マンダラから見た日本の宗教

2006年11月27日の授業への質問・回答


前期のレポートで神道曼荼羅について調べたので、場と結びつく神の存在が神道曼荼羅の景観化の背景という説明に、なぜ風景画的なのかという疑問が解決しました。日本的な神々のとらえ方が影響しているのがよくわかりました。参拝曼荼羅は参拝の功徳を寺社が宣伝する目的を持つということでしたが、秘密社参曼荼羅は一般向けのものではなく、特別な修行者向けのものだったのでしょうか。
神道曼荼羅の景観化について、その背景はいろいろ考えられると思いますが、前回はとりあえず私の考えを紹介しました。場と結びつくというのは、日本の神々だけではなく、仏教の仏にも当てはまるようで、たとえば長谷寺の観音とか、清水寺の観音のような有名な仏は、それぞれ、その場所にいることが重要なようです。そこから観音の霊場が形成されたり、観音の霊験記や寺院の縁起などが次々と生み出されたりします。参詣曼荼羅が生み出されるのも、これと同じ流れです。日本人にとっての神や仏は、抽象的、普遍的な存在ではなく、具体的な姿をとって特定の場所に存在することが重要なのでしょう。特定の仏像そのものが重視されることも指摘できるかもしれません。○○寺の何とかという仏に、このような御利益があるというような話は、現在でも広く見られます。もっとも、類似の信仰は世界中にあるという気がしますが・・・。秘密社参曼荼羅は、ご指摘のとおり特別な修行者向けのものだったでしょう。しかし、その曼荼羅だけで秘密社参ができるとは思えないので、実際には役に立たなくても、そのような実践と関係があるという程度ではないかと思います。秘密社参や運心については、私もはじめて知ることなので、よくわかりません。

インドの曼荼羅などは多くの両界曼荼羅のように、仏を俯瞰するものだったが、日吉曼荼羅や参詣曼荼羅などは、一見同じように俯瞰しているように思われるが、じつは下から上へ視点を上昇させている手法が多いように感じる。個人的には一目で世界を一望するよりも、自分を徐々に高みに引き上げられるような感覚を与えられる後者の方が、曼荼羅の示す「世界」や「場」へ入り込みやすいので好きだ。後者は主に大衆を対象にしていたためにわかりやすいのだろう。やはり日本の曼荼羅を見ていると、「仏の世界全体」を示すというよりも、描かれている「場の世界」を示しているように感じてしまう。だからどうしても日本各地にさまざまな世界が存在するように思えてしまう。特定の「場」と結びつけられてしまうことがその原因なのだろう。それゆえ、どうしても地域信仰的な要素が含まれてしまう。はたして当時の人々はこれらの曼荼羅を見て世界全体を理解していたのだろうか。
「世界」をどのような視点から見るということは、「世界」をどのようにとらえているかを示す重要な手がかりになると思います。たとえば、ヨーロッパでルネッサンスの時代に遠近法が発達したのは、世界を合理的、さらには数値によって表すことが可能であるという信念が生まれたからでしょう。日本で厳密な意味での遠近法が発達しなかったのも、世界を全体としてとらえたり、構造的に把握することがなかったからだと思います。インドの曼荼羅が実際の景観と結びつくことがなかったのも、日本人とはまったく異なる方法で世界をとらえていたことを示すものです。しかし、その一方で、ひとつの視点からながめるヨーロッパ的な遠近法も、インドでは生み出されなかったことも重要です。インドの曼荼羅の表現方法は、宿題の課題にした文章でも書いたように、単純化やシンボル化を進めていきました。そこでは、客観的な世界よりも、主観的、あるいは実践的な世界が重視されたのだと思います。インドの曼荼羅が儀礼と関係することの重要性もここにあります。なお、日本人は基本的に「世界」というような考え方とは最も遠いところにいる民族です。両界曼荼羅を見てもそれが「世界」とは思わなかったでしょうし、風景画化した神道曼荼羅や参詣曼荼羅の形をとるようになって、はじめてそれが空間的な広がりを持ったものであることに気がついたのだと思います。

山王講のお話で出てきた山王祭についてなのですが、私の実家のある富山においても、同名の大きな祭りとして、山王祭が催されます。それは「日枝神社」(日吉と同音、たぶんこの表記だったと思います)を中心に行われるものです。この表記には同音以外に意味はあるのでしょうか。また、山王祭や山王講は全国的に行われているものなのでしょうか。
全国に日吉神社や日枝神社はたくさんあります。ある資料によると1,550社あるそうです。比叡山にある日吉大社はその総本宮になります。富山市の日枝神社は全国の日枝神社の中でも重要な神社だそうです。他に、東京の千代田区にある日枝神社も大きく、ここでも山王祭が行われています。江戸三大祭りのひとつだそうです(以上、インターネットより)。全国の日吉神社の多くで、祭礼として山王祭が行われているようです。日本の神社は全国各地に支社(のようなもの)をたくさん持ちます。たとえば、鶴来にある白山比め(くちへんに羊)神社を総本社とする白山神社は、北海道から九州まで至るところにあります。八幡社、北野天神なども同様です。数では八幡社が一番多く、上記と同じ統計では8,732社でした。以下、伊勢(神明、皇太神、稲荷、天神、諏訪、熊野、白山、祇園(八坂)と続き、日吉はその次の9位です。10位は春日です。機会があれば、ご実家の山王祭や山王光について調べて、教えて下さい。富山版の山王曼荼羅があるとおもしろいのですが。

今日のスライドの阿弥陀如来の像は、金色のものが多かったですが、やはり阿弥陀の神々しさとか、発する光なんかをイメージしているのでしょうか。光背から四方八方に出ている棒のようなものも、やはり光の強さを強調しているのでしょうか。見返り阿弥陀の写真は、高校の日本史の資料集でも見たことがあったけれど、その写真は背景が鮮明でなく、来迎の様子だとはわからず、なぜ、振り向いているかの説明もなかった。今日やっと、その珍しい姿の理由がわかりました。
来迎の阿弥陀などの浄土教の阿弥陀の作例は、平安時代の中期以降に現れます。日本で浄土教が流行したのが、この時代だったからです。阿弥陀を金ぴかにするのは、極楽浄土や来迎の阿弥陀であることからなのですが、日本の美術史では、このころから金色の使用が増大します。平安時代には装飾文様として截金(きりかね)の技法が用いられたり、仏像の表面に漆で金箔を固定する漆箔(しっぱく)がよく見られます。鎌倉時代になりますと、さらに金泥を全身に塗った阿弥陀の仏像や仏画が流行します。そこにはさらに截金も加えられこともしばしばあります。このような表現方法を「皆金色(かいこんじき)」といいます。ぴかぴかですね。このような表現も、鎌倉時代の仏教美術に見られる写実主義(リアリズム)のひとつとしてとらえられてきましたが、最近聞いたシンポジウムで、東北大学の泉武夫さんが「生身の仏」を意図したもので、リアリズムよりもアクチュアリズムといった方が妥当であるという提言をされていました。

阿弥陀が口から宇宙に光を発すると、何が起こるのですか。どこかの宗教が「光あれ」といったら太陽が生まれたのと同じですか。
仏が体から光を発するのは、大乗仏教ではしばしば見られ、神変(じんぺん)と呼ばれます。これによって、光を浴びた者たちは、悟りに至る道に着実に入ることができます。光で宇宙が照らされるのですから、世界全体を見渡すこともできます。具体的には、別の仏国土で仏が法を説いているのが見えます。むこうの世界からもこちらの世界で同じように見えます。これを「相互照見」といいます。光を発するもとは、多くは仏の額の白毫ですが、口から発することもときどきあります。これは仏の口から発せられる言葉が、真理となって全世界に広がることを表します。


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