南アジアの仏教美術

2005年11月10日の授業への質問・回答


・根本的な質問かもしれませんが、なぜ仏教は合理的ではないのですか。また仏教が合理的なものでないために、学問上、説明しにくい事柄は多いのでしょうか。

・私にはまだ仏教が「ほかの宗教のように、あまり世間の常識を超越したもの、神がかり的なものでない」というひいき目があるので、中村元の解釈に感心してしまうのだが、先生の「仏教が仏教でなくなってしまう」という言葉に、まだ納得できていない。

前回の授業の最後に言った「合理的解釈の不合理」については、「わからない」という方が、ほかにも多くありました。詳しい説明は今回するつもりですが、お断りしておかなければならないのは、「仏教は合理的ではない」ということではなく、「仏教はすべて合理的に解釈できるわけでない」ということです。仏教はすぐれた教理体系を有していますし、そのほとんどは合理的に解釈することができます。これは仏教に限らず、キリスト教やイスラム教のように、民族や国境を越えて広がる宗教が、いずれもそなえているものです。中村氏の解釈は、現代のわれわれから見るとわかりやすいですし、合理的なような感じがします。しかも「人々のために法を説くことを決意した」という「崇高な動機」は、衆生救済を何よりも重視する大乗仏教の考え方にも合致すると思うかもしれません。しかし、実際は、大乗仏教の時代には、そのような「矮小な解釈」ではなく、もっと壮大な世界の中で、衆生救済を実現します(これが今回の授業のポイントなので、種明かしは授業でします)。中村氏はわが国を代表する仏教学者でしたし、文化勲章を受章されるなど、文化人としても有名でした。仏教学者として中村氏が活躍された時代は、いまからすでに半世紀ほど前になりますが、仏教を「科学的」「合理的」に解釈するのが主流でした。そこでは、釈迦はわれわれと等身大の人間であり、その考えたことは、原則として合理的に説明できるという前提がありました。さらにその背景には、「大乗非仏説」という20世紀前半に日本の仏教学を席巻した考え方があります。日本に伝わる大乗仏教はすべて後にねつ造されたもので、釈迦の本当の教えではない。釈迦の教えに近いパーリ語の聖典にこそ、仏教の本当の姿があるというものです(現在ではこれは否定されています)。最近の仏教研究では、神話的、伝説的な内容を持った記述も、無理に合理的な解釈をせずに、むしろそのような記述を生み出した文化背景や社会を考察するというのが主流です。また、当時の仏教徒が生きていた世界は、神や仏、あるいは魔や悪霊が当然のようにまわりにいる世界であったことも意識していなければいけないでしょう。

今回のガンダーラ、またはパキスタンは、少し前爆破されたバーミヤンの遺跡が近いと思います。ニュースでそのバーミヤンの石仏のもとの姿を見ましたが、あれはあまりヘレニズム的ではなかったように見えた気がしました。それは作られた時期が違うからなのか、それともやはり実はヘレニズム的だったのでしょうか。

バーミヤンの大仏は、爆破される前からすでに顔の部分が崩落していたので、どのような顔をしていたかはわかりません。バーミヤンの石窟が作られたのは6〜8世紀頃で、ガンダーラ美術が隆盛だった時代よりも少し下り、位置的にもガンダーラとは別ですが、ガンダーラの影響は強く受けています。シルクロードの要衝の地でもあったことから、中央アジア、西アジア、インド、そしてヘレニズム世界のいずれからも影響も認められ、「文明の十字路」とも呼ばれています。現地から出土した仏像や壁画には、そのような混淆的な様式が見られます。バーミヤンは70年代に日本の研究者の調査も盛んに行われ、重要な成果が発表されています。樋口隆康『バーミヤーン』(同朋社)はその代表です。

今度のゼミで仏教について調べるので、日本の仏教とインドの仏教の違いについて軽くふれていただきたいです。仏の種類の増加について、なぜ増加されたのかという理由がいまいちわからなかった。

日本の仏教とインドの仏教の違いは、たぶん軽くふれるぐらいでは説明できないでしょう。「インドの仏教」とひと言で言っても、釈迦の時代から密教の時代まで2千年近い幅があります。それは日本でも同様で、奈良仏教、平安仏教、鎌倉新仏教など、それぞれ特色があります。日本の仏教が大乗仏教の流れをくむことが、大きな特徴となると思いますが、同じ大乗仏教でも、インドのそれとはかなり異なります。それよりもむしろ、「究極的には、ものは実在するかしないか」という違いから見た方がいいかもしれません(ちなみにインドは実在しない立場、日本は実在する立場)。あるいは最終的な目標が「自分自身が仏になること」か、「仏によって救済されることか」という違いも有効かもしれません。参考までに仏教の入門書をいくつかあげておきましょう。ゼミの前に勉強してみてください。

立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書) 講談社。
渡辺照宏 1974 『仏教 第二版』(岩波新書) 岩波書店。
上山春平・梶山雄一編 1974『仏教の思想:その原型をさぐる』(中公新書) 中央公論社。

仏の種類の増加については、いろいろな原因があります。たとえば、釈迦よりも前の時代にも仏がいたとする考えや、逆に将来、仏となるものもいるという時間軸の中での増加、あるいは、われわれの世界とは別の世界には、その世界の仏がいるという空間的な広がりの中での増加があります。菩薩は大乗仏教の流行と密接な関係があり、釈迦と同じように、悟りに到達するために修行をするものを、菩薩と呼び、その中に観音や文殊などの有名なものが現れます。女尊や明王の登場は、ヒンドゥー教や民間信仰と密接な関係があります。くわしくは私の『インド密教の仏たち』を読んでみてください。

梵天の三回の勧請の話を聞いてふと思ったのですが、「三度目の正直」や「三顧の礼」など、三度目にしてなしえる話は、この梵天が起源なのでしょうか。

起源ではありませんが、無関係ではないでしょう。梵天勧請の場合、古い伝承では梵天の勧請の回数は1回ですが、それが3回に変わってきたようです。途中に2回というのがありそうですが、実際はありません。これは、物語が語り伝えられる間に、繰り返しの部分が生じたからで、その場合、3回という数が好まれるからです。このような現象は、口誦伝承の世界ではしばしば発生します。そのため、昔話などではこの「3回」というモチーフが多く見られます。『3びきのこぶた』『3びきのやぎのがらがらどん』『だいくとおにろく』など、いくつもあげられるでしょう。

今日の授業前のスライドショーがなくて残念でした。毎週、楽しみにしていて早めにきていたのですが・・・。もう終わりですか。

これは失礼しました。今回からは復活させます。

図像が時間的にぐるっと回るということが、なんだか輪廻転生みたいだと思いました。

たしかにそのような感じがしますし、実際、そのように「インドにおける悠久の時間」という解釈で、構図を説明する場合もあります。でも、輪廻そのものも時間の連続というとらえ方をインドではしていないのではないかと、私自身は思っています。むしろ、6つの世界という空間を、順不同でまわっているという感じがします。われわれは時間と空間というのを、物理学的に分けて考えることに慣れているのですが、古代や中世のインドでは両者は不可分で、境界は曖昧だったのではないかと思います。それはインドだけではなく、日本でもそうかもしれませんが。

時間ではなく場所を基準に物語を配するということは、見る側の人にもすでに話の内容についての了解があったということになるのでしょうか。でないと、突然、後の方の場面が出てきてもさっぱり?となってしまう気がします。モーセは多すぎてこっけいです。あと、以前まで、最後に画面が反転するのは、単に場所が足りなかったからだと思っていました。すべての宗教は合理的に解釈すれば、同じようなことになると思います。すべてはその宗教の開祖といわれている人の幻覚でしたとなるでしょう。そこをうまいこと神やら天やら持ってきて、「なんかわからんけどすげー」感を出せれば、宗教になるんだと思いました。

場所を基準に物語を配する場合の不都合は、私も気になります。それを見る人が、すべて話の内容がわかっていたかどうかは疑問です。むしろ、そのような物語を楽しむために見ていたわけではないかもしれません。ぞうさんやライオンがいて楽しそうという程度の人もいたでしょう。あるいは、仏塔には「絵解き」の専門のようなお坊さんがいたとも言われています。実際に浮き彫りを作った人たちが、物語の内容を正確に把握していたかもよくわかりません。ある程度は知っていたでしょうが、制作を指導する僧侶も想定されます。作品の意味や機能を考える場合、さまざまなレベルの人の存在を考えなければいけないようです。後半のコメントの、宗教の誕生についてはいろいろな要素があるでしょう。仏教に限って言えば、釈迦の教えそのものが優れた内容を持っていたことが最も重要ですが、それを受け入れることのできた社会が、当時、存在していたことも、それと同じくらい、大きかったでしょう。王様から一般民衆に至るまで、さまざまな人が仏教に帰依したことが、それを証明しています。

・ガンダーラの初期の作品で、梵天と帝釈天の見分けはヘアースタイルですか?

・弥勒菩薩は手にやかん(?)のようなものを持っていて、それが弥勒菩薩だというidenticallyだとおっしゃっていましたが、他の例もいくつかあれば教えていただきたいです。私はイタリアなどヨーロッパの美術を研究していますが、たとえばキリストで言うと、おけと手ぬぐいなど、そこでも暗号化されているので、同様のことをしているのですね。

図像作品を解釈するときには、そこに現れるモチーフが何であるかを明らかにする必要があります。仏像のようなイコンの場合、どの仏であるかを同定(identify)することになります。そのとき、いろいろな特徴がその根拠となり、その特徴のことをアトリビュート(attribute)と言います。これは、むしろキリスト教の図像学や、ヨーロッパの寓意画などの研究が先駆的です。梵天と帝釈天の見分け方は、髪型がもっともわかりやすく、梵天は髪を簡単に束ねているのに対し、帝釈天はターバン状の飾りを正面に付けています(ターバン冠飾といいます)。このほか衣装や装身具も明確に区別されていて、梵天は僧侶階級であるバラモン、帝釈天は王侯貴族のイメージが基本になっています。この二つのイメージは、ほかにも観音と弥勒の間でも見られ、インド美術の重要な「軸」になっています。仏教の仏たちのアトリビュートとしては、観音とハス、弥勒と水瓶(やかんに近いですが、少し違います)、文殊とお経などがあります。しかし、必ずしも固定的ではなく、その変化が仏教美術の流れや特色を知る上でポイントとなります。


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