仏教儀礼の比較研究

2005年11月28日の授業への質問・回答


水が智慧を意味するということが興味深かったです。そもそもなぜ水が使われるようになったのか、不思議に思います。

なぜ水が用いられるようになったのかという質問は、ほかにも何件かありました。おそらく、順番は逆で、水を用いる儀礼があって、その水にいろいろな意味が与えられたのでしょう。授業でも紹介したように、灌頂という儀礼は、古代から行われた国王即位の儀礼の名称ですが、そこでは灌頂の水が仏の智慧を表すという解釈はありません。水は王の威光のようなものの象徴となっています。仏教徒が仏の智慧を表したいから、水を取り入れたのではなく、水をかけることで、その対象を別の状態に変えるという方法が先にあり、それを「智慧の水」と解釈したのでしょう。一般に、このような仏教的な解釈は、すでに存在する儀礼に後から加えられるようです。水そのものがなぜ重要であったかは、また別の問題で、水の持つ浄化能力や、生命を生み出す源というイメージが人類に普遍的にあり、儀礼においても水に浄化や再生の働きを持たせるのでしょう。このあたりは『マンダラの密教儀礼』の中で詳しく書いてありますので、参照してください。

大地の女神はいろいろな神に踏まれていましたが、「踏む」という行為は、懲らしめるというか、制圧するようなイメージがあります。支えるという感じがあまりしない気がしますが、大地はつねに私たちの足下にあるからとかそういうようなことなのかなとも思いました。

足の下に踏まれるというのは、踏まれる側にしてみれば、たしかに屈辱的なイメージがありますが、インドの一般的な神のイメージとしては、むしろ「支える」ことの方が多いようです。インドラの象、ヴィシュヌのガルダ、ヤマの水牛など、ヒンドゥー教の神々はそれぞれ固有の乗り物を持っています。授業のスライドの最後の方にあったバールフットのクベーラ像も、足の下に邪鬼のようなものも踏んでいますが、これも懲らしめられているのではなく、ヤクシャの王であるクベーラを支えるヤクシャの一人です。日本にはいると、奈良時代から四天王は邪鬼を踏む姿で表され、懲らしめられているように見えますが、本来はそうではなかったのです。東寺の兜跋毘沙門天の地天も、明らかに両腕で支えています。このような一般的な法則を守らなかったのが、密教の明王系の仏たちで、足の下にヒンドゥー教の神を踏んで、それを制圧した神話を作り出しました。しかし、上に立つ仏教の仏のイメージは、足の下のヒンドゥー教の神から借用して、できあがっています。イメージの上では「従者の上に立つ神」という伝統に従いつつも、それに矛盾する説明を与えたことになります。このことは『インド密教の仏たち』の最後の章で取り上げています。

雨が智慧の象徴であると初めて知りました。菩薩が最後、仏の知恵が備わることによって仏となるということにも驚きました。

雨や雲は仏教ではよく用いられるイメージです。一般にインドでは降雨は喜ばしい現象で、植物に実りをもたらす雨期が歓迎されたからでしょう。ここにも水の持つ豊穣や生命力のイメージが認められます。授業で読んでいただいた「ヴェッサンタラ本生」は私の授業ではよく取り上げるのですが、基本的なモチーフがこの「降雨」で、物語の発端も、不思議な雨が降ったことにあります。ヴェッサンタラが干ばつの時に「雨を降らす象」を与えてしまったことも、「雨が富をもたらす」というモチーフに重なります。物語のクライマックスでは、再会を果たしたヴェッサンタラの家族が、感激のあまり気絶して、その上に帝釈天が「蓮華の雨」を降らせることで全員を再生させます。これも灌頂によって国王になるヴェッサンタラと、同じイメージです。この物語はなかなかよく考えられています。

「灌頂は九地の菩薩が十地にのぼるときの儀式」ということですが、辞書を引くと、それに加えて「墓に水を注ぎかけること」とあります。やはりそれも死者の冥福を祈り、仏になることができるようにということから、同じ灌頂として現代に広く普及していることなのかなと思いました。

「墓に水を注ぐ灌頂」というのは知りませんでした。お墓に水をかけることは、おそらくひろく行われていると思いますが、それを「灌頂」というのは、特別なのではないでしょうか。むしろ地獄の思想や盂蘭盆会の風習などが関連するのではないかと思いますが、よくわかりません。しかし「死者を仏にする」ところは、「人を仏にする」という構図と、たしかに同じですね。日本で行われている灌頂にはほかにもいろいろあるようで、前回の授業の後で、比較文化の学生の方から「児灌頂(ちごかんじょう)」というのを教えてもらいました。この儀式でも稚児を仏とするのですが、男色などと結びつくそうです。

菩薩が仏になる前段階の灌頂と、仏伝の中の龍王灌水とのリンクの話がよくわからなかったです。最初に仏伝ありきで、それを大乗経典の中で、十住の灌頂住とリンクされたということだったと思いますが、もうちょっと詳しくお話を聞きたいです。

すべての菩薩が必ず菩薩の最後の段階で灌頂を受けていなければならないとすれば、お釈迦さんにも灌頂が必要になります。しかし、伝統的な仏伝では、釈迦の灌頂の物語はどこを探してもありません。そこで、実際に釈迦が灌水(灌頂ではないにしても)をさがすと、誕生直後の龍王灌水があるので、これを転用したのではないかという話です。実際、灌頂の儀式の中では、「釈迦が誕生直後に灌水されたように、弟子を灌頂するのだ」というフレーズを、阿闍梨が弟子に語りかけながら、灌水をします。順序としては、灌頂の儀礼が先にあって、それに釈迦の灌水を結びつけたと思いますが、逆転して、釈迦が儀礼のモデルになっています(例の神話世界の再現における、モデルとしての釈迦です)。なお、灌水はふつう沐浴を表すsn?naというサンスクリットを用い、灌頂のabih?ekaとは区別されます。

マンダラを作る際、大地の女神に呼びかけるのはなぜでしょうか。釈迦の証人だからですか。

お釈迦さんの生涯のなかの降魔成道を、マンダラの制作で再現しているという意図があるからです。大地の女神からマンダラのための土地を借用する儀礼は、結界の直後に行われます。授業でも紹介したように、結界は儀礼の妨害をする魔に対して行われますが、これはちょうど、悟りの前の釈迦による降魔に相当します。そして、マンダラ制作の後に行われる灌頂は、前回取り上げたように、弟子が悟りを開いて仏になることを保証する儀式です。儀式の一連の流れが釈迦の事績を繰り返すようになっていることがわかります。よく考えられていると思いませんか。

今までマンダラは単に芸術の作品だと思っていたのですが、儀礼の装置だったとは知りませんでした。マンダラのそういう役割は、あまりテレビとかで取り上げることはありませんよね。

まったくありません。たいてい、テレビや新聞でマンダラが出てきても、「仏の悟りの境地を描いた絵」という説明で片づけています。私はこの説明が大嫌いで、見たこともない仏の境地を、どうしてマンダラと同じであるといえるのかと、いつも文句を言っています。マンダラを儀礼の装置としてとらえる見方は、私の『マンダラの密教儀礼』が先駆的なものですが、最近、ようやく研究者の間でも、そのような説明をする人が出てくるようになりました。


(c) MORI Masahide, All rights reserved.