アジアのマンダラ・日本のマンダラ
2006年5月22日の授業への質問・回答
もともと宗教というもの自体が生きる上で不都合なことを説明するために作り出された合理的なものというイメージがあったのですが、マンダラにおいても同じなのだなと再確認しました。建築において家という概念が宗教的な意味があることにもとても驚きました。地鎮祭に関して、友人が引っ越ししたとき、不思議なよくわからないことをやらされたと言っていたのですが、土地によって、地鎮祭は異なるのですか。
宗教とは「生きる上で不都合なことを説明するために作り出された合理的なもの」という定義はおもしろいですね。「合理的なもの」かどうかはわかりませんが、人生とは「生きる上で不都合なもの」ばかりでできているのかもしれません。地鎮祭の具体的な方法について、私はあまりくわしくありません。しめ縄をはることが結界に相当するという程度のことは想像がつきます。今の日本の地鎮祭は、神主さんがやってきて、神道式に行うのが一般的なようですが、私が以前住んでいた高野山では、僧侶が仏式で行っていました。それぞれ方法は別のようですが、私の先生の一人は、密教の地鎮祭が起源だとおっしゃっていました。以前に『すぐに役立つ建築の儀式と祭典』という本を買ったのですが、基本的に神道式のものしか説明されていませんでした。「式典の挨拶状の書き方」とか「起工式での挨拶文例」なども含まれていて、とても実際的な内容だったのですが、地鎮祭の起源や歴史を知るにはほとんど役に立ちませんでした。どなたか日本の地鎮祭の歴史や現状の研究をしてくれるといいのですが。
ヴァーストゥナーガ儀礼で掘った土を「きれいにする」というのはどういう意味でしょうか。「龍」と「蛇」の表現がありますが、同一のものととらえられているのですか。
龍と蛇は別のものですが、インドではしばしば重なります。龍はあくまでも神話的な存在です。ヴァーストゥナーガの儀礼については、以前くわしく研究したことがあるのですが、相当複雑なものです(前回のプリントの参考文献参照)。簡単に説明しようとすると、なかなか理解してもらえないようです。「きれいにする」というのは、文字どおり、土の中からゴミや石などを取り除き、きれいな土にするという作業ですが、もちろんこれで、地面全体が「きれいになる」わけではありません。そこが儀礼の儀礼たるところで、一部だけきれいにして、全体がきれいになったということにしてしまいます。土地の浄化の方法にはマンダラの制作だけでもいろいろあるのですが、ヴァーストゥナーガの方法は比較的単純なものです。ヴァーストゥナーガの本来の機能は、土地の浄化ではなく、ヴァーストゥプルシャと同じように、その土地の「急所」を確認することで、そこを避けて家を建てたのではないかと思います。なお、「土地の浄化」や「結界」の例としては、相撲の土俵を考えればわかりやすいでしょう。取り組みの前の関取が塩を撒きますが、これはよく知られているように「清めの塩」です。土俵を浄化しているのですが、べつに塩を撒いたからといって、ばい菌が減るわけではありません(少しは変化するでしょうが)。それよりも、場の神聖性を高める役割をしています。また、女性が土俵に乗れないこともよく話題になりますが、これは一種の結界で、特定の社会集団を空間から排除することで、その神聖性を維持することを目的とします。インドに行くと、ヒンドゥー教徒以外は入れない寺院というのがあちこちにありますが、これも同じです。
・日本産の曼荼羅や仏像は、インドからまるまる輸入したわけではないと思うが、その取捨選択はどのような考えにもとづいて行われたのだろうか。また、純日本産の仏や曼荼羅などは存在するのだろうか。
純日本産や曼荼羅はたくさんあります。それはインドから見れば、曼荼羅とは呼べないようなものです。取捨選択に日本の文化の独自性があると考えていますので、前期の終わりから後期にかけて、とくに日本のマンダラをくわしく見る予定です。
・神聖な曼荼羅の中にまで、蓮の花とはというような差別(?)が見られ、排他的な感じが否めないのは、独特だなぁと感じ、違和感を覚えた。
たしかにそうですが、もともとマンダラとは仏の世界のヒエラルキーを背景にしていますので、仏どうしの差異を表すことになります。完全に平等な状態を表すことは不可能でしょう。マンダラにおけるヒンドゥー教の神々の位置づけは、単に「異教の神」というだけではなく、もっと重要なものだとも思っています。
・「空間がどのように経験されるか」の意味がまったくわからない。どうしてわざわざこんな難解で回りくどい言い回しをするのだろうか。
エリアーデの文章がわかりにくいという感想は、他にも何人かのコメントに見られました。たしかにわかりやすい文章ではありませんが、慣れてくると、「エリアーデ節」のようなものに感じられ、「あるある、そういうこと」という印象で読めるでしょう。さしあたっては全集(せりか書房から出ています)のはじめの3巻あたりから読むといいでしょう。『世界宗教史』という大著が筑摩書房から出ていますが、これは教科書的で、あまりおもしろくありません。
・カオス(蛇)を敷地という「秩序」の中に閉じこめるというように感じた。
そのようにも理解できます。
・ヴァーストゥナーガやヴァーストゥプルシャなどを考えていると、世界中の陸地にそれらが敷き詰められているように感じて、ちょっと気持ち悪くなった。
それが「聖なる空間」を体験するということだと思います。
根本的な疑問ですが、胎蔵曼荼羅から金剛界曼荼羅に移行したのは、流派の対立等に関係しているようですが、具体的に政治的な事件があったとか、そういうわけではないのですか。ただ「勢力の力関係が変わってきた」ということなのですか。曼荼羅の世界、仏たちは、徐々に形成されていくものだと思いますが、宗教を信じる人にとって、刻々と変化していく曼荼羅世界を、どのようにとらえていたのでしょうか。
マンダラの違いは流派の対立というよりも、成立の地域や時代が異なることによるようです。われわれはマンダラの歴史を現代から見ているので、いろいろなマンダラの成立や流行を圧縮して理解しがちですが、実際は何十年、何百年という時間の中で、異なるマンダラが出てきたのです。また、前回や今回お話ししているように、マンダラは僧院内で儀礼のために作られたので、一般の人にはほとんど目に触れることがなかったでしょう。マンダラを意識した彫刻や絵画などが、礼拝の対象となることはあったでしょうが。日本の密教の歴史の中でも、一般の人がマンダラを目にすることは、この半世紀ほどを除いて、まったくありませんでした。寺院や展覧会でマンダラを見ることができる現代の日本は、マンダラの歴史の中できわめて異常な状況です。
建築儀礼を一年かけてするとありますが、マンダラを作る一年前から準備するということですか。
ヴァーストゥナーガが一年かけて敷地を一周するということで、準備に1年かけるということではありません。ヴァーストゥナーガの儀礼をする日が決まれば、その日のヴァーストゥナーガの位置も決まります。それにしたがって、所定の場所を掘って行います。基本的に、マンダラを作る儀礼は一週間で行い、これを日本密教では伝統的に「七日作壇法」と呼んでいます。
宇宙の成立と破壊という概念が、マンダラの制作と破壊という過程の背景にあるということでしたが、マンダラが保存されているのはなぜですか。実際の儀礼に使用されても、残るのですか。それとも、儀礼に使用される中で、美術作品に転じる契機があるのでしょうか。制作する側も「作品」になることを意識しているのでしょうか。そういえば、後輩がネパールにはツーリスト向けのお土産品として、日本円で2千円程度のものが売られていると言っていましたが・・・。
芸術作品という観念自体が、おそらくきわめて近代的なものでしょう。とくに、宗教美術は鑑賞したり、飾ったりするために作られたのではなく、もっと宗教そのものに密接に結びついた造形です。もっとも、すべての美術は(あるいは芸術は)宗教に起源があるという人もいますが・・・。インドには基本的にマンダラは残っていません。儀式に用いられた砂マンダラは、儀式の終了とともにすべて廃棄されたでしょう。日本では儀式に用いるマンダラは、敷マンダラといって、布や紙に描かれたもので、これを道場の床に敷きます。終われば丸めて保存するので、何度でも使えます。一般にお寺や博物館にかかっているマンダラは軸装のもので、また別です。これは儀礼のときに掛けられ、儀礼空間の一部でもあり、儀礼の本尊ともなります。カトマンドゥあたりでは、たしかにおみやげ物のマンダラがよく売られていますが、伝統的なものが描かれていることはあまりありません。マンダラの歴史から見て、めちゃくちゃなものがよくあります。それでも「美しい」とか「神聖だ」と思えれば、それでいいのですが。
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