密教美術の世界

2006年4月20日の授業への質問・回答


顔がたくさんあったり、手がたくさんあったりする仏像は、どういう意図で制作されたのだろう。異形にすることで、神格化しようということだろうか。人は奇形を見たりすると怖がったりするが、シャカになると拝まれるんだなぁ。
前回のスライドを見た皆さんのコメントでは、多面多臂つまり手や顔がたくさんあることに対するものが圧倒的に多かったです。これは私が強調したからかもしれませんが、皆さんにとっての仏像のイメージと、このような多面多臂の像が、かなりかけ離れたものだったからでしょう。ただし、千手観音や十一面観音、あるいは阿修羅像などで、実際には多面多臂の仏像は見ているのですが、あまり意識にのぼらなかったようです。「異形にすることで神格化する」というのは、なかなかよい指摘です。われわれは神聖なものを表現するときに「完全なもの」「美しいもの」などのイメージを用いることが多いのですが、その逆に「不完全なもの」「醜いもの」も、神や仏などの神聖なもののイメージに用いられることがあります。場合によっては「グロテスクなもの」「身の毛のよだつもの」「正視に耐えないもの」などの場合もあります。人間はこのようなものにも引きつけられることがあるのです(「怖いもの見たさ」という言葉もあります)。そのような意味で、「人は奇形を見たりすると怖がったりするが、シャカになると拝まれるんだなぁ」というコメントは、もう一歩進んで、なぜ、拝まれるものに奇形が現れるのかという発想の転換をするといいでしょう。この授業では、今回も含め、ときどきそのような「グロテスクなのに拝まれるもの」をお見せするつもりです。

グロテスクさと神聖性とが関係するのではなく、何かが多いということに重きを置かれていると思う。なぜなら、身体が欠けたものがないからです。
上にも書いたように、私は「グロテスクさと神聖性」は関係すると思いますが、「何かが多い」ということも、たしかに重要な要素でしょう。腕や顔が多いということも、それで説明できるかもしれません。千手観音の手も、グロテスクというよりも、腕が千本もあるということが、見るものを圧倒させるのでしょう(実際には千本は表さずに、40本程度のものが多いのですが)。あるいは、同じものがどんどん増えていくイメージも、生命力や繁殖力を感じさせるのかもしれません。インドでは蓮やつる草のように旺盛な繁殖力を持った植物が、宗教的なイメージとして好まれました。なお、神聖な像には「身体に欠けたものがない」というのは必ずしも正しくなく、たとえば日本の不動明王は、片目をしかめ、口の左端からは上向きに、右端から下向きに牙を出しています。不動明王の場合、アンバランスさが神聖さを表す重要なモチーフだったようです。仏像の中では例外的ですが。

密教というと閉鎖的なイメージがあったが、アジア全域に広がる大規模なものだと知った。
密教という言葉は、おそらく多くの方にとってあまりなじみのない言葉でしょう。日本史の授業で、空海や最澄が中国から伝え、平安時代の初期の仏教で流行したというイメージも強いかもしれません。日本の密教はたしかに中国から伝えられたものですが、その源流はインドにあります。密教とは何かについては、今の段階では説明はあえてしません。インドの仏教の歴史の中で最も遅い段階の仏教で、授業でお見せするような仏像がたくさん作られたという程度の理解でかまいません。それよりも、仏教というのがどのような宗教で、それを生んだインドの人々の考え方などを、この授業では紹介するつもりです。密教がアジア全域に広がったというのはそのとおりです。チベットやネパール、あるいは東南アジアで流行し、その流れで中国や日本にも伝来しました。東南アジアからは密教はすでに姿を消していますが、インドネシアやカンボジアには密教の遺跡があります。このような地域的な広がりを持ちながら、密教が閉鎖的な宗教であることもたしかです。インドでは大乗仏教の中で特別な能力を持ったものが、密教の修行をしていました。大乗仏教とは別に密教があったのではなく、大乗仏教の一部として密教は流行していたようです。

トリビアで、空海が生きていると聞いて驚いた。最澄はどうなんでしょうか。日本は外国の像をマネしているんだなぁと思った。
弘法大師すなわち空海が本当に生きているかどうかは、私にはわかりません。しかし、空海が生きていると信じる人々が今も昔もいることはたしかですし、それによって、大師信仰とよばれるような宗教形態が存在してきたことも歴史的な事実です。時が至れば、弘法大師がふたたび世に現れ、われわれを救済してくれるという信仰もありますし、四国のお遍路さんは「同行二人」といって、つねに弘法大師といっしょに巡礼をしていることになっています。日本仏教の中で空海ほど一般大衆の信仰の対象となった祖師(宗派の開祖)はいないでしょう。最澄ももちろんですが、信者の数では圧倒的に多い浄土真宗の親鸞や、曹洞宗の道元も、空海のような神格化は起こりませんでした。日本各地にさまざまな伝説があるのも、空海だけでしょう。「日本は外国の像をマネしている」のはそのとおりなのですが、仏教美術というのが、そもそもかってにオリジナルな仏像を作るわけにはいかないものなのです。規範となる像のイメージを再現することが重要でした。そのとき、インドや中国の仏像こそがモデルとなったのです。これは仏教に限らず、宗教美術一般でもいえることでしょう。独創性を重視する近代的な美術とはまったく異なる世界なのです。

今まで私が見た奈良の大仏や法隆寺の観音像は、全身が彫られていて、そういうイメージだってけれど、「弥勒坐像」などでは後ろに壁(?)のようなものが見られました。どのような理由からそのような違いができたのか疑問に思いました。
日本の仏像との形式の違いについての、よい指摘だと思います。インドでは仏像や仏教美術の作品は多くが、このような浮彫の形式をとります。これは、今回紹介する初期の仏教美術からの伝統です。いくつかの理由が考えられますが、そのひとつとして寺院や建造物の一部として制作されたため、その表面の装飾として浮彫が最も適したことがあげられるでしょう。初期の仏教美術には仏像は現れず、物語や装飾モチーフが好まれました。仏像であれば全身を彫ることもあったでしょうが、物語の場面や装飾モチーフの場合、浮彫の方が表現しやすかったはずです。仏像が出現してからも、寺院に安置するときには壁に密着させるような形で石像を刻んだようです。その場合、全体を彫り出すのではなく、体の後ろは彫り残して、後ろ側が平面になっている方が好都合でした。このような像を「高浮彫」と呼びます。授業で紹介する密教の仏像のほとんども高浮彫です。ヒンドゥー教やジャイナ教のような他の宗教の像も同様です。これに対し、背面もすべて彫り出す形式のものを「丸彫り」と呼びます。丸彫りの仏像も、高浮彫ほどではありませんが、どの時代にもあります。

インドと日本の仏像を比べてみて、私は思ったよりも似ていないという印象を受けました。観音像などは、日本の観音像よりも、どちらかというと阿修羅像に似ているような気がしました。
そのような印象も大事だと思います。私は「似ていると思う方が興味がわく」という戦略(?)で、似ていると強調しましたが、他の方も「あまり似ていない」「いったいどこが似ているの?」と思っていたかもしれません。少し先の授業では、この「似ている」ということについて、詳しく考えるつもりです。

仏像の名前って覚えた方がいいんですか。
無理に覚える必要はありません。何度も繰り返し聞いているうちに、自然に覚えられるものも出てくるでしょう。もちろん、覚えたい方は仏像の百科事典のようなものもありますので、せっせと覚えても楽しいでしょう。テレビなどで仏像の映像が出て、それが瞬時にどのお寺の何という名前の仏像であるかわかったりすると、けっこううれしいですよ。世の中にはそういうひともたくさんいます。


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