密教美術の世界

2006年6月22日の授業への質問・回答


マンダラは立体だったんですね。はじめて知りました。チベットのマンダラ作りは何ヶ月もかけて行われると聞きました。中心の仏に向かってまわりの仏が足を向けているのは、人間が地球の中心に足を向けている姿を連想させました。引力みたいです。
マンダラは「仏の世界」なのですが、実際は宮殿という家を基本としているので、立体としてみると、その構造がよくわかります。絵画というのは立体を平面にするので、さまざまな描き方があるのですが、前回の授業で紹介したように、われわれはそれを一点透視法という遠近法で描く習慣が身に付いています。そのため、マンダラのような複数の視点から描いた絵は、なかなか立体に見えませんが、家の設計図のようなものと思えば、そのようにも見えてきます。チベットのマンダラについては、今回少しふれます。中心に足を向けているのは、まさに引力があるからですが、それは地球の引力というより、中心の仏から出ている引力みたいなものです。

複合の視点と聞いて、すぐにピカソの絵が浮かびました。子供の絵と似た表現法だと習ったことがあるのですが、全体をとらえ、本質を表すには、視点がどこに置かれるかが大きく関係するのかなと思いました。
複合的な視点でピカソを連想されたのは、なかなかいい勘です。20世紀絵画の大きな流れのひとつにキュビズムがありますが、ピカソをはじめとするキュビズムの画家たちは、このような複数の視点からの絵をしばしば描いています。子供の絵と似ているということも、授業の趣旨ともよく合致していますが、アフリカなどの民族美術との関連もあるでしょう。ピカソの絵にアフリカの仮面が出てくるのは、先週の「アヴィニョンの娘たち」以外にもたくさんあります。ピカソの場合、はじめは写実的な絵を描いていたことも重要です。美術の教師だったピカソの父親が、幼いときのピカソの絵を見て、そのあまりの上手さから、自分では絵を描くのをやめてしまったという有名なエピソードもあります。伝統的な絵が描けるにもかかわらず、あえて稚拙とも見えるこのような表現をとるところに、絵とは客観的な世界ではなく、画家の内面を視覚化した、きわめて主観的な表現であることがよくわかります。

子供の絵を例にした説明わかりやすかったです。決して稚拙なものではなく、頭の中でしか描けない、多くの情報を表す手段が、子供のような絵の描き方だったのだと思いました。ところで、金剛界と胎蔵界はどう違うのですか。
子供の絵については、上記の質問の通りです。金剛界と胎蔵界については、教科書のコラムでも取り上げているので、お読み下さい。簡単に言えば、金剛界マンダラは『金剛頂経』、胎蔵マンダラは『大日経』というそれぞれ異なる経典を典拠にしています。基本的に、マンダラは特定の経典に説かれていて、密教の時代に出現したほとんどの経典は、それぞれ独自のマンダラを説いています。日本に伝わったのは、そのうちの一部で、とくに大日如来を中尊とするこの二つのマンダラが重要と見なされました。金剛界は仏のグループが4つ、胎蔵界は3つという違いもあります。胎蔵界は大乗仏教以来の仏の世界を集大成したようなマンダラで、金剛界は、あらたに密教の仏の世界を、独自のシステムで体系化したマンダラです。このように、金剛界と胎蔵の二つのマンダラは、典拠となる経典や、マンダラを構成する原理などが大きく異なるのですが、日本密教では二つでひとつとして扱われるようになりました。これは、何十、何百というマンダラがあるインドやチベットでは見られなかったことなのですが、日本密教では最も重要なマンダラのとらえ方となります(両部不二といいます)。その起源は、空海が密教を学んだ唐代の中国密教にあるといわれています。

マンダラの四方に門があり、中心に円があったので、まるで仏塔のように思えるが、関係はあるのですか。
もちろんあります。仏塔もマンダラも仏の世界を表すものです。それだからこそ、マンダラを取り上げる前に、仏塔、そして仏教の宇宙観を説明したのです。構造だけではなく、マンダラの装飾モチーフと、仏塔(ストゥーパ)のまわりの浮彫にも、さまざまな共通点があります。今回の最後か、来週の初めに、マンダラを中心としたまとめを予定しているので、そこでも両者の関係を確認して下さい。

結界で外から何も入ってこなくしていたといっていたが、外から何が入ってくると考えられていたのか、疑問に思った。
マンダラが世界(宇宙)を表しているのですから、その外から何かが入ってくるというのは、たしかに矛盾しているようです。しかし、マンダラは同時に儀礼のための空間で、結界は儀礼を行うためにも行われます。儀礼の場に侵入して、儀礼を妨げたりする存在を、当時の密教徒たちは非常におそれていたようです。妨害するものとして、魑魅魍魎のたぐいやヒンドゥー教の神々のような異教の神が想定されています。しかし、これは一方的な見方で、むしろ、儀礼の場という特別な空間を作り出すために、それ以外の空間との緊張関係を生み出すことが最も有効だったのでしょう。これはちょうど、自分の国を意識させるときに、周辺諸国の軍事的脅威を強調するのに似ています。軍備を増強したり、愛国心を植え付けようとするとき、仮想敵国を作るのは、その最も手っ取り早い方法です。

マンダラの描き方は、キュビズムや源氏物語絵巻の吹抜屋台と通じるところがあると感じた。古代、中世の人々はわれわれと同じ視覚機能は持っていたが、見えている風景、見え方は異なっていたということを聞いたことが本当なのかと思った。
キュビズムについては、ピカソを例にしていることからもわかるように、その通りです。絵巻物の吹抜屋台も、たしかにマンダラの説明に使えそうですね。こどもの「レントゲン描法」よりもわかりやすいかもしれません。絵巻物にはそれ以外にもいろいろ特殊な技法があります。その一つに、引目鈎鼻がありますが、これもマンダラの表現方法に共通点があるかもしれません。源氏物語絵巻などでは、ほとんどの登場人物が同じような顔をしていて、その特徴からこのように呼ばれます。その理由として、高貴な人物を描くときには写実的にしないというものもありますが、それとともに、読者が感情移入をするときに、類型的な表現にしておいた方が、想像力を発揮できるということもあります。マンダラのほとけたちも、画一化されることで、多くが同じような特徴を持ちます。シンボルのみを変更して、仏のイメージを生み出したことはすでに説明したとおりです。仏を儀礼や瞑想の中で自由に操るためには、このような個性を排除したイメージの方が便利だったと思われますが、それは絵巻を読む人と似ているのかもしれません。

以前に奈良の当麻寺について調べたことがある。当麻寺にもマンダラがあり、そのときに少しマンダラについても調べてみた。しかし、そのときは漠然としたイメージしかつかめず、結局、マンダラがどういうものであるかわからなかった。今回、改めてマンダラを見てみても、やっぱりよくわからない。マンダラを理解するのは難しいと思った。私も小さい頃に、視点の複合平面や「綱引き」「バス」などの、今では描くことすら思いつかないような絵を描いた覚えがある。マンダラを見ていると、もう忘れてしまったこのような複数の視点からの見方を思い出せる気がする。
当麻寺のマンダラは「当麻曼荼羅」と言います。これは、授業で説明している密教のマンダラとは異なる原理でできています。当麻曼荼羅は複雑な構成をしていますが、中央の最も広い部分を占めているのは、阿弥陀の極楽浄土の景観です。これを浄土図と呼びます。その左右と下にはいくつかのコマ割りがあり、浄土教の重要な経典である『観無量寿経』の内容が、絵で表されています。中央の極楽浄土についても、同じ経典に詳細な説明があります。このように、特定の経典にもとづいて、その内容を描いた仏画のことを「経変」(きょうへん)とか「変相図」(へんそうず)といいます。当麻曼荼羅は代表的な「『観無量寿経』変相図」(観経変)なのです。このような変相図と密教のマンダラは基本的に異なるのですが、日本では仏の集合図を何でも「曼荼羅」と呼ぶ傾向があり、当麻曼荼羅も浄土教の曼荼羅の代表的なものとされます。他にも、神道曼荼羅とか法華曼荼羅、参詣曼荼羅など、密教とはあまり関係のない絵画でも曼荼羅とされるものが多くあります。マンダラはたしかに難しいのですが、今回の授業で、少しわかっていただけると思います。また、授業で説明している密教のマンダラ、とくにインドのマンダラについては、私の別の著書『マンダラの密教儀礼』も参照して下さい。たぶん、授業の内容がさらによく理解できるはずです。子どもの時に描いた絵を思い出したりするのは、なかなかよい経験だと思います。しばしば、芸術家や作家などの創造的な仕事をする人に、子どもの時の記憶を鮮明に持っている人がいます。おそらく、子どもの発想というのは大人には失われたもので、創造性に満ちたものなのでしょう。

ジブリのアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」に、仏を狸と狐に置き換えたマンダラのようなものが出てきていましたが、今回見たような実際のマンダラと違い、全部のものが同じ方向を見ていたため、放射状に仏が並ぶ本物のマンダラは、どこか異様に見えました。しかし、つな引きの絵とバスの絵を見て、あぁなるほどと思いました。この授業より前に、専門の授業で、子どもの発育にともなう描画の変化が、テーマにされていたからです。いっぺんにすべての情報を描いてしまおうとする試みは、必要な情報を取捨選択し切れていない子どもの絵と同じなんだろうといういことが、すんなり理解できました。
狸や狐のような動物が仏像の姿をするのは、昔話でもよく出てきますが、有名な「鳥獣人物戯画」にもあります。この絵巻物で紹介されることが多いのは、カエルとウサギが相撲を取っているところですが、その少し先に、カエルが仏像のように坐っていて、その前で、お坊さんの姿をしたサルが、読経している場面があります。宮崎駿氏はこのような絵巻物に関する知識も、たぶん持っているのでしょう。日本のマンダラは、すべての仏が同じ方向を向いているのが普通です。チベットのマンダラを宮崎駿氏が知っていたかどうかはわかりませんが、日本的なマンダラの表現にならったのでしょう。なお、私は「平成狸合戦ぽんぽこ」を見ていないので、機会があれば、確認してみます。専門の授業で子どもの絵の発達をすでに学習していらっしゃったとは好都合です。ほかにもマンダラの説明で使えそうな特徴や技法があれば教えてください。レントゲン描法や展開描法も、以前に教育大学の学生の方から教えてもらいました。



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