マンダラ関連文献
1 曼荼羅一般
有賀祥隆 1990 『日本の仏像大百科3 明王 曼荼羅』ぎょうせい.
石田尚豊 1969 『日本の美術33 密教画』至文堂.
金岡秀友 1953 「マンダラ信仰の一側面」『印度学仏教学研究』2(1) 137-138.
金岡秀友 1954 「マンダラにおける悪の論理」『宗教研究』142
金岡秀友 1957 「マンダラの民族性について」『印度学仏教学研究』5(2): 191-194.
金岡秀友 1964 「マンダラ信仰の源流と展開について」『宗教文化』41.
金岡秀友 1965 「仏教思想上のマンダラ」『在家仏教』40(12)
金岡秀友 1978 『密教の世界観』ピタカ.
金岡秀友他 1988 『図説日本仏教の世界4 曼荼羅の宇宙』集英社.
亀井宗忠 1933 「ウパニシャッドに現れたる曼荼羅に就いて」『大正大学学報』15: 123-136.
亀井宗忠 1935 「瑜伽観行と曼荼羅」『大正大学学報』21-23: 167-190.
高田仁覚 1970 「曼荼羅(ma.n.dala)の通則について」『高野山大学論叢』5:1-29.
竹原 弘 2004 「マンダラについて」『東洋哲学研究所紀要』20: 183-206.
田島隆純 1928 「曼荼羅の起源」『大正大学研究紀要』3: 147-160.
立川武蔵 1987 『曼荼羅の神々:仏教のイコノロジー』ありな書房.
立川武蔵 1989 「マンダラ 構造と機能」『岩波講座東洋思想 第10巻 インド仏教 3』岩波書店 pp. 289-314.
立川武蔵 1996 『マンダラ 神々の降り立つ超常世界』学習研究社.
立川武蔵 1998 『マンダラとは何か』高野山大学.
立川武蔵編 1990 『マンダラ 宇宙が舞い降りる』新国民社.
立川武蔵編 1993 『曼荼羅と輪廻 その思想と美術』佼成出版社.
立川武蔵編 1996 『マンダラ宇宙論』法蔵館.
立川武蔵編 2003 『マンダラ:チベット・ネパールの仏たち』国立民族学博物館.
田中公明 1984 『曼荼羅の歴史と発展について』チベット文化研究所.
田中公明 1987 『曼荼羅イコノロジー』平河出版社.
田中公明 1990 『詳解河口慧海コレクション チベット・ネパール仏教美術』佼成出版社.
田中公明 1991 「曼荼羅の身体論」『体育の科学』41(19): 769-775.
田中公明 1996 『インド・チベット曼荼羅の研究』法蔵館.
田中公明 1997 『性と死の密教』春秋社.
トゥッチ、G. 1984 『マンダラの理論と実践』R. ギーブル訳 平河出版社.
トゥッチ、G. 1991 『マンダラの理論と実際』金岡秀友・秋山余思訳 金花舎.
栂尾祥雲 1927 『曼荼羅之研究』高野山大学出版部.
栂尾祥瑞 1986 『チベット・ネパールの仏教絵画』臨川書店.
生井智紹 2005 「マンダラと多様不二の論理」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 23-36.
八田幸雄 1977 「曼荼羅の世界」『現代密教講座』5.
八田幸雄 1988 『秘密マンダラの世界』平河出版社.
濱田 隆 1980 『日本の美術137 曼荼羅』至文堂.
干潟龍祥 1969 「マンダラの思想背景」『密教文化』87: 19-26.
ブラウエン、M. 2002 『曼荼羅大全』森雅秀訳 東洋書林.
松長有慶 1983 『曼荼羅』大阪書籍.
松長有慶 1983 『マンダラの世界』講談社.
松長有慶 1985 『密教・コスモスとマンダラ』日本放送出版協会.
真鍋俊照 1975 『曼荼羅 密教曼荼羅の研究』美術出版社.
真鍋俊照 1979 『曼荼羅の美術』小学館ブック・オブ・ブックス日本の美術55 小学館.
真鍋俊照 1984 『曼荼羅の世界』朱鷺書房.
馬淵東一 1972 「マンダラの源流」『宗教学論集』5: 1-10.
森 雅秀 1992 「観想上のマンダラと儀礼のためのマンダラ」『日本仏教学会年報』57: 73-90.
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社.
森 雅秀 2001 『インド密教の仏たち』春秋社.
森 雅秀 2006 「マンダラの表現方法とその意味」立川武蔵編『マンダラ 心と身体』財団法人 千里文化財団、pp. 51-72.
森 雅秀 2006 『仏のイメージを読む:マンダラと浄土の仏たち』大法輪閣.
頼富本宏 1985 『マンダラの仏たち』東京美術.
頼富本宏 1988 『密教とマンダラ』日本放送出版協会.
頼富本宏 1990 『密教仏の研究』法蔵館.
頼富本宏 1990 『密教とマンダラ』日本放送出版協会.
頼富本宏 1991 『曼荼羅鑑賞の基礎知識』至文堂.
2 インドのマンダラ
2.1 インドのマンダラ一般
大野俊覧 1969 「曼荼羅絣線法と布字観について‐太陽中心の世界観の流理」『密教文化』87: 66-91.
大山仁快 1961 「密教修法壇(ma.n.dala)の成立史について」『印仏研』9(2): 236-239.
酒井真典 1970 「曼荼羅の基本的理解 覚密の曼荼羅法略摂」『密教学研究』2.
酒井真典 1971 「マンダラの墨打法について」『智山学報』(芙蓉良順博士古稀記念密教文化論集)19: 49-71.
バフルカル、シュリカント 1978 「Ni.spannayogaavalii にみられるマンダラの構造」『印度学仏教学研究』27(1): 184-185.
松長有慶 1959 「マンダラの構成よりみたインド密教の展開」『印度学仏教学研究』7(1): 194-197.
森 雅秀 1996 「マンダラの形態の歴史的変遷」立川武蔵編『マンダラ宇宙論』法蔵館、pp. 101-124.
森 雅秀 1996 「『完成せるヨーガの環』の成立に関する一考察」『密教図像』15: 28-42.
森 雅秀 2001 「『ヴァジュラーヴァリー』所説のマンダラ:尊名リストおよび配置図」『高野山大学密教文化研究所紀要』14: 1-117.
森 雅秀 2004 「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(上)」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』24: 71-117.
森 雅秀 2005 「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(下)」『高野山大学密教文化研究所紀要』18: 1-57.
森 雅秀 2005 「『ヴァジュラーヴァリー』「彩色の儀軌」和訳」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』25.91-127.
森 雅秀 2005 「アバヤーカラグプタの密教儀軌三部作と『阿闍梨所作集成』:インド密教儀礼の集大成」松長有慶編『インド後期密教(上)方便・父タントラ』春秋社、pp. 187-224.
頼富本宏 1983 「インドに現存する両界系密教美術」『仏教芸術』150: 131-150.
頼富本宏 1992 「インド現存の金胎融合要素」『密教学研究』24: 11-30.
2.2 胎蔵マンダラ
大塚伸夫 1993 「『大日経』の曼荼羅行」『密教学研究』25: 85-123.
小峰弥彦 1989 「胎蔵曼荼羅の言葉」『大法輪』56( 7)
小峰弥彦 2001 「胎蔵曼荼羅の四菩薩について」『石上善應教授古稀記念論文集 仏教文化の基調と展開』山喜房仏書林、pp. 147-158.
田中公明 2001 「胎蔵大日八大菩薩と八大菩薩曼荼羅の成立と展開」『密教図像』20: 1-15.
中野義照 1964 「現図胎蔵マンダラ最外院の構想」『密教文化』88.
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ」の名称について(上)」『インド学諸思想とその周延』山喜房仏書林、pp. 190-208.
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ」の名称について(中)」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化(下)』ノンブル社、pp. 127-150(横組).
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ』の名称について(下)」『密教学』40: 23-44.
野口圭也 2005 「『大日経疏』における胎蔵マンダラ」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 37-76.
宮坂宥勝 1969 「胎蔵界最外院の構成‐とくにその史的背景について」『密教文化』88.
2.3 金剛界マンダラ
乾 仁志 1993 「金剛界曼荼羅の三昧耶会について」『密教図像』12: 15-29.
乾 仁志 1993 「バングラデシュの密教遺跡 特に塔を中心として」『高野山大学密教文化研究所紀要』6: 166-198.
乾 仁志 1994 「中国における『金剛頂経』伝承 『略出経』を中心として」『高野山大学密教文化研究所紀要』8: 1-27.
乾 仁志 1995 「『初会金剛頂経』所説のマンダラについて(前)」『高野山大学密教文化研究所紀要』9: 1-26.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』の四大品とマンダラの特色」『高野山大学創立百十周年記念 高野山大学論文集』高野山大学、pp. 95-114.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』所説のマンダラについて(後)」『高野山大学密教文化研究所紀要』10: 1-28.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』所説の四印について」『密教学研究』28: 13-34.
乾 仁志 1997 「『金剛頂タントラ』所説のマンダラについて(I)」『高野山大学論叢』32: 1-30.
乾 仁志 1998 「『初会金剛頂経』の背景にある大乗仏教 如来蔵思想との関係を中心に」『高野山大学密教文化研究所紀要』11: 204-222.
乾 仁志 1998 「『初会金剛頂経』の背景にある大乗仏教 如来蔵思想との関係を中心に」松長有慶編『インド密教の形成と展開』法蔵館、pp. 239-267.
乾 仁志 2004 「『初会金剛頂経』所説の四印について(3) 八供養女、四摂菩薩の三昧耶印」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化(下)』ノンブル社、pp. 109-126(横組).
乾 仁志 2004 「金剛頂経」『新国訳大蔵経12 密教部四』大蔵出版、pp. 7-76.
川崎一洋 2005 「金剛界曼荼羅の諸相:「金剛界品」所説の六種曼荼羅を中心に」『密教学研究』37: 19-42.
小峰弥彦 1994 「降三世会の四大明王を巡って」『現代密教』7: 92-103.
白石真道・酒井真典 1958 「初会金剛頂経降三世品の一節について」『密教文化』41 ・42: 99-118.
高田良海 2005 「金剛界十六大菩薩の尊容について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 549-562.
立川武蔵 1993 「『完成せるヨーガの環』第19章「金剛界マンダラ」和訳」宮治 昭(代表)『インドのパーラ朝美術の図像学的研究』(平成3・4年度科学研究費補助金研究成果報告書)、pp. i-xiii.
立川武蔵 1995 「『完成せるヨーガの環』第19章「金剛界マンダラ」訳註」『密教図像』14: 1-33.
田中公明 1981 「金剛界曼荼羅の成立について(一)」『印度学仏教学研究』30(1): 134-135.
田中公明 1983 「金剛界曼荼羅の成立について(三)」『印度学仏教学研究』31(2): 615-616.
田中公明 1983 「四波羅蜜菩薩の成立について」『密教図像』2: 49-60.
堀内寛仁 1964 「金剛界三十七尊の尊名について」『密教文化』??: 152-158.
堀内寛仁 1974 「金剛界九会マンダラの名称について」『密教文化』69/70: 1-9.
堀内寛仁 1974 『初会金剛頂経の研究』(下) 高野山大学密教文化研究所.
堀内寛仁 1976 「三十七尊出生段の四種灌頂について」『奥田慈応博士??記念仏教思想論集』pp. 1017-1030.
堀内寛仁 1979 「金剛界九会マンダラの名称について 既発表の私設に対する訂正事項2件」『密教文化』88.
堀内寛仁 1996 『金剛頂経形成の研究 堀内寛仁論集 下』法蔵館.
松尾 力 2004 「Kriyaasa.mgraha所説の金剛界マンダラについて:ひょう線儀軌を中心として」『密教図像』23: 51-68.
松長有慶 1978 「金剛界マンダラについて」『密教学研究』10.
森 雅秀 2004 「金剛界マンダラのヒンドゥー神」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、pp. 523-543.
2.4 秘密集会マンダラ
金本拓士 1987 「仏智足生起次第『普賢成就法』における曼荼羅について」『印仏研』35(1): 161-163.
金本拓士 1992 「微細ヨーガについての一考察 秘密集会タントラ釈「pradiipodyotana」を中心として」『智山学報』41: 59-71.
金本拓士 1993 「アーナンダガルバ流秘密集会曼荼羅について」『宮坂宥勝博士古稀記念論文集インド学密教学研究』法蔵館、pp. 771-792.
田中公明 1991 「『秘密集会』曼荼羅の歴史的展開」『密教図像』9: 1-14.
松長有慶 1992 「三部と五部 『秘密集会タントラ』の構造に関連して」『成田山仏教研究所紀要』15: 315-331.
森 雅秀 1994「『完成せるヨーガの環』第1章「文殊金剛マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学密教文化研究所紀要』7: 113-142.
2.5 ヘーヴァジュラマンダラ
島田茂樹 1982 「ヘーヴァジュラ系儀軌にみるA.s.ta.zma.zaana」『宗教研究』56(4): 222-223.
島田茂樹 1984 「ヘーヴァジュラ曼荼羅の構成」『密教図像』3: 72-81.
島田茂樹 1984 「A.s.ta.zma.zaanaの展開 サンヴァラ系密教へ」『宗教研究』57(4): 166-167.
島田茂樹 1999 「後期密教のマンダラ:異形の神ヘールカのコスモロジー」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第1巻インド密教』春秋社、pp. 114-130.
森 雅秀 2005 「『ヘーヴァジュラタントラ』:聖と性の饗宴」松長有慶編『インド後期密教(下)般若・母タントラ系の密教』春秋社、pp. 47-90.
2.6 サンヴァラマンダラ
桜井宗信 1993 「サンヴァラ系密教に於ける灌頂儀礼の一形態 Gha.n.taapaada所説の<身体曼荼羅灌頂>」『日本西蔵学会会報』39: 14-24.
津田真一 1973 「サンヴァラ・マンダラの構成」『宗教研究』46(3): 93-94.
森 雅秀 1993「サンヴァラマンダラの図像学的考察」『曼荼羅と輪廻』(立川武蔵編)佼成出版社、pp. 206-234.
2.7 時輪マンダラ
田中公明 1992 「密教における受胎と胎児論の歴史的展開」『イマーゴ』9: 194-199.
田中公明 1994 「コスモロジーと曼荼羅」『密教図像』13: 33-47.
田中公明 1994 『超密教時輪タントラ』東方出版.
森 雅秀 2000 「時輪マンダラの墨打ち法」『高木伸元博士古稀記念論集 仏教文化の諸相』山喜房仏書林、pp. 345-364.
2.8 その他のインドのマンダラ
飯塚秀誉 1998 「『Ma.jju.zriimuulakalpa』第二章所説の曼荼羅について」『豊山教学大会紀要』26: 1-23(横組).
大塚伸夫 1995 「『金剛手灌頂タントラ』における曼荼羅行について」『豊山教学大会紀要』23: (13)-(53).
大塚伸夫 1996 「『すい哂耶経』の曼荼羅行について」『密教学研究』28: 89-139.
大塚伸夫 1998? 「『蘇婆呼童子請問経』における灌頂について」『佐藤隆賢博士古稀記念論文集 仏教教理思想の研究』pp. 189-200.
大塚伸夫 1998 「『蘇婆呼童子請問経』の曼荼羅と密教儀礼について」『豊山教学大会紀要』26: 79-99.
川崎一洋 2002 「Catu.spii.tha-tantra所説の究竟次第 Catu.spii.thaIV-iiiを中心に」『印度学仏教学研究』51(1): 349-347.
川崎一洋 2003 「『幻化網タントラ』に見られる五秘密思想」『密教文化』211: 64-83.
酒井真典 1985 「八輻輪曼荼羅」『酒井真典著作集 第三巻』法蔵館、pp. 250-270.
田中公明 1984 「『一切仏集会拏吉尼戒網タントラ』とその曼荼羅について」『密教図像』3: 59-71.
野口圭也 1987 「Sa.mpu.todbhavatantra所説のヘールカマンダラ」『密教学研究』19: 65-86.
野口圭也 1987 「Sa.mpu.todbhavatantra所説の金剛薩?マンダラ」『密教図像』5: 1-14.
野口圭也 1998 「'Amoghapaa.zakalparaaja'のマンダラ:(1)いわゆる「広大解脱マンダラ」について」『山崎泰廣教授古稀記念論文集 密教と諸文化の交流』永田文昌堂、pp. 89-104.
野口圭也 2001 「'Amoghapaa.zakalparaaja'のマンダラ:(2)「最上広大解脱蓮華マンダラ」について」『密教学研究』永田文昌堂、pp. 19-35.
福田亮成 1972 「『理趣経』マンダラについて‐特に五秘密経マンダラを中心に」『印度学仏教研究』20(2).
森 雅秀 1989 「『完成せるヨーガの環』(Ni.zpannayogaavalii)第21章「法界語自在マンダラ」訳及びテキスト」『法界マンダラの神々(国立民族学博物館研究報告別冊 第7号)』(長野泰彦・立川武蔵編) pp. 235-282.
森 雅秀 1996 「『完成せるヨーガの環』第11章「ヴァジュラフーンカーラ・マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学創立百十周年記念 高野山大学論文集』pp. 101-124.
頼富本宏 1990 「『金剛手灌頂タントラ』の四仏・八大菩薩説」『仲尾俊博先生古稀記念 仏教と社会』永田文昌堂、pp. 161-180.
3 ネパールのマンダラ
立川武蔵 1987 「金剛界マンダラ資料」『ニヤグローダ』仏教思想研究会 4: 1-63.
立川武蔵 1989 「カトマンドゥにおける法界マンダラ」『法界マンダラの神々(国立民族学博物館研究報告別冊 第7号)』(長野泰彦・立川武蔵編)pp. 5-44.
田中公明・吉崎一美 1998 『ネパール仏教』春秋社.
長野泰彦、立川武蔵編 1989 『国立民族学博物館研究報告別冊 第7号 法界語自在マンダラの神々』国立民族学博物館.
森 雅秀 1992 「カトマンドゥ市タン・バヒー寺の法界語自在マンダラ」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』8: 47-68.
森口光俊 1989 「Vajradhaatu-mukhaakhyaana-deguri-vdhi III」『密教文化』162: 106-126.
森口光俊 1989 「Vajradhaatumahaama.n.dalopaayika Sarvavajrodaya 梵文テキスト補欠:新出写本・蔵・梵・漢対照; 賢劫千仏名を中心として」『智山学報』38:1-37.
吉崎一美 1997 「サンヴァラ・マンダラにおけるウパチャンドーハ/ヒマーラヤとしてのカトマンズ盆地」『仏教学』39: 1-21.
4 チベットのマンダラ
4.1 チベットのマンダラ一般
北村太道 1974 「チベット文金剛界大曼荼羅諸尊建立和訳研究」『密教文化』107: 71-83.
北村太道 2005 「チベット所伝、薬師如来マンダラ儀軌について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 101-133(横組).
北村太道・ツルティム・ケサン 2001 「マンダラの作成についての研究 ツォンカパ著『秘密道次第大論』試訳(6)」『種智院大学密教資料研究所紀要』4: 43-68.
北村太道・ツルティム・ケサン 2002 「マンダラの作成についての研究 ツォンカパ著『秘密道次第大論』試訳(7)」『種智院大学密教資料研究所紀要』5: 33-63.
ジャクソン、ディヴィッド 2006 『チベット絵画の歴史:偉大な絵師たちの絵画様式とその伝統』(瀬戸敦郎、田上操、小野田俊蔵訳)平川出版社.
田中公明 2001 『タンカの世界:チベット仏教美術入門』山川出版社.
藤田弘基 1984 『チベット仏教美術』白水社.
フジタ・ヴァンテ編 1994 『チベット生と死の文化 曼荼羅の精神世界』東京美術.
森 雅秀 2000 「解体されるマンダラ タンカの画面構成に関する一考察」『加藤純章博士還暦記念論集』春秋社、pp. 373-386.
4.2 ラダック
井上隆雄他 1978 『チベット密教壁画』駸々堂出版.
岩宮武二(写真)、石黒 淳・頼富本宏(解説) 1987 『ラダック曼荼羅』岩波書店.
加藤敬・松長有慶 1981 『マンダラ』毎日新聞社.
加藤敬・小林暢善 1985 『マンダラ蓮華』平河出版社.
種智院大学インド・チベット研究会 1982 『チベット密教の研究』永田文昌堂.
4.3 西チベット
氏家昭夫 1983 「タボ寺の尊像美術:毘盧遮那像と阿弥陀像を中心として」『密教図像』2: 1-14.
田中公明 1992 「西チベット・トリン寺とツァパラン遺跡の金剛界諸尊壁画について」『密教図像』11: 11-22.
田中公明 2003 「トゥンガ石窟の成立年代について」『日本西蔵学会会報』49: 63-69.
成田山仏教研究所 1987 『スピティの秘仏』成田山新勝寺.
安元 剛 2000 「スピティ・タボ寺の『大日経』系諸尊について 大日堂後室諸尊の再検討」『密教図像』19: 18-41.
4.4 ペンコル・チューデ
奥山直司 1989 「イコンの園へ パンコル・チョルテン研究序説」色川大吉編『チベット・曼荼羅の世界 その芸術・宗教・生活』小学館、pp. 131-168.
立川武蔵、正木晃編 1997 『チベット仏教図像研究 ペンコルチューデ仏塔』(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号).
田中公明 1987 「ペンコルチューデ寺院の金剛界曼荼羅 G. Tucci博士の報告と現況を比較して」『東京大学文学部文化交流研究施設紀要』8: 81-101.
田中公明 1998 「ペンコルチューデ仏塔不空羂索堂の胎蔵曼荼羅諸尊壁画について」『密教図像』17: 51-59.
正木 晃 1997 「ペンコルチョルテン現状報告」『チベット仏教図像研究(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号)』(立川武蔵・正木晃編)、pp. 217-267.
森 雅秀 1997 「ペンコルチューデ仏塔第5層の『金剛頂経』所説のマンダラ」『チベット仏教図像研究(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号)』(立川武蔵・正木晃編)、pp. 269-318.
4.5 ムスタン
川崎一洋 1998 「ローマンタン・チャンパ・ラカンの壁画マンダラについて:二階の瑜伽タントラ階梯のマンダラを中心に」『密教図像』17: 110-122.
川崎一洋 2000 「チャンパ・ラカン現存の『理趣広経』「真言分」所説の曼荼羅」『高野山大学大学院紀要』4: 23-44.
川崎一洋 2000 「チャンパ・ラカン現存の悪趣清浄曼荼羅について」『高野山大学大学院紀要』5: 27-41.
松井亮・奥山直司 2001 『ムスタン:曼荼羅の旅』中央公論新社.
4.6 タントラ部集成
立川武蔵 2005 'A Version of the Ngor Ma.n.dala Collection'『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 101-143(横組).
4.7 敦煌
田中公明 1991 「敦煌出土の寂静尊曼荼羅について」『秋山光和博士古稀記念美術史論文集』便利堂、pp. 111-141.
田中公明 1991 「敦煌出土の蓮華部八尊曼荼羅について」『出光美術館館報』75: 4-20.
田中公明 1996 「敦煌出土の八大明王儀軌について」『密教文化』195: 126-113.
田中公明 2000 『敦煌 密教と美術』法蔵館.
田中公明 2002 「西夏・元時代のシルクロード密教とその図像 ハラホト出土の宝楼閣曼荼羅を中心にして」『木村清孝博士還暦記念論集 東アジア仏教 その成立と展開』春秋社、pp. 601-619.
4.8 その他のチベット
川崎一洋 2001 「シャル寺のマンダラ壁画について(II):北堂の悪趣清浄マンダラを中心に」『密教文化』207: 56-83.
川崎一洋 2001 「チベットにおける『理趣広経』のマンダラの伝承:シャル寺南堂の作例を中心に」『密教図像』20: 49-61.
川崎一洋 2003 「シャル寺東塔の曼荼羅について」『密教学研究』35: 47-61.
田中公明 1985 「慈寧宮宝相楼のブロンズ像立体曼荼羅セットの解析」『東京大学文学部文化交流研究施設研究紀要』7: 43-63.
田中公明 2005 「ミトラヨーギンの百種曼荼羅集とその図像:ハンビッツ文化財団所蔵の巻子品を中心にして」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 587-608.
前田 崇 2000 「プトン所説'Amoghapaa.zakalparaaja'のマンダラ」『天台学報』42: 1-7.
森 雅秀 2002 「ボストン美術館所蔵「カーラチャクラと諸尊図」」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』22: 85-104.
4.9 胎蔵マンダラ
池内幸恵 1998 「チベットの胎蔵マンダラ儀軌」『密教学』34: 107-147.
田中公明 1982 「西蔵の胎蔵曼荼羅について」『日本西蔵学会会報』28: 14-16.
田中公明 1986 「パンチェン・ラマの胎蔵曼荼羅儀軌」『密教図像』5: 99-109.
中山華子 1996 「チベット系大日経122尊曼荼羅の研究」『密教文化』194: 78-57.
5 中国のマンダラ
韓金科編 1999 『法門寺』香江出版有限公司.
頼富本宏 1988 「仏教パンテオンの構成」『宗教研究』62(1): 111-134.
頼富本宏 2000 「中国・法門寺出土の密教系遺品」『高木伸元博士古稀記念論集 仏教文化の諸相』山喜房仏書林、pp. 305-328.
6 インドネシアのマンダラ
松長恵史 1994 「インドネシアの金剛界曼荼羅 ガンジュク出土のブロンズ像」『密教図像』13: 48-69.
松長恵史 1996 「『サマーヨーガタントラ』の金剛薩?族の曼荼羅 中部ジャワスロチョロ出土の青銅像」『密教図像』15: 57-70.
松長恵史 2005 「ジャワ島出土の密教尊像の特徴」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 609-626.
松長恵史 1999 『インドネシアの密教』法蔵館.
7 両界曼荼羅全般
有賀祥隆・川村知行 1999 「醍醐寺所蔵仏教絵画総合目録I 両界曼荼羅・別尊曼荼羅」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』17: 43-101.
石田尚豊 1969 「胎蔵界曼荼羅への金剛系尊の進出 胎蔵旧図様」『仏教芸術』70: 24-41.
石田尚豊 1975 「現図曼荼羅再考」『仏教芸術』78: 18-33.
石田尚豊 1975 『曼荼羅の研究』東京美術.
石田尚豊 1979 『両界曼荼羅の智慧』東京美術.
石田尚豊 1984 『曼荼羅のみかた:パターン認識』岩波書店.
上野照夫 1948 「両界曼荼羅の絵画的展開」『弘法大師の理想と芸術』高野山時報社、
小野玄妙 1938 「台密所伝の仏教曼荼羅に就いて 1?3」『ピタカ』6(1)(3)(8)
佐和隆研 1971 「両界曼荼羅の美術」『日本美術工芸』371.
佐和隆研 1980 「両界四仏についての覚書」『仏教美術』130
佐和隆研 1982 「曼荼羅の宇宙 両界曼荼羅図と絵画的構成」『空海と真言密教』.
佐和隆研・濱田 隆 1983 『密教美術大観:両界曼荼羅』朝日新聞社.
権田雷斧 1916 『両部曼荼羅通解』丙午出版社.
高田 修 1961 「東寺の両界マンダラ図」『仏教芸術』47: 41-59.
濱田 隆 1980 「真言密教と両界曼荼羅」『日本古寺美術全集 第12巻 教王護国寺と広隆寺』集英社
濱田 隆 1983 「両界曼荼羅」『密教美術大観 第1巻』朝日新聞社.
松長有慶 1969 「両部マンダラの系譜 五仏を中心として」『密教文化』87: 27-36.
森 雅秀 2006 「両界曼荼羅の世界」生井智紹編『高野山大学選書 第2巻 真言密教の新たな展開』小学館スクウェア、pp. 86-105.
頼富本宏(監修) 1994 『東寺の曼荼羅図:みほとけの群像』東寺宝物館.
7.1 高雄曼荼羅
秋山光和・柳沢孝 1967 「高雄曼荼羅の様式と技法」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
秋山光和・柳沢孝 1967 「高雄曼荼羅のめぐる絵画的展望」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
神谷栄子 1965 「高雄曼荼羅の綾裂について」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
関口正之 1967 「高雄曼荼羅関係文献目録」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修 1967 「神護寺の高雄曼荼羅」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修 1967 「高雄曼荼羅の図像」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修、秋山光和、柳沢 孝 1967 『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
真鍋俊照 2000 「空海と高雄曼荼羅」『印度学仏教学研究』49(1): 179-187.
柳沢 孝 1962 「高雄曼荼羅の白描本」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
7.2 伝真言院曼荼羅(西院本)
小久保和夫 1978 『伝真言院曼荼羅 世界文明の縮図』サンブライト出版.
高田 修 1955 「東寺の三幅古本両界曼荼羅について いわゆる「真言院曼荼羅」の検討」『美術研究』189
松原智美 2005 「東寺蔵「西院曼荼羅」をめぐる一試論」『真鍋俊照博士還暦記念論集 仏教美術と歴史文化』法蔵館、pp. 307-330..
真鍋俊照 1977 『伝真言院曼荼羅』大法輪閣.
7.3 子島曼荼羅
加須屋誠 1988 「子島曼荼羅試論」『京都大学文学部美学美術史学研究室 研究紀要』9: 42-99.
滝 精一 1923 「子島曼荼羅に就て」『国華』395
滝 節庵 1924 「再び子島曼荼羅に就て」『国華』396
奈良国立博物館 2006 『国宝 子島曼荼羅』.
吉岡龍瑛 1935 「子島曼荼羅に就いて 一」『ピタカ』2の12
吉岡龍瑛 1936 「子島曼荼羅に就いて 二」『ピタカ』3の1
7.4 元禄本
石田尚豊 1977 『両界曼荼羅 元禄本』東京美術.
頼富本宏 2000 「元禄本両界曼荼羅図の系譜」『仏教教育・人間の研究』pp. 599-618.
7.5 御室版
佐和隆研 1972 『御室版曼荼羅尊像集』法蔵館.
7.6 その他の両界曼荼羅
石田尚豊 1965 「両界曼荼羅図(四天王寺蔵) 台密系両界曼荼羅図の一考察」『MUSEUM』172
内田啓一 2005 「西大寺流にみられる一尺四方の両界種子曼荼羅について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 701-722.
小久保啓一 1986 「東密の八十一尊曼荼羅」『大和文華』75: 1-16.
佐々木進 1985 「近江・芦原観音寺の両界曼荼羅図 台密系の両界曼荼羅の一作例として」『仏教芸術』163: 63-83.
臺信祐爾 1986 「出光美術館両界曼荼羅図(鎮国寺旧蔵)」『MUSEUM』424
高田 修 1955 「東寺と正系現図曼荼羅の相承?新出大幅色彩古曼荼羅の調査概報」『仏教芸術』24
高田 修 1965 「台密の両界曼荼羅について」『田山方南華甲記念論文集』吉川弘文館、
錦織亮介 1975 「求菩提山如法寺旧蔵両界曼荼羅図 金剛界八十一尊図の一作例」『西南地域史研究』4: 113-160.
堀内規之 2005 「済○の両部曼荼羅観(一)」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 431-450.
森 暢 1946 「久米田寺所蔵の両部曼荼羅に就いて」『宝雲』36
柳沢 孝 1977 「文保元年の軸銘のある新出両界曼荼羅図」『仏教芸術』110.
頼富本宏 2004 「江戸時代制作の両界曼荼羅」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、pp. 389-406.
『東寺の大曼荼羅図 甲本修復完成記念 甦るみ仏 花開く美』東寺宝物館 2004.
7.7 胎蔵曼荼羅
池田澄達 1928 「胎蔵曼荼羅の三角印に就て」『宗教研究』5(2).
石田尚豊 1962 「胎蔵旧図様の智證記入尊名の矛盾について」『美術史』43
石田尚豊 1963 「胎蔵旧図様記入尊名の矛盾と未詳尊の解明」『美術史』50
石田尚豊 1964 「恵果・空海以前の胎蔵界曼荼羅」『東京国立博物館紀要』1.
大村西崖 1921 「智證大師請来胎蔵図像に就て」『仏教学雑誌』2
大村西崖 1921 「胎蔵旧図様考」『仏教学雑誌』2
小野玄妙 1913 「智證大師と宗叡僧正の将来せし大悲胎蔵曼荼羅の研究 一」『密教』3(3)
小野玄妙 1914 「智證大師と宗叡僧正の将来せし大悲胎蔵曼荼羅の研究 二」『密教』4(1)
小野玄妙 1934 「胎蔵図像について 一〜三」『ピタカ』1(5)-(8)
小野玄妙 1935 「大悲胎蔵三昧耶曼荼羅」『ピタカ』2(4)
権田雷斧 1913 「胎蔵曼荼羅に就て台密と東密との差別の一斑」『宗教界』2(9).
八田幸雄 1968 「胎蔵界マンダラ地蔵院」『密教文化』87: 79-85.
八田幸雄 1970 「胎蔵マンダラ虚空蔵院の思想」『印度仏教学研究』18(2): 890.
八田幸雄 1969 「胎蔵法より見た胎蔵マンダラ」『密教文化』87: 48-80.
八田幸雄 1987 「『大悲胎蔵三昧耶曼荼羅』の構造」『密教図像』5: 71-86.
松原智美 2006 「『秘蔵記』の胎蔵曼荼羅尊位」『奈良美術研究』4: 1-24.
頼富本宏 1986 「新出の胎蔵図像系資料」『仏教芸術』165.
7.8 金剛界曼荼羅
大村西崖 1921 「願成寺の金剛界曼荼羅」『六大新報』914
濱田 隆 1959 「正智院什宝『成身会三昧耶形』図像」『仏教芸術』38
村田靖子 2005 「金剛界の曼荼羅について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 811-831.
村上保壽 2005 「『秘蔵記』の四波羅蜜菩薩と空海」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 507-522.
安元 剛 2002 「「四種護摩本尊並眷属図像」における降三世マンダラ諸尊について 巻頭六尊の再検討」『密教図像』21: 48-74.
柳沢 孝 1965 「青蓮院伝来の白描金剛界曼荼羅諸尊図様(上)」『美術研究』241: 20-42.
柳沢 孝 1965 「青蓮院伝来の白描金剛界曼荼羅諸尊図様(下)」『美術研究』242: 13-20.
頼富本宏 2000 「金剛界曼荼羅の不動明王」『平安仏教学会年報』1: 15-30.
7.9 五部心観
王雲 2006 「園城寺蔵『五部心観』について」『仏教芸術』284: 29-66
小野玄妙 1937 「?多僧蘗哩五部心観の研究」『仏教の美術と歴史』 大蔵出版社
坂野栄範 1940 「?多僧蘗哩五部心観と蔵文金剛頂経」『ピタカ』8(5)
高田 修 1954 「五部心観の研究 その記入梵語に基く考察」『美術研究』173
田中一松 1939 『園城寺蔵五部心観について』.
八田幸雄 1975 「五部心観の構想について」『密教文化』112: 80-96.
7.10 八十一尊曼荼羅
小野玄妙 1937 「弘法大師御請来の金剛界八十一尊曼荼羅に就いて」『密教研究』62
田中一松 1948 「根津美術館本金剛界八十一尊大曼荼羅考」『国華』674: 117-123.
8 別尊曼荼羅一般
有賀祥隆 1983 「恵林上人経弁の曼荼羅集」『MUSEAM』384
有賀祥隆・川村知行 1999 「醍醐寺所蔵仏教絵画総合目録I 両界曼荼羅・別尊曼荼羅」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』17: 43-101.
小峰彌彦, 高橋尚夫監修 2001 『図解・別尊曼荼羅 : 密教図像を読む』大法輪閣.
真保 亨 1985 『別尊曼荼羅』毎日新聞社.
林 温 2002 『日本の美術 No.433 別尊曼荼羅』至文堂.
真鍋俊照 1985 「密教修法と美術」『密教美術大観 第三巻』朝日新聞社、pp.171-180.
8.1 愛染曼荼羅
泉 武夫 2000 「愛染王法と千体画巻」『学叢』22: 19-42.
内田啓一 2003 「愛染明王画像二題:根津美術館蔵とMOA美術館蔵を中心に」『仏教芸術』268: 13-34.
川野憲一 2001 「語りかける図像 太山寺蔵<絹本着色愛染曼荼羅>をめぐって」『神戸市立博物館研究紀要』17:48-63.
真鍋俊照 1986 「愛染明王曼荼羅図の立体化:理趣会の発想」『密教図像』4: 1-13.
8.2 阿弥陀曼荼羅
武田和昭 1998 「香川・開法寺の板彫阿弥陀曼荼羅について」『仏教芸術』237: 67-97.
柳沢 孝 1960 「阿弥陀曼荼羅図」『美術研究』235.
8.3 安鎮曼荼羅
伊東史朗 2002 「安楽寿院不動堂本尊(北向き不動)と仏師康助(上)」『仏教芸術』264: 33-49.
伊東史朗 2003 「安楽寿院不動堂本尊(北向き不動)と仏師康助(下)」『仏教芸術』266: 75-91.
奥健夫・飯田雅彦 2005 「北向山不動院不動明王坐像の修理について」『仏芸』280: 69-88.
長谷川孝徳 1988 「安鎮法:神道と佛教の関係について」『石川県立歴史博物館紀要』1: 55-62.
8.4 一字金輪曼荼羅
内田啓一 1991 「高野山遍照光院蔵の一字金輪曼荼羅 図像とその背景をめぐって」『密教図像』10.
柳沢 孝 1960 「一字金輪曼荼羅図像について その図像学的並びに遺品の美術史的考察」『美術研究』208
8.5 閻魔天曼荼羅
安嶋紀昭 1991 「台密の閻魔天曼荼羅について 京博本と園城寺本」『MUSEUM』487.
8.6 孔雀経曼荼羅
神山 登 1977 「和泉松尾寺の孔雀明王曼荼羅図について」『仏教芸術』114.
8.7 虚空蔵曼荼羅
獅崎 庵 1920 「虚空蔵曼荼羅解」『国華』366
8.8 釈迦曼荼羅
獅崎 庵 1921 「釈迦曼荼羅図解」『国華』377
8.9 請雨経曼荼羅
森口光俊 1971 「請雨壇法の展開」『智山学報』19: 227-255.
8.10 尊勝曼荼羅
足立 康 1941 「光台院尊勝曼荼羅解説」『美術研究』111
空 閑 1922 「尊勝曼荼羅図解」『国華』391
佐和隆研 1969 「尊勝曼荼羅図」『仏教美術』70.
望月信成 1953 「尊勝曼荼羅について」『国華』733.
8.11 太元帥曼荼羅
赤松俊秀 1942 「醍醐寺太元帥法本尊の筆者に就いて」『画説』68:562-565.
有賀祥隆 1991 「大元帥明王雑攷 理性院本を中心として」『醍醐寺の密教と社会』山喜房仏書林、pp. 419-446.
有賀祥隆 2005 「太元明王図像断簡」『國華』1316: 22-28.
西本浩文 1933 「密教修法の一例としての大元帥法の意義」『竜谷学報』306: 147-161.
原 克昭 2002 「善通寺蔵『太元法秘伝事』翻刻・紹介」『善通寺教学振興会紀要』8: 33-48.
若杉準二 1989 「善峰寺本大元帥明王画像考」『学叢』4.
8.12 だ枳尼天曼荼羅
白原由起子 1999 「『伏見稲荷曼荼羅』考:個人本「?枳尼天曼荼羅」に対する異見」『MUSEUM』560.
林 温 1994 「だ枳尼天曼荼羅について」『仏教芸術』217:92-108.
8.13 童子経曼荼羅
小林太市郎 1943 「童子経及び童子経曼荼羅」『密教研究』84:1-56.
8.14 仁王経曼荼羅
有賀祥隆 1978 「神上寺本仁王経曼荼羅図考」『仏教芸術』120.
川村知行 1991 「醍醐寺の仁王経曼荼羅と図像」『醍醐寺の密教と社会』山喜房仏書林、pp. 153-188.
空 閑 1923 「仁王経曼荼羅図」『日本国宝全集』1
下松 徹 1991 「『仁王経五方諸尊図』の伝来について」『密教図像』9: 14-35.
中野玄三 1984 「仁王経曼荼羅の展開?新出白描画像への道程」『国華』1074.
中野玄三 1997 「東寺本仁王経五方諸尊像論」『南部仏教』74・75:71-95.
錦織亮介 1975 「仁王経曼荼羅図の形式‐儀軌と図像の間」『仏教芸術』101.
藤懸静也 1920 「醍醐寺所蔵の仁王経曼荼羅に就て」『国華』363
8.15 八字文殊曼荼羅
林 温 1995 「新出の八字文殊曼荼羅図について」『仏教芸術』223: 57-76.
8.16 般若菩薩曼荼羅
佐和隆研 1981 「新指定重文 般若菩薩曼荼羅図」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』3.
林 温 1988 「般若心経法の曼荼羅」『仏教芸術』181.
8.17 仏眼曼荼羅
佐和隆研 1948 「仏眼曼荼羅図に就いて」『国華』681.
8.18 星曼荼羅
高野山霊宝館 1991 『第12回高野山大宝蔵展 曼荼羅と星』高野山霊宝館.
佐和隆研 1958 「久米田寺の星曼荼羅図」『仏教芸術』35
武田和昭 1990 「大阪・宝積院蔵の星曼荼羅について‐星曼荼羅図の一異形図」『仏教芸術』190
武田和昭 1995 『星曼荼羅の研究』法蔵館.
林 温 1997 『日本の美術 No.377 妙見菩薩と星曼荼羅』至文堂.
真鍋俊照 1971 「星宿美術 星曼荼羅」『古美術』35: 29-40.
8.19 法華曼荼羅
水上文義 2005 「法華曼荼羅と円密一致思想の「曼荼羅」」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 491-506.
8.20 理趣経曼荼羅
佐和隆研 1956 「理趣経曼荼羅について」『国華』769
清野智海 1962 「高野山天徳院蔵『理趣経曼荼羅図』」『大和文華研究』49:52-53.
清野智海 1963 「理趣経曼荼羅の史的展開について 金剛界曼荼羅研究 1」『密教文化』63
清野智海 1963 「理趣経曼荼羅拾遺」『奈良国立文化財研究年報』1963.
栂尾祥雲 1928 「理趣経曼荼羅の研究」『宗教研究』28
福田亮成 1987 『理趣経の研究 その成立と展開』国書刊行会.
頼富本宏 1992 「宗叡請来の密教図像 とくに理趣経曼荼羅を中心として」『成田山仏教研究所紀要』(仏教文化史論集)15: 493-539.
頼富本宏 2000 「親王院本『理趣経曼荼羅』の意義」『堯栄文庫研究』2: 1-24.
8.21 その他の別尊曼荼羅
林 温 1991 「長寿寺蔵観音曼荼羅考 不動・大威徳明王をともなう聖観音像」『仏教芸術』197.
林 温 1993 「新出の大威徳転法輪曼荼羅図」『国華』1014.
松下隆章 1943 「摩尼宝珠曼荼羅について」『美術研究』131.
山口桂三郎 1971 「大威徳明王とその曼荼羅」『国華』932.
9 参詣曼荼羅一般
赤井達郎 1977 「紀州路の絵解」『江戸時代図誌』18.
赤井達郎 1986 「札所の参詣曼荼羅絵解きの系譜24」『日本美術工芸』572
赤井達郎 1989 『絵解きの系譜』教育社.
石川和彦 1990 「三十三所観音の曼荼羅図について‐華厳寺本と観音正寺本の図像的諸問題」『仏教芸術』189.
岩鼻通明 1986 「西国霊場の参詣曼荼羅にみる空間表現」『人文地理学の視圏』大明堂.
大阪市立博物館 1987 『社寺参詣曼荼羅 絵は誘う霊場のにぎわい』大阪市立博物館.
大阪市立博物館 1987 『社寺参詣曼荼羅』平凡社.
黒田日出男・西山克他 1988 「座談会/社寺参詣曼荼羅の世界」『月刊百科』307
下坂 守 1993 『参詣曼荼羅 日本の美術331』至文堂.
徳田和夫 1978 「勧進聖と社寺縁起‐室町期を中心として」『国文学研究資料館紀要』4.
中村興二 1983 「社寺参詣曼荼羅の成立と展開」清水善三『本地仏の総合的研究』
藤沢隆子 1985 「参詣曼荼羅の成立」『近畿地方を中心とする霊場寺院の総合的研究.
9.1 那智参詣曼荼羅
伊勢田進 1959 「闘鶏神社所蔵の宮曼荼羅式那智山図について」『田辺文化財』3
景山春樹 1980 「那智参詣曼荼羅」『続みやまんだら』綜芸社
黒田日出男 1986 「熊野那智参詣曼荼羅を読む」『思想』740: 103-131.
篠原四郎 1963 「那智参詣曼荼羅の絵解」『国学院雑誌』2 ・3月号
庄司千賀 1986 「『那智参詣曼荼羅図』考序説諸本の整理を中心として」『芸能文化史』7.
西山 克 1988 「聖地のイメージ‐那智参詣曼荼羅をテクストにして」和田悴編『熊野権現』
根井 浄 1988 「那智参詣曼荼羅にみえる補陀落渡海」『神戸常盤短期大学紀要』10(1): 47-62.
9.2 立山曼荼羅
岩鼻通明 1986 「立山マンダラ作成年代考」『山岳修験』2
沼 賢亮 1968 「立山信仰と立山曼荼羅」『仏教芸術』68
林 雅彦 1977 「立山曼荼羅諸本の試み」『国語国文学論集』7.
福江 充 2005 『立山曼荼羅 絵解きと信仰の世界』法蔵館.
福江 充 2006 『立山信仰と布橋大灌頂法会:加賀藩芦峅寺衆徒の宗教儀礼と立山曼荼羅』桂書房.
『曼荼羅世界との邂逅 立山曼荼羅、その背後にあるもの』富山県[立山博物館] 1996.
9.3 その他の参詣曼荼羅
梅津次郎 1950 「石清水八幡宮曼荼羅・栗棘庵蔵」『国華』704
川口久雄 1972 「白山権現と白山曼荼羅」『日本海域研究所報告』4: 1-32.
川口久雄 1987 『山岳まんだらの世界』名著出版.
黒田日出男 1988 「参詣曼荼羅と文芸-清水寺参詣曼荼羅の読解」『国文学 解釈と鑑賞』52(9).
黒田日出男 1988 「参詣曼荼羅の不思議‐『清水寺参詣曼荼羅の読解』」『週刊朝日百科 日本の歴史・別冊 歴史の読み方』
近藤喜博 1951 「富士曼荼羅と信仰」『神道史学』2
高橋平明 1987 「新出の「善光寺参詣曼荼羅図」について」『長野』134
田中一松 1964 「岩清水八幡宮曼荼羅」『国華』873
難波田徹 1969 「社寺参詣曼荼羅図について」『芸能史研究』27.
難波田徹 1979 「社寺参詣曼荼羅図の世界 1~3」『月刊百科』203~205.
難波田徹 1981 「京都府下の社寺参詣曼荼羅図」『文化財報』34.
難波田徹 1984 「絵画にみる庶民の飲茶風俗社寺参詣曼荼羅図を中心に」千賀四郎『茶道 錦二 茶の湯の成立』小学館.
難波田徹 1984 「京の古絵図(社頭図・参詣図)」赤井達郎『寺社古社寺への道』講談社.
難波田徹 1986 「社寺参詣と飲茶風俗社寺参詣曼荼羅図の世界」『談合社寺参詣曼荼羅図に見る一服一銭』475.
西山 克 1987 「聖地のシンタックス‐須磨寺参詣曼荼羅をテクストにして」『GS』7
西山 克 1987 「『女帝』の堕地獄‐善光寺参詣曼荼羅をテクストにして」『信濃』12
西山 克 1988 「擬装の<風景>‐清水寺参詣曼荼羅をテクストにして」『芸能』353
西山 克 1989 「聖地のディスクール」『絵図のコスモロジー(下巻)』pp. 202-222
山本陽子 1984 「白山垂迹曼荼羅考‐遊行寺本を中心として‐」『仏教芸術』157
10 神道曼荼羅・垂迹曼荼羅一般
京都国立博物館 1976 『神道美術』.
近畿日本鉄道株式会社近畿文化会編 1978 『みやまんだら』綜芸社.
近畿日本鉄道株式会社近畿文化会編 1980 『続みやまんだら』綜芸社.
佐々木剛三 1999 『神道曼荼羅の図像学 神から人へ』ぺりかん社.
関口正之 1989 『日本の美術No. 274 垂迹画』至文堂.
田邊三郎助 1989 『図説日本の仏教6 神仏習合と修験』新潮社.
中島 博 1977 「宮曼荼羅の成立と展開」『美術史』102
奈良国立博物館 1964 『垂迹美術』.
宮家 準 1985 「修験道の曼荼羅」『修験道思想の研究』春秋社
10.1 春日宮曼荼羅
景山春樹 1952 「異形の春日鹿曼荼羅」『国華』719
景山春樹 1958 「板絵春日宮曼荼羅について」『大和文華』25
景山春樹 1975 「春日の鹿曼荼羅」『国華』981
川村知行 1981 「春日浄土と春日曼荼羅」『美術史研究』17
川村知行 1982 「春日曼荼羅の成立と儀礼」『美術史』110
10.2 熊野曼荼羅
石田茂作 1965 「熊野曼荼羅に就いて」『秘宝 熊野』講談社.
景山春樹 1962 「熊野曼荼羅の研究」『神道史研究』7(2)
景山春樹 1965 「新出の熊野曼荼羅-仁和寺本と西教寺本」『MUSEUM』152
近藤喜博 1951 「熊野曼荼羅について」『国華』704.
五来 重 1967 『熊野詣』淡交社.
佐々木剛三 1960 「聖護院蔵熊野曼荼羅」『美術史』37
佐和隆研 1958 「高野山竜泉院蔵伝熊野曼荼羅図」『仏教芸術』37
鈴木昭英 1967 「熊野曼荼羅と修験信仰」『仏教芸術』66.
鈴木昭英 1971 「熊野信仰と美術」『仏教美術』81.
鈴木昭英 1981 「金峯・熊野の霊山曼荼羅」『山岳宗教史研究 書15 修験道の美術・芸能・文学』名著出版
武田和昭 1984 「讃岐の熊野信仰についてその遺品を中心として」『文化財協会報』香川県文化財協会.
徳田和夫 1986 「熊野比丘尼の文芸像」『悠久』24.
中野照男 1988 「熊野曼荼羅図考」『東京国立博物館紀要』21
中村本然 1999 「日本の宗教にみられる生死観 「熊野参詣曼荼羅」にみる信仰を中心として」高野山大学生命倫理研究会編『生と死:いのちを考える 平成10年度生命倫理講座講義録』高野山大学 pp. 275-305.
10.3 山王曼荼羅
景山春樹 1957 「神道曼荼羅の性格‐山王曼荼羅の場合」『仏教芸術』32
景山春樹 1967 「新出の山王曼荼羅」『MUSEUM』170
水野敬三郎 1963 「山王曼荼羅・根津美術館蔵」『国華』857
『天台を護る神々 山王曼荼羅の諸相』大津市立博物館 2006.
10.4 その他の神道曼荼羅
景山春樹 1957 「八幡曼荼羅の研究」『神道史学』5(2)
鈴木昭英 1969 「金峯山信仰と吉野曼荼羅」『大阪市立博物館研究紀要』1
松村政雄 1960 「柿本宮曼荼羅図」『大和文華』32
松村政雄 1960 「吉野曼荼羅・西大寺蔵」『国華』824
11 浄土教の曼荼羅
秋山光和 1967 「敦煌画阿弥陀浄土図」『美術研究』252: 32-37.
大西磨希子 2003 「敦煌莫高窟の西方浄土変に描かれた『観無量寿経』モティーフ」『南都佛教』83: 62-95.
大西磨希子 2004 「初唐期の西方浄土変と『感無量寿経』:敦煌莫高窟の作例をてがかりに」『佛教芸術』273: 9-32.
大西磨希子 2005 「綴織当麻曼荼羅考:図様解釈および制作地と制作年代について」『仏芸』280: 13-39.
加藤善朗 2000 「浄土経典と絵画:中世日本人と当麻曼荼羅」『大法輪』H12.12, pp. 94-99.
河原由雄 1968 「敦煌浄土変相の成立と展開」『仏教芸術』68: 85-107.
河原由雄 1974 「西域・中国の浄土教絵画」『浄土教美術の展開』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第一冊)仏教美術研究上野記念財団助成研究会.
河原由雄 1982 「当麻曼陀羅下縁部九品来迎図像の形成」『密教図像』1.
河原由雄 1988 「変相図の源流」『図説日本の仏教 第3巻 浄土教』新潮社、pp. 113-120.
河原由雄 1989 『日本の美術272 浄土図』至文堂.
元興寺文化財研究所編 1987 『日本浄土曼荼羅の研究』中央公論美術出版.
京都国立博物館 1975 『浄土経絵画』.
佐和隆研 1961 「当麻曼荼羅について」『仏教芸術』45
杉野 愛 2005 「当麻寺本「当麻曼荼羅縁起絵」二幅の画面構成:当麻をめぐる信仰と本尊「当麻曼荼羅」」『美術史』158: 241-255.
中村興二 19?? 「わが国の浄土変相と敦煌」『中国石窟 敦煌3』pp. 229-240.
濱田 隆 1989 『日本の美術No. 273 来迎図』至文堂.
12 祖師曼荼羅
亀田 孜 1948 「奈良時代の祖師像と倶舎宗曼荼羅図」『仏教芸術』1
13 マンダラと都市
立川武蔵 1986 「マンダラとしてのカトマンドゥ盆地」『ヒマラヤ仏教王国 2密教曼荼羅界』三省堂 pp.212-223.
14 マンダラと現代
田中公明 2001 「ユングとマンダラ、チベット仏教」湯浅泰男他『ユング心理学と現代の危機』河出書房新社.
栂尾祥瑞 1975 「ユングのマンダラ・シンボル」『密教文化』111: 53-76.
野口圭也 2005 「21世紀のマンダラ観想法」『密教学研究』37: 1-17.
野口圭也 2005 「マンダラの観想とヴァーチャルリアリティ技術」『教化センター参考資料8「曼荼羅」』171-201.
松長有慶 1992 「密教の宇宙と象徴」『宗教と科学 9 新しいコスモロジー』岩波書店.
(c) Masahide MORI
データ入力にあたっては、2006年度比較文化演習「別尊曼荼羅の研究」出席の皆さんの協力を得ました。