仏教儀礼の比較研究

2005年10月17日の授業への質問・回答


内容とは関係ないのですが、先生はガンジス河の「ガ」を鼻濁音で言っていたような気がします。もしかしてそれが現地での発音なんでしょうか。インドの儀礼といえば、やはりガンジス河での沐浴しか思い浮かばなかったんですが、こんなにいろいろあるとは思いませんでした。苦行まで儀礼にはいるとは思わなかったので、驚きでした。

さすが言語学専攻の方は耳がいいですね。たしかに、自分で発音してみると、鼻濁音になっていました。これは現地の発音ではありません。現地ではgaの音です。サンスクリットやチベット語には鼻濁音の「ガ」がよく出てくるので、無意識のうちに混同していたのでしょう。あるいは「ガンジス」を表す現地名が「ガンガー」で、後ろの「ンガー」のところが鼻濁音なので、それにつられて発音する癖がついていたのかもしれません。さて、儀礼の世界はとても幅が広いという感想は、他の方にも多く見られました。これは別にインドに限ったことではなく、日本中の儀礼や祭礼を考えれば、同じように膨大な量があるでしょう。前回の授業では、インドの「代表的な儀礼」というものを紹介しましたが、同時に、授業では取り上げられないということも強調しました。おそらく、授業でこれから見ていく儀礼は、インドのすべての儀礼の中では、ごくごく一部でしかないでしょう。その中から、インドの儀礼の特質を明らかにしたり、日本の仏教儀礼との比較を行っていくつもりです。

儀礼の後で祭壇を焼くという資料がありましたが、あれにはどういった意味があるのか(あるいはないのか)疑問に思いました。日本の初詣では、前年の破魔矢などを焼いたりしますが、あれと似たようなものなんでしょうか(といっても、なぜ、破魔矢を焼いたりするのかも、よくわかっていないのですが・・・)

ヴェーダの儀礼において、儀礼の場をどのように作り、儀礼の後でそれをどうするかは、来週の授業で取り上げるつもりです。簡単に言えば、儀礼の場を作ることも儀礼の一部であり、そのためには、いったん作った儀礼の場は、儀礼が終われば廃棄する必要があるのです。破魔矢ばかりではなく、おふだや絵馬を焼くのは、日本の神社でしばしば見られます。私もその起源や理由はよくわかりませんが、インドの場合とは異なるようです。

儀礼は精神的なものに訴えるだけのものかと考えていたが、実際に生きていくという面から見て欠かせないものであるというのが意外であった。

皆さんの多くは、別に儀礼なんてなくても生きていると思っているかもしれませんが、人間がいる限り、儀礼は存在し続けるでしょう。人間は「儀礼をする動物」なのです。「儀礼とは何か」については、これまで多くの研究者がいろいろな考えを示してきました。今回の授業では、それにもふれるつもりですが、程度の差こそあれ、儀礼なしにはがわれわれの日々の生活も、あるいは人生も成り立たないことは、共通の認識としてあります。

喪に服するのに頭をそるというのふしぎな感覚です。日本だと、お坊さんか野球部か不祥事を起こした人か・・・というような気がするので。

なぜ、喪に服する人が頭をそるのかは、わたしもわかりません。正確に言えば、丸坊主にするのではなく、ごく一部だけ残して剃り、残った部分が垂れ下がったような形になっています。いずれにしても、インドには髪の毛を剃った人はほとんどいないので、よく目立ちますし、「非日常的な姿」にうつるのはたしかです。「死のケガレ」と関係があるのかもしれません。一定期間(1年くらい?)は、そのような姿をしています。髪の毛というのは宗教学的にも重要な身体の部分で、お坊さんや不祥事を起こすと剃るのも、ある種の「去勢」のようなものです。同じように、軍隊にはいると剃ることがありますが、これも「個性の剥奪」という効果があり、管理しやすくなるのでしょう。服喪の場合、少し違うようですが。

手塚治虫のマンガ「ブッダ」で、何年も同じ姿勢を続けているといった「苦行」をバラモン僧が行っている場面を見た覚えがあるが、現代でも続いているとは思わなかった。ブッダはむしろそのような僧たちを「何の役にも立っていない」と否定していたように記憶している。数千年たっても、たいして進歩していないということなのだろうか。

私は手塚治虫の『ブッダ』は読んでいないのですが、インドや仏教のことを知る上では、なかなかよい「参考文献」でしょう。『火の鳥』も「鳳凰編」のように、かなり仏教的な内容のものがあります。バラモン僧が苦行を行うというのは、マンガとしては自然な感じですが、厳密に言うと、「出家したバラモン」といった方が、適切かもしれません。これからの授業の中で紹介しますが、バラモンとは基本的に家庭を持ち、アーリア人の伝統社会を守ることが求められているからです。釈迦が苦行を否定したのは有名な話ですが、苦行が「劣った方法」であるとは限りません。むしろ、インドでは仏教的な実践方法は、仏教の衰滅とともに消えてしまいましたが、苦行は現代に至るまでその伝統が続いています。インド人にとっては「優れた方法」だったのかもしれません。あるいは、現代のヨーガの流行などを見ると、そのことはインドに限られないとも言えるでしょう。

「プリーのラタジャートラ祭り」を見て、そういえばインドは人口のとても多い国だった!と思いました。あの巨大な山車は動くのでしょうか。「儀礼」と祭礼」はどのように違うのですか。広辞苑では「儀礼:社会的慣習として形式を整えて行う礼儀」「祭礼:神を祭り儀式、神社の祭り、祭典」となっていましたが、はっきりと違いがわかりません。

ラタジャートラの山車は動きます。このお祭りの時期には、プリーにインド中から人が集まるようです。プリーにあるジャガンナート寺院は、インドの巡礼の重要な聖地にもなっています。「儀礼」と「祭礼」の区別は、日本ではそういうことなのでしょう。ほかにも関係する語彙には「儀式」「祭式」などがあり、英語の場合、ritual, rite, ceremonyなどがあります。このあたりの説明や定義には、授業ではあまりこだわらないつもりですが、今回、少し考えてみるつもりです。

数年前に『アーユルヴェーダ健康法』というインドの健康法が書かれた本を探したことがあります(結局、見つかりませんでしたが)。「ヴェーダ」という語で思い出したのですが、儀礼などとはつながりがあるのでしょうか。また、ヴェーダ文献群にこのようなものも入っているのですか。

ヴェーダといった場合、「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」の4種類が基本です。「アーユル・ヴェーダ」は基本的に医学書なのですが、ヴェーダの権威を付与するために、このような名前を持っていますし、「第五のヴェーダ」と呼ばれることもあります。ただし、ヴェーダ文献とはシステムがずいぶん異なり、「アーユル・ヴェーダ」という文献は存在しません。ちなみに「アーユル」とは「命」を表す言葉なので、さしずめ「生命科学」となります。アーユル・ヴェーダは漢方ほどではありませんが、かなり日本や欧米で関心を持つ人が多く、日本でも相当数の本が出ています。「アーユル・ヴェーダ学会」という専門的な学会もあります。

婚礼に際して火の周りを回るというのは、どこからきたものですか。

調べていませんが、おそらくアーリア人や、それを含むインド=ヨーロッパ語族の古い習慣化もしれません。辻直四郎『ヴェーダ学論集』(岩波書店)の中に研究があったはずです。ヴェーダの祭式の時に取り上げますが、火というのはアーリア人たちの宗教にとってきわめて重要な存在で、同時に、家庭の火という点でも重視されます。そのいずれとも関係するのでしょう。なお、火だけではなく、水もその横に置いてあるのも、結婚式の特徴です。べつに「火の用心」のためにおいてあるのではなく、水も火と同様、シンボリックな意味を持っていたようです。

ヴェーダが口伝として伝えられてきたのならば、同じ儀礼であっても、多くのヴァリエーションがありそうだが、どうなのか?

その通りです。ヴェーダの宗教はとても複雑なのですが、さらに、さまざまな学派があることがそれに拍車をかけています。同じ起源の儀礼であっても、学派によって方法が異なり、古い形式を伝えるもの、新しい要素を加味したものなど、多岐をきわめています。これについても、来週、取り上げるつもりです。

仏伝図をクシャトリアの儀礼が描かれたものというふうに考えたことがなかったので、そういう見方もできることに、なるほどと思いました。

図像資料というのは、いろいろな使い方が可能で、日本史などでも、近年、絵巻物などの絵画資料を「史料」として重視する傾向があります。インドではまだわずかですが、たとえばサーンチーの浮き彫りに現れる馬車を、ヴェーダの祭式で用いられる馬車と比べる研究などがあります。私が学生の頃、宮治昭先生の仏伝の演習に出席していたとき、先回紹介したような「釈迦の結婚」を取り上げたことがあります。経典にはあまり結婚式の様子が書かれていなかったので、J. GondaのVedic Ritual(ヴェーダの儀礼)という本を参考にして、アーリア人の一般的な結婚式の方法が、釈迦の結婚式にも一致するという趣旨の発表をしました。20年ほど前の発想ですが、そのうち、論文にでも書きたいと思っています。


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