あ
赤井達郎 1977 「紀州路の絵解」『江戸時代図誌』18.
赤井達郎 1986 「札所の参詣曼荼羅絵解きの系譜24」『日本美術工芸』572
赤井達郎 1989 『絵解きの系譜』教育社.
赤石染人 1930 「醍醐寺文様管見」『都市と芸術』200
赤石染人 1930 「醍醐寺五重塔の文様に就いて」『東洋美術 特輯醍醐寺研究号』
赤石染人 1931 「醍醐寺五重塔の文様に就いて」『染色文様史の研究』
赤川一博 2001 「高野山金剛峯寺孔雀明王坐像の造像背景」『佛教芸術』258: 71-97。
明石染人 1943 「醍醐寺五重塔の文様に就いて」『日本染織工芸史』
赤堀又次郎 1931 「醍醐寺の仏画 一」『書画骨董雑誌』180
赤堀又次郎 1932 「醍醐寺の仏画 二」『書画骨董雑誌』185
赤堀又次郎 1932 「五重塔壁画」『日本国宝全集』48
赤松俊秀 1942 「醍醐寺太元帥法本尊の筆者に就いて」『画説』68:562-565.
秋山光和 1958 「醍醐寺五重塔壁画の様式と技術に就いて」『美術研究』196
秋山光和 1967 「敦煌画阿弥陀浄土図」『美術研究』252: 32-37.
秋山光和 1983 「法華堂根本曼荼羅の構成と表現」『美術研究』323
秋山光和・柳沢孝 1967 「高雄曼荼羅の様式と技法」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
秋山光和・柳沢孝 1967 「高雄曼荼羅のめぐる絵画的展望」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
朝日新聞社 1958 『東寺』朝日新聞社.
足立 康 1940 「東寺講堂とその真言仏像」『建築史』2
足立 康 1941 「光台院尊勝曼荼羅解説」『美術研究』111
安達原玄 1983 「曼荼羅を描く八葉蓮弁」『仏画』2
安嶋紀昭 1991 「台密の閻魔天曼荼羅について:京博本と園城寺本」『MUSEUM』487.
天沼俊一 1929 「醍醐寺三宝院及び五重塔に就いて」『建築と社会』12(10/11)
有賀祥隆 1978 「神上寺本仁王経曼荼羅図考」『仏教芸術』120.
有賀祥隆 1983 『日本の美術205 平安絵画』至文堂.
有賀祥隆 1983 「恵林上人経弁の曼荼羅集」『MUSEAM』384
有賀祥隆 1983 「マンダラをみるために」『古美術』67
有賀祥隆 1990 『日本の仏像大百科3 明王 曼荼羅』ぎょうせい.
有賀祥隆 1991 『仏画の鑑賞基礎知識』至文堂.
有賀祥隆 1991 「大元帥明王雑攷:理性院本を中心として」『醍醐寺の密教と社会』山喜房仏書林、pp. 419-446.
有賀祥隆 1991 『仏画の鑑賞基礎知識』至文堂.
有賀祥隆 2005 「太元明王図像断簡」『國華』1316: 22-28.
有賀祥隆・川村知行 1999 「醍醐寺所蔵仏教絵画総合目録I 両界曼荼羅・別尊曼荼羅」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』17: 43-101.
有賀祥隆・川村知行 1999 「醍醐寺所蔵仏教絵画総合目録II 如来・菩薩」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』18: 88-11.
い
飯塚秀誉 1998 「『Manjushriimuulakalpa』第二章所説の曼荼羅について」『豊山教学大会紀要』26: 1-23(横組).
飯塚秀誉 2002 「開敷華王如来について」『真言宗豊山派総合研究員紀要』7: 25-37.
庵 逧巌 1979 「三熊野の『比丘尼縁起』」『説話と説話文学』笠間書院
池内幸恵 1998 「チベットの胎蔵マンダラ儀軌」『密教学』34: 107-147.
池田澄達 1928 「胎蔵曼荼羅の三角印に就て」『宗教研究』5(2).
石川和彦 1990 「三十三所観音の曼荼羅図について‐華厳寺本と観音正寺本の図像的諸問題」『仏教芸術』189.
石崎達二 1929 「醍醐寺の仏画と仏像」『史蹟と古美術』3(5)
石崎達二 1935 「続醍醐寺の仏画と仏像」『史蹟と古美術』15(4)
石田茂作 1967 『仏教美術の基本』東京美術.
石田尚豊 1962 「胎蔵旧図様の智證記入尊名の矛盾について」『美術史』43
石田尚豊 1963 「胎蔵旧図様記入尊名の矛盾と未詳尊の解明」『美術史』50
石田尚豊 1964 「恵果・空海以前の胎蔵界曼荼羅」『東京国立博物館紀要』1.
石田尚豊 1965 「両界曼荼羅図(四天王寺蔵):台密系両界曼荼羅図の一考察」『MUSEUM』172
石田尚豊 1969 『日本の美術33 密教画』至文堂.
石田尚豊 1969 「胎蔵界曼荼羅への金剛系尊の進出 胎蔵旧図様」『仏教芸術』70: 24-41.
石田尚豊 1975 「現図曼荼羅再考」『仏教芸術』78: 18-33.
石田尚豊 1975 『曼荼羅の研究』東京美術.
石田尚豊 1977 『両界曼荼羅 元禄本』東京美術.
石田尚豊 1979 『両界曼荼羅の智慧』東京美術.
石田尚豊 1984 『曼荼羅のみかた パターン認識』岩波書店.
石田尚豊 1988 『日本美術史論集 その構造的把握』中央公論美術出版.
石田茂作 1965 「熊野曼荼羅に就いて」『秘宝 熊野』講談社.
泉 武夫 1995 『仏画の造形』吉川弘文館.
泉 武夫 2000 「愛染王法と千体画巻」『学叢』22: 19-42.
泉 武夫 2000 「東寺のイコノロジー 空海の戦略と美術」『国文学』45(12): 102-109.
伊勢田進 1959 「闘鶏神社所蔵の宮曼荼羅式那智山図について」『田辺文化財』3
伊東史朗 1984 「不動明王像の古例とその形式」『密教図像』3: 1-24.
伊東史朗 2002 「安楽寿院不動堂本尊(北向き不動)と仏師康助(上)」『仏教芸術』264: 33-49.
伊東史朗 2003 「安楽寿院不動堂本尊(北向き不動)と仏師康助(下)」『仏教芸術』266: 75-91.
伊東史朗 2005 「仏頂尊勝陀羅尼を紀銘・納入する仏像二例」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 685-700.
伊東照司 1981 「エローラ石窟寺院の仏教図像」『仏教芸術』134: 84-119.
乾 仁志 1993 「金剛界曼荼羅の三昧耶会について」『密教図像』12: 15-29.
乾 仁志 1993 「バングラデシュの密教遺跡 特に塔を中心として」『高野山大学密教文化研究所紀要』6: 166-198.
乾 仁志 1994 「中国における『金剛頂経』伝承 『略出経』を中心として」『高野山大学密教文化研究所紀要』8: 1-27.
乾 仁志 1995 「『初会金剛頂経』所説のマンダラについて(前)」『高野山大学密教文化研究所紀要』9: 1-26.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』の四大品とマンダラの特色」『高野山大学創立百十周年記念 高野山大学論文集』高野山大学、pp. 95-114.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』所説のマンダラについて(後)」『高野山大学密教文化研究所紀要』10: 1-28.
乾 仁志 1996 「『初会金剛頂経』所説の四印について」『密教学研究』28: 13-34.
乾 仁志 1997 「『金剛頂タントラ』所説のマンダラについて(I)」『高野山大学論叢』32: 1-30.
乾 仁志 1998 「『初会金剛頂経』の背景にある大乗仏教 如来蔵思想との関係を中心に」『高野山大学密教文化研究所紀要』11: 204-222.
乾 仁志 1998 「『初会金剛頂経』の背景にある大乗仏教 如来蔵思想との関係を中心に」松長有慶編『インド密教の形成と展開』法蔵館、pp. 239-267.
乾 仁志 2004 「『初会金剛頂経』所説の四印について(3) 八供養女、四摂菩薩の三昧耶印」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化(下)』ノンブル社、pp. 109-126(横組).
乾 仁志 2004 「金剛頂経」『新国訳大蔵経12 密教部四』大蔵出版、pp. 7-76.
井上曙夫 1984 「経典と図像 文殊菩薩に関して」『密教図像』3: 41-58.
井上隆雄他 1978 『チベット密教壁画』駸々堂出版.
井ノ上徹 1995 「密教美術」松長有慶編『密教を知るためのブックガイド』法蔵館、pp. 228-249.
井ノ口泰淳他 1985 『密教のほとけたち』人文書院.
色川大吉編 1989 『チベット・曼荼羅の世界』小学館.
岩田慶治 1982 『アジアのコスモス+マンダラ』講談社.
岩鼻通明 1986 「西国霊場の参詣曼荼羅にみる空間表現」『人文地理学の視圏』大明堂.
岩鼻通明 1986 「立山マンダラ作成年代考」『山岳修験』2
岩宮武二(写真)、石黒 淳・頼富本宏(解説) 1987 『ラダック曼荼羅』岩波書店.
岩宮武二 1989 『岩宮武二写真集 アジアの仏像』全2巻 集英社.
う
上野アキ 1959 「装飾文様」『醍醐寺五重塔の壁画』
仏教美術研究上野記念財団助成研究会 2004 『空海と密教のかたち』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第31冊)仏教美術研究上野記念財団助成研究会.
上野照夫 1948 「両界曼荼羅の絵画的展開」『弘法大師の理想と芸術』高野山時報社、
氏家昭夫 1983 「タボ寺の尊像美術:毘盧遮那像と阿弥陀像を中心として」『密教図像』2: 1-14.
氏家覚勝 1984 『陀羅尼の世界』東方出版.
氏家覚勝 1987 『陀羅尼思想の研究』東方出版.
内田啓一 1991 「高野山遍照光院蔵の一字金輪曼荼羅:図像とその背景をめぐって」『密教図像』10.
内田啓一 2003 「愛染明王画像二題:根津美術館蔵とMOA美術館蔵を中心に」『仏教芸術』268: 13-34.
内田啓一 2005 「西大寺流にみられる一尺四方の両界種子曼荼羅について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 701-722.
梅津次郎 1950 「岩清水八幡宮曼荼羅・栗棘庵蔵」『国華』704
お
王雲 2006 「園城寺蔵『五部心観』について」『仏教芸術』284: 29-66
大阪市立博物館 1987 『社寺参詣曼荼羅:絵は誘う霊場のにぎわい』大阪市立博物館.
大阪市立博物館 1987 『社寺参詣曼荼羅』平凡社.
大塚伸夫 1993 「『大日経』の曼荼羅行」『密教学研究』25: 85-123.
大塚伸夫 1995 「『金剛手灌頂タントラ』における曼荼羅行について」『豊山教学大会紀要』23: (13)-(53).
大塚伸夫 1996 「『すい哂耶経』の曼荼羅行について」『密教学研究』28: 89-139.
大塚伸夫 1998? 「『蘇婆呼童子請問経』における灌頂について」『佐藤隆賢博士古稀記念論文集 仏教教理思想の研究』pp. 189-200.
大塚伸夫 1998 「『蘇婆呼童子請問経』の曼荼羅と密教儀礼について」『豊山教学大会紀要』26: 79-99.
大西磨希子 2003 「敦煌莫高窟の西方浄土変に描かれた『観無量寿経』モティーフ」『南都佛教』83: 62-95.
大西磨希子 2004 「初唐期の西方浄土変と『感無量寿経』:敦煌莫高窟の作例をてがかりに」『佛教芸術』273: 9-32.
大西磨希子 2005 「綴織当麻曼荼羅考:図様解釈および制作地と制作年代について」『仏芸』280: 13-39.
大野俊覧 1969 「曼荼羅絣線法と布字観について‐太陽中心の世界観の流理」『密教文化』87: 66-91.
大村西崖 1910 「胎蔵曼荼羅の研究」 『六大新報』324・325
大村西崖 1913 『三本両部曼荼羅集』仏書刊行会.
大村西涯 1918 『密教発達史』仏書刊行会.
大村西崖 1921 「智證大師請来胎蔵図像に就て」『仏教学雑誌』2
大村西崖 1921 「胎蔵旧図様考」『仏教学雑誌』2
大村西崖 1921 「願成寺の金剛界曼荼羅」『六大新報』914
大山公淳 1949 『曼荼羅通釈』高野山出版社.
大山仁快 1961 「密教修法壇(ma.n.dala)の成立史について」『印仏研』9(2): 236-239.
岡崎譲治 1983 「仏像を表現する金剛鈴の展開」『MUSEUM』392
奥健夫・飯田雅彦 2005 「北向山不動院不動明王坐像の修理について」『仏芸』280: 69-88.
奥山直司 1989 「イコンの園へ パンコル・チョルテン研究序説」色川大吉編『チベット・曼荼羅の世界 その芸術・宗教・生活』小学館、pp. 131-168.
奥山直司 1996 「ラサ マンダラ都市」『マンダラ宇宙論』立川武蔵編 法蔵館 247-280頁.
奥山直司 1996 『チベット[マンダラの国]』小学館 127頁.
小倉 泰 1990 「南インドのヒンドゥー寺院の象徴性(1) Paadmasa.mhitaaに於ける寺院建築の過程と儀礼」『東洋文化研究所紀要』111:131-192.
小倉 泰 1991 「南インドのヒンドゥー寺院の象徴性(2) ヴァーストゥプルシャマンダラと寺院の平面設計」『東洋文化研究所紀要』115:1-64.
小倉 泰 1999 『インド世界の空間構造』東京大学東洋文化研究所.
小野玄妙 1913 「智證大師と宗叡僧正の将来せし大非胎蔵曼荼羅の研究 一」『密教』3(3)
小野玄妙 1914 「智證大師と宗叡僧正の将来せし大非胎蔵曼荼羅の研究 二」『密教』4(1)
小野玄妙 1930 「醍醐寺粉本図像」『東洋美術 特輯醍醐寺研究号』
小野玄妙 1934 「東寺講堂の諸像について」『東寺の研究』洛東社
小野玄妙 1934 「胎蔵図像について 一〜三」『ピタカ』1(5)-(8)
小野玄妙 1935 「大非胎蔵三昧耶曼荼羅」『ピタカ』2(4)
小野玄妙 1937 「弘法大師御請来の金剛界八十一尊曼荼羅に就いて」『密教研究』62
小野玄妙 1937 「●多僧蘗哩五部心観の研究」『仏教の美術と歴史』 大蔵出版社
小野玄妙 1937 『仏教の美術と歴史』大蔵出版社.
小野玄妙 1938 「台密所伝の仏教曼荼羅に就いて 1-3」『ピタカ』6(1)(3)(8)
小野二楞 1917 「醍醐寺所蔵毘沙門曼荼羅について」『東洋哲学』24の3
か
景山春樹 1952 「異形の春日鹿曼荼羅」『国華』719
景山春樹 1957 「神道曼荼羅の性格‐山王曼荼羅の場合」『仏教芸術』32
景山春樹 1957 「八幡曼荼羅の研究」『神道史学』5(2)
景山春樹 1958 「板絵春日宮曼荼羅について」『大和文華』25
景山春樹 1962 「熊野曼荼羅の研究」『神道史研究』7(2)
景山春樹 1965 「新出の熊野曼荼羅-仁和寺本と西教寺本」『MUSEUM』152
景山春樹 1967 「新出の山王曼荼羅」『MUSEUM』170
景山春樹 1975 「春日の鹿曼荼羅」『国華』981
景山春樹 1980 「那智参詣曼荼羅」『続みやまんだら』綜芸社
加須屋誠 1988 「子島曼荼羅試論」『京都大学文学部美学美術史学研究室 研究紀要』9: 42-99.
加藤敬・松長有慶 1981 『マンダラ』毎日新聞社.
加藤敬・小林暢善 1985 『マンダラ蓮華』平河出版社.
加藤善朗 2000 「浄土経典と絵画:中世日本人と当麻曼荼羅」『大法輪』H12.12, pp. 94-99.
金岡秀友 1953 「マンダラ信仰の一側面」『印度学仏教学研究』2(1) 137-138.
金岡秀友 1954 「マンダラにおける悪の論理」『宗教研究』142
金岡秀友 1957 「マンダラの民族性について」『印度学仏教学研究』5(2): 191-194.
金岡秀友 1964 「マンダラ信仰の源流と展開について」『宗教文化』41.
金岡秀友 1965 「仏教思想上のマンダラ」『在家仏教』40(12)
金岡秀友 1978 『密教の世界観』ピタカ.
金岡秀友 1979 『空海辞典』東京堂出版.
金岡秀友他 1988 『図説日本仏教の世界4 曼荼羅の宇宙』集英社.
金岡秀友・秋山余思訳 1991 『マンダラの理論と実際』金花舎.
金本拓士 1987 「仏智足生起次第『普賢成就法』における曼荼羅について」『印仏研』35(1): 161-163.
金本拓士 1992 「微細ヨーガについての一考察 秘密集会タントラ釈「pradiipodyotana」を中心として」『智山学報』41: 59-71.
金本拓士 1993 「アーナンダガルバ流秘密集会曼荼羅について」『宮坂宥勝博士古稀記念論文集インド学密教学研究』法蔵館、pp. 771-792.
神林隆浄 1928 「曼荼羅の起源」『大正大学学報』4: 86-126.
亀井宗忠 1933 「ウパニシャッドに現れたる曼荼羅に就いて」『大正大学学報』15: 123-136.
亀井宗忠 1935 「瑜伽観行と曼荼羅」『大正大学学報』21-23: 167-190.
神谷栄子 1965 「高雄曼荼羅の綾裂について」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
亀田 孜 1948 「奈良時代の祖師像と倶舎宗曼荼羅図」『仏教芸術』1
川口久雄 1972 「白山権現と白山曼荼羅」『日本海域研究所報告』4: 1-32.
川口久雄 1987 『山岳まんだらの世界』名著出版.
川崎一洋 1998 「ローマンタン・チャンパ・ラカンの壁画マンダラについて:二階の瑜伽タントラ階梯のマンダラを中心に」『密教図像』17: 110-122.
川崎一洋 2000 「チャンパ・ラカン現存の『理趣広経』「真言分」所説の曼荼羅」『高野山大学大学院紀要』4: 23-44.
川崎一洋 2000 「チャンパ・ラカン現存の悪趣清浄曼荼羅について」『高野山大学大学院紀要』5: 27-41.
川崎一洋 2001 「チベットにおける『理趣広経』のマンダラの伝承:シャル寺南堂の作例を中心に」『密教図像』20: 49-61.
川崎一洋 2001 「シャル寺のマンダラ壁画について(II):北堂の悪趣清浄マンダラを中心に」『密教文化』207: 56-83.
川崎一洋 2002 「Catu.spii.tha-tantra所説の究竟次第 Catu.spii.thaIV-iiiを中心に」『印度学仏教学研究』51(1): 349-347.
川崎一洋 2002 「シャル寺の曼荼羅壁画について(III) プトゥンの金剛界曼荼羅理解」『密教図像』21: 37-47.
川崎一洋 2003 「シャル寺東塔の曼荼羅について」『密教学研究』35: 47-61.
川崎一洋 2003 「『幻化網タントラ』に見られる五秘密思想」『密教文化』211: 64-83.
川崎一洋 2005 「金剛界曼荼羅の諸相:「金剛界品」所説の六種曼荼羅を中心に」『密教学研究』37: 19-42.
川野憲一 2001 「語りかける図像 太山寺蔵<絹本着色愛染曼荼羅>をめぐって」『神戸市立博物館研究紀要』17:48-63.
河原由雄 1968 「敦煌浄土変相の成立と展開」『仏教芸術』68: 85-107.
河原由雄 1974 「西域・中国の浄土教絵画」『浄土教美術の展開』(仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書第一冊)仏教美術研究上野記念財団助成研究会.
河原由雄 1982 「当麻曼陀羅下縁部九品来迎図像の形成」『密教図像』1.
河原由雄 1988 「変相図の源流」『図説日本の仏教 第3巻 浄土教』新潮社、pp. 113-120.
河原由雄 1989 『日本の美術272 浄土図』至文堂.
川村知行 1981 「春日浄土と春日曼荼羅」『美術史研究』17
川村知行 1982 「春日曼荼羅の成立と儀礼」『美術史』110
川村知行 1991 「醍醐寺の仁王経曼荼羅と図像」『醍醐寺の密教と社会』山喜房仏書林、pp. 153-188.
韓金科編 1999 『法門寺』香江出版有限公司.
元興寺文化財研究所編 1987 『日本浄土曼荼羅の研究』中央公論美術出版.
き
木島 始・前田常作 1978 『やまとうた夢まんだら』麥書房.
北村太道 1974 「チベット文金剛界大曼荼羅諸尊建立和訳研究」『密教文化』107: 71-83.
北村太道 2005 「チベット所伝、薬師如来マンダラ儀軌について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 101-133(横組).
北村太道・ツルティム・ケサン 2001 「マンダラの作成についての研究 ツォンカパ著『秘密道次第大論』試訳(6)」『種智院大学密教資料研究所紀要』4: 43-68.
北村太道・ツルティム・ケサン 2002 「マンダラの作成についての研究 ツォンカパ著『秘密道次第大論』試訳(7)」『種智院大学密教資料研究所紀要』5: 33-63.
吉祥真雄 1943 『仏教尊像講話』.
京都国立博物館 1975 『浄土経絵画』.
京都国立博物館 1976 『神道美術』.
京都国立博物館 2000 『王朝の仏画と儀礼』至文堂.
京都府立丹後郷土資料館 1985 『観音信仰と社寺参詣:丹波・丹後』.
切畑 健 1969 「阿娑縛抄=その成立と撰者承澄」『仏教芸術』70: 183-192.
近畿日本鉄道株式会社近畿文化会編 1978 『みやまんだら』綜芸社.
近畿日本鉄道株式会社近畿文化会編 1980 『続みやまんだら』綜芸社.
く
空閑 1922 「尊勝曼荼羅図解」『国華』391
空閑 1923 「仁王経曼荼羅図」『日本国宝全集』1
空閑 1923 「密教図像」『日本国宝全集』8
熊谷宣夫 1933 「仁王経曼荼羅考:特に醍醐寺本を中心にして」『美術研究』20
熊谷宣夫 1933 「密教図像」『日本国宝全集』55
黒坂勝美 1918 「醍醐寺の美術に就て」『中央美術』33
黒坂勝美 1919 「醍醐寺の美術 一・二」『書画骨董雑誌』130・131
黒坂勝美 1920 「醍醐寺の宝物」『美術写真画報』1の5
黒田日出男 1986 「熊野那智参詣曼荼羅を読む」『思想』740: 103-131.
黒田日出男 1988 「参詣曼荼羅と文芸-清水寺参詣曼荼羅の読解」『国文学 解釈と鑑賞』52(9).
黒田日出男 1988 「参詣曼荼羅の不思議‐『清水寺参詣曼荼羅の読解』」『週刊朝日百科 日本の歴史・別冊 歴史の読み方』
黒田日出男・西山克他 1988 「座談会/社寺参詣曼荼羅の世界」『月刊百科』307
こ
河野亮仙 1988 「曼荼羅儀礼と舞踏劇」『密教図像』6: 74‐81.
高野山密教研究所 1948 『弘法大師の思想と芸術』高野山時報社.
高野山霊宝館 1991 『第12回高野山大宝蔵展 曼荼羅と星』高野山霊宝館.
神山 登 1977 「和泉松尾寺の孔雀明王曼荼羅図について」『仏教芸術』114.
小久保和夫 1978 『伝真言院曼荼羅:世界文明の縮図』サンブライト出版.
小久保啓一 1986 「東密の八十一尊曼荼羅」『大和文華』75: 1-16.
小林 剛 1934 「東寺彫刻雑考」『東寺の研究』洛東社
小林太市郎 1943 「童子経及び童子経曼荼羅」『密教研究』84:1-56.
小林正盛 1936 「人吉願成寺雑考」『密教論叢』9
小峰弥彦 1989 「胎蔵曼荼羅の言葉」『大法輪』56( 7)
小峰弥彦 1994 「降三世会の四大明王を巡って」『現代密教』7: 92-103.
小峰弥彦 2001 「胎蔵曼荼羅の四菩薩について」『石上善應教授古稀記念論文集 仏教文化の基調と展開』山喜房仏書林、pp. 147-158.
小峰彌彦, 高橋尚夫監修 2001 『図解・別尊曼荼羅 : 密教図像を読む』大法輪閣.
近藤喜博 1951 「熊野曼荼羅について」『国華』704.
近藤喜博 1951 「富士曼荼羅と信仰」『神道史学』2
五来 重 1967 『熊野詣』淡交社.
さ
酒井真典 1970 「曼荼羅の基本的理解 覚密の曼荼羅法略摂」『密教学研究』2.
酒井真典 1971 「マンダラの墨打法について」『智山学報』(芙蓉良順博士古稀記念密教文化論集)19: 49-71.
酒井真典 1985 「八輻輪曼荼羅」『酒井真典著作集 第三巻』法蔵館、pp. 250-270.
坂口良之進 1923 「醍醐寺五重塔・平等院鳳凰堂内部装飾文様」
榊亮三郎 1947 『弘法大師とその時代』創元社.
坂野栄範 1940 「●多僧蘗哩五部心観と蔵文金剛頂経」『ピタカ』8(5)
桜井宗信 1993 「サンヴァラ系密教に於ける灌頂儀礼の一形態 Gha.n.taapaada所説の<身体曼荼羅灌頂>」『日本西蔵学会会報』39: 14-24.
佐藤四郎 1928 「醍醐寺三宝院五重塔」『建築』3(1)
佐々木剛三 1960 「聖護院蔵熊野曼荼羅」『美術史』37
佐々木剛三 1999 『神道曼荼羅の図像学 神から人へ』ぺりかん社.
佐々木進 1985 「近江・芦原観音寺の両界曼荼羅図 台密系の両界曼荼羅の一作例として」『仏教芸術』163: 63-83.
佐々木守俊 2005 「理性院の御産御祈と本尊画像」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 723-742.
佐藤 任 1979 『密教の神々:その文化的考察』平河出版社.
佐和隆研 1939 「密教図像の研究」『宝雲』24
佐和隆研 1947 『密教美術』大八洲出版.
佐和隆研 1948 「仏教芸術の研究に就いて」『仏教芸術』1
佐和隆研 1948 「奈良朝以前に於ける密教的美術」『仏教芸術』1
佐和隆研 1948 「仏眼曼荼羅図に就いて」『国華』681
佐和隆研 1950 「八葉曼荼羅図:斑鳩寺蔵」『国華』696
佐和隆研 1950 「平安朝時代に輸入された密教絵画」『仏教芸術』6: 26-38.
佐和隆研 1953 「日本に於ける密教美術展開の過程」『仏教史学』3 ・4: 1-12.
佐和隆研 1954 「平安朝初期の芸術をめぐる諸問題」『仏教芸術』22
佐和隆研 1955 『密教美術論』便利堂.
佐和隆研 1956 「高野山の美術」『密教文化』36 ・37
佐和隆研 1956 「理趣経曼荼羅について」『国華』769
佐和隆研 1958 「醍醐寺五重塔の壁画」『大和文華』25
佐和隆研 1958 「久米田寺の星曼荼羅図」『仏教芸術』35
佐和隆研 1958 「高野山竜泉院蔵伝熊野曼荼羅図」『仏教芸術』37
佐和隆研 1960 『仏像図典』吉川弘文館.
佐和隆研 1960 「醍醐寺の美術」『仏教芸術』42
佐和隆研 1960 「醍醐寺国宝重文目録」『仏教芸術』42
佐和隆研 1961 「当麻曼荼羅について」『仏教芸術』45
佐和隆研 1961 「東寺の美術」『仏教芸術』47
佐和隆研 1961 『日本の密教美術』便利堂.
佐和隆研 1964 『日本の美術8 密教の美術』平凡社.
佐和隆研 1964 「最澄・円仁の請来した芸術」『仏教美術』61.
佐和隆研 1965 「高野山国宝・重要文化財目録」『仏教芸術』57
佐和隆研 1965 「真言密教の美術」『大師のみてら東寺』
佐和隆研 1965 「東密と台密の美術」『密教学密教史論集』
佐和隆研 1966 「東寺講堂の仏像」『密教学』2 pp,32-41.
佐和隆研 1966 『日本密教 その展開と美術』日本放送出版協会.
佐和隆研 1967 『秘宝 醍醐寺』講談社.
佐和隆研 1969 「尊勝曼荼羅図」『仏教美術』70.
佐和隆研 1969 「大日如来像の展開」『仏教芸術』73.
佐和隆研 1969 「密教における白描図像の歴史」『仏教芸術』70 pp, 1-23.
佐和隆研 1970 「密教の美術」『仏教芸術』75.
佐和隆研 1971 「両界曼荼羅の美術」『日本美術工芸』371.
佐和隆研 1972 『御室版曼荼羅尊像集』法蔵館.
佐和隆研 1973 「曼荼羅の発達」『天台密教<思想と文化>』.
佐和隆研 1977 「アメリカ紀行 日本の仏画を尋ねて」『嵯峨美術短期大学紀要』3.
佐和隆研 1977 『随論密教美術』美術出版社.
佐和隆研 1980 「両界四仏についての覚書」『仏教美術』130
佐和隆研 1981 「新指定重文 般若菩薩曼荼羅図」『醍醐寺文化財研究所研究紀要』3.
佐和隆研 1982 『白描図像の研究』法蔵館.
佐和隆研 1982 『密教美術の原像』法蔵館.
佐和隆研 1982 「曼荼羅の宇宙 両界曼荼羅図と絵画的構成」『空海と真言密教』.
佐和隆研 1982 「醍醐寺所蔵の白描図像:特に空海系の図像について」『密教図像』1:22-29.
佐和隆研 1984 『空海とその美術』朝日新聞社.
佐和隆研 1984 『密教美術を読む』法蔵館.
佐和隆研 1997 『佐和隆研著作集 全4巻』法蔵館.
佐和隆研編 1973 『インドネシアの遺跡と美術』日本放送出版協会.
佐和隆研編 1975 『密教辞典』法蔵館.
佐和隆研・濱田 隆 1983 『密教美術大観 両界曼荼羅』朝日新聞社.
佐和隆研他 1982 『密教の世界』大阪書籍.
佐和隆研他 1984 『密教美術大観』1〜4 毎日新聞社.
佐和隆研他編 『密教大辞典』5巻.
し
獅崎 庵 1920 「虚空蔵曼荼羅解」『国華』366
獅崎 庵 1921 「釈迦曼荼羅図解」『国華』377
篠原四郎 1963 「那智参詣曼荼羅の絵解」『国学院雑誌』2 ・3月号
島田茂樹 1982 「ヘーヴァジュラ系儀軌にみるA.s.ta.zma.zaana」『宗教研究』56(4): 222-223.
島田茂樹 1984 「ヘーヴァジュラ曼荼羅の構成」『密教図像』3: 72-81.
島田茂樹 1984 「A.s.ta.zma.zaanaの展開 サンヴァラ系密教へ」『宗教研究』57(4): 166-167.
島田茂樹 1999 「後期密教のマンダラ:異形の神ヘールカのコスモロジー」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第1巻インド密教』春秋社、pp. 114-130.
清水善三 1964 「東寺講堂諸尊における教義とその表現について」『美術史』54
清水善三 1969 「覚禅抄における各巻の構成とその成立過程」『仏教芸術』70: 101-139.
清水 乞 1974 「梵文像増量度経注釈概観」『東洋学研究』8: 39-52.
下坂 守 1993 『参詣曼荼羅 日本の美術331』至文堂.
下松 徹 1987 「東寺講堂の諸尊と三輪身説」『密教文化』157: 50-66.
下松 徹 1988 「東寺講堂の諸尊の構成について 五菩薩の図像上の問題からの再検討」『密教学会報』27: 122-137.
下松 徹 1991 「高野山大塔の五仏像について 特にその変遷を中心として」『密教学研究』23: 85-104.
下松 徹 1991 「『仁王経五方諸尊図』の伝来について」『密教図像』9: 14-35.
ジャクソン、ディヴィッド 2006 『チベット絵画の歴史:偉大な絵師たちの絵画様式とその伝統』(瀬戸敦郎、田上操、小野田俊蔵訳)平川出版社.
種智院大学インド・チベット研究会 1982 『チベット密教の研究』永田文昌堂.
庄司千賀 1986 「『那智参詣曼荼羅図』考序説諸本の整理を中心として」『芸能文化史』7.
白石真道・酒井真典 1958 「初会金剛頂経降三世品の一節について」『密教文化』41 ・42: 99-118.
白原由起子 1999 「『伏見稲荷曼荼羅』考:個人本「●枳尼天曼荼羅」に対する異見」『MUSEUM』560.
真言宗各派総大本山会他 1983 『弘法大師と密教美術』朝日新聞社.
真保 亨 1985 『別尊曼荼羅』毎日新聞社.
す
菅沼 昭 2004 『モンゴル仏教紀行』春秋社.
杉木恒彦 2000 『八十四人の密教行者』春秋社.
杉野 愛 2005 「当麻寺本「当麻曼荼羅縁起絵」二幅の画面構成:当麻をめぐる信仰と本尊「当麻曼荼羅」」『美術史』158: 241-255.
権田雷斧 1913 「胎蔵曼荼羅に就て台密と東密との差別の一斑」『宗教界』2(9).
権田雷斧 1916 『両部曼荼羅通解』丙午出版社.
鈴木昭英 1967 「熊野曼荼羅と修験信仰」『仏教芸術』66.
鈴木昭英 1969 「金峯山信仰と吉野曼荼羅」『大阪市立博物館研究紀要』1
鈴木昭英 1971 「熊野信仰と美術」『仏教美術』81.
鈴木昭英 1981 「金峯・熊野の霊山曼荼羅」『山岳宗教史研究 書15 修験道の美術・芸能・文学(II)』名著出版
せ
清野智海 1962 「高野山天徳院蔵『理趣経曼荼羅図』」『大和文化研究』49:52-53.
清野智海 1963 「理趣経曼荼羅の史的展開について:金剛界曼荼羅研究 1」『密教文化』63
清野智海 1963 「理趣経曼荼羅拾遺」『奈良国立文化財研究所年報』
関口正之 1967 「高雄曼荼羅関係文献目録」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
関口正之 1978 「霊雲寺所蔵大威徳明王画像について」『国華』1014.
関口正之 1988 『図説日本の仏教2 密教』新潮社.
関口正之 1989 『日本の美術No. 274 垂迹画』至文堂.
た
臺信祐爾 1986 「出光美術館両界曼荼羅図(鎮国寺旧蔵)」『MUSEUM』424
臺信祐爾 1989 「孔雀明王像」『MUSEUM』454
高井隆秀他 1984 『密教の流伝』人文書院.
高田 修 1954 「五部心観の研究:その記入梵語に基く考察」『美術研究』173
高田 修 1955 「東寺と正系現図曼荼羅の相承 新出大幅色彩古曼荼羅の調査概報」『仏教芸術』24
高田 修 1955 「東寺の三幅古本両界曼荼羅について:いわゆる「真言院曼荼羅」の検討」『美術研究』189
高田 修 1958 「醍醐寺五重塔壁画の調査概要」『美術研究』196
高田 修 1959 「醍醐寺五重塔とその調査」『醍醐寺五重塔の壁画』
高田 修 1959 「壁画の概要」『醍醐寺五重塔の壁画』
高田 修 1959 『醍醐寺五重塔壁画』吉川弘文館.
高田 修 1960 「醍醐寺五重塔の壁画について」『仏教芸術』42
高田 修 1961 「東寺の両界マンダラ図」『仏教芸術』47: 41-59.
高田 修 1965 「台密の両界曼荼羅について」『田山方南華甲記念論文集』吉川弘文館、
高田 修 1967 「神護寺の高雄曼荼羅」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修 1967 「高雄曼荼羅の図像」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修 1968「東寺講堂像とその密教的意義」『美術研究』253.
高田 修 1969 『仏教美術史論考』中央公論美術出版.
高田 修、秋山光和、柳沢 孝 1967 『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
高田 修・柳沢 孝 1958 「醍醐寺五重塔壁画の図像学的研究 両界曼荼羅の比定を中心として」『美術研究』196
高田 修・柳沢 孝 1959 「壁画の図像」『醍醐寺五重塔の壁画』
高田 修・柳沢 孝 1969 『原色日本の美術7 仏画』小学館.
高田 修・柳沢 孝 1974 『日本の美術9 仏画』小学館.
高田仁覚 1970 「曼荼羅(ma.n.dala)の通則について」『高野山大学論叢』5:1-29.
高田仁覚 1978 『インド・チベット真言密教の研究』高野山密教学術振興会.
高田良海 2005 「金剛界十六大菩薩の尊容について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 549-562.
高橋尚夫 1989 「金剛界曼荼羅の言葉」『大法輪』56ノ8
高橋平明 1987 「新出の「善光寺参詣曼荼羅図」について」『長野』134
滝 精一 1912 「醍醐寺五重塔内の壁画」『国華』259
滝 精一 1923 「子島曼荼羅に就て」『国華』395
滝 節庵 1924 「再び子島曼荼羅に就て」『国華』396
田口 汎 1991 『マンダラ ・パワー』情報センター出版局.
武笠 朗 1988 「大阪・金剛寺多宝塔大日如来像について」『MUSEUM』445
武田和昭 1984 「讃岐の熊野信仰についてその遺品を中心として」『文化財協会報』香川県文化財協会.
武田和昭 1990 「大阪・宝積院蔵の星曼荼羅について‐星曼荼羅図の一異形図」『仏教芸術』190
武田和昭 1995 『星曼荼羅の研究』法蔵館.
武田和昭 1998 「香川・開法寺の板彫阿弥陀曼荼羅について」『仏教芸術』237: 67-97.
武田恒夫 1983 「近世初期風俗画の研究」『近世初期障壁画』吉川弘文館.
竹原 弘 2004 「マンダラについて」『東洋哲学研究所紀要』20: 183-206.
田島隆純 1927 「蔵訳大日経外篇如来生大曼荼羅加持本の内容に就て」『大正大学研究紀要』2: 133-156.
田島隆純 1928 「曼荼羅の起源」『大正大学研究紀要』3: 147-160.
立川武蔵 1986 「金剛ターラーの観想法」『論叢仏教美術史』(町田甲一先生古稀記念会編)吉川弘文館、pp.65-97.
立川武蔵 1986 「マンダラとしてのカトマンドゥ盆地」『ヒマラヤ仏教王国 2密教曼荼羅界』三省堂 pp.212-223.
立川武蔵 1987 『曼荼羅の神々 仏教のイコノロジー』ありな書房.
立川武蔵 1987 「仏教図像」長野泰彦・立川武蔵編『チベットの言語と文化』冬樹社 pp. 336-3363.
立川武蔵 1987 「金剛界マンダラ資料」『ニヤグローダ』仏教思想研究会 4: 1-63.
立川武蔵 1989 「マンダラ 構造と機能」『岩波講座東洋思想 第一〇巻 インド仏教 三』岩波書店 pp. 289-314.
立川武蔵 1989 「カトマンドゥにおける法界マンダラ」『法界マンダラの神々(国立民族学博物館研究報告別冊 第7号)』(長野泰彦・立川武蔵編)pp. 5-44.
立川武蔵 1993 「『完成せるヨーガの環』第19章「金剛界マンダラ」和訳」宮治 昭(代表)『インドのパーラ朝美術の図像学的研究』(平成3・4年度科学研究費補助金研究成果報告書)、pp. i-xiii.
立川武蔵 1995 「『完成せるヨーガの環』第19章「金剛界マンダラ」訳註」『密教図像』14: 1-33.
立川武蔵 1996 『マンダラ 神々の降り立つ超常世界』学習研究社.
立川武蔵 1997 『マンダラ瞑想法 密教のフィールドワーク』角川書店.
立川武蔵 1998 『マンダラとは何か』高野山大学.
立川武蔵 2005 "A Version of the Ngor Ma.nd.ala Collection"『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 101-143(横組).
立川武蔵編 1990 『マンダラ 宇宙が舞い降りる』新国民社.
立川武蔵編 1991 『講座 仏教の受容と変容3 チベット・ネパール編』佼成出版社.
立川武蔵編 1993 『曼荼羅と輪廻 その思想と美術』佼成出版社.
立川武蔵編 1996 『マンダラ宇宙論』法蔵館.
立川武蔵編 2003 『マンダラ:チベット・ネパールの仏たち』国立民族学博物館.
立川武蔵、正木晃編 1997 『チベット仏教図像研究 ペンコルチューデ仏塔』(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号).
田中一松 1929 「醍醐寺の仏画」『アトリエ』6の8
田中一松 1930 「智證大師と密教美術」『仏教美術』16
田中一松 1939 『園城寺蔵五部心観について』.
田中一松 1948 「根津美術館本金剛界八十一尊大曼荼羅考」『国華』674: 117-123.
田中一松 1953 「金胎仏画帖と宅磨為遠」『大和文華』12
田中一松 1964 「岩清水八幡宮曼荼羅」『国華』873
田中一松 1966 『日本絵画史論集』中央公論美術出版.
田中公明 1981 「金剛界曼荼羅の成立について(一)」『印度学仏教学研究』30(1): 134-135.
田中公明 1982 「西蔵の胎蔵曼荼羅について」『日本西蔵学会会報』28: 14-16.
田中公明 1983 「金剛界曼荼羅の成立について(三)」『印度学仏教学研究』31(2): 615-616.
田中公明 1983 「四波羅蜜菩薩の成立について」『密教図像』2: 49-60.
田中公明 1984 「『一切仏集会拏吉尼戒網タントラ』とその曼荼羅について」『密教図像』3: 59-71.
田中公明 1984 『曼荼羅の歴史と発展について』チベット文化研究所.
田中公明 1985 「慈寧宮宝相楼のブロンズ像立体曼荼羅セットの解析」『東京大学文学部文化交流研究施設研究紀要』7: 43-63.
田中公明 1986 「パンチェン・ラマの胎蔵曼荼羅儀軌」『密教図像』5: 99-109.
田中公明 1987 「ペンコルチューデ寺院の金剛界曼荼羅 G. Tucci博士の報告と現況を比較して」『東京大学文学部文化交流研究施設紀要』8: 81-101.
田中公明 1987 『曼荼羅イコノロジー』平河出版社.
田中公明 1988 「ペンコルチューデ仏塔と『初会金剛頂経』所説の28種曼荼羅」『密教図像』6: 74-81
田中公明 1990 『詳解河口慧海コレクション チベット・ネパール仏教美術』佼成出版社.
田中公明 1991 「敦煌出土の寂静尊曼荼羅について」『秋山光和博士古稀記念美術史論文集』便利堂、pp. 111-141.
田中公明 1991 「敦煌出土の蓮華部八尊曼荼羅について」『出光美術館館報』75: 4-20.
田中公明 1991 「曼荼羅の身体論」『体育の科学』41(19): 769-775.
田中公明 1991 「『秘密集会』曼荼羅の歴史的展開」『密教図像』9: 1-14.
田中公明 1992 「密教における受胎と胎児論の歴史的展開」『イマーゴ』9: 194-199.
田中公明 1992 「西チベット・トリン寺とツァパラン遺跡の金剛界諸尊壁画について」『密教図像』11: 11-22.
田中公明 1993 『チベット密教』春秋社.
田中重久 1944 「醍醐寺五重塔の壁画」『日本壁画の研究』
田中公明 1994 「コスモロジーと曼荼羅」『密教図像』13: 33-47.
田中公明 1996 『インド・チベット曼荼羅の研究』法蔵館.
田中公明 1996 「敦煌出土の八大明王儀軌について」『密教文化』195: 126-113.
田中公明 1997 『性と死の密教』春秋社.
田中公明 1997 「新出のSkt.写本『普賢成就法』註所説の文殊金剛十九尊曼荼羅について」『密教図像』16: 17-34.
田中公明 1994 『超密教時輪タントラ』東方出版.
田中公明 1998 「ペンコルチューデ仏塔不空羂索堂の胎蔵曼荼羅諸尊壁画について」『密教図像』17: 51-59.
田中公明 2000 『敦煌 密教と美術』法蔵館.
田中公明 2001 「ユングとマンダラ、チベット仏教」湯浅泰男他『ユング心理学と現代の危機』河出書房新社.
田中公明 2001 「胎蔵大日八大菩薩と八大菩薩曼荼羅の成立と展開」『密教図像』20: 1-15.
田中公明 2001 『タンカの世界:チベット仏教美術入門』山川出版社.
田中公明 2002 「西夏・元時代のシルクロード密教とその図像 ハラホト出土の宝楼閣曼荼羅を中心にして」『木村清孝博士還暦記念論集 東アジア仏教 その成立と展開』春秋社、pp. 601-619.
田中公明 2002 「プルパとその曼荼羅について」『仏教通信』19: 29-42.
田中公明 2003 「トゥンガ石窟の成立年代について」『日本西蔵学会会報』49: 63-69.
田中公明 2005 「ミトラヨーギンの百種曼荼羅集とその図像:ハンビッツm文化財団所蔵の巻子品を中心にして」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 587-608.
田中公明・吉崎一美 1998 『ネパール仏教』春秋社.
田中貴子 2006(1993) 『外法と愛法の中世』平凡社.
田中文英 1988 「中世顕密寺院における修法の一考察」『中世寺院史の研究 上』法蔵館、161-183.
田邊三郎助 1989 『図説日本の仏教6 神仏習合と修験』新潮社.
田村仁他 1986 『ヒマラヤ仏教王国2 密教曼荼羅界』三省堂.
田村隆照 1969 「図像抄=成立と内容に関する問題」『仏教芸術』70: 42-66.
田村隆照 1983 「白描図像考断章」『仏教芸術』150
ち
中国蔵伝仏教彫塑全集編集委員会編 2002 『中国蔵伝仏教彫塑全集 全6巻』北京美術撮影出版社.
中国壁画全集編集委員会編 1989 『中国壁画全集 蔵伝寺院壁画1』天津人民美術出版社.
中国壁画全集編集委員会編 1989 『中国壁画全集 蔵伝寺院壁画3』天津人民美術出版社.
中国民族撮影芸術出版社編 1996 『ポタラ宮の秘宝』(主編 李晋有、日本語版監修 田中公明)インタープラン.
中国歴史博物館西蔵博物館編 2001 『金色宝蔵』中国蔵学出版社出版.
つ
塚崎直樹 1991 「マンダラ様図形に対する彩色の試み」『日本芸術療法学会誌』22(1): 90-97.
津田真一 1973 「サンヴァラ・マンダラの構成」『宗教研究』46(3): 93-94.
津田徹英 1998 「六字明王の出現」『MUSEUM』553.
鶴見和子・頼富本宏 2005 『曼荼羅の思想』藤原書店.
て
寺林 峻 1989 『絵でわかるマンダラの読み方』日本実業出版社.
と
東京国立文化財研究所 1967 『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
東寺文化財保存会 1965 『大師のみてら東寺』美術出版社.
トゥッチ、G. 1984 『マンダラの理論と実践』R. ギーブル訳 平河出版社.
トゥッチ、ジュゼッペ 1991 『マンダラの理論と実際』金岡秀友・秋山余思訳 金花舎.
東北大学文学部東洋・日本美術史研究室 1986 『河口慧海請来チベット資料図録』東北大学文学部.
栂尾祥雲 1927 『曼荼羅之研究』高野山大学出版部.
栂尾祥雲 1928 「理趣経曼荼羅の研究」『宗教研究』28
栂尾祥雲 1930 『理趣経乃研究』高野山大学出版部.
栂尾祥雲 1933 『秘密仏教史』高野山大学出版部.
栂尾祥瑞 1975 「ユングのマンダラ・シンボル」『密教文化』111: 53-76.
栂尾祥瑞 1986 『チベット・ネパールの仏教絵画』臨川書店.
徳田和夫 1978 「勧進聖と社寺縁起‐室町期を中心として」『国文学研究資料館紀要』4.
徳田和夫 1984 「絵解き圏の説話」『日本文学』33(4)
徳田和夫 1986 「熊野比丘尼の文芸像」『悠久』24.
徳田和夫 1986 「絵解きと物語享受」『文学』54ノ12.
徳田和夫 1987 「中世の目、中世の耳 社寺参詣曼荼羅の芸能素序章」『国文学 解釈と鑑賞』52(7)
百橋明穂 1983 『日本の美術204 飛鳥・奈良絵画』至文堂.
百橋明穂・中野徹編 1997 『世界美術大全集 東洋編第4巻 隋・唐』小学館.
戸部隆吉 1921 「東寺講堂の諸尊と醍醐寺の五方諸尊の描本図像 一・二」『書画骨董雑誌』151・152
冨島義幸・高橋康夫 1996 「法成寺の塔について」『佛教芸術』228: 50-69.
冨島義幸 1998 「塔における両界曼荼羅空間の展開 平安時代の層塔を中心に」『仏教芸術』238: 54-97.
な
内藤 栄 2001 「「仏舎利と宝珠」展概説」『仏舎利と宝珠 釈迦を慕う心』奈良国立博物館、pp. 172-188.
内藤 栄 2004 「金色堂と舎利法」『仏教芸術』277: 96-118.
内藤 栄 2005 「密教法具のなかの曼荼羅」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 777-792.
中島 博 1977 「宮曼荼羅の成立と展開」『美術史』102
中田勇次郎他 1984 『密教の文化』人文書院.
中野義照 1964 「現図胎蔵マンダラ最外院の構想」『密教文化』88.
中野玄三 1969 「覚禅抄の未公刊図像」『仏教芸術』70: 140-149.
中野玄三 1983 「密教阿弥陀像から浄土教阿弥陀像へ」『MUSEUM』386.
中野玄三 1984 「仁王経曼荼羅の展開 新出白描画像への道程」『国華』1074.
中野玄三 1985 『仏画の鑑賞』大阪書籍.
中野玄三 1997 「東寺本仁王経五方諸尊像論」『南部仏教』74・75:71-95.
中野照男 1988 「熊野曼荼羅図考」『東京国立博物館紀要』21
長野泰彦、立川武蔵編 1989 『国立民族学博物館研究報告別冊 第7号 法界語自在マンダラの神々』国立民族学博物館.
中村幸真 1991 「巧みな曼荼羅の装飾文様」『曼荼羅の鑑賞基礎知識』至文堂、pp. 236-246.
中村幸真 2004 「中国思想からみた正系現図曼荼羅 曼荼羅に見る色の古代史」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、
中村幸真 2004 「中国古代思想からみた正系現図曼荼羅:曼荼羅に描かれた植物」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 645-664.
中村興二 19?? 「わが国の浄土変相と敦煌」『中国石窟 敦煌3』pp. 229-240.
中村興二 1983 「社寺参詣曼荼羅の成立と展開」清水善三『本地仏の総合的研究』
中村興二 1988 「貴族社会の浄土信仰」濱島正士編『図説日本の仏教三 浄土教』新潮社、pp. 121-200.
中村二柄 1964 「醍醐寺五重塔の形」『東京と京都』160
中村本然 1999 「日本の宗教にみられる生死観 「熊野参詣曼荼羅」にみる信仰を中心として」高野山大学生命倫理研究会編『生と死:いのちを考える 平成10年度生命倫理講座講義録』高野山大学 pp. 275-305.
中村凉應 2005 「紫綾地金銀泥曼荼羅の意味」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 793-810.
中山華子 1996 「チベット系大日経122尊曼荼羅の研究」『密教文化』194: 78-57.
那須真裕美 2005 「「大清乾隆年敬造」の名文を持つ仏像群:宝相楼仏像群に関する一考察」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 665-684.
難波田徹 1969 「社寺参詣曼荼羅図について」『芸能史研究』27.
難波田徹 1979 「社寺参詣曼荼羅図の世界 1-3」『月刊百科』203~205.
難波田徹 1981 「京都府下の社寺参詣曼荼羅図」『文化財報』34.
難波田徹 1984 「絵画にみる庶民の飲茶風俗社寺参詣曼荼羅図を中心に」千賀四郎『茶道 錦二 茶の湯の成立』小学館.
難波田徹 1984 「京の古絵図(社頭図・参詣図)」赤井達郎『寺社古社寺への道』講談社.
難波田徹 1986 「社寺参詣と飲茶風俗社寺参詣曼荼羅図の世界」『談合社寺参詣曼荼羅図に見る一服一銭』475.
難波田徹・奥田義男 1980「勧進と結縁」『図説日本仏教史』2.
生井智紹 2005 「マンダラと多様不二の論理」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 23-36.
奈良国立博物館 1964 『垂迹美術』.
奈良国立博物館 2006 『国宝 子島曼荼羅』.
成田山仏教研究所 1987 『スピティの秘仏』成田山新勝寺.
に
西川新次 1957 「東寺講堂の諸仏 五菩薩梵釈修理を機に」『国華』782 ・783
錦織亮介 1975 「仁王経曼荼羅図の形式‐儀軌と図像の間」『仏教芸術』101.
錦織亮介 1975 「求菩提山如法寺旧蔵両界曼荼羅図 金剛界八十一尊図の一作例」『西南地域史研究』4: 113-160.
西本浩文 1933 「密教修法の一例としての大元帥法の意義」『竜谷学報』306: 147-161.
西山 克 1987 「聖地のシンタックス‐須磨寺参詣曼荼羅をテクストにして」『GS』7
西山 克 1987 「『女帝』の堕地獄‐善光寺参詣曼荼羅をテクストにして」『信濃』12
西山 克 1988 「聖地のイメージ‐那智参詣曼荼羅をテクストにして」和田悴編『熊野権現』
西山 克 1988 「擬装の<風景>‐清水寺参詣曼荼羅をテクストにして」『芸能』353
西山 克 1989 「聖地のディスクール」『絵図のコスモロジー(下巻)』pp. 202-222
ぬ
沼 賢亮 1968 「立山信仰と立山曼荼羅」『仏教芸術』68
ね
根井 浄 1988 「那智参詣曼荼羅にみえる補陀落渡海」『神戸常盤短期大学紀要』10(1): 47-62.
の
野口圭也 1987 「Sa.mpu.todbhavatantra所説のヘールカマンダラ」『密教学研究』19: 65-86.
野口圭也 1987 「Sa.mpu.todbhavatantra所説の金剛薩○(くちへんに垂)マンダラ」『密教図像』5: 1-14.
野口圭也 1998 「"Amoghapaa.zakalparaaja"のマンダラ:(1)いわゆる「広大解脱マンダラ」について」『山崎泰廣教授古稀記念論文集 密教と諸文化の交流』永田文昌堂、pp. 89-104.
野口圭也 2001 「"Amoghapaa.zakalparaaja"のマンダラ:(2)「最上広大解脱蓮華マンダラ」について」『密教学研究』永田文昌堂、pp. 19-35.
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ」の名称について(上)」『インド学諸思想とその周延』山喜房仏書林、pp. 190-208.
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ」の名称について(中)」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化(下)』ノンブル社、pp. 127-150(横組).
野口圭也 2004 「『胎蔵マンダラ』の名称について(下)」『密教学』40: 23-44.
野口圭也 2005 「『大日経疏』における胎蔵マンダラ」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 37-76.
野口圭也 2005 「21世紀のマンダラ観想法」『密教学研究』37: 1-17.
野口圭也 2005 「マンダラの観想とヴァーチャルリアリティ技術」『教化センター参考資料8「曼荼羅」』171-201.
は
朴 亨國 1997 「金剛界大日如来と七獅子蓮華座」『日本の美術 大日如来像』至文堂、pp. 85-98.
橋本哲夫 2005 「古代インド建築家たちのマンダラ:mandalipaakaaraは「円い城壁」か?」『印度学仏教学研究』54(1): 241-249.
蓮実重康 1961 「東寺の講堂の彫刻を中心として」『仏教芸術』47
長谷川孝徳 1988 「安鎮法:神道と佛教の関係について」『石川県立歴史博物館紀要』1: 55-62.
八田幸雄 1975 「五部心観の構想について」『密教文化』112: 80-96.
八田幸雄 1968 「胎蔵界マンダラ地蔵院」『密教文化』87: 79-85.
八田幸雄 1970 「胎蔵マンダラ虚空蔵院の思想」『印度仏教学研究』18(2): 890.
八田幸雄 1969 「胎蔵法より見た胎蔵マンダラ」『密教文化』87: 48-80.
八田幸雄 1977 「曼荼羅の世界」『現代密教講座』5.
八田幸雄 1983 「金剛界曼荼羅の変形としての理趣経曼荼羅」『密教図像』2: 61-70.
八田幸雄 1987 「『大悲胎蔵三昧耶曼荼羅』の構造」『密教図像』5: 71-86.
八田幸雄 1988 『秘密マンダラの世界』平河出版社.
バフルカル、シュリカント 1978 「Ni.spannayogaavalii にみられるマンダラの構造」『印度学仏教学研究』27(1): 184-185.
濱田 隆 1959 「正智院什宝『成身会三昧耶形』図像」『仏教芸術』38
濱田 隆 1961 「醍醐寺五重塔壁画」『醍醐寺五重塔図譜』
濱田 隆 1970 『日本の美術55 図像』至文堂.
濱田 隆 1971 『密教の世界 密教絵画の展開』美術出版社.
濱田 隆 1980 『日本古寺美術全集 教王護国寺と広隆寺』集英社.
濱田 隆 1980 「真言密教と両界曼荼羅」『日本古寺美術全集 第12巻 教王護国寺と広隆寺』集英社
濱田 隆 1980 『日本の美術137 曼荼羅』至文堂.
濱田 隆 1983 「両界曼荼羅」『密教美術大観 第1巻』朝日新聞社.
濱田 隆 1983 『日本の美術No. 206 鎌倉絵画』至文堂.
濱田 隆 1983 「法華堂根本曼荼羅」『MUSEUM』384
濱田 隆 1989 『日本の美術No. 273 来迎図』至文堂.
林 温 1988 「般若心経法の曼荼羅」『仏教芸術』181.
林 温 1991 「長寿寺蔵観音曼荼羅考:不動・大威徳明王をともなう聖観音像」『仏教芸術』197.
林 温 1993 「新出の大威徳転法輪曼荼羅図」『国華』1014.
林 温 1994 「●枳尼天曼荼羅について」『仏教芸術』217:92-108.
林 温 1995 「新出の八字文殊曼荼羅図について」『仏教芸術』223: 57-76.
林 温 1997 『日本の美術 No.377 妙見菩薩と星曼荼羅』至文堂.
林 温 2002 『日本の美術 No.433 別尊曼荼羅』至文堂.
林 温 2004 「大長寿院蔵金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図覚え書き」『仏教芸術』277: 81-95.
林 雅彦 1977 「立山曼荼羅諸本の試み」『国語国文学論集』7.
林 雅彦 1982 『日本の絵解 資料と研究』三弥井書店.
林 雅彦・徳田和夫 1989 『絵解き 資料と研究』三弥井書店.
林 雅彦・渡 浩一 1990 「 モ地獄・極楽 モ研究文献目録抄」『国文学 解釈と鑑賞』H.2, 8: 161-170.
速水 侑 1975 『平安貴族社会と仏教』吉川弘文館.
速水 侑 1987 『呪術宗教の世界』塙書房.
速水 侑 1993 「院政期における秘密修法」『不動信仰』田中久夫編 雄山閣出版、pp. 83-107.
原 克昭 2002 「善通寺蔵『太元法秘伝事』翻刻・紹介」『善通寺教学振興会紀要』8: 33-48.
春山武松 1930 「醍醐寺五重塔板絵に就て」『東洋美術 特輯醍醐寺研究号』
春山武松 1950 「醍醐寺五重塔板絵」『平安朝絵画史』
ひ
干潟龍祥 1969 「マンダラの思想背景」『密教文化』87: 19-26.
ふ
福江 充 2005 『立山曼荼羅 絵解きと信仰の世界』法蔵館.
福江 充 2006 『立山信仰と布橋大灌頂法会:加賀藩芦峅寺衆徒の宗教儀礼と立山曼荼羅』桂書房.
藤田弘基 1984 『チベット仏教美術』白水社.
福田亮成 1972 「『理趣経』マンダラについて‐特に五秘密経マンダラを中心に」『印度学仏教研究』20(2).
福田亮成 1969 「チベット文『吉祥最勝本初のマンダラ儀軌と称するもの』について」『印度学仏教学研究』17(2): 7-05-709.
福田亮成 1975 「西蔵文 一切秘密最上名義経」『大正大学研究紀要』61: 1-17.
福田亮成 1987 『理趣経の研究 その成立と展開』国書刊行会.
福田亮成 1987 『真言宗小辞典』法蔵館.
藤井恵介 1983 「真言密教における修法灌頂空間の成立」『仏教芸術』50: 43-55.
藤井恵介 1984 「東大寺二月堂建築の中世的展開」『南都佛教』52: 127-153.
藤井恵介 1988 「密教と空間」関口正之編『図説 日本の仏教2 密教』新潮社、pp. 113-162.
藤井恵介 1996 「絵巻物の建築図は信頼できるか:『一遍上人絵伝』の寺院・神社図を通して考える」小泉和子他編『絵巻物の建築を読む』東京大学出版会、pp. 203-227.
藤井恵介 1998 『密教建築空間論』中央公論美術出版.
藤井恵介 2000 「修法空間の神秘」『シリーズ密教4 日本密教』春秋社、pp. 343-354.
藤懸静也 1917 「醍醐寺所蔵の仏画に就て」『国華』321
藤懸静也 1920 「醍醐寺の仏画」『美術画報』514
藤懸静也 1920 「醍醐寺所蔵の仁王経曼荼羅に就て」『国華』363
藤懸静也 1921 「醍醐寺の壁画に就て」『国華』370
藤懸静也 1929 「醍醐寺の仏画」『美之国』5(8)
藤懸静也 1930 「醍醐寺所蔵の粉本類に就て」『国華』477
藤懸静也 1956 「醍醐寺五重塔とその内部の絵画」『国華』772
藤沢隆子 1985 「参詣曼荼羅の成立」『近畿地方を中心とする霊場寺院の総合的研究.
藤沢隆子 1986 「西国三十三所巡礼寺院における参詣曼荼羅図の成立と那智参詣曼荼羅」『元興寺文化財研究』24
フジタ・ヴァンテ編 1994 『チベット生と死の文化 曼荼羅の精神世界』東京美術.
ブラウエン、M. 2002 『曼荼羅大全』森雅秀訳 東洋書林.
フランク、ベルナール 2002 『日本仏教曼荼羅』仏蘭久淳子訳 藤原書店.
へ
逸見梅栄 1943-4 『満蒙北支の宗教美術』(第3卷 嘛教彫刻資料篇上, 第4卷 嘛教彫刻資料篇下, 第5巻 喇嘛教繪画資料篇上, 第6巻 嘛教教繪画資料篇中, 第7巻 喇嘛教繪画資料篇下 第8巻 佛教美術資料篇, 第9巻 道教美術資料篇)丸善.
逸見梅栄・仲野半四郎 1943 『滿蒙の喇嘛教美術』法蔵館.
逸見梅栄 1975 『中国喇嘛教美術大観』東京美術.
ほ
堀内寛仁 1964 「金剛界三十七尊の尊名について」『密教文化』??: 152-158.
堀内寛仁 1974 「金剛界九会マンダラの名称について」『密教文化』69/70: 1-9.
堀内寛仁 1974 『初会金剛頂経の研究』(下) 高野山大学密教文化研究所.
堀内寛仁 1976 「三十七尊出生段の四種灌頂について」『奥田慈応博士記念仏教思想論集』pp. 1017-1030.
堀内寛仁 1979 「金剛界九会マンダラの名称について 既発表の私設に対する訂正事項2件」『密教文化』88.
堀内寛仁 1996 『金剛頂経形成の研究 堀内寛仁論集 下』法蔵館.
堀内規之 2005 「済○の両部曼荼羅観(一)」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 431-450.
本郷真紹 2002 『白山信仰の源流 泰澄の生涯と古代仏教』法蔵館.
ま
前田常作 1973 「マンダラと現代美術」『高野山』三彩社.
前田常作 1978 『曼荼羅への旅たち』河出書房新社.
前田常作 1980 『マンダラの光』佼成出版社.
前田常作 1980 「マンダラの世界を描く」『梅原猛対話集 芸術の世界・下』講談社:*
前田常作 1982 『マンダラの旅』法蔵館.
前田常作 1983 『私とマンダラ』富山県教育委員会.
前田 崇 2000 「プトン所説"Amoghapaa.zakalparaaja"のマンダラ」『天台学報』42: 1-7.
町田甲一 1983 『仏像 イコノグラフィー』岩波書店.
正木 晃 1997 「ペンコルチョルテン現状報告」『チベット仏教図像研究(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号)』(立川武蔵・正木晃編)、pp. 217-267.
松井亮・奥山直司 2001 『ムスタン:曼荼羅の旅』中央公論新社.
松浦正昭 1983 「東寺講堂の真言彫像」『仏教芸術』150
松尾 力 2004 「Kriyaasa.mgraha所説の金剛界マンダラについて:ひょう線儀軌を中心として」『密教図像』23: 51-68.
松下隆章 1943 「摩尼宝珠曼荼羅について」『美術研究』131.
松長恵史 1993 「光背五仏について」『高野山大学密教文化研究所紀要』6: 145-162.
松長恵史 1994 「インドネシアの金剛界曼荼羅 ガンジュク出土のブロンズ像」『密教図像』13: 48-69.
松長恵史 1996 「『サマーヨーガタントラ』の金剛薩●族の曼荼羅 中部ジャワスロチョロ出土の青銅像」『密教図像』15: 57-70.
松長恵史 2005 「ジャワ島出土の密教尊像の特徴」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 609-626.
松長恵史 1999 『インドネシアの密教』法蔵館.
松長有慶 1959 「マンダラの構成よりみたインド密教の展開」『印度学仏教学研究』7(1): 194-197.
松長有慶 1969 「両部マンダラの系譜 五仏を中心として」『密教文化』87: 27-36.
松長有慶 1978 「金剛界マンダラについて」『密教学研究』10.
松長有慶 1980 「マンダラの成立と展開」『マンダラ展図録』西武美術館.
松長有慶 1983 『曼荼羅』大阪書籍.
松長有慶 1983 『マンダラの世界』講談社.
松長有慶 1984 『弘法大師空海』毎日新聞社.
松長有慶 1985 『密教・コスモスとマンダラ』日本放送出版協会.
松長有慶 1992 「三部と五部 『秘密集会タントラ』の構造に関連して」『成田山仏教研究所紀要』15: 315-331.
松長有慶 1992 「密教の宇宙と象徴」『宗教と科学 9 新しいコスモロジー』岩波書店.
松長有慶・加藤敬 1981 『マンダラ』毎日新聞社.
松長有慶他 1983 『マンダラの世界』講談社.
松長有慶編 1998 『インド密教の形成と展開』法蔵館.
松原智美 2005 「東寺蔵「西院曼荼羅」をめぐる一試論」『真鍋俊照博士還暦記念論集 仏教美術と歴史文化』法蔵館、pp. 307-330..
松原智美 2006 「『秘蔵記』の胎蔵曼荼羅尊位」『奈良美術研究』4: 1-24.
松村政雄 1960 「柿本宮曼荼羅図」『大和文華』32
松村政雄 1960 「吉野曼荼羅・西大寺蔵」『国華』824
真鍋俊照 1963 「『蘇悉地儀軌契印図』の考察」『密教文化』62
真鍋俊照 1965 「石山寺蔵『蘇悉地手契図』について:火焔の着想と背後にある問題」『大和文化研究』92
真鍋俊照 1966 「蘇悉地儀軌の系統について・序説‐現図における東寺本と供養法の図像学的比較研究」『仏教史学』12ノ4.
真鍋俊照 1969 「密教図像にみえる観想上の結界について」『南都仏教』23: 45-111.
真鍋俊照 1971 「星宿美術 星曼荼羅」『古美術』35: 29-40.
真鍋俊照 1973 「修復なる最古の敷曼荼羅」『芸術新潮』285.
真鍋俊照 1974 「曼荼羅の基礎知識」『大法輪』41(8).
真鍋俊照 1975 『曼荼羅 密教曼荼羅の研究』美術出版社.
真鍋俊照 1977 『伝真言院曼荼羅』大法輪閣.
真鍋俊照 1979 『曼荼羅の美術』小学館ブック・オブ・ブックス日本の美術55 小学館.
真鍋俊照 1979 『タンカ:チベット・ネパールの仏画』同朋社.
真鍋俊照 1984 『曼荼羅の世界』朱鷺書房.
真鍋俊照 1985 「密教修法と美術」『密教美術大観 第三巻』朝日新聞社、pp.171-180.
真鍋俊照 1986 「愛染明王曼荼羅図の立体化:理趣会の発想」『密教図像』4: 1-13.
真鍋俊照 1986 「貞応三年銘の鏡弥勒像と百光遍照観」『国華』1095: 7-27.
真鍋俊照 2000 「空海と高雄曼荼羅」『印度学仏教学研究』49(1): 179-187.
真鍋俊照 2000 『密教図像と儀軌の研究』(上)法蔵館.
真鍋俊照 2001 『密教図像と儀軌の研究』(下)法蔵館.
馬淵東一 1972 「マンダラの源流」『宗教学論集』5: 1-10.
丸尾彰三郎 1920 「醍醐寺現存の美術」『美術画報』514
マンダラ実行委員会 1990 『MANDALA 天と地を結ぶ色とかたち』イエローツーカンパニー.
み
水野敬三郎 1963 「山王曼荼羅・根津美術館蔵」『国華』857
水上文義 2005 「法華曼荼羅と円密一致思想の「曼荼羅」」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 491-506.
源 豊宗 1930 「密教美術史上の東寺の講堂」『仏教美術』17
宮 次男 1976 『金字宝塔曼荼羅』吉川弘文館.
宮 次男 1982 「日本の変相」『国文学 解釈と鑑賞』S. 57, 10: 77-85.
宮 次男 1987 「妙法寺蔵妙法蓮華経金字宝塔曼荼羅について」『美術研究』337.
宮家 準 1985 「修験道の曼荼羅」『修験道思想の研究』春秋社
三宅久雄 1983 「宝勝院阿弥陀如来像とその納入品」『MUSEUM』391
宮坂宥勝 1969 「胎蔵界最外院の構成‐とくにその史的背景について」『密教文化』88.
宮坂宥勝他 1980 『密教図典』築摩書房.
む
村田靖子 2005 「金剛界の曼荼羅について」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 811-831.
村上保壽 2005 「『秘蔵記』の四波羅蜜菩薩と空海」『頼富本宏博士還暦記念論集 マンダラの諸相と文化(上)』法蔵館、pp. 507-522.
め
目黒区美術館・大原美術館 1990 『前田常作 曼荼羅への旅』.
も
望月信成 1953 「尊勝曼荼羅について」『国華』733.
森 政三 1961 「醍醐寺五重塔建築装飾彩色」『醍醐寺五重塔図譜』
森 暢 1946 「久米田寺所蔵の両部曼荼羅に就いて」『宝雲』36
森 雅秀 1989 「『完成せるヨーガの環』(Ni.spannayogaavalii)第21章「法界語自在マンダラ」訳及びテキスト」『法界マンダラの神々(国立民族学博物館研究報告別冊 第7号)』(長野泰彦・立川武蔵編) pp. 235-282.
森 雅秀 1992 「観想上のマンダラと儀礼のためのマンダラ」『日本仏教学会年報』57: 73-90.
森 雅秀 1992 「カトマンドゥ市タン・バヒー寺の法界語自在マンダラ」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』8: 47-68.
森 雅秀 1993「サンヴァラマンダラの図像学的考察」『曼荼羅と輪廻』(立川武蔵編)佼成出版社、pp. 206-234.
森 雅秀 1994「『完成せるヨーガの環』第1章「文殊金剛マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学密教文化研究所紀要』7: 113-142.
森 雅秀 1994 「密教儀礼と聖なる空間」『日本仏教学会年報』59: 105-121.
森 雅秀 1996 「マンダラの形態の歴史的変遷」立川武蔵編『マンダラ宇宙論』法蔵館、pp. 101-124.
森 雅秀 1996 「『完成せるヨーガの環』の成立に関する一考察」『密教図像』15: 28-42.
森 雅秀 1996 「『完成せるヨーガの環』第11章「ヴァジュラフーンカーラ・マンダラ」訳およびテキスト」『高野山大学創立百十周年記念 高野山大学論文集』pp. 101-124.
森 雅秀 1997 「ペンコルチューデ仏塔第5層の『金剛頂経』所説のマンダラ」『チベット仏教図像研究(国立民族学博物館研究報告別冊 第18号)』(立川武蔵・正木晃編)、pp. 269-318.
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社.
森 雅秀 1999 「マンダラの形と機能」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ密教 第2巻チベット密教』春秋社、pp. 135-160.
森 雅秀 2000 「解体されるマンダラ タンカの画面構成に関する一考察 」『加藤純章博士還暦記念論集』春秋社、pp. 373-386.
森 雅秀 2000 「時輪マンダラの墨打ち法」『高木伸元博士古稀記念論集 仏教文化の諸相』山喜房仏書林、pp. 345-364.
森 雅秀 2001 『インド密教の仏たち』春秋社.
森 雅秀 2001 「『ヴァジュラーヴァリー』所説のマンダラ:尊名リストおよび配置図」『高野山大学密教文化研究所紀要』14: 1-117.
森 雅秀 2002 「ボストン美術館所蔵「カーラチャクラと諸尊図」」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』22: 85-104.
森 雅秀 2004 「金剛界マンダラのヒンドゥー神」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、pp. 523-543.
森 雅秀 2004 「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(上)」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』24: 71-117.
森 雅秀 2005 「『ヴァジュラーヴァリー』「墨打ちの儀軌」和訳(下)」『高野山大学密教文化研究所紀要』18: 1-57.
森 雅秀 2005 「『ヴァジュラーヴァリー』「彩色の儀軌」和訳」『金沢大学文学部論集 行動科学・哲学編』25.91-127.
森 雅秀 2005 「アバヤーカラグプタの密教儀軌三部作と『阿闍梨所作集成』:インド密教儀礼の集大成」松長有慶編『インド後期密教(上)方便・父タントラ』春秋社、pp. 187-224.
森 雅秀 2005 「『ヘーヴァジュラタントラ』:聖と性の饗宴」松長有慶編『インド後期密教(下)般若・母タントラ系の密教』春秋社、pp. 47-90.
森 雅秀 2006 「マンダラの表現方法とその意味」立川武蔵編『マンダラ 心と身体』財団法人 千里文化財団、pp. 51-72.
森 雅秀 2006 『仏のイメージを読む:マンダラと浄土の仏たち』大法輪閣.
森 雅秀 2006 「両界曼荼羅の世界」生井智紹編『高野山大学選書 第2巻 真言密教の新たな展開』小学館スクウェア、pp. 86-105.
森口光俊 1971 「請雨壇法の展開」『智山学報』19: 227-255.
森口光俊 1989 「Vajradhaatu-mukhaakhyaana-deguri-vidhi III」『密教文化』162: 106-126.
森口光俊 1989 「Vajradhaatumahaama.n.dalopaayika Sarvavajrodaya 梵文テキスト補欠:新出写本・蔵・梵・漢対照; 賢劫千仏名を中心として」『智山学報』38:1-37.
や
矢板秀臣 2005 「弘法大師筆写『八曼荼羅経』梵文テキストについて」『現代密教』18: 1-11.
矢島道彦 1996 「ジナの初説法に関する神話的伝承とジャイナ教のマンダラ」『仏教学』37: 19-48.
安元 剛 2000 「スピティ・タボ寺の『大日経』系諸尊について 大日堂後室諸尊の再検討」『密教図像』19: 18-41.
安元 剛 2002 「「四種護摩本尊並眷属図像」における降三世マンダラ諸尊について 巻頭六尊の再検討」『密教図像』21: 48-74.
山折哲雄 1985 「後七日御修法と大嘗祭」『国立歴史民族博物館研究報告』7: 365-394.
柳沢 孝 1955 「藤田美術館の密教両部大経感得図に就いて」『美術研究』187
柳沢 孝 1960 「一字金輪曼荼羅図像について:その図像学的並びに遺品の美術史的考察」『美術研究』208
柳沢 孝 1960 「阿弥陀曼荼羅図」『美術研究』235.
柳沢 孝 1962 「高雄曼荼羅の白描本」『高雄曼荼羅』吉川弘文館.
柳沢 孝 1963 「転法輪筒とその絵画」『美術研究』231.
柳沢 孝 1965 「青蓮院伝来の白描金剛界曼荼羅諸尊図様(上)」『美術研究』241: 20-42.
柳沢 孝 1965 「青蓮院伝来の白描金剛界曼荼羅諸尊図様(下)」『美術研究』242: 13-20.
柳沢 孝 1977 「文保元年の軸銘のある新出両界曼荼羅図」『仏教芸術』110.
柳澤 孝 2006 『柳沢孝仏教絵画史論集』中央公論美術出版。
柳沢 孝 ・宮 次男 1959 「壁画の様式と技法」『醍醐寺五重塔の壁画』
矢野道雄 1986 『密教占星術』東京美術.
山口桂三郎 1971 「大威徳明王とその曼荼羅」『国華』932.
山崎一雄 1959 「彩色顔料」『醍醐寺五重塔の壁画』
山本智教 1969 「マンダラ研究史」『密教文化』87: 66-91.
山本智教・真鍋俊照 1977 『教王護国寺蔵 真言院両界曼荼羅』平凡社.
山本陽子 1984 「白山垂迹曼荼羅考‐遊行寺本を中心として‐」『仏教芸術』157
ゆ
ユング, C. G. 1991 『個性化とマンダラ』林道義訳 みすず書房.
よ
楊谷生・他 1982 『西蔵』毎日コミュニケーションズ.
吉岡龍瑛 1935 「子島曼荼羅に就いて 一」『ピタカ』2の12
吉岡龍瑛 1936 「子島曼荼羅に就いて 二」『ピタカ』3の1
吉崎一美 1997 「Gurum.n.dala-puujaaとその造型」『密教文化』197: 1-22.
吉崎一美 1997 「サンヴァラ・マンダラにおけるウパチャンドーハ/ヒマーラヤとしてのカトマンズ盆地」『仏教学』39: 1-21.
頼富本宏 1979 『中国密教の研究』大東出版社.
頼富本宏 1982 「金剛薩○(くちへんに垂)図像覚え書き(上)」『密教図像』1: 30-45.
頼富本宏 1983 「インドに現存する両界系密教美術」『仏教芸術』150: 131-150.
頼富本宏 1985 『マンダラの仏たち』東京美術.
頼富本宏 1986 『密教寸描』大東出版社.
頼富本宏 1986 「新出の胎蔵図像系資料」『仏教芸術』165.
頼富本宏 1988 『密教とマンダラ』日本放送出版協会.
頼富本宏 1988 『密教』講談社.
頼富本宏 1988 「仏教パンテオンの構成」『宗教研究』62(1): 111-134.
頼富本宏 1990 『密教仏の研究』法蔵館.
頼富本宏 1990 『密教とマンダラ』日本放送出版協会.
頼富本宏 1990 「『金剛手灌頂タントラ』の四仏・八大菩薩説」『仲尾俊博先生古稀記念 仏教と社会』永田文昌堂、pp. 161-180.
頼富本宏 1991 『曼荼羅鑑賞の基礎知識』至文堂.
頼富本宏 1992 「興教大師の尊格信仰」『興教大師覚ばん研究』春秋社、pp. 341-359.
頼富本宏 1992 「インド現存の金胎融合要素」『密教学研究』24: 11-30.
頼富本宏 1992 「宗叡請来の密教図像 とくに理趣経曼荼羅を中心として」『成田山仏教研究所紀要』(仏教文化史論集)15: 493-539.
頼富本宏 1997 「新出の密教図像二点」『密教学研究』29: 103-121.
頼富本宏 2000 『『大日経』入門 慈悲のマンダラ世界』大法輪閣.
頼富本宏 2000 「元禄本両界曼荼羅図の系譜」『仏教教育・人間の研究』pp. 599-618.
頼富本宏 2000 「金剛界曼荼羅の不動明王」『平安仏教学会年報』1: 15-30.
頼富本宏 2000 「親王院本『理趣経曼荼羅』の意義」『堯栄文庫研究』2: 1-24.
頼富本宏 2000 「中国・法門寺出土の密教系遺品」『高木伸元博士古稀記念論集 仏教文化の諸相』山喜房仏書林、pp. 305-328.
頼富本宏 2001 「花開く真言密教 空海の密教受法から真言密教成立まで」『国文学 解釈と鑑賞』66(5): 10-18.
頼富本宏 2004 「江戸時代制作の両界曼荼羅」『小野塚幾澄博士古稀記念論文集 空海の思想と文化』ノンブル社、pp. 389-406.
頼富本宏 2005 『『金剛頂経』入門 即身成仏への道』大法輪閣.
頼富本宏編 2004 『聖なるものの形と場』法蔵館.
頼富本宏・下泉全暁 1994 『密教仏像図典 インドと日本のほとけたち』人文書院.
頼富本宏(監修) 1994 『東寺の曼荼羅図:みほとけの群像』東寺宝物館.
わ
若杉準二 1989 「善峰寺本大元帥明王画像考」『学叢』4.
渡辺 一 1935 「醍醐寺五重塔板絵」『美術研究』37
図録
『アサヒグラフ』3132号「弘法大師の密教美術」 1983.
『伊勢参詣曼荼羅の深層 曼荼羅から見た中近世の伊勢の諸相』環境文化研究所 1989.
『祈りの道 吉野・熊野・高野の名宝』毎日新聞社 2004.
『インドネシア古代王国の至宝』インドネシア・日本友好祭 ユ97事務局、1997
『役行者と修験道の世界』毎日新聞社 1999.
『王朝の美』京都国立博物館 1994.
『王朝の仏画と儀礼』京都国立博物館 1998(至文堂 2000).
『画像 不動明王』京都国立博物館 1981 至文堂.
『金と銀 かがやきの日本美術』東京国立博物館 1999.
『空海と高野山』京都国立博物館等編集、2003.
『熊野もうで』和歌山県立博物館 1985.
『高野山の信仰と子院の秘宝』高野山霊宝館 2002.
『高野山の如来像』高野山霊宝館 1996.
『高野山の菩薩像』高野山霊宝館 1995.
『高野山の明王』高野山霊宝館 1993.
『高野山の名宝』高野山霊宝館 2006.
『高野浄土への憧れ』高野山霊宝館 2004.
『国宝 弘法大師空海展』国宝弘法大師空海展実行委員会 1999.
『国宝 中尊寺展 奥州藤原氏三代の黄金文化と義経の東下り』佐川美術館 2004.
『国宝 醍醐寺展』東京国立博物館 2001.
『国宝 東寺』東寺・朝日新聞社 2000.
『古密教 日本密教の胎動』奈良国立博物館 2005.
『最澄と天台の国宝』京都国立博物館 2005.
『地獄遊覧 地獄草紙から立山曼荼羅まで』富山県[立山博物館] 2001.
『社寺縁起絵』奈良国立博物館 角川書店 1975.
『浄土曼荼羅 極楽浄土と来迎のロマン』奈良国立博物館 1983.
『醍醐寺五重塔図譜』文化財保護委員会 1961.
『大チベット展』毎日コミュニケーションズ 1983.
『立山のこころとカタチ 立山曼荼羅の世界 開館記念展』富山県[立山博物館]1991.
『タントラ展』ギャラリー上田・織田有・東京画廊 1979.
『チベット密教展』チベット密教展実行委員会 1987
『天台を護る神々 山王曼荼羅の諸相』大津市立博物館 2006.
『東寺国宝展』京都国立博物館 1995
『東寺の大曼荼羅図 甲本修復完成記念 甦るみ仏 花開く美』東寺宝物館 2004.
『東寺と「東宝記」』東寺宝物館 1996
『東寺の仏教版画』東寺宝物館 1991.
『東寺の曼荼羅図 みほとけの群像』東寺宝物館 1990.
『東寺の密教図像 形像の相伝』東寺宝物館 1999.
『東寺の両界曼荼羅図 連綿たる系譜 甲本と西院本』東寺宝物館 1994.
『那智に詣でて』熊野那智大社社務所.
『日本国宝展』東京国立博物館 2000.
『仏舎利と宝珠 釈迦を慕う心』奈良国立博物館 2001.
『平安・鎌倉の美術 12世紀の信仰と雅』 1989 大阪市立美術館.
『兵庫県歴史博物館総合調査報告書 書写山円教寺』 1988 兵庫県歴史博物館.
『星の信仰』神奈川県立金沢文庫 1991.
『曼荼羅世界との邂逅 立山曼荼羅、その背後にあるもの』富山県[立山博物館] 1996.
『マンダラ展』西武美術館 1980.
『曼荼羅と星』高野山霊宝館 1991.
『密教図像 『覚禅抄』の世界』神奈川県立金沢文庫 1997.
『名品図録 中国絵画、・日本絵画篇』MOA美術館 1982.
『モンゴルの仏教美術』板橋区立図書館 1996.
『モンゴル秘宝展 チンギス・ハーンと草原の記憶』日本経済新聞社 1996
『若狭の仏教絵画』福井県立若狭歴史民俗資料館 1982.
(c) Masahide MORI
データ入力にあたっては、2006年度比較文化演習「別尊曼荼羅の研究」出席の皆さんの協力を得ました。