密教美術の世界

2006年5月18日の授業への質問・回答


菩薩(観音?)は釈迦の若いころの姿と聞いたことがあるのですが、明王は釈迦とどういう関係にあるのでしょうか。
菩薩とはいかなるもので、どのような姿をしているかについては、今回取り上げますが、釈迦の若いころの姿という説明が当てはまるものもあります。菩薩とは「悟りを求めるもの」という意味なので、釈迦そのものが菩薩のモデルになります。明王はなかなかむずかしい存在です。種類としては不動、愛染、降三世、大威徳、軍荼梨などがいますが、それぞれ起源が異なります。インドでは明王としては扱われていない孔雀明王や、中国でおそらく成立した大元帥明王なども、日本にはいます。これらの明王のイメージは、仏や菩薩と大きく異なり、多面多臂、忿怒形などを特徴としますが、その起源や由来は一様ではありません。明王と他の仏との関係ですが、仏が衆生を救済するために、柔和な姿をとったのが菩薩、忿怒の姿をとったのが明王という解釈があります。たとえば、大日如来の忿怒形が不動明王です。これを三輪身説(さんりんじんせつ)といいます。ただし、このような解釈は日本と中国だけのようで、インドまではさかのぼれません。

今日の授業であらためてインドと日本の距離を再認識して、仏像のそれぞれの大きな特徴がちゃんと伝わっているのがすごいと思いました。また、これほど離れている日本に伝わったのに、インドの西の国にはどうして密教は伝わらなかったのですか。
この分野の研究をしていると、インドの仏教のさまざまな要素が、じつに正確に日本まで伝わっていることに驚かされます。仏像のような視覚的な分野はそのわかりやすい例ですが、仏教の教えのような抽象的なことも、あるいは儀礼のような複合的なものも、インドと日本を比較すると、正確な情報が伝わっていることがわかります。インドの西の国にも、大乗仏教の時代までは伝わっています。有名なパーリ語の文献で『ミリンダ王の問い』(ミリンダ・パンハー)というのがあり、ギリシャの王と仏教の学僧との対話で構成されています。シルクロードを経由して仏教が中国に伝わるルートも、西北インドをから伝わっていきました。おそらく通商のためのルートに乗って、文化や宗教が伝わったからです。しかし、密教の時代にはすでにインド内部においても、仏教は劣勢に追い込まれていました。北東インドと、北西インドにかろうじて残っていただけで、さらに、イスラム教徒の侵攻にもさらされていました。まさに西からの圧力に必死で耐えていた時代ですから、その西に文化を伝えることなど、およそ考えられなかったでしょう。ただし、少し後の時代になると、密教ではありませんが、ヒンドゥー教の思想や文化が、イスラムにも影響を与えます。なかなかインドは「したたか」です。

仏教の伝達の過程で、中国を通ったのなら、日本に伝達されたときは中国の密教と似たものになってないとおかしいはずなのに、なぜ、日本の仏教はインドのそれと似ているのだろう。
中国の密教にも似ています。というより、日本密教の直接の情報源は中国密教でした。授業ではインドと日本をダイレクトに比べたので、中国が抜けてしまいました。ただ、現在の中国には、日本密教がお手本とした唐代の密教の文化遺産はほとんど残っていません。それでも、たとえば法門寺というお寺から最近発掘された文物に、そのような密教関係のものが含まれていて、話題を呼んだことがあります。中国のことですから、これからもそのような発見があるでしょう。あるいは、日本に残っている密教関係の仏像や仏画に、中国から運んだ(「請来する」といいます)ものもあります。

両義性について、昔も今もあまり変わらないなぁと思った。女子高生は同じようなキャラクターのグッズを持っているし、同じような色を好んでいると思う。そのような人間の嗜好が、イメージの普遍性に一役買っているんだなぁと思った。
宗教的なイメージやシンボルに、しばしば両義性が関係することを、先回はお話ししましたが、「そう言われればたしかにそうだ」という感想が多く見られました。気をつけてみてみれば、他にもいろいろ該当する例が見つかると思います。この方のコメントは、それとは少し異なるもので、イメージの普遍性についてです。女子高生の嗜好はよくわかりませんが、イメージの嗜好が社会集団や社会階層で異なることはよく見られます。その一方で、それを超えた普遍性を持つこともあります。話は少しずれますが、先日、京都国立博物館で「大絵巻展」という展覧会を見てきました。その中に有名な「鳥獣人物戯画」がありました。カエルとウサギが相撲をとっていたりする有名なものです。その場面以外にもウサギが何度も登場するのですが、どれもとてもかわいくて、魅力的で、そのまま、キャラクターになりそうです。実際、京都国立博物館のミュージアム・ショップでは、「鳥獣人物戯画」を使った商品をたくさん販売しています。ウサギというキャラクターはたとえばピーター・ラビットやミッフィー(うさこちゃん)のように、現在の子ども向けの重要なキャラクターにもなっています。サンリオのキティーちゃんは、海外でもかなり人気があるようですが、イメージの作り方は、ブルーナのミッフィーを明らかに意識しています。このあたりにもイメージの普遍性があるかもしれません。

変化してしまうイメージはしかたのないことであると思う。これに対してどちらがよいとか悪いとかいう人がいるかもしれないが、オリジナルと不完全なコピーは、その差異によって、別のものと見た方がいろんな側面からよいと思う。
私もそう思います。さらに積極的な見方としては、オリジナルとコピーで異なる場合、その理由を考えることによって、それぞれを生み出した文化の特徴などが見えてくることです。この授業のねらいは、オリジナルを突き詰めていくことではなく、文化の多様性を宗教を通して知ることです。どの時代の仏教が「正しい」とか「良い」とかという判断は、まったく考えていません。

なぜ観音は鹿の衣を身に付いてるのだろうと思った。鹿の衣を身につけるということは、鹿を殺してはじめて身につけられるのだから、これはあんまりよくないんじゃないかと思った。
鹿の衣は、インドでは行者が瞑想をするときの敷物として用いられます。地面の上に直接坐るのではなく、座布団代わりに用いるのです。また、観音はこのモチーフをヒンドゥー教の神であるシヴァから受け継いでいます。シヴァは修行者のイメージを持った神で、ほかにも修行者と結びついたいろいろな特徴があります。仏教の仏のイメージには、このように、ヒンドゥー教の神からの影響がしばしば見られます。教科書でも、この点はしばしば強調しています。なお、鹿の皮は日本の山伏も腰に付けています。彼らも山の中で修行する行者ですが、布の衣だけでは、山の中ではおそらく耐えられないのでしょう。

やはり腕や顔、足が多い人間離れした仏像は、人々にとても強いイメージを与えたのだと思う。でなければ、インドから日本までの長い道のりは渡ってこれなかったと思う。文献で伝わったというが、どうやって文字を解読したのか。
たしかにイメージそのものが強烈な印象を残すことも、イメージの伝播には重要だったでしょう。密教美術の場合、それに加えて、仏像や仏画などのイメージは、正確に再現されて、儀礼に用いられたことが重要です。密教の実践にはイメージが必要だったからです。文字は中国ではインドの言語から中国語に翻訳しました。日本の場合、同じ漢字文化圏なので、中国でその翻訳(漢訳経典)を書写して伝えました。


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