がするのですが、そこは女の儀礼であるということが優先された結果なのでしょうか?
虎皮のパンツは風神や雷神でも見られますが、インドの忿怒尊でも一般的です。その流れをくむ日本の明王も腰に巻いてるものがいます。虎そのものがインドに棲息しているので、身近なイメージだったのでしょう。閻魔堂から姥堂へというのは、私も順番が逆のような感じがします。奪衣婆は本来は山の神であったという指摘もあります。日本では山の神は女性であるのが一般的です。実際に立山博物館や焔魔堂に安置されている「おんば様」の像は、鬼気迫るものがありなかなか怖いです。これにくらべると、閻魔様の姿はどこか滑稽で、あまり怖くありません。

立山信仰は、はじめは山そのものに対する信仰だったのだと思いますが、時代が経るごとに密教も神道も浄土教も混ぜて、いいとこどり(?)したものになっていくのは、おもしろいと思いました。日本の信仰は、排除よりも、敵(ちがうもの)を味方(自分のもの)にしてしまうんだな、と思いました。
そうですね。いいとこ取りができる宗教は強いです。仏教もキリスト教もイスラム教も、本質的にはいいとこ取りをする宗教でしょう。

描かれている絵には、当時の物語・伝説・生活などについての、ある一部分をキーワード的に描き、人々に世界を思い描かせるのだなあと思った。マンダラだけでなく、絵巻物も、壁画なども同じだと思うので、こういう視点で、絵画を見てみようと思う。
絵画は現実の世界を写実的に描いたものとは限りません。むしろ、画家のもつイメージや世界観が造形作品の形を借りて、出現したものでしょう。そして、それは当時の人々にもある程度共有されています。

神道曼荼羅では、人々(現世)との密接な関係を持つために用いられた曼荼羅が作制され、日本の曼荼羅の特徴を決定したとも言えます。このように、現世での信者との関係を重視するのは日本だけの特徴で、インドや中国で見られるとしたら、曼荼羅の多様化の一因になるのではないでしょうか。(檀家制など)
日本における曼荼羅の歴史を見ると、たしかに神道曼荼羅がひとつの転換点だったのではないかと思います。そこには後世の宮曼荼羅や社寺参詣曼荼羅の要素が、すでにかなり含まれています。現世の重視についてはよくわかりませんが、およそ宗教は現世と結びつかなければ成り立ちません。その上で、それを造形化するかどうかは、それぞれの民族や文化で異なるのでしょう。

布橋灌頂の、「閻魔堂」「姥堂」という名前がおもしろいと思った。「閻魔」は地獄と極楽のどちらかに振り分けるもので、「姥」は地獄のイメージを持っていたので、布橋灌頂の絵が、地獄へ向かっていく人々の図のように見えた。実際に、地獄へ行くイメージが、布橋灌頂にはあるのですか?疑似体験をすることで、本当に死んだときには許される、ということなのでしょうか?
山岳信仰の儀礼は、基本的に「死と再生」の構図を取ります。それまでの存在がいったん否定され、あらたな生をうけて生まれ変わるのです。これは密教の灌頂でも見られますし、世界各地のイニシエーション(入門儀礼)でも一般的です。地獄にいったん行くことで、実際に死んだときには許されるという指摘はおもしろいですね。

後期の授業を通して日本での曼荼羅の展開について知ることができた。イメージとして仏を整然と並べるものを曼荼羅と思っていたので、とてもおもしろかったです。
ひとことで「マンダラ」と言っても、いろいろありましたね。

布橋灌頂において、姥堂に奪衣姿を表すとされる姥尊がいるのがわかりませんでした。布橋の端にある閻魔堂と姥堂は二河白道図でいう極楽と地獄のイメージということでしたが、極楽側となるべき姥堂になぜ奪衣婆を表す像があるのでしょうか。脱衣婆のイメージが神聖なものに変化して、取り入れられたのでしょうか。
焔魔堂と姥堂の位置関係についてはすでに上で述べましたので、参照してください。立山そのものが古くから地獄として信仰されていたことも関係あるかもしれません。布橋のかかる川が三途の川で、その向こうが地獄となります。奪衣婆はこちら側ですね。

まとめのおかげで授業全体の理解が深まりました。
もう少し時間がとれればよかったのですが。

地獄絵は酷いものばかりでよくそんな拷問を思いつくなあと驚かされました。
そうですね。この世で一番怖いのは人間の想像力でしょう。

地獄の様子をもっと見てみたいと思いました。罪とみなされる行為は時代によってずいぶん異なるのですね。
来年度は後期の仏教文化論で、仏教美術の暗黒面を取り上げるつもりです。地獄絵も重要な題材になります。

両婦地獄はてっきり、浮気をした男性を懲らしめる図だと思いました。しかし妖怪のような姿になった2人の女性も、男性を責めることで苦しんでいるのだと思いました。後期の授業を受けて、曼荼羅の多種多様な作品をみて、変化を知ることができました。情報量が多いので苦労しましたが、曼荼羅を詳しく知れてよかったです。
立山曼荼羅や熊野観心十界図での両婦地獄のほんとうの意図はよくわかりません。まわりに女性に関する地獄が見られることから、女性を主体にすると解釈しました。嫉妬する女性を蛇の姿で描くのは、日本の説話図などでもしばしば見られます。石童丸の物語では、実際に頭から蛇を出して、二人の女性がいがみ合っている絵があります。

今日感じたことに、先生が絵を紹介してくださる順序が、単純な順序ではなく、はじめから浄化のプロセスの順ではないかと思われました。個人的には二河白道図が一番心に残りました。
最後のスライドの順序は、密教のマンダラに見られるシステムが徐々に失われ、それにかわって景観や物語の要素が増えていくこと、われわれを救済するために出現する仏というイメージが強くなることなどを念頭に置いていました。「浄化」というのは地獄絵や十王図を見る上で重要な概念となるので、どこかにその要素も含まれていると思いますが・・・。

参詣曼荼羅にはシステムとしての世界観が欠けているということだったが、システムを描いている密教の曼荼羅の方が好きだった。そこからストーリーを読み取ることは容易ではないが、逆にその幾何学的な図を眺めているだけで、何というか、無の境地というか、何も考えなくていい無の時間を与えてくれているようだった。「マンダラぬり絵」というものが現在ちょっとしたブームになっているのは、そういうところから来るものだと思う。
歴史的には、システムにもとづく密教のマンダラが、次第に姿を消していくのが興味深いところです。マンダラ塗り絵の仕掛け人は、私もよく知っている人ですが、ほんとうによく売れているそううです。実際そこに描いてある絵は、マンダラとは縁もゆかりもないただの模様なのですが・・・。そこから少しでも、ほんとうのマンダラに興味を持ってくれる人が現れればといいとも思います。



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