仏教儀礼の比較研究
2005年10月31日の授業への質問・回答
ヴェーダ祭式の互酬関係の変化が興味深かった。献供に対し恩恵を受ける(A)では、恩恵があってそれに感謝する形で献供をするのか、恩恵を求めて献供するのかどちらですか。
恩恵を求めて献供する方です。儀礼の構造が変化して、祭官の地位が絶対化するのも、祭式が宇宙全体の枠組みに力を及ぼし、望んだ結果がそれによってもたらされるという前提があるからです。
儀礼の動作だけでなく、写真の中に写っている器の形も日本に共通しているものがあるようで、興味深い。
儀礼を構成する要素の中で、儀礼の道具というのは驚くほど忠実に伝えられています。今回紹介する護摩でも護摩の炉や護摩の杓などの形は、インド、チベット、日本などで用いられているものと、とてもよく似ています。それは儀礼の順序や動作なども同様で、儀礼においてそのような形式がいかに重要であったかがよくわかります。それに対して、一番よく変化するのが、おそらく儀礼の持つ意味でしょう。新しい意味が付加されたり、全く異なる意味にすり替えられたりするのは、しばしば見られます。儀礼がどのような意味を持っているかは、これまでにも紹介してきたように、儀礼を研究するときにまず注意が向けられる点ですが、それを明らかにすることの難しさが、ここからもわかります。
プージャーは墓参りのようなものかと感じたが、日本で墓参りはそんなに頻繁に行われないように思うが、プージャーの場合はどれくらいの頻度で行われるのでしょうか。
墓参りを毎日している人もいるかもしれませんが、たしかにふつうは年に数回でしょう。それに対してプージャーは、基本的に毎日します。このようなプージャーを「常なるプージャー」という意味の「ニトヤプージャー」といいます。インドやネパールに行くと、ヒンドゥー教のお寺やヒンドゥー教徒の家では、一日に数回、とくに朝晩にはかならずプージャーが行われています。それ以外に、毎月や毎年の決まった日に行われるプージャーや、何年に一度かの大規模なプージャーもあります。毎日のプージャーは「おつとめ」、大規模なプージャーは「法要」に近いイメージです。
配布された文の中に文献学と人類学の儀礼に対する研究がかみ合わないという趣旨の内容があったが、今回紹介されたプージャーはどちらにも関連するのではないかと思った。
たしかにプージャーにはそのような可能性が含まれていますが、実際の研究史を見ると、圧倒的に多いのは文献学からの研究です。これもやはり、儀軌のような儀礼の文献がプージャーの場合も存在することによるのでしょう。また、プージャーのように神々をお迎えして供物を捧げるというだけの儀礼は、人類学者にとってあまり魅力的ではなかったのかもしれません。もっとダイナミックな、あるいはドラマチックな儀礼で、社会や国家のあり方を明瞭に意識したような儀礼が、人類学では研究対象として好まれるようです。
インドではバターを燃やして供養とするとあったが、お線香もインドからきたものであろうか。バターも線香のように香りがしたのだろうか。
バターも燃やすと煙や煤が出て、独特のにおいがするはずで、それを神々が好んだと考えられたようですが、お線香のように、においを出すことだけを目的とする供物とは違います。なお、授業ではバターと紹介しましたが、実際の供物は精製された動物性油脂で、「ギー」と呼ばれるものです。現在のインドでも毎日の料理で使われています。雪印の箱入りのバターのようなイメージではありません。今回紹介するように、火の中にバターを投ずる儀礼と、お線香を含む供物を順番に供えるプージャーは、起源が別です。お線香の起源はよくわかりませんが、日本のようなお線香の形は、中国が直接の起源でしょう。インドには円錐形や渦巻き型(蚊取り線香のもっと細くて長いかんじ)など、さまざまな線香があります。
東洋的な思想には自分の存在を無と考えるようなものがありますよね。有を生み出すのは無であるといったときの無を宇宙と考えて、「梵我一如」のいう意味をとらえようとすると、「空」に近い印象を受けました。と勝手に考えてみたのですが、ウパニシャッドがこの概念を根本にして、どのように哲学を展開しているのか、よければ少し教えてください。
仏教の「空」と、おそらく中国哲学的な「無」は異なる概念です。「空」の基礎となっているのは、縁起説です。あらゆるものは因果関係のもとで成立しているにすぎなく、無常、すなわち永遠に存在するものではあり得ないと、仏教は考えていました。その場合、無も「無という存在」を意味するので、やはり無そのもの存在は認められません。「梵我一如」に代表されるウパニシャッドの哲学を、簡単に説明するのはなかなか難しいですが、少なくとも、このような無や空とも違う考え方です。宇宙は無でも空でもなく、ブラフマン(梵)という根本的な実在者と見なされます。ブラフマンは永遠に存在し、あらゆる現象を超越していますが、それと同時にあらゆる現象として顕現しています(理解不可能?)。古代インドの哲学はインド哲学史の基本的な文献に載っていますので、読んでみてください。立川武蔵『はじめてのインド哲学』服部正明『ウパニシャッドの神秘思想』(いずれも講談社現代新書)などがおすすめです。
・ふつう儀礼が失敗した場合、信心が足りなかったせいにすると思うのだが、インドでは規定が違うというようになるのが興味深かった。思想よりも行為を規定しようとするのが、他宗とは異質なところなのではないか。
・供物はまるでお子様ランチのようですが、盛り方や内容にもきまりがあったりするのでしょうか。ヤジュルヴェーダの黒と白の違いは何なのでしょうか。黒魔法、白魔法のようなものでしょうか。もしそうだとしたら、黒が充実しすぎとか・・・。
内容は供物の種類が決まっているので、変更することは難しいでしょうが、盛り方はあまり厳密なものではありません。そのあたりは日本の儀礼とずいぶん雰囲気が違い、基本さえ守られていたら、あとはかなり自由に行われます。これはインドの儀礼一般に言えることで、形式を絶対化し、それを墨守することにはあまり熱意は見られません。その一方で、マントラを正しく唱えることには、きわめて厳格です。ヤジュルヴェーダの黒と白の名称の由来には、次のような伝説があるそうです。ヤジュル・ヴェーダの開祖とされるヴァイシャンパーヤナに27人の門人があり、その中のひとりヤージュニャヴァルキヤは、詩の命にしたがわず、その怒りをかって師のもとを去った。その後、彼は駿馬(原語はヴァージン)の姿をとって現れた太陽神から、新鮮なヤジュス(祭詞)を掲示されて、ヴァージン15派の開祖となった。他の門人は「しゃこ」(鳥の種類で原語はティッティリ)となって、ヤージュニャヴァルキヤの吐瀉した祭詞を食らい、タイッティーリヤ派すなわちチャラカ・アドヴァリウ(広義では黒ヤジュル・ヴェーダ派全体)となった(以上、辻『インド文明の曙』p.118)。具体的には、黒ヤジュルはマントラとブラーフマナが併存して、両者をサンヒターと呼び、白ヤジュルは両者を分離させ、前者をサンヒターとして独立させています。黒ヤジュルの方が成立が古く、白ヤジュルが新しいことになります(同書、p. 2)。このように、白ヤジュルと黒ヤジュルは、黒魔法と白魔法には対応していません。むしろ、同じヤジュルヴェーダに属していながら、早い段階で分裂し、まったく異なる伝統を守る集団なのです。なお、ヴェーダの中でも黒魔法と白魔法に近いものを持っているのは、アタルヴァヴェーダで、アタルヴァンとアンギラスという二つのグループがあり(怪獣の名前のようです)、前者が穏健な呪法、後者が調伏などの危険な呪法をもっぱらとしています。
アタルヴァ・ヴェーダのブラフマン祭官は、呪法を使うと聞いて驚きました。誰に対して行うのでしょうか。公に呪殺が認められた社会なのですか(もし呪い殺せるとしたらの話ですが)
『アタルヴァ・ヴェーダ』のサンヒター部分は、岩波文庫で読むことができますから、一度読んでみてください。数千年前のインドの人々も、われわれと同じようなことを望んで生きていたことがよくわかります。お金が儲かったり、病気が治ったり、恋愛が成就したり、いやな相手がこの世からいなくなったりといった呪法がたくさん出てきます。呪殺が公に認められていたかどうかはわかりませんが、頻繁に行われていたのはたしかでしょう。別にそれはインドのその時代だけではなく、世界中で今でも行われていることです(もちろん、実際に効果があるかどうかは別です)。オウム真理教の事件以来、宗教は怖いものという見方が多くなっていますが、それは宗教を甘く見ていたことの裏返しで、むしろ、宗教とは基本的に怖いものと見た方が妥当でしょう。怖いものだから惹かれるところもあるのです。
プジャリの中にときどき日本のお供えの類似点が見え、不思議な感覚だった。そういえば、お盆のルーツはソグド人の拝火教だと聞いたことがある。
お盆の起源がゾロアスター教だったというのは、知りませんでした。迎え火をたくところなどが、その根拠なのでしょうか。お盆についてはその名称も特殊なので、起源については諸説あるようです。日本のお盆の直接の典拠となっているのは、中国で成立した『盂蘭盆経』だと思いますが、目?連の亡母説話が重要なモチーフになっていて、なかなか複雑です。お盆も重要な儀礼でしょうが、この授業で手に余るので扱えないと思います。関心がある人は『仏教文化事典』のお盆の項などを参照してください。
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