マンダラから見た日本の宗教

2006年12月11日の授業への質問・回答


有志八万講の聖衆来迎図は、気になる点が多かった。それまでの来迎図とは違って横長なので、阿弥陀を菩薩が取り囲むようにすると、阿弥陀と中途半端に重なる菩薩が出てきてしまい、別におかしいことではないけれど、とても気になったしまった。それと、歯を見せたかなり笑顔の菩薩や、横笛を吹く特徴を忠実に描くためか、妙に上を向く様子の菩薩など、表情がとても豊かだと思った。歯を見せる菩薩ははじめてみました。
高野山の有志八万講の聖衆来迎図は、来迎図というジャンルを超えて、日本の仏画の最高傑作のひとつとしてよく知られています。高野山の文化財の中でも、もっとも重要な作品のひとつです。来迎図は前回の授業でいくつか紹介しましたが、これほどの規模を持ち、充実した内容を持つものはありません。知恩院の早来迎も、今回取り上げる金戒光明寺の山越阿弥陀もよい作品ですが、高野山の聖衆来迎図は別格なのです。それとともに、画面を構成する菩薩たちが誰であるかも、謎となっています。通常の二十五菩薩よりも多くの菩薩たちが描かれ、さらに仏の姿まで現れます。「阿弥陀と中途半端に重なる菩薩」は阿弥陀の真後ろにいる二人だと思いますが、かれらも謎です。ただし、作者は全体のバランスを周到に考えた上で描いているはずで、「中途半端に重なって」いるわけではないと思います。何人かの菩薩はたしかに個性的な表情ですが、その一方で、同じような顔つきの菩薩も何組かいます。型紙のようなものがあり、それを用いたという見解も出されています。また、全体にどことなく冷たさやよそよそしさを感じるため、原本が別にあった可能性も指摘されていますが、真偽はよくわかりません。

来迎図で花びらが舞っているものがいくつかありましたが、花びらは必要なんですか。
必要です。来迎でもとくに上品上生では、阿弥陀と聖衆だけではなく、すばらしい音楽や香り、神々しい雲などとともに、天上世界から花が降ってくるという瑞相が見られると信じられていました。実際、往生伝などをひもとくと、そのようなエピソードが数多く登場します。天上世界から花が降るのは、インドの神話伝承ではありふれたことで、たとえば釈迦の誕生や成道などの吉祥な場面では、必ず言及されます。神々が散華するという描写も見られます。その場合の花は天上世界の曼荼羅華(まんだらげ)です。授業で取り上げている曼荼羅とは別物です。

聖衆来迎図の中で際だって色が白く描かれている人物が二、三人いて、それがすべて僧形の菩薩ですが、何か意味があるのですか。
来迎図の中に登場する僧形の菩薩は、地蔵と龍樹です。地蔵が僧形(比丘形)をとるのは日本ではよく知られています。龍樹は実在の人物ですが、大乗仏教の祖であることから、中国や日本では龍樹菩薩として信仰されています。聖衆来迎図ではこれに加えてもうひとり僧形の人物がいます。これも謎なのですが、阿弥陀のすぐ横にいることから特定の名称を持った重要な菩薩であることが想定され、安楽寿院の来迎図などと比較して、文殊という説があげられています。聖衆来迎図を描いた天台宗では、文殊を僧形で表す伝統があったそうです。彼らの顔がとくに白い理由はよくわかりません。地蔵は彫刻で表す場合も、顔色を含め肌の色は白く塗られることが多いので、それにならったと思いますが・・・。

興福院のスピード感あふれる観音、勢至が、きんと雲に乗った孫悟空みたいで、わくわくしてしまいました。前のめりになって蓮華座やアクセサリーが風になびいて、ほんとうに速そうですね。信貴山縁起絵巻もそうですが、このようなマンガ的表現(というと低俗ですが)には感心してしまいます。奏楽菩薩には打楽器、弾弦楽器、木管楽器がつきもののようですが、実際に、浄土教ではこのようなものを演奏するのでしょうか。
興福院の来迎図は実際に博物館で見たことがあるのですが、写真で見るよりも背景などもよく見えるので、さらに強烈なインパクトを受けます。蓮台の蓮弁、天衣、瓔珞など、風になびくさまざまなものがじつに自然に表現されています。その中で阿弥陀だけがほとんどその風を受けていないような様子(ただし蓮台のみは、他と同様になびいています)も、阿弥陀が次元の異なる存在であることを示しています。この絵には往生者(つまり亡くなる人)が描かれていませんが、それも効果的です。全体をアップにできるので、われわれの目の前を猛烈なスピードで通過しているような緊迫感が生まれるからです。知恩院の早来迎も、やはりスピード感がありますが、画面全体に山や雲、海、そして往生者の姿を含む建物までも描くために、それを見るものの視点はかなり引くことになり、はなれたところから全体を眺めているような印象になります。なお、興福院の来迎図では、往生者の存在は阿弥陀の白毫から発せられた光線によって、暗示されています。浄土教の儀礼での楽器の演奏はよくわかりませんが、法要などでこれらの楽器が用いられることはなかったでしょう。仏教儀礼の楽器にはいくつかの種類がありますが、来迎図の奏楽の菩薩たちのものとは異なります。奏楽菩薩は敦煌などの浄土図の中の、蓮池のあたりで踊る菩薩たちに由来し、仏教儀礼ではないからです。日本の来迎図では「ささら」なども登場するので、むしろ、世俗的な芸能と関係があると思います。なお、仏教儀礼でも、今回紹介する迎講(練り供養とも言います)は、来迎を再現するパフォーマンスなので、一部の類似の楽器が用いられることがあります。楽器の詳しい説明や形は、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩の解説が参考になります。

観仏と見仏の間に優劣の差はあるのか気になりました。観仏は何もないところに、仏を生み出すことだそうですが、そうして生み出された仏は、見仏で姿を現す仏と同じ存在なのですか。
観仏や見仏については、いくつかの研究がこれまでにもありますが、なかなかむずかしい問題です。インドで成立した経典に、観仏経典とよばれるジャンルがあり、そこでは仏の特徴を列挙して、それを瞑想することを修行僧にすすめる内容を持っています。すでに釈迦がこの世にいない時代に生きる仏教徒たち、とくに修行僧は、なんとかして仏の姿を直接見ようと努力したのです。そのときに、仏の身体的な特徴として、いくつかの「超」人間的な身体的な特徴が強調され、それが三十二相八十種好として整備されていきます。その一方で、仏のイメージが明確になったことは、それを実際に表した仏像の誕生とも関係づけられます。とくに、ガンダーラ地方で観仏経典が成立したことと、ガンダーラで仏像が誕生したこととが重視されます。観仏経典はさらに中央アジアで流行し、観仏三昧経典と総称されるいくつかの経典を新たに生み出しました。當麻曼荼羅と関係の深い『観無量寿経』もそのひとつと考えられています。いっぽう、見仏は特殊な神秘体験の中で見ることのできるヴィジョンで、修行僧だけではなく一般の人々にもあり得ることです。見仏のような考え方はインドでもあったようですが、日本では日記文学や物語文学でしばしばそのような体験が語られ、具体的な例が知られています。その中で登場する仏は、観音、文殊、普賢、弥勒などの菩薩が多いようです。われわれの世界に出現するという「動き」を伴ったイメージが、これらの菩薩に備わっているからでしょう。仏像を見ればわかりますが、如来はおおむねどっしり坐って動こうとはしません(その中で来迎する阿弥陀は異例の存在です)。仏のイメージ化としては、修行僧の神秘体験として「感得」とよばれるものもありますし、密教では観想法や成就法と呼ばれる独特の可視化の修行があります。いずれも観仏や見仏とも関係しますが、別の要素もあります。なかなか複雑なのです。

當麻曼荼羅に描かれているストーリーのある絵が興味深かった。どこかインドのレリーフにつながるようにも思われる。
ストーリーがあるかないかは、マンダラとは何かを考える上で重要なポイントのひとつになると、私自身も考えています。本来、密教のマンダラはストーリーをまったく含まないものでした。たしかにインドではアジャンタの壁画やサンチーのレリーフに見られるように、仏伝やジャータカなどの説話が仏教美術の中心でしたが、マンダラはそれらとはまったく別の存在でした。それが日本では當麻曼荼羅のように、本来は無縁であったストーリーが登場するようになります。もうひとつ重要な点に、景観もあると思います。マンダラは「仏の世界」といわれますが、実際はそこには仏の世界を写実的に描いたようなところはまったくありません。これが日本では神道曼荼羅、浄土教の曼荼羅と進むにつれて、自然の景観図と変わっていきます。それは密教内部の曼荼羅である別尊曼荼羅でも見られます。これらの点については、学期の終わり頃に整理してみたいと考えています。

来迎図に正面向きと斜め向きがあり、正面向きの方が古いとはじめて知った。正面から斜め向きになっていった経緯や理由は何かあったのか知りたいと思った。しかし、来迎図は仏を多く描いてしまうために、逆に「聖なるもの」としては描き切れていないのではないのかと思った。
来迎図の形式が正面向きから斜め向きに変化したことについては、美術史の分野でいろいろな考えが示されています。たとえば、今回取り上げる臨終行儀と結びつけ、往生者(死にゆく者)にとって、見やすいという説明もありますが、最近ではこれは否定されています。むしろ、上記の観仏や見仏、さらに密教の観想法と関係があるとする考えの方が有力です。密教では仏を現前に生み出して、その仏と向かい合って儀礼を行い、最終的には自分自身が仏そのものであると悟ることを実践します(入我我入観といいます)。そのため、密教の仏像や仏画は正面性の強い(つまり行者と正面で向き合う)作品が多く、さらにその周囲も神秘体験にふさわしい幻想的なヴィジョンが背景となります。それに対し、来迎を受動的に体験する場合、客観的な状況で、阿弥陀と聖衆がこの世界にやってくる様子を観察することになります。その場合、来迎のヴィジョンを見るのは往生者だけではなく、そのまわりにいる人たちも含むことになり、来迎のシーンは複数の人々によって共有されるヴィジョンとなります。場合によっては一種のパフォーマンスなのです。その場合、主観的な正面像よりも、客観的な斜め構図の方が、よりふさわしいことになるでしょう。来迎図に自然の景観が描かれることにも、同じ理由が挙げられます。「聖なるもの」がどのような姿をとるかは、このような点からも考えることができます。


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