アジアのマンダラ・日本のマンダラ

2006年6月12日の授業への質問・回答


金剛蔵王菩薩の図を見ていて思ったんですが、たくさんの武器を持っているんですが、なんでつまむように持っているものが多いんでしょうか。たいてい、印を結んでいることが多いので、今まで不思議な手の形をしていても、あまり疑問に思いませんでしたが、ものを持つ手くらい、普通に持てばいいのにと思います。立てた小指が気になって仕方ありません。
私はあまり気がつきませんでした。そういわれてみれば、そうですね。小指を立ててコーヒーカップを持つ人もいるので、そのようなものでしょうか。別に格好をつけているわけではないでしょうが・・・。身体の大きさに対して、持物が小さく表現されるので、どうしても、つまむような形になるのかもしれません。これだけたくさんの腕があり、それぞれの持物を大きく表現すると、それだけで、身体が隠れてしまうのではないでしょうか。持物どうしもぶつかりあうでしょうし。

資料にあった遍智院の一切如来智院は、智慧の象徴なのですか。説明されてたかもしれないんですが、ただの三角に見えます。
ただの三角ですね。一切如来の智慧というのは、密教では重要なキーワードで、法身(ほっしん)の大日如来が、この智慧となって、すべての仏(一切如来)のなかに住します。仏が仏であるのは、仏の智慧をそなえているからで、それがなければ「ただの人」とかわりません。一切如来に遍在している仏の智慧が法身の大日如来に相当します。だから、大日如来は宇宙に遍満することが可能なのです。さっぱり、意味が分からないと思いますが、これについては、今日の授業で、金剛界曼荼羅の補足という形で、説明するつもりです。しかし、一切如来智院が三角をしている理由は私も分かりません。智慧なので、何かシンボルで表さなければならないのでしょうが、だからといって三角である必然性はありません。一説では、これが森羅万象を生み出す母胎であるとも言われます。そのあたりとも関係があるのかもしれません。

胎蔵界と金剛界の成立過程が違うことが興味深かった。このために、研究として注目するところが異なり、それぞれ奥の深い研究だと思った。どちらも同じくらいの割合で研究されているのであろうか。
意外に、同じ割合では研究されていません。よく研究されているのは胎蔵曼荼羅の方で、石田尚豊氏の名著『曼荼羅の研究』も8割くらいは、胎蔵曼荼羅に割いています。これは、胎蔵曼荼羅の形成が複雑で、しかも『胎蔵図像』や『胎蔵旧図様』などの過渡期的な作品が残されているからでしょう。『大日経』にもとづく原「胎蔵曼荼羅」から、原図にいたるまでに、どのような仏が加えられ、それはどの文献に関係するのかという視点で、おもに議論されています。これに対し、金剛界曼荼羅ははじめからかなり完成度が高いので、あまり、変化をたどることができません。しかし、それでも八十一尊曼荼羅や青蓮院本の白描図像など、興味深い作品があります。また、インドやチベットの金剛界曼荼羅については、私も含め、最近の研究者にまとまった研究があります。

四つのセクションをそれぞれに六種類のマンダラで、全二十四種類と危機、量の多さに混乱してきました。今までの授業を復習してこようと思います。
金剛界マンダラのシステムは、それほど複雑ではないと思います。4×6のそれぞれの内容を頭に入れれば、全体像をつかむことは、むしろ容易です。胎蔵のように、起源が異なる原理(三部、八大菩薩、釈迦院などのそれ以外の要素)の方が、おそらく記憶しにくいでしょう。もちろん、授業の復習をしてくれるのはとてもいいことです。私の『マンダラの密教儀礼』や、田中公明氏の『曼荼羅イコノロジー』などを見ていただけるといいと思います。

仏部について、釈迦が主役の座を退いて、大日になったのは、なぜかよく分からなかったです。「法とは仏のちえ」と言う説明が何度か出ましたが、知恵か智慧か智恵か、どの字でメモすればいいか迷いました(この書き分けの意味の違いもよく分からないのですが・・・)。
釈迦と大日については、説明不十分ようです。大乗仏教では歴史上の釈迦は、法身と呼ばれる根元的な仏がとった、ひとつの形態にすぎないと考えられました。宇宙の中には無数の仏の世界があり、そのひとつひとつで、仏が法を説いているからです。そのすべての仏を統括するような存在が法身です。法身は姿や形を持たない、「原理」や「真理」のようなものです。しかし、実在するのは法身のみで、それ以外の仏はすべて、法身の「影像」のようなものと見なされます。密教もこの考えを受け継ぎ、とくに法身を「大日如来」と呼びました。これは『華厳経』などに登場する法身の毘盧遮那如来を受け継いだものです。すでにマンダラに描かれる仏の世界の主役は、釈迦から大日にかわっているのです。ただし、その一方で、この時代にも釈迦に対する信仰、とくに一般の人々のそれが依然として強固であったことは、出土した仏像の中で、釈迦像が突出して多いことから分かります。密教経典やマンダラを作り出した一握りの僧侶たちと、一般の人々とのあいだには、大きな乖離があったようです。「ちえ」については、仏教の仏の「ちえ」の場合、「智慧」と書くのが適切です。でも画数も多いので、どれでもいいと思います。わたしは面倒なので、かたかなで「チエ」とメモすることも多いです。

胎蔵の中台八葉院で、西が無量寿であるということに「なるほど」と思った。たしかに、西方浄土と言えば阿弥陀(=無量寿)である。そこでは阿弥陀が中心的な信仰対象であるが、胎蔵曼荼羅では、大日が中心となっている。っまた、日本各地の寺院を見るにしても、本尊はさまざまである。「仏教」とすべてひとくくりにまとめられるにもかかわらず、宗派によって信仰対象が変化することが、とても興味深く思う。
阿弥陀が西方の仏であることは、たしかに強固な伝統です。四方の仏を誰にするかは、経典やマンダラによって異なるのですが、西だけは阿弥陀であることが圧倒的に多いでしょう。たとえば、東は金剛界の場合、阿?ですが、古くは薬師をあげる経典もあります。胎蔵では開敷華王ですが、その時代は短かったようです。日本の寺院の本尊はたしかに宗派によって異なります。阿弥陀をまつるのは浄土宗や浄土真宗はもちろんですが、意外に密教系の寺院でも阿弥陀が本尊となることが多いです。真言宗の総本山である高野山でも、大日如来よりもはるかに阿弥陀の作例が多いはずです。これは、平安時代の後期以降、密教が浄土教の影響を大きく受けたことによります。その一方で、浄土教も密教と密接な関係を持っていたことが、近年の研究では定説になりつつあります。阿弥陀の浄土と、大日のマンダラは、どちらも重要な「仏の世界図」なのですが、日本では相互に影響しあった点が興味深いところです。

これまで「灌頂」や「水を灌ぐ儀式」がよくわからなかったのですが、「智慧が仏たらしめる」ということを聞いて、何となくイメージがわきました。植物が水がないと実ができない、花が咲かないように、仏にとっても智慧はなくてはならないものということなのかなと思います。大日如来が「一段下のランク」の格好をしているということが、おもしろいと思いました。昔話とか逸話などで、ボロボロの格好をしているけれど、じつは偉いお坊さんだったというストーリーがよくありますが、そういう含みはないのでしょうか。
植物と水の譬えはよくわかります。もともと水は生命力の象徴でもありますし、刷新や再生の機能をそなえています。キリスト教の洗礼も同様でしょう。灌頂の場合、灌がれる水はもともとインドの四方にある大海の水といわれます。これは国王即位儀礼の灌頂以来の伝統で、世界の統治の象徴であったようです。「一段下」もおもしろい指摘です。でも、大日如来の場合、菩薩なので、まだまだ十分きらびやかです。むしろ、釈迦、とくに出家前の釈迦のイメージが、大日如来の場合、関係するのではないかと思います。これについても、今日の授業で考えてみたいと思っています。


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