仏教儀礼の比較研究

2006年1月23日の授業への質問・回答


京都に今度行こうと思っているのだけど、何か仏教美術を見られる機会があったら、見てこようかと思った。今までも何度か京都へ行き、何度か見たけれど、本当に有名なものより、とくによそでは話題にならないようなものに惹かれることも多かった。

ぜひ、いろいろ見てきてください。もし密教美術や浄土教美術であれば、それがどのような儀礼の機会に用いられたか、どのような歴史背景を持っていたのかなどにも、関心を向けてください。授業で見た作品を実際に目にすると、新たな発見や感動があるはずです。今の時期はあまり寺院の特別拝観はありませんが、通常の展示でもいいものがいろいろあるでしょう。京博に行くという手もあります。京博は駅からバスで10分ほどですが、歩いても20分程度で行けます。

・孔雀は子宝と関係があるとおっしゃっていましたが、どういう関係があるのですか。
・孔雀経が子宝に使用されるというのは、オスの孔雀はメスをたくさん囲っているというような生態と関係してるのかなと思ったのですが、そうすると、なんだかすごく俗っぽいような気がしてしまいます。

オスの孔雀がメスをたくさん囲っているというのは、知りませんでした。インドでは孔雀は雨期を告げる鳥として、古くから信じられています。乾季が終わり雨期が始まるというのは、生命が新たに生まれたり、それが満ちるというイメージに結びつきます。生命をもたらす鳥というのは、子宝と容易に結びつくでしょう。インドの叙事詩や戯曲などの文学作品の中でも、孔雀はしばしば恋愛にかかわる場面で登場します。またインドでは孔雀はヘビを食べると信じられ、ヘビとも密接な関係があります。インドのいくつかの地方では、ヘビをかたどった輪を、子宝を祈願して神様に捧げる習慣があるそうです。ひとつの動物にもさまざまなイメージやシンボルが込められているのです。このあたりのことは、私の『インド密教の仏たち』の第3章で詳しく書いているので、参照してください。

現在でも、熾盛光法が行われていることにびっくりした。開帳することで、天変地異に見舞われないとは、私はやっぱり考えられないが、見てみたかったなと思いました。

青蓮院の熾盛光曼荼羅は、制作以来、初めてのご開帳ということで、かなりの参拝客を集めたようです。私が行った12月下旬は、かなり寒い日でしたが、それでも観光客がとぎれずに訪れていました。作品そのものは桃山の制作なので、平安仏画のような独特の華やかさはありませんが、保存も良く、美しい作品でした。本尊が尊形(仏の姿)ではなく、文字(種子といいます)である点が、別尊曼荼羅の中でも珍しいです。熾盛光曼荼羅は図像集などにいくつか例がありますが、そこではいずれも尊形です(授業で紹介した白描もそうです)。青蓮院の熾盛光曼荼羅は、今度いつ見られるかわかりませんし、生きている間は無理かもしれませんが、機会があればぜひどうぞ。ひょっとして、天変地異がさらに続くと、またご開帳になるかもしれません。期待してはいけませんが。

・天皇の寝間の隣で加持を行うという話が、とても奇妙なものに聞こえました。正直、理解しずらいですが・・・。世継ぎの誕生を願う強い気持ちが感じられる話だなと思いました。さすがに現在は行われていないですよね。
・当時は天候も世継ぎの誕生も何もかもが特別な人たちに頼るしかなかったのだなぁとあらためて思いました。しかし、平成の今になっても行われているとは・・・驚きました。

現在のことは私もよくわかりません。平安時代については、今回、あらためてお話ししますが、およそ、現在のわれわれには想像できないような世界が繰り広げられていたのではないかと思います。男子誕生は天皇の私的な次元ではなく、国家の根幹に関わることだったのです。でも、最近話題の女系容認も、おなじことでしょう。国会で議論しなければいけないのですから。

初歩的なことだと思いますが、新聞記事には青不動が熾盛光如来の化身と書いてあったのが、あまりよくわかりませんでした。不動と如来は別のものではないのでしょうか。

これはたしかに、読んだだけではよくわかりませんね。日本密教では明王を如来が忿怒形をとった化身と見なすことがしばしばあります。不動明王は明王の中の中心的存在で、おなじように仏の中心である大日如来と同体視されます。一方、熾盛光如来は大日如来の異名であるため、不動と熾盛光如来が同じ仏ということになります。青蓮院は青不動と呼ばれる「不動明王坐像」が有名で、重要文化財にも指定されています。青不動は数ある日本の不動の画像の中でも特に重要な作品です。青蓮院といえば青不動、青不動といえば青蓮院なのです。青不動が仏の世界の中心である大日如来と同体であることは、青蓮院にとってとても重要なことになります。ちなみに、大日如来をはじめとする五仏が忿怒形をとったのが五大明王で、柔和な菩薩の姿をとると五菩薩になります。これら全体を三輪身(さんりんじん)と呼びます。

青蓮院の熾盛光法のパンフレットには、「現代のことですよね・・・?」と思わずにはいれれないような、うんと右に寄ったことが書いてあるように思いました。歴史の中の由緒正しきお寺のやることだから、糾弾されないのでしょうが・・・。

われわれの知らないところでは、依然として宗教は強大な力を持っています。その場合、右とか左という政治的なポジションはあまり関係ないでしょう。皇室と仏教の結びつきが深いことは、日本の歴史を考えればわかりますし、明治以降でもけっして神道だけが皇室と関係がある宗教だったわけではありません。宗教を知ることで現代がわかるというのは、中東などの外国のことだけではないのでしょう。

さまざまな曼荼羅を見られて面白かった。請雨経法で使用する曼荼羅は、一日で作るそうですが、そのとき、一回きりしか使用されないのですか。

おそらくそうだと思います。請雨経曼荼羅を作ることも、儀礼の一部になっているのでしょう。請雨経曼荼羅を含め、別尊曼荼羅については、来年度の授業で詳しく取り上げるつもりです。そのときに、実際にどのような儀礼で用いられ、どのような役割を果たしたかについても、考えてみたいと思います。ちなみに、来年度の私の授業は、マンダラに集中する予定で、講義では日本のマンダラとアジアのマンダラを概観し、演習では前期に両界曼荼羅、後期に別尊曼荼羅を扱います。

仏教が占星術にも長けていたのは驚いた。曼荼羅はやはり宇宙とのつながりも意識しているのですね。

たしかにマンダラ(曼荼羅)は「宇宙の縮図」というような説明があるので、そう思われるかもしれませんが、これには少し注意が必要です。曼荼羅を見ていても、実際に太陽や星座が必ず現れるわけではありません。マンダラが宇宙を表すというのは、マンダラが当時のインド人にとっての「世界」を表すということで、実際の宇宙の構造を反映してるのではないのです。この場合の「世界」とは哲学的な意味で、「自己とそれをとりまくすべて」と言い換えられます。マンダラに星座や天体が含まれるのは、インドではこれらが神様として信仰され、マンダラにも取り入れられたからです。また、密教と占星術が関係するのは、むしろインドにおいて古来より占星術が発達していて、その伝統を密教も受け継いだからです。

授業とは関係ないのですが、先日、サークルの打ち上げで寺町にあるお寺のお堂を使わせていただいたのですが(寺でのコンパ、略して寺コンといいます)、壁に「供養○○○金百萬圓也」と書かれた紙が何枚も貼ってあって、驚きました。金額は百万や二十万などいろいろでしたが、お寺への奉納って、あんなに堂々と広告のように外にアピールするものなんでしょうか。

そうです。ちからいっぱいアピールするものです。たいていのお寺の本堂には、何十、何百という木札が壁にはってあって、昔からの寄進がずっとアピールされ続けています。基本的に仏教とは社会に寄生しなければならない宗教で、信者からの寄進で成り立っています。出家者は生産に従事したり、経済活動を行うことが禁止されているからです。一方の信者の方も、布施という功徳を積むことで、将来、良い結果がもたらされることが期待されます。それを社会(とくに身近な共同体)に周知させることも、重要なことなのです。はり出されなければ、誰も布施などしないでしょう。


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