仏教儀礼の比較研究

2005年12月5日の授業への質問・回答


儀礼の名称がカタカナばかりで混乱しました。以前から知っていた四住説が、当初の人生モデルから変遷したものだということに、非常に驚きました。

インドの儀礼を授業で取り上げるときの一番大きな問題は、カタカナ読みの名称でしょう。本来のサンスクリットの意味を知らない方には、だんだん拒絶反応が出てくるようです。授業ではこれまでホーマ、プージャー、アビシェーカ、プラティシュターなどが出てきましたが、できるだけ少なくてすむようにしています。アビシェーカとプラティシュターは基本的な枠組みが同じであるため、さらに混乱を招くようで、先回の最後の部分では、ダシャカルマが神像の完成儀礼、すなわちプラティシュターに適用されたときに、終わりの部分にアビシェーカを実質的な内容とする狭義のプラティシュターが行われたということです。これだけでも十分、混乱しますね。むしろ、インド世界では「対象を聖なるものとする変換の儀礼」が好んで行われ、それが弟子の入門儀礼、神像の完成儀礼、そして人生儀礼に共通してみられると理解する方がいいでしょう。その中で、儀礼の具体的な内容が、少しずつ変化しているようです。

人生儀礼と通過儀礼の細かい内容を見ていると、私たちにとっては記念日になるかならないかという程度のものさえあった。ことあるごとに儀礼があって、儀礼をするために人生があるという印象さえ受けた。しかし、実際に私たちの人生儀礼を考えてみると、そんなに頻度は変わらないかもしれない。インドの場合、一人前の大人になることではじめて儀礼を行っていけるという点が興味深かった。日本の儀礼の場合、ほとんどが家族の中で子が主体になっていると思うので、その点ではインドと正反対である。

現在の日本ではたしかに子どもが主体になっているように見えますが、七五三にしろ、成人式にしろ、親の主導で進められるのが普通で、やはり「社会の要員」である大人が主体であるような気がします。日本とインドで人生儀礼の頻度はそれほど変わらないというのはおもしろい指摘です。かつての日本には現在よりもはるかに多くの人生儀礼があったでしょうから、私もそう思います。程度の差はあっても、人生儀礼はあらゆる民族や社会集団で見られますし、それは一種の普遍性を有しているようです。授業では紹介しませんでしたが、ファン・ヘネップの古典的著作『通過儀礼』はそのあたりのことを取り上げています。

ひとりの人間がひとつの灌頂を受けた後に、他の灌頂を受けるというのは、たとえ灌頂が阿闍梨の資格を得るために儀式みたいなものといっても、いろいろな宗教に手を出しているようでおかしいと思った。

灌頂は一種の免許皆伝なので、複数の灌頂を受けてもとくに問題はなかったようです。灌頂を行うのは密教の中のことなので、複数の宗教に手を出すとは思われていなかったでしょう。あちこちにいる阿闍梨たちは、それぞれ得意とする灌頂を行っていたでしょうし、ひとりの阿闍梨が種類の異なる複数の灌頂を与えることもできたようです。現在のチベット仏教でもこれと同じようなことが行われています。

人生モデルとして、最終的に行くのは天界であると書いてありましたが、これは解脱ととっていいのでしょうか。

ダルマスートラやウパニシャッドなどに見られる古代のインド人の理想の死後の世界は、神々や祖霊とともに永遠に安楽に生きるというものでした。これは仏教でいう解脱とは少し違うようです。解脱は輪廻の苦の世界から解放されることで、神々の世界も輪廻の一部です。ただし、仏教とこのようなダルマスートラなどとは、基本的な枠組みが異なりますので、解脱という言葉で天界に行くことを指すこともあったかもしれません。

誓いを破ると誓水が地獄の水になるという話で、「死」のイメージを重要視するのはなぜか。六道輪廻の中で地獄道へ落ちることの意味の方が強いのでは。地獄に堕ちれば、当然次の世で正覚は得られないわけで。

もちろんそうです。その上で「地獄の水」と言って飲ませることが興味深いと思います。同じ時に、「これで汝(=弟子)の心臓には金剛薩?が宿ることになる。もし秘密を口外すれば、金剛薩?が心臓を打ち破って出て行くであろう」ということも、阿闍梨が言います。入門儀礼を守秘義務とするのは、おおくの社会集団、とくに秘密結社の入門儀礼のようなところで見られますが、灌頂もそのようなものとしてとらえられていたのではないかと思います。

生の儀礼と死の儀礼が分けられていたのが興味深かったです。死は肉体の死ではなく、死者の国の食べ物を口にすることであるという考え方と関わりはあるのでしょうか。

直接の関係はないと思います。むしろ、古代インドの人々にとって、人生儀礼のサイクルはあくまでも「生の儀礼」のことであり、死に関わる儀礼はそれとは別のカテゴリーになることが注目されます。これは日本でも、祭りやおめでたいお祝いの儀礼は「ハレの儀礼」で、葬儀や法事などの「ケガレの儀礼」とは、はっきり分けられていることと同じような気がします。

ネパールの人生儀礼で、女の子が行う「神との結婚式」とは、実際に何をするのか気になりました。

先週の参考文献にあげた吉崎氏の論文によると、つぎのようなものです。6歳から12歳までの少女がベルというみかん科の果実と儀礼的結婚を行う。ベルの実はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の象徴とされるが、仏教との間では「色究竟天には多くの英雄がいる。その中のひとりであるウパーヤが降りてきて、彼女の前に置かれたポットの中のベルに入る」といい、「将来、少女が男と結婚して夫が死んだとしても、このベルが壊れない限り、彼女は未亡人となることはない」とされる。

ネパールのダシャカルマは、最初、女子の初潮儀礼から始まり、それから子供が生まれるまでの種々の儀礼が続きますが、人生儀礼いというのは、総じて男子は入門・出家が中心で、女子は妊娠・出産が中心に組まれているような気がしました。

そうですね。ダシャカルマは「10の儀礼」という意味ですが、実際は男子と女子で異なる儀礼があり、総数として10になるということでしょう。10という数がむしろ重要だったようです。取り上げた事例はネパールですが、ダシャカルマのような人生儀礼そのものはインドにあり、ネパールはむしろその継承者にすぎません。しかし、仏像の完成儀礼にダシャカルマを適用し、さらにその中にプラティシュターの名称で、アビシェーカ(灌頂)を行っている点が興味深いので、取り上げました。

五大祭で神々より祖霊を大事に扱うのは失礼にならないのでしょうか。祖霊は神々に生まれ変わるとは限らないし、仮に生まれ変わったかはわからないのではないのですか。ただ、考えてみれば、日本でも家にある仏壇には祖先の写真が飾られていて、大事に扱われているので、同じようなことをしているのかとも思いますが。

五大祭の順序で祖霊が神々よりも先にあげられてるのは、必ずしも祖霊が神々よりも重要であるというわけではないと思います。五大祭は、いずれも本来はそれぞれ独立した異なる儀礼であったものを、五種類組み合わせたもので、五大祭として整備するときに祖霊に対する部分が重視されたのでしょう。また、輪廻思想では死んだ人間は神々として生まれ変わることもありますが、ヴェーダ儀礼の中での祖霊は、このような輪廻思想とは結びついていなかったようで、死んだ祖先はいずれも祖霊となって永遠に生きていると考えられたようです。輪廻思想といえばインドでは基本的な考え方のような気がしますが、本来、ヴェーダ文献を生み出したアーリア人たちは、輪廻思想を有しておらず、インド土着の考え方が、徐々に彼らにも浸透したと考えられています。

灌頂とキリスト教における洗礼との関係は、どのようなものだと考えられますか。

直接の影響関係は今のところ確認されていませんが、水を用いた「聖別の儀礼」であるという点は、共通しています。これは他の民族や文化でも見られることでしょう。キリストの洗礼は、もともとユダヤの民族の行っていた人生儀礼だったようで、キリストも洗礼者ヨハネから洗礼を受けています。灌頂や洗礼についてはヴァンヴェニストが『インド・ヨーロッパ諸制度語彙』のなかで取り上げていますし、私の『マンダラの密教儀礼』でも灌頂をあつかった章の導入部分(いわゆるツカミの部分)で紹介しています。


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